重い気持ちで登校した金曜日。教室で銀狐の姿をつい探してしまうが――。
「――花宮? その姿……」
「……おはよう。またね」
 こちらから話しかけても、にべもなく去っていく。
 女子用ブレザーに身を包む、ゆるふわ長髪でナイスボディをした――カメレオンが。
 寄ってきたカメレオンの群れに、花宮の声を発した個体も溶け込んでいく。
「顔まで人間に戻った銀狐だったのに……。カメレオンになるなんて」
 花宮にとって、自分がカメレオンの姿になるのを見るのは初めてだ。
 それも――。
「人間に近づいてから退行する変化なんて……どんだけショックで、辛いんだろう。なんて悪辣な呪いなんだよ」
 笑顔を作り、周囲に溶けこもうとする花宮らしきカメレオンを見て――思わずぼそりと呟いてしまう。姿形が変化するのには、大鏡に映るか俺の視認が必須だと思っていたが……後ろ向きな変化はその限りじゃないらしい。
 花宮が辛い心情を抱え込んでいると考えると――胸が締め付けられるように痛む。
 でも、花宮をここまで追い込んだのは俺だ。花宮を支えたいと勝手なことを言って、彼女の心に土足で入り込んだ。その結果が、花宮との関係崩壊だ。
「…………」
 後悔しても遅い。大恩ある人を傷つけた。そんな俺には、彼女へと近づく資格はない――。
 放課後。俺はオカルト研究部を訪ね、珠姫に花宮がカメレオン姿になっていたことを報告し――。
「義兄さん、それはマズイよ……」
 珠姫に頭を抱えさせてしまった。
 白衣を羽織るカメレオンが頭を抱えている状況は、俺のズタボロの精神をさらに追い詰める。異常な世界で同じクオリアを共有した仲間を失った。もっと言えば……最推しであり、初めてできた親しい人にして恩人を深く傷つけた罪悪感で、胸が張り裂けそうだ。心の支えだった叶魅りあという存在にも嫌われたし……。
 奇怪なカメレオンに満ちたこの世界で、精神ズタボロ状態では平常心を保てない。
「だよなぁ。……正直、俺はかなり参ってるんだ。……それに、自分が許せない」
「ふうん? どんなところが許せないんだい?」
「花宮を傷つけたことだ。……叶魅りあとしての配信も上手くいかなくなって、カメレオン姿になってしまうぐらいに傷つけてしまった」
「なぜ花宮貴子先輩はカメレオン姿に退行したんだと思う? 今はカメレオン姿のぼくを見るのも辛いだろう、目を閉じて考えるといいさ。……ぼくが人間に見えないのは悔しいけどね」
「……すまない」
 切なそうに笑うカメレオン姿の珠姫に謝罪しながら、目を閉じてゆっくり考える。
 花宮がカメレオン姿になった理由か……。
 最初に変化した時から彼女は、銀狐の姿だった。珠姫の言う通り、校訓に沿って『信念』。『目標と理想へ向かう行動』。そして『自信』を得ることが人間に戻る要因だとしたら……。
 それら3つを失い――その逆のマイナス要素を得てしまったということだろうか。確か逆は『疑惑』。『恐怖』。『失望』だ。
 花宮は配信活動をおこなう上で持つ『信念』を失い、『疑惑』を抱いた。児童館で子供たちの笑顔を目にして得た『目標と理想へ向かう行動』も無くし、『恐怖』するようになった。人間姿には戻っていなかったから『自信』は元々、得ていないだろうから……。
「俺との喧嘩がきっかけで今まで得たものを失い、自棄でマイナスな言動をしたんじゃないか。唯一持っていた配信活動での信念も無くした結果が、今のカメレオンの姿だと思う」
 静かに答えを待っている珠姫に、小さな声で語りかける。
 こうして瞳を閉じれば、鮮明に思い出す。あの児童館で、顔だけ人間姿に戻った花宮の花が咲いたような笑顔が。狐耳と尻尾を喜びに震わせ、涙でくしゃくしゃな人間姿の顔が……。
 俺はそんな尊いものを壊してしまったんだ。花宮はこのままじゃいけない。そんな自分勝手な考えで彼女の闇を指摘して、逆に壊した。
「俺は花宮の闇を指摘するべきじゃなかった。もっと言えば、花宮の言う通り俺が全ての原因だったんだ。そもそも彼女の優しさにつけ込んで関わるべきじゃ――」
「――自分を責めるのはそこまでにしておきなよ」
 ふわっと、優しい温もりが俺を包み込む。それは布越しに伝わる温もりで――。
「目を開けなくていい。視覚と触覚でカメレオンだと認識しなければ……人間だったぼくの温もりと同じなんじゃないかな?」
 囁くような声が、耳を通って錯乱する脳へ優しく届く。
「見ている世界が違っても、ぼくたちは助け合う兄妹だよ」
「珠姫……」
「義兄さん、自分の顔を見たかい?」
「……ガラスに映った自分なら、一瞬だけ」
「それではよく見えなかっただろうね。今は人間の顔に、狼の体なんだったね。それは変化してなかったかい?」
「ああ、変わっていなかった。……でも鏡は見たくなくて、よく見てない」
「それなら、わからないだろうね。――義兄さんの心は、泣きたがっているんだよ」
「……え?」
「恩人を傷つけたからと自分を責め、泣くことも許さない。それは孤高であり――孤独だよ」
「俺は、そんなつもりじゃ……」
「そうだろうね。無意識だからこそ義兄さんは狼になったんだろう。狼というのは、臆病かつ冷静で――仲間思いだからね。ぼくを受けいれてくれた義兄さんにピッタリの、格好いい生き物だ」
「でも、俺はっ! 俺は花宮を追い詰めて……」
「すぐに立ち直るのは困難だ。ぼくもそんな無茶は言わない。心が変化するには、劇的な言葉や体験が必要で――前向きに変化するにはエネルギーがいるからね。今の義兄さんには、充電期間が必要だ」
「充電、期間……?」
「そうだよ。人の心身を動かすのは、良質なエネルギーだ。花宮貴子先輩がカメレオンになってしまった原因分析はぼくの考えるものと同じだ。その上で少し休んだら、自分のことも見て欲しい」
「自分のことなんて、今は――」
「――義兄さんが十分に動けるようになることが、全ての解決に向かうとぼくは思う。信じてくれないか?」
「…………」
 その聞きかたはズルい。大切な義妹にそう言われたら、従うしかない。
「リア充どもの巣窟にいくのは、ぼくも勇気がいるが……部活が終わる頃に白井黒一くんも呼んでこよう。そこで事情を話そうじゃないか。研究もそうだが、何かを成すには1人ではなく共同で進めてくれる仲間がいたほうがいい」
 確かに、花宮と幼馴染みの白井には、知らせなければいけない。
 白井の大切な人を傷つけたと伝え、手助けして欲しい。幼馴染みだし、きっと俺より上手く花宮を支えてやれると思う。なぜだかわからないけど、白井のことは信じて頼りたくなる。
「一匹狼は、新たな群れを作る為にはぐれるという説がある。義兄さんはきっと、顔色をうかがうのをよしとしない、新たな集団を作ろうとしているんだ。ぼくたちも、新たな群れに混ぜておくれよ」
 俺は異端で、だから集団からはぐれていると思っていた。
 珠姫の語る優しくて前向きな考えは――すがりたくなるほど魅力的だ。もしも顔色をうかがうことなく、本音で語り合える群れが作れたら――なんて素敵だろう。
 だから――。
「わかった。……珠姫、ありがとう」
 今は珠姫の言うように、充電させてもらおう。花宮を救う時、十分に動けるように――。
 夕暮れ時になり、珠姫に引き連れられた白井がオカルト研究部へとやってきた。入室するなり俺の顔を睨みつけてくる。幼馴染みである花宮を傷つけたことで、怒りが募ってるんだろうな……。
「――よう、大神。事情は珠姫ちゃんからだいたい聞いた」
「……白井、すまない」
「……チッ。一発ぐらい殴ってやろうかと思ってたんだがな……。お前の顔を見てやめた」
 剣呑な顔をしていた白井が、ふいっと顔を背けて言う。俺はその言葉を意外に感じると同時――さっき、珠姫に言われた言葉を思い出した。『義兄さんの心が泣きたがっている』という言葉だ。もしかしたら、無意識にその感情が顔にも出ているのか……。
「俺は今……そんなにひどい顔をしてるのか?」
「努力してきた試合で負けた直後でも、受験に失敗した後でもそんなヒデぇ顔はしねぇ」
「そうなのか……」
「憎まれ口を叩く元気もねぇってか。……お前が貴子に何も言わなかったら、俺が言ってた。貴子が弱っていくのは、俺も見てられなかったかんな」
「だけど、そもそも花宮が人類カメレオン化現象に巻き込まれた原因は俺だ」
「言うんじゃねぇ。それは悪意なく教室に風邪を持ち込んだやつを責めるのと同じだ」
「白井……」
「ふむ、白井黒一くんは実に良い男だねぇ。義兄さんはね、次に頑張ってもらう為のチャージ期間なんだ。声も顔も情けないことになってるのは許してくれ」
「そうかよ……大神の事情は知らねぇが、貴子を救いたい。責めるのも時間の無駄だ」
「そういうことにしておこう。――ではこれからどうするか、具体的な話し合いをしよう」
「そうだな。だが、マジでどうする? 貴子の闇には、俺だって何年もかけて向き合ってきた」
「それだよ。まずはその重要すぎる因子――花宮貴子の闇について知りたい」
「貴子の抱える闇について、俺の口から話せってのか!?」
「白井黒一くんは我々にとって共通の知人、そして花宮貴子先輩とも幼馴染みだ。その辺の人に聞くより情報の信頼性も高いだろう」
「俺も白井からの情報なら信じられる。なぜだかわからないけど……。花宮の為に一生懸命なのを見たからかな。……頼む。俺たちもこのまま弱っていく姿を、指咥えて見ていたくないんだ」
「だからって、簡単に人の過去を話して良いわけじゃっ!――ああ、いや仕方ねぇ……か」
 白井は慌てながら言い淀むが、大きく深呼吸して重々しく語りはじめる。
「お前らはこれまで、真剣に貴子を救おうとしてくれた。俺1人でどうにかしようってのも限界だったし、このままじゃ取り返しのつかねぇ状態になっちまうのは見ててわかるしよ……」
「白井、ありがとう……。本当に、助かる」
「とはいえ俺も、全部の事情を知っているわけじゃない。それでもいいか?」
「うむ。『過去のトラウマ』という断片以外、全く情報がないより余程いい。知っている限りで頼む」
「……過去のトラウマって部分は知っているのかよ」
 白井は腕を組みながら天井を見上げた。カメレオンの表情からはわかりにくいが、どう話すべきか整理してくれているんだろう。
 やがて、俺へジッと目線を向け――。
「貴子はな、中1の冬頃……自分の夢も友達も、ボロボロに失った。一時期は教室でも煙たがられてた。……1つの事件のせいでな」
「……あの、誰からでも人気の花宮が?」
 意外どころじゃない。花宮の周囲には常に人が集まる。周囲がカメレオンに見えようと、誰にでも愛想よくふるまって……。言ってしまえば八方美人の花宮が煙たがられる姿とか、想像できない。いや、3年半前にそんな体験をしたからこそ、今の花宮が形成されたのか?
