あっという間に月日は流れ、もう十月の下旬に差し掛かろうとしていた。十月下旬ともなれば、夜間は気温がぐっと下がり、冬の気配を感じ始める頃合いだ。
 ハンガーラックに掛けた薄手のコートを羽織り、口の広いポケットに財布とスマホを突っ込んだのち、面倒だな、なんて思いながらも家を出る。
 私が住んでいるのは、オートロックも何も無い、古びたアパートだ。父が生きていた頃はもっと良い場所に住んでいたらしいのだが、父が他界したと同時に母は私を連れてこのアパートに引っ越してきた。引っ越してきた時はまだ三つだったが、当時の記憶はぼんやりと残っている。菓子折りを持って隣人へ挨拶に行った時の事も、ダンボールが所狭しと積まれていた部屋の光景も。
 溜息をつきつつ、痛む足を引き摺って近くのスーパーへと歩を進める。
 今日の夕飯は何にしようか。そろそろ料理のレパートリーも増やさなければならない。しかしどうしても、一人になると食事に手を抜きがちになってしまう。誰か食べさせる相手が居ればまた違ってくるのだろうが、ここ数日は毎日味付けの違う野菜炒めで済ませてしまっていた。
 野菜炒めといっても、玉ねぎとキャベツ、それに人参を炒めただけの質素なものだ。味付けも、和風、洋風、中華風、なんて確立させている訳でも無い。ただ醤油やソース、塩コショウなどの分量を変えているだけである。
 たまには、ハンバーグでも作るべきだろうか。いや、ハンバーグは割と手間がかかる。ここはオムライス位にしておいた方が後片づけも楽なのではないだろうか。しかし楽さを求めるのならやはり野菜炒めだ。だが野菜炒めにもそろそろ飽きてきた。どうするべきか。そうこうしている間に、スーパーに着いてしまう。
 こうも悩む位ならば、思い切って出前を頼んでしまえば良かった。どうせ、〝金なら余る程ある〟のだから。
 ――あ。
 顔を上げた先にあった、見知った男の顔。ガードパイプに腰を掛け、スマホを弄るその横顔は何処か暗く、覇気がない。

『俺さぁ、母親に疎まれてんだよね』

 視線の先の彼が、いつか屋上で告げた言葉を思い出す。

『母親、水商売やってんの。だから夜仕事行って、朝帰ってくるんだよ』

 彼は、スマホから顔を上げようとしない。私の存在にも、気付いていない様だ。
 こんなにも近くに居るのに気付かないなんて、と思うが、良く見ると彼の耳には無線イヤフォンが差し込まれていた。周囲の音を遮断しているから、近くに居る私の存在にも気付かないのだろう。
 その場で足を止め、ぼんやりと彼の横顔を見つめる。
 こんな所で何をしているのか、だなんて、聞かなくとも分かる。きっと母親が仕事へ行くまでの時間を、此処で一人潰しているのだろう。
 彼――白川は、毎日行きも帰りも同じバスだった。一緒に学校へ行こう、一緒に帰ろうと約束した事は過去に一度も無い。だが、何故だか彼は私を待ってくれていて、私がバスに乗りやすい様に補助してくれる。
 しかし彼と通学を共にしてもう一ヶ月半が経つというのに、彼の家が何処にあるのかは未だに分からなかった。彼はいつも、バスを降りれば「俺こっちだから」と言って私の家とは真逆の方向へと歩いていってしまう。
 白川がその後、ちゃんと家に帰っているかどうかなんて考えた事が無かった。もう少し深く考えれば、分かった事かもしれないのに。