強い日差しに、響き渡る蝉の鳴き声。纏わり付く、じわりとした茹だる様な暑さ。ゆらゆらと立つ陽炎(かげろう)に、体感温度も上がっていく。
 八月の半ば。本日の外気温は三十八度。気象予報士によると、今年一番の暑さらしい。
 今年は記録的猛暑になると予測されていた為、それ相応の覚悟はしていたが、いざこうして夏を迎えると殺人的な暑さに倒れそうになる。どれだけ暑さ対策をしていても、殆どが意味をなさない。
 先程買ったばかりの生花も、この暑さにはこたえる様だ。目に見えて分かる程、瑞々しさを失い萎れ始めていた。急がなければ。
 痛む足を引き摺り、墓地に続く階段をゆっくりと降りてゆく。
 墓地とは、非常に不思議な場所だ。沢山の故人が眠っているからなのか、足を踏み入れた瞬間まるで異界にでも入り込んでしまったのかと錯覚する程に、普通ではない空気が流れているのを感じ取る。霊的な何かを感じる訳では決して無いが、その異様な空気感に、人々が墓地を敬遠する気持ちがなんとなく分かる気がした。

 古風な石畳の道の上を、迷うこと無く進んでいく。
 他所の墓に目を向ければ花が手向けられていて、八月だからか、皆今は亡き家族に会いに来たのだという事が窺える。手向けられた花達も、この猛暑の中だというのに眠る故人の為にと必死に花としての役目を果たそうとしている様に思えた。
 漸く辿り着いた墓の前に佇み、棹石に彫られた〝遠海家之墓〟という文字をぼんやりと眺める。墓参りは毎年おこなっていたが、一人で来るのは今日が初めてだ。そのせいか、何度も見た筈の我が家の墓石がどこか他所の家のものの様に見えた。
 手桶に汲んだ、暑さからもう温くなってしまった水を柄杓で掬い、墓石にそっと注ぎかける。年に一度しか墓参りをしていないのにも関わらずこんなにも綺麗なのは、きっと墓地を管理する寺の住職が定期的に掃除をしてくれているからなのだろう。確かそんな事を、母が生前言っていた様な気がする。
 先程買った、母が好きだった花を花立に供え、線香をあげたのち墓石の前で静かに手を合わせた。

 ――お母さん。
 あの事故から、今日で一年が経ちました。
 二人で暮らしていた時はあのアパートがとても狭く感じたけれど、一人で暮らしてみると妙に広く感じてしまい寂しくなります。
 お母さん、もう身体は痛くないですか? お父さんには会えましたか? あの日の事故を、恨んでいますか?
 私がこうなってしまった(・・・・・・・・・)事を、憂いていますか。心苦しく、思いますか。
 私は、――私は。
 一年が経った今でも、毎日が苦しいです。全てが鮮明で、あの日のお母さんの姿も、鳴り響くクラクションも、飛び散った鮮血も、全てが脳裏に焼き付いて離れてくれません。
 お母さんは、私を助けられて良かったと、私が生きていて良かったと思っていますか?
 私は、時々思います。
 何故、私も共に死ねなかったのだろうと。
 お母さんの想いを無下にはしたくないけれど、それでも。
 こうして生きている事に、意味が感じられないのです。
 
 お母さん、もう一度だけ、貴女に会いたい。
 仮にそれが幻であっても、夢であっても、構わないから。
 もう一度貴女に会って、問いたい。

 私はこれからも、拭えない障害を背負い、貴女の命の上で生きていってもよいのでしょうか。