「想像つかねぇだろ?……貴子はな、幼稚園児の頃から『アイドルになって、みんなを笑顔にしたい!』って言ってたんだ。お遊戯会も常に全力でよ」
「アイドル、か。今もバーチャルアイドルだけどな」
 叶魅りあを思い起こしながら、ぼそりと呟く。俺にとって花宮は、間違いなくトップアイドルだ。推しのアイドルVチューバー、その中の人ではあるけど。
 珠姫は白井の言葉をメモしているのか、A4用紙に向き合いペンを握っている。いつもは飄々としていることが多い珠姫が、大切な研究の時と同じぐらい真剣に向き合っている。本当に、感謝だ……。
「バーチャルアイドル叶魅りあってのは……事件から半年ぐらいたったある日、貴子が急にはじめたんだ。『良かったら配信観に来て』って言ってよ。なんで突然って聞いたけど、俺にも理由は教えてはくれなかった」
「そうか……。白井も悔しかっただろうな」
 俺と同じように花宮を救おうとして――失敗したんだな。
「まぁな……。ってちげぇよ、今は貴子がアイドルを目指した話だ。貴子の両親は娘への愛が深く、教育熱心で心配性な人でな。アイドルみたいに若い時しか稼げねぇ不安定な職業より、良い大学を出て安定した職業についてもらいたかったんだ」
「家庭の方針か……」
「ああ。おじさんやおばさんからも、貴子を説得してくれって頼まれたよ。でも俺は貴子を応援したかった。なんでそこまでってぐらい、貴子は真剣だったからな」
「真剣、か……」
「幼稚園児や小学生なんて、大きな声で楽しく歌えば褒められるだろ? でも、貴子は違った。誰にバカにされようと、常に本気で取り組んだ。先生にスマホで動画を撮ってもらって、上手く歌えていない自分を直そうと、家で毎日動画観て練習してたよ」
「それは……幼稚園児や小学生がやることじゃないな。プロを目指す養成校の生徒みたいだ」
「学園生の俺たちにはわからないけど、そうかもな。色んな動画を投稿できるサイトを見れば、ダンスや歌の歌い方に関する動画もあるだろ?」
「俺は見たことがないけど、多分」
「そんぐらいは観ろよ」
「俺のスマホは使い方が偏ってるんだ」
「あっそ。……とにかく、貴子はずっと練習を続けてきた。それで小学校4年生の時、両親に土下座してお願いしたんだ。『どうしてもプロのアイドルになりたい。歌やダンスのスクールに通って、オーディションを受けたい』ってな」
「土下座って、小学校4年生の女の子がか?」
「ああ、今までの全貯金が刻まれた通帳とスクールのパンフレットを置いてな。……俺も後からおじさんたちに相談されて知ったんだけどよ、小学生がやることじゃねぇよな」
「すごい信念、そして理想を叶える為の行動だな。……改めて尊敬値が限界突破した」
「その気持ち、わかるぜ。……だけど両親は渋った。スクールの講師に何度も電話してよ。オーディションを受けるには、許可が出るクラスにまで登り詰めないといけない。そういうシステムを確認して……やっと条件付きで許可を出した」
「条件?」
「オーディションを受けて良い事務所は、業界最大手って言われるところに限定したんだよ。両親もめっちゃ色々と調べてたぜ。送り迎えはマネージャーが付き添いしてくれるかとかな」
「それも愛、か。俺はまだ子供だし、両親が転勤族で自由に生きてきたからわからないな」
「俺にも分かんねぇよ。ただ、貴子はスクールで日々弱点を指摘される度、泣き言1つ言わず前向きに喜んでた。『これでまた1つ、夢に近づく努力ができる!』ってな」
「……泣きそうになってきたよ。その頃に腐ってた俺を、殴りたくなってくるな」
「ああ。俺がサッカーをできるのは幸せだって頑張れたのは、そんな貴子の前向きな努力を見てたからだ。そして2年以上が経った中一の冬――事件が起きた」
「事件?」
「ああ……」
 白井にとっても相当に嫌な記憶なのか、爪が食い込むほど強く拳を握りしめている。爬虫類とは思えないぐらに顔を歪ませているのは――怒りからか、悔しさからなのか。
「それでスクール内の審査を乗り越えていって、ついに貴子はオーディション審査を受けて良いクラスに登り詰めたんだ。わずか3年ちょいでな……」
「それは、血の滲むような努力をしてきたんだろうな……」
「その通りだ、貴子は誰よりも頑張ってきたはずだ! 中学では合唱部やダンス部を駆け持ちして、入部時から誰よりも上手かったからな!」
「そうか……」
 それは虐めの対象にもなりそうだ。誰よりも上手い新入生が、先輩や同級生にどう思われるか……。帰宅部の俺でもなんとなくわかる。すごい子だよね、頑張ってるよねと言いつつ――多感な思春期では、嫉妬から悪意を抱く人もいたはずだ。「なんであいつばっかり」って……。
「事件って言うのは、嫉妬した部活のやつらに虐められたことか?」
「……あ? ちげぇよ。この時はまだ、真っ直ぐ努力する子って周囲から応援されてた。人気者だったよ」
「そうなのか?」
「……お前、ドラマとか映画の見すぎじゃねぇか? そういう嫉妬深い考えのやつもいるだろうけど、少数だから表には中々出て来ねぇよ」
「……仕方ないだろ。浅い人付き合いのまま転校を繰り替えしてきたから、知らないんだよ」
 建前じゃない人の本心へ触れる前に、いつも転校していたからな……。
「あっそ。まぁとにかく、貴子は両親との約束を全部守ったからな。許しをもらって、最大手の事務所オーディションを受けにいった。『最終審査まで残ったよ』って報告に来た時の嬉しそうな顔は忘れられねぇよ……」
「……白井がそんな暗い顔をしてるってことは、最終審査はダメだったのか?」
「……ああ。最終審査が終わった帰り道、見たこともないぐらい顔色が真っ青だった。多分、致命的な失敗をしたんだろうな」
「人前で何かを披露するのは絶対に無理ってのは、その経験からか。最終審査なら大勢の人に見られるだろうしな」
「……多分、それだけじゃねぇ」
「まだ、何かあるのか?」
「どういうことか知らねぇけどよ……。――次の日から、貴子が不正をして最終審査まで残ったって噂が出回ったんだ。学校でもな」
「……は?」
「スクール内での貴子が盗撮された動画もあってよ。誰が作ったかは知らねぇが、部分ずつ切り貼り加工した動画もあった。貴子を知らず、動画だけ見ると……確かに講師へ媚びてたり、弱音を吐いて優遇してもらってる。そう誤解しかねねぇ完成度だった」
「あの花宮が、不正するわけないだろ!」
 思わず声を荒げてしまう。俺は叶魅りあとしての頑張りを3年間見てきたんだ。大きなイベントで1位を競ってる時も、姑息な手は使わず、無理に課金をお願いするわけでもない。ただがむしゃらに頑張る姿を。そんな花宮が、不正行為なんてするはずがない!
「そんなことわかってんだよ! 最初は貴子を擁護する声も多かった。でも次々と動画が拡散されて、そのうちオーディション中に媚びるような録音音声も出てよ。実際は軽い冗談程度のもんだよ! 褒められて『審査員の皆様が、優しい声をかけてくれたからです』って! だけど、もしかしたらってみんなが疑いはじめてる中でそんな音声が出てきたら……!」
「……それで、花宮は失ったのか。全てを」
「ああ。……人気者だった貴子は、一気にみんなから距離を置かれたよ。さすがに虐めはごく一部だったけど……積極的に庇ってくれるやつは消えた。教室でも、部活でもよ。……元々、部活の掛け持ちを良く思われてなかったのもあったんだろうな」
「……部活を掛け持ちしてる1年が、誰よりも上手い。……そりゃ面白くないだろうな」
「裏では誰よりも努力してるってのにな。……誰も、そこまで理解してくれなかったんだ! 俺が庇っても、貴子は『大丈夫だから』。『今の私と一緒にいると、黒一まで居場所を無くしちゃうよ』ってよ。かえって気遣われる始末だっ! 俺は、拒絶するあいつに踏み入れなかった! その結果が、今みたいに誰にでも良い顔をして、弱みを見せなくなっちまった姿だよ!」
 白井は大きなキョロッとした瞳から涙を溢れさせ――ザラザラの肌を、雫が伝い落ちていく。
「結局、事情を知った両親が大激怒して、『ほら見ろ!』ってスクールも全部やめさせた! 貴子は反抗すらせず無言で頷いたらしい! あんなに目指していた夢だったのに、ずっと、ずっと努力してきて、才能だってあったのによっ! どんだけ辛く苦しい思いをしたか、バカな俺でも察しがつくぜ!」
「白井……お前はさ、本当に良いやつだよ」
「どこがだよ! 俺は勇気を出せなかった! お前と違って、嫌われるのが怖くて『何があったか全部話してくれ』ってさえ言えなかったんだ! とんだ根性なしだよ! ああ、シマウマになるのも納得だ!」
 悲痛な面持ちで自らを罵り騒ぐ、雷のような声がオカルト研究部に響き続け――。
「なるほど、事情はだいたいわかったよシマウマくん。それが花宮貴子先輩の闇だね?」
 あえて空気を読まない珠姫の、淡々とした声が雷鳴を打ち消した。
「あ、ああ……。俺が知ってる原因らしいもんは、それだけだ」
「珠姫、お前に人の心はないのか? 今まで空気状態だったのに突然出てきて、湿っぽい空気をぶち壊すなんてもんじゃないぞ……」
「ふむ、ぶち壊すとは――こういうことかな?」
 そう言った瞬間、カメレオンの顔をした珠姫は表情1つ変えず――メモしていたA4用紙をグチャグチャに丸め潰した。……えぇ。真剣に書いてたメモ用紙じゃん。本当に、どうしちゃったんだ?
 俺だけじゃなくて、白井までドン引きしてるぞ……。
「花宮貴子先輩が過去の体験により、この紙のように心へ無残な傷を負ったことはほぼ確定だね」
「あ、ああ。それは間違いねぇと思うよ。仮にも、ずっと幼馴染みしてきだんだしよ」
「だがね――最初にも自身で言っていたように、全てを知っているわけではないようだ。具体的には、今の情報はどちらかと言えば――本人より両親や周囲目線のものばかりだ」
「それはっ!……確かに、その通りだ。俺は昔から貴子に本音を話してもらえてなかった。それにあの年代って、男女でいるとからかわれやすいからっ」
「あ~あ~。そういう一般的な事情説明はいいよ。別に責めているわけじゃない。むしろ、とても感謝しているんだ。ありがとう」
「珠姫。人に感謝してるならさ、もうちょっと相応しい態度ってのがあると義兄さんは思うんだ」
「すまないね。私も存外、むしゃくしゃしているのかもしれない。とにかく――今1点の謎がある。そしてもう1点、どうしても突き止めねば花宮貴子先輩を救えないだろう情報が最優先だ」
「なんだ!? それで貴子を救えるなら、俺はなんでもするぞ!」
「まず、情報についてだ。――このぐしゃぐしゃの紙を心に例えたね。時の流れという治癒で元のシワ1つない綺麗な紙にしようとしても無理だ。だがこういった破壊と修正の蓄積が、人の個性を造るとも言える」
「……あのさ、珠姫。紙がちょっと破れてるんだけど。加減って知らないの?」
「まさにそれだよ、義兄さん!」
 不適なカメレオンスマイルを浮かべた珠姫が、ビッと白衣の袖を向けてくる。長い袖に隠れてるけど、多分俺のことを指さしてるんだろう。
「それって、どれ?」
「花宮貴子先輩はまさにこの紙のように、所々破けてしまうほど心が傷だらけになる体験をしたんだろうね。この紙はぼくが手でグチャグチャにしたからだという明確な理由があり、傷が目に見えるものだ。だから完全には無理でも、ある程度人の手で修理ができる」
「まぁね、ぐしゃぐしゃにして開いた張本人だし。原因もよくわかるだろうな」
「――しかし、花宮貴子先輩の心がグチャグチャになった原因は――いわば箱の中でいつの間にかそうなっていたように未知だ。過去経過と発見時間で、いつボロボロになったかは推測できる。しかし誰がどのようにおこない、どれほどの傷があるかはわからない。手で圧迫されたか、ハサミで切られたのか。傷により対処は変わる。それなのに、彼女が負った傷の質は闇の中だ。つまり、今のままでは手探りで傷に触れ、サイズや質を探らねばならない」
「……下手に触れれば、良くしようと手を突っ込んで、かえって傷口を広げる可能性もあるって言いたいのか」
「その通りだよ、義兄さん。冴えているじゃあないか。……やはり、そういうことなんだろうね」
 尻すぼみに言葉が小さくなり、寂しげに虚空を見つめながら珠姫が言う。」
 途中まで鼻で笑い小馬鹿にしていた珠姫が――最後には柔和な笑みを浮かべた。それはカメレオン姿でもわかる、どこか儚げな微笑。やはり珠姫はだまってればすごい美少女なんだけどな……。気分屋の変態カメレオンなのが、玉に瑕だ。
「――ちょっと待て! それなら、俺も参加する!」
「白井黒一くん。君は長年かけても劇的な効果を引き出せなかっただろう?」
「それはそうだが!……俺だって、指を咥えて見てるわけにはいかねぇ! こ、恋人は難しいかもしれねぇけど……。でも誰よりも付き合いが長い幼馴染みとして、傍にいることはできる!」
「ふむ、確かに。花宮貴子先輩が早まる行動を取ったり、これ以上余計な傷を負わない為にはいいかもね」
「そうだろう!? よし、俺は明日からしばらく部活を休んででも、貴子の傍にいる! これは絶対に譲れねぇ役割だ!」
 カメレオンの手でプレザーのズボンを強く握り絞めている。そんな気合いが籠もった様子を見て、珠姫も口元をほころばせながら「応援しているよ」と告げた。
 パッと表情を明るくした白井の、次の言葉も待たず――。
「そして謎のほうだ。聞けば抵抗もせずアイドルの道を諦めたらしい。……本来なら、あり得ないはずだ」
 珠姫は残る1つの重要ポイントへと話を進めた。
「……何がだよ?」
 少し威圧するような声音で、白井が尋ねる。まぁ気分を害する気持ちはわかるが……後輩の女子、それも俺の義妹を威圧するなよ。
「――リアルのアイドル活動とも似た部分がある、バーチャルアイドルというものを3年間以上毎日続けていることが、だよ」
「それは……」
 確かに、そうだ。
 抵抗もなく夢を諦めるほど、心痛む辛い経験をしたなら……アイドルに関わる全てから離れたいはずだ。それなのに3年間、毎日バーチャルアイドルとして配信する偉業は――ふつう、成し遂げられない。
「……それがよ、俺にも分からねぇんだ。中2の夏、両親にまた頭を下げながら説得したらしいんだ。『顔は出さない』。『企業にも所属しない』。『学力を落とさず、家事も手伝う』って条件で、両親も許可したらしい。……ずっと塞ぎ込んでた愛娘が、久しぶりに自分から何かしたいって言いだしたんだ。強く否定もできなかったんだろうよ」
「白井黒一くん、さっきから君は……花宮貴子先輩の親の1人なのかな?」
「親!? ふざけんな、俺は幼馴染みだっての!」
「……まぁその話は後日、全て解決してから話し合おう。ぼくはね、傷だらけの彼女がそれでも自らすがりつき、3年間以上も続けている配信活動には――深い意味があると思うんだ」
「それは、そうかもな。花宮は、叶魅りあとして人に笑顔を与えられるのを誰よりも喜んでる。作り笑顔の仮面が、たまに外れてたし。……最近は、どこか心ここにあらずだけどさ」
「笑顔を与える、か……。先程聞いた、彼女がアイドルを目指した動機と一致しているね」
「確かに、そうかもな。……『Vチューバー活動をはじめるから、配信みてね』って行った時は、久々に明るい顔してたからな。ちゃんと……目に光が戻ってた。あれは虐められねぇように作った、仮面の笑顔なんかじゃなかった」
「ああ。もし全てが嘘で、適当な全肯定励ましやプラス変換をしてたとしたら、あそこまでファンは増えなかっただろうからな」
 俺は何度も深く頷きつつ答える。
 花宮については詳しくなくても、叶魅りあなら些細な変化にも気がつくぐらい最推しを見てきた。今はコメントしてもアイテムを投げても、いないあつかいをされて辛いけど……。
 思えば、今みたく心身のバッテリーが切れないよう……叶魅りあが小まめに充電してくれてたんだよな。……珠姫が言うような、異性としてどうこうという関係か。それはまだ俺にはわからない。
 勿論、叶魅りあとその中身の花宮には大恩がある。
 でも俺は、例え叶魅りあの中身が花宮貴子でなかったとしても――仲直りがしたい。
 さっきの話を聞いたら余計にそう思う。ふと視線を感じ、無意識に目を向けると――。
「ほう、大神。お前、叶魅りあを語れるのか」
 どこか嬉しそうな表情をしたカメレオンがニマニマと俺を見ていた――。
「ああ、俺は叶魅りあの最古参ファンだからな」
「ああ!? ふざけんな、最古参は俺だ! しゃしゃってんじゃねぇぞコラァ」
 あっという間にぶち切れられた。額に血管が浮き出ている。……カメレオンの額にも、血管はそうやって流れてんのか。
 いや、そうじゃなくて――。
「紛れもなく、最古参ファンだ。叶魅りあの初配信入室1人目は、俺だからな」
「あ!? ふざけんな、初配信にきた真の最古参は俺とオオカミ男爵だけ――……」
「――え?」
「オオカミ男爵……。狼男! まさか大神、お前か!?」
「え、いや本当に?……って言うか、最古参ファンの2人目ってことは――まさか、オセロ?」
「マジでかよ!? イヤイヤ、おい嘘だろ、どうせ騙そうとしてんだろ!?」
「こっちのセリフだ。オセロは――いや、なんか白井だとしっくりくるかも? 暑苦しいし」
「お、お前が本当にオオカミ男爵なら、叶魅りあクイズに答えてみせろ!」
「ほう、真のファンである俺に叶魅りあクイズだと? いいぞ、かかってこい」
「ぐ……。か、叶魅りあの初配信はいつか、答えろ!」
「3年前の6月9日、21時からだ。配信に不慣れで初々しくて、可愛かったなぁ」
「や、やるじゃねぇか。あの必死に頑張るぞって感じが最高だったんだよな!」
「ああ。わかってるじゃないか。……じゃあ、叶魅りあが初めて参加したイベントは?」
「ルーキー限定グランプリで3位だ! 自分も悔しかっただろうによ、無理して笑ってたな」
「ああ、悔しいだろうに俺たちを気遣って……。俺は天の使いが舞い降りたと確信したよ」
「…………」
 俺たちは無言で握手を交わす。そしてハッと手を払った。危ない、何か同士の絆で壊れてた。
「雰囲気に乗せられちまった!――っつか、狼男だからオオカミ男爵は安直すぎんだろ!」
「いや、3年前は自分も周囲も人間だったから。……って言うか、白井こそ白井黒一だから、オセロ? アホみたいに安直だな」
「うるっせぇ! テメェには一度言いたいことがあったんだよ! 俺の1コメとサポーターランキング1位を邪魔しやがって!」
「はっ。真に叶魅りあを応援しているやつの言葉とは思えないな。1コメを誰が取るかも盛り上がり要素だ。まぁ譲る気はないけどな。それに叶魅りあへ課金する為にキツい肉体労働バイトをしてる俺が邪魔?」
「さ、札束でビンタするような真似はズルいだろ!?」
「自分が働いて得た給料で、元気をくれる最推しに無理のない課金をしてるだけだ!」
「テメェ、オオカミ男爵! 昨日テメェの名前が一度も呼ばれなかったのって、貴子ともめたせいか!? 心配してダイレクトメッセージを送ろうか悩んだ俺の気持ちを返せ!」
「なんだオセロ貴様、気がついていたのか! 自業自得とは言え、俺はその分叶魅りあに多く名前を呼ばれていた貴様が羨ましくて……。余計に涙が出そうになったんだからな!?」
 感情的になり白井と俺は互いの襟元を掴み合い――俺が難なく持ち上げた。肉体労働で筋力もあるし、身長差もあるからな。
 暴れるカメレオン白井ことオセロを見て、俺が勝ち誇った笑みを浮かべていると――。
「義兄さん、感情の刺激は心にとって最高の充電ではあるがね……。あまり無茶をすると、使うべき時に必要分がなくなってしまうよ。――ふふっ。それにしても世間は狭いねぇ」
 俺の笑顔を見た珠姫が、ほんの少し呆れながらも優しい声音で言う。思えば、人類カメレオン化現象が起きて以来――珠姫の前で心から笑ったことは、どれだけあっただろう。
 俺は3年前からの腐れ縁で、奇妙な絆が芽生えていたオセロとも出会えた。嬉しいもんだ。……花宮、やっぱり本音でぶつかって支え合える存在は――いいもんだよ。裏切られた花宮の苦しみ、闇を――どうか教えて欲しい。そして、言いたいことを言い合える群れをみんなで作ろう。
 また前へ進む時の為に充電しつつも、探求は止めない。
 そう決心し、俺は腕の中で泡を吹くカメレオンをそっと床へと横たえた――。

 翌日の土曜、そして日曜日は連絡先を交換した白井から『すまん、昨日よりよくないみたいだ。でも今の所なんとかなっている』と連絡があり、すぎていった。白井は本当に部活を休んでまで、極力は花宮の傍にいるらしい。有言実行の男だけど……花宮がそれを許したのか? 良いことのはずなのに、常に男が隣にいるのは……モヤモヤする。
 叶魅りあの配信でも、心ここにあらずで空元気状態が表に出てきている。
 その上、雑談の話題がないのか過去に俺といったボランテイア活動の話などを絞り出している。
 そんな叶魅りあの声が、配信内容が……心身状態は悪化していると告げていた。配信にいきいつも通りコメントやアイテムを投げても、俺の名前が読み上げられることはやはりない。
 配信後に白井ことオセロから来る『お前までこれ以上、元気無くすなよ?』というメッセージで、涙目になるだけだ――。
 そうして再び月曜日。思えばこの人類カメレオン化現象がはじまり、3週間目に入ろうとしている。木曜のハロウィンで丁度3週間だ。これがイタズラの仮装なら、最悪でもその日に解放して欲しい。
「……おはよ」
「花宮、おはようって、なん……でっ!?」
 先週の金曜日より――花宮は明らかに老けてシワシワになっている。
「その姿は、花宮――」
「――今はほうっておいて」
 俺から話しかけようと歩み寄れば、一瞥もせずに遠ざかってゆく。今の彼女は、俺を寄せ付けない分厚い壁と――警戒心に満ちているように見えた。
「まさか、珠姫の仮説通り……校訓に強く逆らうことをして老けたとでも言う気か?」
 信じられない。でも明らかに以前より、花宮の声を出すカメレオンは……老いていた。
「どうすれば良いんだよ。初代学長は……生徒を苦しめて何がしたいんだ?」
 力なく椅子に座り、額に手を当てて考える。ひょっとしたら、脳内に初代学長の遺志やら助言やらが聞こえてくるかもと願い……。
 だが、そんな都合のいいオカルト現象は起きなかった――。
「――すいません、保健室にいってきます」
 授業中、花宮が突如として手を上げた。
 カメレオン姿でもわかるほど顔色が悪い。付き添いで保健委員がついていくように教師が言っても「それはいいです。1人でいかせてください」と足早に教室を出ていく。
 みるみる老いて憔悴してく花宮を、今は1人にしたくない。俺はそっと席を立ち、教室を出る。1番後ろの端の席とはいえ、誰にも止められない存在感のなはちょっと傷つく……。
 でも、止められなかったおかげで見えた。廊下を早足で進む花宮が――保健室には向かわず、トイレに消えていくのを。
 俺は足音を立てないようにそっと廊下を進み、トイレ前に立つと――。
「゙ぅ゙うッ。゙ォェェェッ。……はぁ、はぁ。なんで、なんでこんな……。ぅう、ぁぁぁっ」
 もはや吐く内容物なんてなかったのではないか。空気やほんの少しの胃液――それこそ雫が落ちる程度の音しか聞こえてこない。
「私は……逃げちゃダメ。笑うのを止めたら、本当に何もかも失う。怖い、怖いよ、頑張らなきゃ」
 ゼェゼェと荒い息の花宮がしゃくりあげつつ漏らす弱音……彼女の本音に、俺の胸は張り裂けるように痛む。こんな状態でもクラスメイトと話す時は常に笑顔で……辛そうな姿はおくびにも出さない。花宮は、本当にすごいやつだ。それが余計に、俺の胸を締め付ける……。
 ここにいても、今の俺にできることはない。俺は珠姫や白井にも、今見たことをメッセージで伝え、その場から離れる。まさか女子トイレに侵入するわけにもいかないしな……。
 休み時間、昼休み、放課後――。頑張って花宮に話かけようとするも、人前では「あ、ごめんちょっと急いでて!」と老いた作り笑顔で逃げられる。人がいなければ「通してくれないかな」と早足に立ち去られてしまう。
 俺にできることは、本当にないのかもしれないと……少しだけ弱気になった。その度、トイレで苦しむ花宮の声が脳内に響き――心臓の鼓動まで揺さぶってきた。エネルギーが内側からドクンドクンと脈動し、弱い心を叱咤してくる――。
 
 そんな無力感に苛まれていた翌日の火曜日――昼すぎに、花宮は倒れた。
 すぐに救急車で病院に搬送され、処置を受けているらしい。
 本当はすぐに様子を見にいきたかったが、どこの病院にいるのかもわからない。白井は学校を早退して、花宮の両親から居場所を聞いたらしいが……。『放課後になったら、病院の名前と場所を教える。ずっと食べられてなかったらしい。点滴で安定しつつあるし、今日中には帰れるらしい。病院に来ても、決して刺激しないでくれ』というメッセージがきた。
 待ち焦がれた放課後、俺は珠姫と一緒に指定された病院におもむいた。入口で「……よう」と幾分かやつれている。無力感に蝕まれたのか、表情の乏しいカメレオンに迎えられた。
「……白井。今、花宮は?」
「処置室で、また点滴だ。……栄養をゆっくりと補給させるから、あと3時間ぐらいかかるってよ。相当に追い込まれてるけど……看護師さんが見てるから、早まらないと思う」
「そうか……」
「良くない状況、だねぇ……」
「やっぱり俺じゃあ、あいつの支えにはなれなかった……。ずっと傍にいたのに本音を話してくれねぇ! 勇気出して聞いても『何もないよ』って言われちまうっ。何もねぇわけねぇだろうがよ!」
 病院前に、白井の涙ぐんだ声が響く。
「白井黒一くんはよく頑張っているよ。しかし、このままでは時を重ねるほど、事態が悪化するのも事実。義兄さんから見て、花宮貴子先輩はドンドン老いていっているんだね?」
「……ああ、間違いない。前よりシワクチャのカメレオン姿になっている。なんでこんなことになってんだろうな……。花宮も、俺の視認する世界も」
「今は泣き言を言っている場合ではないよ。……もはやリスクを回避はできないだろうね。様子を見ながら事態が良くなるのを祈っていたら、心身が先に壊れてしまう」
「それは、ぜってぇに嫌だ! 貴子がいなくなるなんて……」
「俺も、花宮を救いたい」
「――なら、やはり義兄さんしかいないよ」
「……え?」
「義兄さん、辛いのはわかる。だけど……義兄さんが勇気を持って本音で花宮貴子先輩にぶつかるんだ。それは劇薬かもしれないが、沈みゆく彼女を止める可能性がある。……かつて彼女の心を大きく揺さぶった時のように」
「それって……」
 想起されるのは――二度目のファミレスで花宮の闇を指摘した時だ。そうして彼女は一部の本音を吐露すると同時に――俺から距離を取った。そして、カメレオンになったんだ。
 それは、事態を急速に悪化させた原因で――。
「……俺に、花宮へトドメを刺せっていうのか?」
 想像以上に、無気力な声が漏れ出ていく。
「違うよ、義兄さん!……それは違う! 確かに、必ずしも好転するとは限らない。だが、必ず沈むとわかっている未来を変えられるのは――」
「――できないよ」
 体に、力が入らない。
「義兄さん……」
「大神……お前、なんて顔してやがんだよ」
「わからない。俺は、大恩を返したかった。ともに支え合える関係になって、花宮が本当の意味で自由に笑える居場所になりたかった」
「……そうかい、そうだったよね」
「いつも仮面を被ったような作り笑顔で……たまに漏れる辛そうな顔を見て、花宮がいつか壊れると思って」
「俺も、そう思ってたよ……」
「――でも俺がやったのは……ギリギリで押し留まっていた花宮に、トドメを刺す行為だった」
「大神……」
「カメレオン化現象に巻き込んだのも、無闇に過去へ踏み込んで花宮を壊したのも……俺だ」
「そんなこと、言うんじゃねぇよっ」
「俺は、花宮にとってなん役にも立てない、もはや疫病神だ。心から謝罪して、二度と近づかない。そう、離れるべき……それがいいんだ」
 ふらふらと、俺は病院から遠ざかる為に歩き出す。ゆく当てなんてないけど、花宮から離れなければいけない。これ以上、俺の手で恩人を、最推しで最愛の人を傷つけない為に……。
「大神、テメェエエエッ!」
 後ろからブレザーを掴まれ――ものすごい怒りを感じる力に尻餅をついた。
「白井黒一くんっ。ダメだ、暴力はやめたまえ!」
「うるせぇえええ! ゆっくり充電なんて待ってられっか!」
 左頬に強い衝撃を感じ――俺はアスファルトへ倒れこむ。
 休む間もなく、胸ぐらを掴み上げられ――。
「逃げようとしてるこいつに俺の充電を、貴子への想いを……叩き込んでやるよ!」
 激情を隠そうともしない短髪カメレオンの顔が眼前に迫る。完全に頭に血が上っている、そんな形相だ。かつてオカルト研究部の部室で見た冗談交じりの怒り顔とは全く違う。
 ああ、そうか。
 俺は今……白井に殴られたのか。痛みも、今になってじわじわと効いてきた。
「少しは目が覚めたか、大神!?」
「……何を言っているんだ? もっと殴れ。お前らになら、何発殴られても仕方ない」
「テメェッ! ならもう一発――」
「――止めたまえ! 義兄さんだって、周囲の世界が変異してる日々を生きているんだ! あの世界の辛さやストレスは君とて共有しているだろうっ。あんな世界でも挑戦して失敗し続けた人間に、弱音を吐いたからと暴力で語るのは間違っている!」
「ぐっ! そ、それは……」
 振り上げた拳を珠姫に掴まれ、白井は苦虫を噛みつぶしたような表情になる。ハァハァという興奮した怒りの息づかい、そして震える拳が――スッと俺の体から離れていく。
「――クソがッ」
「義兄さん、ぼくに掴まって。頬が切れている……大丈夫かい?」
「…………」
 珠姫が小さな体で肩を貸してくれているが、正直体格差がありすぎる。白井の拳は……俺の肉体にはほとんどダメージを与えていない。血が多少出ていても、問題ない。
 俺がゆったり立ち上がると、病院内へ戻ろうとする小さなカメレオンの背中から――。
「……お前なら、貴子を救い、自由にしてくれるかもって期待してた。……花宮貴子に付き添うう大神優牙としても、最初期から支え続けてるオオカミ男爵としてもよ」
 怒りや痛みに耐える獣のような、低い語り声が聞こえてきた。
「――でも、もういい。確かにお前は自分で手一杯だろ。後は……俺が貴子をなんとかする」
 それだけ告げて、院内へと姿を消す。結局、白井は一度もこちらを振り返ることはなかった。
「白井……俺は」
「……義兄さん、一度学園に戻ろう。ぼくの部室なら、傷によく効く薬も被膜剤も手に入る」
「……わかった、すまん、珠姫。……白井」
「暴力を振るわれた側が謝るのかい……。全く理解し難いが、それでこそ義兄さんだよ」
 小さい体を、俺の脇にねじ込ませているカメレオン――いや、珠姫。
 多分、本人は肩を貸しているつもりなんだろうな。背伸びして震えながら歩いてるし。
 俺はそっとカメレオンの頭をなで、自分の足で部室へと向かう。
 一匹狼って生き物は、縄張りから出て自力で旅をする生き物らしいから。どんなに堕ちようと、俺の体が狼としてある以上、自分の足では歩こうと思う。
 かつて3千㎞以上もの距離を孤高に歩きぬいた、本物の一匹狼がいたらしい。それなのに俺は、歩くのを諦めて……可愛いカメレオンに安全な場所まで運んでもらう。
 そんな終わり方は群れを作るはずの一匹狼としても、人間としても情けなさすぎる――。

 外は暗くなりつつある。生徒たちが下校の準備をはじめている中、珠姫はオカルト研究部の部室に俺を連れ込んだ。
 引き出しから医療用品を持ち出し、白衣のカメレオンが頬の傷の処置をしてくれる。
「……染みるな。殴られたところも、ズキズキと痛み出した」
「そうだろうさ。痛みは大きく2種類ある。急性痛と慢性痛と言うんだ。急性痛は早い段階で適切に処置すれば、慢性化せずに治癒して消えることも多い」
「……花宮が抱えている傷は、慢性化しているということか」
「その通りだね。よく古傷が痛むと言うが……。気圧や気温、そういった外部の影響で過去と同様、あるいは異なる痛みが生じるんだよ」
「わかりやすいな。……つまり、今回の一件は治癒していない古傷を、俺という外部要因が悪化させたってことだな。しかも、かなり強い痛みを引き出す形で」
「……それは違うと思うよ。変化にも痛みが伴う。まして体につく浅い傷と違い、心に刻まれた深い傷は治癒が見えづらい。何度もぶり返し、やがて精神防衛する人格を形成していく」
「……花宮の八方美人や作り笑顔っていうのは、そうやって形成されたんだな」
「そう思うよ。……臆病な女狐となって上手く生きねば、環境に淘汰される。そうして仮面を被る彼女ができたんだろうさ。ひどく寂しく、辛いものだっただろうね」
「……そうだろうな。俺には、想像することしかできない」
「……まだ自分なんてなん役にも立たない、離れるべきだと思っているかい?」
「当たり前だろう。病院送りになるまで花宮を追い込んだのは、間違いなく俺だ。……傷口を抉って、血を流させたようなもんだ」
「例え義兄さんが関与せずとも、花宮貴子先輩は緩やかに衰弱していただろう。目標や理想と、現実の乖離に思い悩んでね。全肯定、前向き配信を毎日していたのは……自身の心も前向きに維持しようと足掻く行為だったのかもしれない。言霊のように、はなつ言葉は力を持つから」
「そうかもな……。でも、それで俺も救われた。マイナス発言をプラスに変換する時『ん~』と必死に頑張る花宮の姿を見て……。俺はマイナス思考の沼に溺れずに済んだ」
「そこまで感謝していながら、義兄さんは彼女の窮状を見て見ぬ振りするのかい?」
「……俺が関わるより、白井に任せたほうが良くなる可能性があるだろ」
「白井黒一も頑張ってきた。そしてここ数日はもっと頑張っているが、結果として急速に衰弱している。……このまま諦めて彼に任せれば良くなると、本気でそう思うのかい?」
「…………」
「以前、ぼくは立ち止まる人が前に進むには、劇薬が必要だと言ったね。過去を聞く限り、花宮貴子先輩には心から信用できる相手が必要だ」
「そう、だろうな……。俺もそう思って、ぶつかってきた」
「……個人的には実に気に入らないが、義兄さんは――本音を全て伝えきっていないだろ?」
「……え?」
「関係を失いつつある今、ハッキリとわかっただろう。――花宮貴子先輩を、異性として愛してるとね」
「それは……」
 確かに、認めるよ。俺は花宮個人としても好きだ。自分を追い詰めるほど頑張り屋で、辛くても前向きになる笑顔でいようという心持ち。そして、弱みを見せれば虐められると臆病になり、警戒心が異常に高いところも――良いところも悪いところも含めて愛している。
 だけど彼女の気高い心持ちや、自分を保っていた仮面を壊したのは……俺だ。だから――。
「……それは、もう口にしちゃいけないことだ」
「なぜ?」
「なぜって……。これだけ傷つけた俺が、追い打ちかけて恋人になりたいなんで言えるわけないだろう。どこの恥知らずだよ」
「つまり義兄さんは何もかも失い、諦めたと? これ以上、恥をかきたくないから」
 これ以上の恥をかきたくないからか……。確かにな。
「そうだよ。……俺じゃあ、花宮と支え合える関係になれないと諦めた。俺は花宮が本音を打ち明ける相手には不足で、動けば逆に追い詰める。それが情けなくて怖いから、逃げたんだ」
「――それなら義兄さんは、なぜカメレオン姿に変化していないんだい?」
「……え?」
 その言葉は、寝耳に水だった。
 窓ガラスを見れば――俺の姿は、人狼のままだ。
 退化する変化なんて、一切起きていなかった。手に入れたはずの、花宮と支え合える存在になるという『信念』、『目標と理想に向かう行動』も……全て手ばなしたはずなのに。
「心の底から何もかも失い、諦めたなら……今頃義兄さんはカメレオンになっていなければおかしい。そうだろう?」
「それは……」
 確かに、その通りだ。信念が疑惑に、目標や理想が恐怖に変化したなら……俺もカメレオンになっていなければおかしいはずだ。
「義兄さんがカメレオンから徐々に変化していった時、共通していたことはなんだい?」
 俺に変化があった時に共通していたのは――願いと行動だ。花宮と本音で語り合い、支え合える関係になりたい。そう願い、実行した時に変化は起きた。
「俺は花宮と支え合いたいと思い、前向きに変化できた。でも、花宮はそうとは限らない。……最後、俺の言葉が原因で後ろ向きに変化した。今も老いと言う形で、変化し続けている」
「本当に花宮貴子先輩にとって義兄さんが取るに足らぬ存在ならば、大きな変化なんて起きないだろう。前向きだろうと後ろ向きだろうと、一瞬で劇的な変化を起こせるのは――自身にとって深い関係にある存在なんだよ」
「俺が、花宮にとって……本当に深い関係にある存在だって言いたいのか?」
「そうだよ、一瞬であそこまで彼女に劇的な変化をもたらすほど重要な存在である義兄さんなら――恋人になる資格だって十分だ」
「……花宮は、どう考えても俺のことが大嫌いだろう。冷たいなんてもんじゃないぞ」
「しかし未だにアカウントブロックもしなければ、関わりを断つこともされていないね?」
 言われて思い出す。
 配信で名前は読み上げられないが、ブロックはされていない。それに教室では……あちらから挨拶までしてくれる。会話をしようとすれば逃げられるけど……。
「それは……確かに、そうだけど。何か理由があるんじゃないのか?」
「ないね。ぼっちの義兄さんを無視しても、花宮貴子先輩の社会的立場にデメリットがない」
「……それは、そうだと思うけど。本当、ハッキリ言うよな」
「ツンツンと接してしまう、でも切り離さない。いや、切り離したくない花宮貴子先輩の心情を――難しい乙女心を、どうか考えてみて欲しい」
「花宮の、心情?」
「花宮貴子先輩を苦しめている過去、つまるところ『人を信じて裏切られることへの恐怖』だ。これを義兄さんならどんなことがあっても裏切らないと信用させる必要がある」
「それは、もう信じて欲しいと気持ちを伝えて――」
「――口先では何とでも言える。そんなものに説得力なんてないよ」
「……俺だって、口先だけじゃなく行動もしてきたつもりだ」
「……そうだろうね。だが、まだ足りない。――アリストテレスは、説得力について3つの要素にわけた。パトス、ロゴス、エトスだ」
「頼む、日本語で話してくれ。頭が回らない今の俺でもわかるぐらい、簡単だと助かる」
「感情に共感、理屈に理論――そして信頼だよ」
「……まるで校訓の補足みたいだな。青春する心のありかたの先にありそうな言葉だ」
「ぼくもそう思うよ。――同情で花宮貴子先輩に塩を送るのはここまでにしておこう。……義兄さん、どうか彼女との今までの関係で何がどう不足していたのか、相手の思考も踏まえながら冒険してくれ」
 儚げに微笑むカメレオンのザラザラした手が、俺の頭をなでてくれる。
 重く痛む頬を擦りながら、もう一度花宮との関わりを整理するか。今度は、相手の心情を考えたうえで。
 花宮と俺は共有する人類カメレオン化現象という体験を通して、同じ感情や共感は得られた。
 そしてどういう関係になりたいか、どういうメリットがあるかも話してきた。それは理屈という意味では、理解されるよう行動してきたはずだ。
 つまり致命的に足りないのは信頼。
 今までの俺は、花宮が『この人なら大丈夫』と思える説得力を持たせて伝えられたか?
「……いや。信頼は対等な関係で初めて成り立つのに、俺は無意識で対等じゃなかった?」
 ファミリーレストランで喧嘩した時も『振り回してごめん』という言葉に、俺は『それは全然気にしてない』と返した。人類カメレオン化現象なんて異常なストレスを体験してるなら、気にしてないなんて言葉信じられるはずがないのに。俺は弱い本音を隠していた。
 さらに『嘘をついて苦しむ姿をこれ以上見ていたくなくない』、『手を差し伸べたくなる』とか。自分は平気なフリをして、一方的に手を取り助ける側でいるような上から目線で、甘えたくなるような言葉を告げていた。――しかも、2人っきりのタイミングばかりで。
「なんて胡散臭くて、浅い言葉に聞こえる状況だろう……。信頼されなくて当然だな」
 誰か聞いてる証人がいるでもない。手紙のように証拠が残る伝え方でもない。ノーリスクで気持ちを伝えても「そんなこと言ったか?」と逃げられると考えてもおかしくない。
「それなら俺は――自分の退路を断った上で、本心から伝えるしかないよな」
「ふふっ。目に光りが戻ってきた。ぼくの大好きな、優しくてお節介なお義兄ちゃんの顔だ。どうやら、やるべきことをやる勇気が戻ってきたようだね。――さぁ、充電していたエネルギーを使う時だよ」
 本当に花宮が俺のことを嫌っていないのか、俺には自信がない。
 でも――。
「俺も珠姫を信じて、冒険しようじゃないか」
 主観的な自分の考えより、客観的に観てくれた愛する義妹のほうが信用できる――。

 迎えた翌日、水曜日。早めに登校した俺は、自分の席に座り花宮の登校を待っていた。
 教室まで白井に付き添われ登校してきた花宮は、昨日よりは幾分か顔色が良くなっていた。点滴で栄養を補充できたからだろう。
 でもそれが一時凌ぎの対処療法でしかないことは――誰にも理解できている。教室の扉前でこちらを睨めつけるカメレオン。俺は白井の目線を受けとめながら、小さく微笑む。『今まで情けなくてすまん、後は任せろ』という思いを込めて。
 途端、敵意を丸出しにしていたカメレオンがわかりやすく動揺する中――。
「……おはよ」
「おはよう、花宮。――今日、時間を作れないか?」
「……は?」
「話したいことがあるんだ」
「…………」
 ――そう伝える。老いたカメレオンの瞳が右往左往し、いて考えだした。
 そして、冷たい声で返してくる。
「……無理。今日も黒一に家まで送ってもらうから」
「……そうか」
「じゃ」
 相変わらず、俺の前では険しい顔を崩さない老カメレオン。
「貴子、おはよう! 体調大丈夫なん?」
「大丈夫、大丈夫! ちょっとダイエットに気合い入りすぎてね。……あ、少し痩せた?」
「え、わかる!? 実はウチもちょっとご飯減らしてるんだよね!」
「わかるよ~! すごいね、羨ましいなぁ、コノ~!」
「わ、ちょっ、触るのはなしだよ~!」
 だが、他のカメレオンの群れに交ざると――途端にバケの皮を被る。それは生存する為に磨き抜かれた、笑顔の仮面。
「カメレオンは自ら変化しない。周囲の環境という光の反射で、勝手に変化するか……」
 それなら、俺は――。
「花宮の環境を変える。本音を伝え、聞き出して。俺が信頼できると示し変化させよう」
 長年、幼馴染みの白井も願い――成し遂げられなかったこと。
 それを、やってみせよう――。
 そして放課後、白井が花宮を迎えにきた。「大丈夫か?」との声に、花宮は朝より青い顔色で「うん」と短く答える。そして2人で教室を出ていく時――白井の視線を感じた。
 俺はそれを受けとめ、そっと席を立つ。
 2人の後ろを、ついていく為に――。
 校門から出て数分歩いたところにある公園の入口で、ピタッと白井の足が止まった。
「……どうしたの?」
「なんかさ、つけられてるんだよな。ずっと、しかもめっちゃ近くで」
「……え?」
「おい、出て来いよ」
 キョトンとする花宮、そして白井は確信を持って振り向き――。
「ああ。出てくるも何も、ずっとすぐ後ろを歩いてたんだけどな」
 やっと2人の視線が俺に向く。後ろにいたのに、虚ろな花宮では気がつかなかったようだ。
「大神くん? なんで……」
「言っただろう。話したいことがあるって」
「……だから、私断ったじゃん。黒一と帰るから無理って」
「ああ、確かに。そう言って断られたな。だから、俺も白井と帰ってる。一緒の帰り道で話せば問題ないだろ? ああ、花宮と話してる間、白井もいてくれて構わないから」
「当たり前だろが。……変なこと言ったら、また殴るぞ?」
「……また?」
 首を傾げる老いたカメレオンと、短髪カメレオンと一緒に――公園へ入る。花宮をベンチに座らせ、俺は隣に座った。ベンチの後ろでは、監視するように白井が立っている。
「……話ってなに?」
 こちらを一瞥もせず、俯いた花宮が問いかけてきた。
 ああ、俺だって覚悟を決めてきたんだ。白井の前だろうと、言ってやるよ――。
「――俺は、花宮を愛してる」
「……ぇ?」
「叶魅りあも、花宮貴子も、どっちも花宮の一面だ。全部含めて、俺は花宮を異性として愛している」
「な、何を言ってるの!? 今の状況、わかってる!?」
「充分にわかってて、熟考した上で告白してるよ」
「――なら、私なんかを愛してるなんて結論にならないでしょっ。……私、シワシワのカメレオンだよ?」
「関係ない。それでも、俺は花宮を愛している。……誰よりも努力して、前向きでいなきゃと自分を叱咤激励して――」
「――何を言ってるの!? 黒一、止めてよ!」
 ベンチの後ろで見張る白井に振り向き、花宮は言う。そして数秒の沈黙の後――。
「……貴子、そんな顔で止めてって言われても、無理だ。……俺は少し離れたところで見てるよ」
「ちょっ、黒一!?」
 切なさと嬉しさが合い混ぜになった、そんなスズムシのように優しい声音を残し――白井はベンチから遠ざかってゆく。
 花宮は艶のないシワシワの顔を両手で覆いながら――。
「……いつから、私のことを好きになったの?」
 ――そう、問い返してきた。
「最初は、転勤族で深い友達もできないで……。腐っていく俺を救ってくれた恩人Vチューバー、叶魅りあの中の人としてしか思ってなかった」
「…………」
「でも、花宮の笑顔が不自然なことに気がついて、いつの間にか気になってて――。児童館で心から嬉しそうに笑う顔を見て、この素敵な顔を――一生できるようにしたいって思った」
「……ぁ」
「でも俺は、自分の気持ちばかり押しつけてさ。花宮の過去とか闇について知ろうとしないで、花宮を傷つけてしまった」
「……私の、闇」
「悪いな。親目線だけど、一部は白井から聞いた」
「なんでっ!? なんで話しちゃうの!? 私が嫌な記憶だって、黒一も知って――」
 うろたえながら白井に詰め寄った花宮だけど、すぐに力なく俯き口をつぐんだ。
「……いや、仕方ないよね。私がこんな体調悪くしてるんだし……」
「そう言ってくれると、強引に聞き出した罪悪感も薄れて助かる。――俺が原因で花宮に冷たくされて、胸が張り裂けそうになるほど辛くてさ」
「それは……」
「最初はさ……花宮じゃなくて、配信者の叶魅りあに嫌われたのが辛いのかもと、分別がつかなかった。――でも、両方だと気がついた。配信で最推しの叶魅りあに無視されたのと同じぐらい、学校で花宮に冷たくされるのが辛かったから」
「私なんかの為に……そんなに傷つかなくてもいいじゃない」
「私なんかじゃない。花宮だから、一生幸せにしたい。そうお互いに願い合えたらどれだけ幸せだろうと思うぐらい、大切な人。……叶魅りあも花宮も大好き。それが最低な俺の本音だ」
「……本当、最低だよ。こんな不意打ちのような真似してさ」
「言いふらしてもいいぞ? 白井という証人もいるし」
「……それさ、私のトラウマを知ってて言ってるよね?」
「ああ。俺が恥ずかしくて最低な二股っていう本音を話したんだ。どんな過去が出てきても、蔑まない。……花宮の抱える過去の闇を、花宮の口から俺に教えて欲しい」
「…………」
 バクバクする俺の鼓動なんて放置して、花宮はだんまりだ。永遠にも感じる無言の時間が続く。枝葉の隙間を滑り落ちた、いくすじもの光の滝は、最初ベンチに座った時とは目に見えて違う場所へ降り注いでいる。
 時間が経つにつれ、光の滝はまるで血が滲んでいくように茜色へと染まる。……過去の闇を暴いて、花宮の心を出血させちゃったのか。いや、これはただの夕焼けだ。不安な俺の心理状況が世界をそう捉えているだけだ。
 やがて、老カメレオンの濁る瞳へ西日が差し込むのをきっかけに――。
「裏切られたのは……同じアイドルを目指してた子にだった」
 ゆっくりと、しゃべりはじめた。
 その手は強く握り絞められていて――かつて嘘で誤魔化していた時のようになだめ行動はない。きっと今は、本音で話してくれているんだな……。
「その子は私と同じクラスで、私よりずっと長くスクールに通ってたの。ずっと仲良くしてくれた。相談にも乗ってくれて、休みの日も一緒に遊んだり、親友だと思ってた。……でも、オーディションを受けていいって言われたのは同じ時期でね。その頃からかな。いつも気さくで、歌もダンスも教えてくれた親友が……。ドンドン冷たい態度に変わっていった。『自分で考えれば?』。『私より才能あるのに、なんで私に聞くの、嫌味?』ってね。……その頃の私、自分より良いところがある人の全てを吸収しようと必死だったの。……どうしても、アイドルになりたくて」
「……そうだったのか」
「私がアイドルになりたいって思ったのは、小さい頃、ショッピングモールでライブしてるのを見てから。それまで私は、勉強と礼儀作法とか……常に真面目に生きなきゃって価値観だった。幼稚園生らしくないぐらい、笑ってなかったらしいの」
「それは、今の花宮から見ると考えられないな……」
「そうだね。少し厳しい躾だったとは思う。でも両親が私のことを愛してくれてるのはわかったから。つまらなくても――ううん、その頃の私は、それが退屈な日々ってことも理解できなかった。あの日、ステージの上で歌って踊る……笑顔とパフォーマンスで、みんなを笑顔に変えるアイドルに出会うまでは」
「…………」
「だから、なりふり構わず必死になって……結果、色んな人に恨まれてたんだろうね」
「……それで、裏切られたのか?」
「……うん。親の方針で、業界最大手の事務所のオーディションを受けたんだけどね。最終審査で、事務所の社長さんに言われたんだ。『君は私が嫌いらしいね。私のやり方に激しい文句を込めた音声とメッセージを送りつけておいて、よくオーディションにきたもんだ』ってさ」
「……なんだ、それ?」
「SNSのアカウント名なんていくらでも変えられるじゃない?……先に審査に落ちた親友が、なりすましでメッセージ書いた音声ファイルを送りつけたみたい。私の声の継ぎ接ぎでね」
「そんなん、調べればすぐにわかるだろ……」
「調べればね。……でも、調べられることはなかった。大きな事務所の社長さんが最初にそう言ってから――周囲が私を見る目は、本当に冷たくなった。凍った空気の中『曲とダンスを見せろ』って言われて――私は、怖くて体が動かなかったの。……情けないでしょ?」
「中学1年生が、大人に囲まれて威圧されてたんだろ?……情けないわけあるか」
 自分の尻尾が怒りで震えているのがわかる。誰に怒ってる? 元親友か。偉い人の顔色を見て、周囲に溶け込み中学生の少女を見捨てたやつらにか?――いや、全てにだな……。
「……ありがとう。それから私は、人前で何もできなくなった。学校でもスクールでも、身に覚えがない悪口や動画の切り抜きが流されて……でも、どうしても諦められない夢があった」
「それは……?」
「――人を、笑顔にすること」
「それは……」
「そう、しばらく悩んだけど……ある日、バーチャルアイドルって存在を見つけたの。これなら自分の部屋で、スマホに向かえばいい。人前では何もできない私だけど、これなら誰かを笑顔にできるかもって思った」
「それが、『全肯定系励ましVチューバー、叶魅りあ』の誕生に繋がったのか」
「そう。大したことない闇でしょ? でも、Vチューバーも楽じゃなかった。イベントで争うライバルから妨害されたり、嫉妬で悪口や嫌がらせされたりね。私の配信に来てくれてた人が、本気で私に恋しちゃったり……。顔も知らないのに、ストーカーみたくダイレクトメール送ってきてね。断ったら配信を荒らして、私だけじゃなく周りまで攻撃してきたり……」
「それは、確かにあったな」
 人気者の宿命と思いつつも、俺は荒らしコメントをするやつをオセロと一緒にボコボコにした。勿論、言葉で論破する形で。
 それでも、配信者である花宮は悩み、困っただろう。
「結局ブロックしたけど……笑顔にするつもりが、嫌な思いをさせちゃった。そもそもVチューバーだってさ、アイドルを諦めきれないではじめた、リハビリのつもりだったのにね……」
「……そのつもりだったのに、いつの間にか大切なことに変わったのか。……叶魅りあをやったことは、色々と意味があったんじゃないか?」
「……え?」
「最初は小さいものからでもいい、自信というのは成功体験の蓄積で形成されるものだ。ただ、常に成功している人間なんていない。要は失敗体験を上回るほど数多く成功を体験するしかない。自分を認められるほどにさ」
「……認められないよ。私はもう自分がわからない。また悪意の眼差しを向けられるのが怖くて、演技なしでは生きられないの」
「それも花宮の一部なんじゃないのか?」
「こんな醜い人が、キラキラ輝いて人を導くアイドルになれると思う? 挙げ句、今は老いたカメレオンだよ。これが全て、私が間違っているんだって物語ってるじゃん。……大神くんもバカだよね、こんな作られた嘘のキャラを好きになったとか」
「人の生き方やありかた、感性に正解なんてないだろう。でも自分がやりたい、在りたいと願った姿まで嘘だと決めつけるのは間違ってると思う。それを好きだというのを否定するのも」
「大神くんに何がわかるの? 私は自分の都合だけで叶魅りあをやってきたっ。大神くんがいう通り、配信で笑顔を作って強引に前向き発言をするのと同じ。リアルでも傷つけられないように演技、嘘で塗り固めて……私は自分が何をしたいか、もうわからないんだよ!」
「自分を見失った中で形成してきた今の全てを嘘だと決めつけて……。周りの感情まで疑って孤独に追いこんでるのは自分自身じゃないのか?」
「――クラスで完全ぼっちの大神くんに、孤独とか言われたくない!」
「俺のことは今、置いとけ! 客観論について言ってる!――そんな嘘つきながらも頑張った叶魅りあに救われて、そんな花宮だろうと俺は愛してるんだ!……今の話を聞いてもなお、花宮に感謝して、信じてる。これからも一緒にいたい、辛い時は助け合いたいと思ってる!」
 俺の言葉に、老いたカメレオンは口をポカンとさせてから――顔を背けた。
「……私は辛いから助けてって、あなたに求めてないっ」
「求められてないけど……見ていれば助けがいる状態だってわかるっ。今も、ドンドンと弱っていってるだろう?」
「あなたみたいな人を、なんて言うかわかる? 傲慢で、はた迷惑なお節介焼きだよ。加えて言うと、ネットにいるストーカーさんと大差ないかもね」
「……それは、わかってる。自分が余計なお節介で、気持ち悪いぐらい出しゃばっていることも。でも、花宮が弱っていくのをだまっては――」
「――人は所詮、自分が第一でしょ。不都合になったり興味が薄れればすぐに去る。信用して本音を話せ? できるわけないでしょ。あなたが私を憎めばすぐに情報が拡散されて……私は努力して得た自分を認めてくれる場所をまた失う。もう、恐怖に震えて眠れないのは嫌なの」
 そう言って花宮は立ち上がると――スマホを取り出し、録音画面を見せてきた。
 この会話は、しっかり録音していたということか……。
「そこまで警戒しているのか。……いや、過去にそんなことがあれば当たり前か」
「幻滅したでしょ? こんな最低な女」
「いや、全く。――俺は言っただろう。花宮と本心で語り合い、支え合う関係性になりたい。そして、何があろうと花宮を愛しているって」
 俺も同じく立ち上がりながら、改めて決意を口にする。
 目の前に立つ、老いたカメレオンの瞳を揺らぐことなく見つめながら。
「……私の心に、これ以上踏み込もうとしないでっ。私の心は、もう理屈や正論では動かない。私の心は不完全な感情で動くの。……いつか壊れるかもしれなくても、今私は誰かを笑顔にできてる。叶魅りあとして、人を笑顔にできてる」
 こちらを一瞥することもなく、足早に公園を出ていく花宮の後を走って白井が追いかけている。俺と花宮の背をチラチラと見比べながら。
 配信活動は今の花宮にとって、唯一心の支えになるものなんだろう。
 皮肉なもんだ。アイドルを目指すリハビリにはじめたVチューバー叶魅りあが、いつの間にか花宮の生き甲斐にも変わっていたんだから。
 でもな、花宮――そんな君の配信に元気をもらって救われた人間が、ちゃんといるんだ。
 きっと、俺だけじゃない。
 俺の告白という劇薬がどう作用するかはわからない。
 ただ、この会話の中で……間違いなくお互いに本音で語り合えた時間はあった――。
 そして、その夜――叶魅りあの定期配信の時間。
 俺は昨日まで同様、無視されているが――致命的に様子がおかしいやつが1人。そう、この配信枠の主役である――叶魅りあだ。
『みんな、来てくれてありがとうねっ。……うん、大丈夫。心配ありがとう。元気だよ』
 いつもは取り繕ってでも元気な声を出して笑っている叶魅りあが――今日は全く笑わない。コメント欄も『カメラのバグか?』、『声、どうしたの? 風邪でも引いた?』などという言葉に溢れている。
 最近の心ここにあらずの姿で『どこかおかしいかも』と思っていたファンが、完全に叶魅りあの異変に気がついた瞬間だった。
『あ、せっかく来てくれてるのに、ごめんね! 何を話そっか。あ、今日公園で告白された話でも――』
 頭が回っていない中、コメント欄を見ていつも通りにしなきゃと焦ったんだろうが――。
「オイオイ、口を滑らせすぎだろ……」
『あ、ち、違うよ! 付き合ってない、付き合ってない! ただ、その……最近、その人と一緒にいる時間が長くてつい口を滑らせちゃって! 私は配信が恋人だから!』
 アイドルが恋愛している宣言をしたら叩かれるのと同じだ。
 バーチャルアイドルでも、熱狂的に推すファンからしたらリアルと一緒――あるいは、リアルより想いが強い場合もある。
 もう花宮は、完全に慌てている。次々に流れてくる質問、阿鼻叫喚や責め立てるコメントで動揺して、まともな返事をできていない。
「……どうしたもんか」
 ベッドに座りながら俺が片手で頭を抑えていると、1つのコメントが流れてきた。
 それは少なくとも2年近く叶魅りあを推してくれている人からで――『その相手って、もしかしてオオカミ男爵さん? 最近、わざと無視してたし』というものだった。
 そのコメントを見た瞬間、叶魅りあはあろうことか――。
『お、オオカミ男爵さんは……関係ないから! 絶対、絶対に違うから!――あ、毎日配信ノルマの1時間経ったし、いつもよりは短いけど今日はここまでにするね! ごめんね、またね!』
 大げさなほどに強い声音で違うと強調し、強引に配信を切った。
 俺はその後のリスナーたちの反応が気になり、SNSで叶魅りあと検索すると――。
「熱愛疑惑、ツンデレ、相手はリスナーのオオカミ男爵……最悪だ」
 何が最悪って――噂が拡大されて広がっていることだ。告白されたと言っただけで、実際に配信アーカイブだって残っているはずなのに……。もう熱愛に変換されている。
 面白げな話題に食いついたやつらは――止まる勢いなく言葉を切り抜きあることないこと拡散していく。留まることをしらない、田畑を焼く炎のように悪意が広がる。
 そうして叶魅りあのSNSアカウントのコメント欄は――大炎上した。

 翌日木曜日の夜。今日はハロウィンで……配信界隈はイベントや新たなアバター衣装をお披露目してお祭りのようになるはずだった。――叶魅りあの枠では、悪い意味でのお祭り騒ぎだ。『相手は誰?』、『ファンへの裏切り?』、『マジショックだわ』など……。
 誹謗中傷も織り交ぜたコメントの嵐だ。一部『お前ら、りあちゃんに笑顔にしてもらった恩を忘れたん?』とか『推しの幸せも願えないのかよ』など叶魅りあをかばう声もあったが。
 かばう声は以前からよく配信に来てくれていた人たちで……荒らしているのははじめて視聴にくるような名前ばかりだ。ネットで炎上しているのを見て、楽しみにきたんだろう。
 それに対して、叶魅りあは『今日も来てくれてありがとう、ハロウィンだね。仮装とかした? 仮装したなら、今日中に元に戻るといいね』など、コメント欄を極力見ないよう意味不明な語りで1時間を耐えきっていた。
 白井とも連絡を取りたかったけど、どうやら昨日の配信以降は、不安定な花宮が心配でずっと通話を繋いでいたらしい。メッセージで『かなり危うい。今日のハロウィン配信も大炎上だったのがこたえてる』と連絡がきた。
 今日学校に来た時でさえ、死にそうな顔をしていたのに……。炎上すると予測できてても毎日配信を止めない彼女を尊敬はする。でも、心配で今すぐ駆け付けたい衝動で一杯だ――。
 
 翌日の金曜日、ハロウィンから1日がすぎた日。
 人類カメレオン化現象が起きてから、3週間と1日目だ。ハロウィンがすぎたら、まるで全人類が仮装しているようなこの状況も終わってくれ。そう願った叶魅りあや俺の思いは、生憎なことに叶わなかった。
 俺は耳と尻尾が狼男、花宮は老いたカメレオン姿で登校した。いつもはクラスメイトのカメレオンと会話する花宮も、さすがに沈鬱として座っている。
 そうして昼休み――変化は訪れた。
 ぼうっとスマホを見ていた花宮が、突然口を抑え――教室から走り去ってしまった。
「――花宮!? おい、どうした!?」
 尋常じゃない様子の花宮を追いかけていると、ポケットから通話の着信音が鳴る。チラッとスマホに視線を向けた隙に、花宮の姿を見失った。慌てて廊下を見回すも、どこにもいない。
 がむしゃらに走りながらスマホを手に取り、通話を繋ぐと――。
『義兄さん、やっとでたね!? 大変なんだよ!』
「こっちも大変だ! 花宮が教室から突然、飛び出していった! 尋常じゃない様子で!」
『な、なんだって、貴子が!? 今どこだよ!?』
「白井!? なんでお前と通話が!?」
『この通話がグループだからだろ! それより、今どこだよ!?』
「今は校舎を上から下まで見ているところだ!」
『そうか、特別教室棟は俺に任せろ!――あと、お前はこの動画を見ろ。多分コレが貴子の様子がおかしくなった原因だ!』
「は!? 動画を見てる余裕なんてあるか、口で説明しろ!」
『流出だよ、義兄さんっ。……児童館で義兄さんと花宮貴子先輩が歌っている舞台の動画が出回っている』
「――は?」
 思わず足を止めてしまう。
 ハァハァ乱れる息の中、呼吸をしやすいようネクタイを緩めると――。あの日、俺と花宮が歌った舞台の動画が『叶魅りあの素顔と彼氏発覚』というタイトルでSNSに上がっていた。
「――あの時動画を撮ってた、他校の高校生か!」
 舞台の動画を撮っていたボランティア高校生。注意したかったけど、タイミング的にできなかったやつらだ。ご丁寧に光った箱から織り姫姿の花宮がマイクを手に出てくるところまで動画に収められている。
「こんなもん、歌声を聞けばすぐに本人だってわかる……!」
『ああ、実際そうだ! すぐに本人だってバレて、誹謗中傷がさらに広がってる! ただでさえ、この児童館でのボランティアは貴子が配信で語ってたからな!』
「クソどもが、これだからネット社会ってのはッ!」
『義兄さん、校舎内はぼくが回るよ! 女子トイレまでは見られないだろう? 義兄さんには、もっと心当たりがあるはずだ!』
「――旧校舎」
 義妹の言葉をヒントに、この人類カメレオン化現象のはじまりであり――終わらせる唯一の可能性がある場所を思い出す。
 俺は上履きを脱ぐ時間すら惜しみ、全速力で旧校舎へと走った――。
「――屋上、何かでノブが壊されてる……」
 息も絶え絶えで旧校舎内を探し回った。大鏡のある部屋、不気味な置物がある部屋も全て。そしてやっと俺は――老カメレオンが隠れていそうな場所への手がかりを見つけた。
「立ち入り禁止の場所が壊されてるなら……ここしかないよな」
 スマホで『旧校舎屋上』とグループにメッセージを送る。白井はともかく、賢い義妹ならこれでわかってくれるはずだ。
 ドアノブを回し、扉を開けると――古いフェンスの向こう側に花宮が見えた。今にも落ちそうなぐらい狭い足場に立っていて、思わず体が恐怖で強ばる。遠目に見るだけで怖いんだ、当人はもっと怖いはずなのに……。
「――大神くん……? どうして、ここに?」
 弱々しい光しか宿していないカメレオンの目が俺を捉え、戸惑ってる。今、花宮は危険や恐怖を認識できないぐらいに錯乱してるはずだ。落ち着けよ、俺……。
「花宮、飛び立つのは無理じゃないか? カメレオンが空を飛べるなんて聞いたことがない」
 全てが信じられない状態の花宮に嘘をつかず、平静かつ刺激しすぎず説得しなくては……。
「……狼男の彦星がカメレオンの織り姫を迎えにきたって言えば、こっちに来てくれるか? 2人を隔てるのは天の川じゃなくて古いフェンス――」
「――来ないで」
 緊迫した空気を紛らわる冗談で時間を稼ぎ、歩み寄ろうとする。でも、あと数メートルといったところで制止する声が聞こえた。じっと俺を見つめている瞳からは、まだ理性を感じる。――あと少し、もうちょいなら……いける。俺は勇気を持ってフェンス手前まで歩き――。
「それ以上、来ないで!」
 これ以上近づくと本当に飛び降りそうなところで、足を止めた。フェンスがなければ、お互いの手を伸ばせば届くような距離なのに……後は説得して、こっら側に来てもらうしかないか。
「わかった。俺はこれ以上そっちにいかない。だから、花宮から来てくれよ。落ちるだろ?」
 花宮は押しだまってしまう。そして天を仰いだ後、力なく言葉をつむぎはじめた。
「そうだね。私はずっと、過去から目を逸らして……上手に生きる人気者であろうとしてた。まさに、狐のような臆病さで、警戒心も高くて、ずる賢い生き方だったね。迷惑をかけてきて、ごめんなさい」
「迷惑のかけ合いも、人間関係らしいからな。むしろ最高だ。花宮はまるで狐のように用心深く、賢くて、好奇心旺盛だよな。その光と影が魅力的で、これからも俺たちを癒やしてくれるんだ」
「まだ人生の先があるみたく言わないでよ。――私は、もういいの……」
「何がいいんだ? 俺は言ったはずだ。花宮を愛している。支え合って、幸せにしたいって」
「そんな口先だけの言葉、信じられるわけないでしょ?……また裏切られたのにさ」
「……誰にだ?」
「リスナーのみんなにだよ……。見たでしょ、罵詈雑言の嵐を。今では顔までバレて、大神くんにまで迷惑をかけちゃった」
「俺は迷惑と思わない。……叶魅りあは、決して完璧な存在じゃない。不器用でも、人を癒し元気にしようとしてくれた。それが多くの人を笑顔にしてくれたよ。俺もその1人だよ」
「だから何? 少し恋人疑惑が出たら、みんなして私を犯罪者みたいに言って離れていくじゃない!? オーディションで裏切った子と一緒、自分に不都合だと思えば、すぐ掌を返すんだよ!」
「確かに、出る杭は打たれるよな。目立つ叶魅りあが弱味を見せた瞬間、叩かれたように」
「でしょう!? 私は間違ってなかった。リアルでもバーチャルでも、弱味をみせたり本音を喋ればすぐにぶち壊されるじゃない! 臆病に生きることの何が悪いの!?」
「臆病に生きることの全てが悪いなんて言ってないよ」
「私は誰も信じず、常に警戒しながらみんなにいい顔をしてるのが正解だった。それが演技でも、嘘でも! 大神くんとも関わらず、口を滑らせなければ上手く生きられたのに!」
「……本音では、そうやって演技して嘘つきながら生きるのが辛いから、そんな老けたカメレオンになったんじゃないのか?」
「それが何!? 誰からも見てもらえない辛さに比べたら、誰も信じずに演技を続ける人生のほうがずっとマシだよ! 私だって、自分が自分らしくいられるような相手が欲しかった!」
「じゃあそう言えよ! 花宮は完全無欠のヒーローなんかじゃないんだから、誰か私も助けてってさ!」
「言えるわけないでしょ!? それでウザいキモいって離れていったり、また誰も姿すら見てくれなくなったらどうするの!? そんな思いするぐらいなら、いっそ自分で終わりに――」
「――俺は見てる! 花宮を応援しながら、ずっと見てる!」
「――ぇ……。何を、言ってるの?」
 本当に飛び降りようと身を屈めていた花宮が、動きを止めた。ふわふわのロングヘアーを風に靡かせ、目を見開きながらこちらを見つめている。
「……俺は叶魅りあをずっと見ている最古参ファンだ。臆病なのに強がって、優しくあろうと努力してやらかす。良いところも悪いところも含めて、花宮貴子を愛してる!」
「……大神くんは、どんな私でも……。弱くても悪くても、本当に裏切らないって言うの?」
「ずっとそう言ってるだろ。俺はどんな花宮だろうと全肯定で、プラスに変換する。嘘の仮面を被ってなくても、根から良いやつだって知ってるから」
「でも……私は。大神くんの好きな、前向きに変換する叶魅りあはもう――」
「――叶魅りあでなくても、花宮が好きだよ。勿論、叶魅りあとしての活動には大賛成だ。でも、人間はずっとポジティブに支える側でいられるほど強くない。俺は花宮が辛い時、また前を向けるよう心の支えになりたいんだよ。本音を語り合い、相手の幸せを願い合って一緒に高みを目指す。そんな素敵な恋人同士になりたいんだよ」
「無理だよ……。私だって頑張ったけど、過去のトラウマを乗り越えて前を向けない……」
「乗り越えるのは難しいよ。心に刻みついた古傷は消えないんだからさ。それはもう、今の花宮自身を構成する一部なんだから、あると受け入れて、ともに進むんだ」
「そんなの、私には耐えられないよ……。傷だらけで心が痛い。動悸が止まってくれないんだよ!」
「傷口が開いて血が出た時、血が止まるまで傍で支えるよ。そうやって、成功体験やいい思い出が傷口に瘡蓋を作って……その繰り返しで、やっと古傷に変わるもんじゃないのか?」
「でも、また私は新しい傷がつくんじゃないかって……怖い。だから一歩も前に――」
「――失敗体験を上回るほどに成功しなければ、自信なんてつかない。そう珠姫も言ってたよ。花宮が配信の中で、目線がなければ歌を披露できたこと。子供たちの気配は感じてても、直接見られなければ歌えたこと。これはかつて花宮が夢見た、大きなステージの上で歌って踊りながら笑顔を配るアイドル。そんな存在に近づく、小さな成功の一歩じゃないのか?」
「それは……。でも結局、空回りのほうが多かった! 夢に向かって走れば走るほど、スクールの皆がドンドン陰口を言うようになったり!」
「花宮を救おうとして、俺も空回りしたよ。でも空回りしたのは、譲れないぐらい大切な『何か』の為に行動したからだ。それは恥ずかしい失敗じゃないし、結果でもない。成功を目指して試行錯誤する過程だ。俺は義妹にそう教えてもらった」
「成功を目指して、試行錯誤する過程……。私が足掻いてきたのは、無駄じゃなかったの?」
 花宮はフェンスに手を食い込ませ、キョロッとした瞳に涙を滲ませる。
 やっと一歩、転落からこちらに近づいてくれたな。
「そうだ。珠姫的に言うなら、成功に必要な未知のXを絞り出す必要な過程だ。……あと、俺はこうも思うんだ」
「……なに?」
「成功したか、本当にただの失敗だったのか。それは見る人によって変わる。この世界が俺たちと他の人では、違って見えるように」
「私は……成功してたって言いたいの?」
「少なくとも、俺は叶魅りあというバーチャルアイドルに救われて、支えられた。叶魅りあがいなければ、俺は孤独に押し潰されて、不登校だ。今みたいに笑っていなかっただろうな」
「……ごめんね。もう私は炎上して、配信者としては――」
「――花宮がたくさんの人を笑顔にしてきたのは事実で、立派な成功だろ。今回の炎上騒動で、ファンを詐称するアンチを捻り出せた。視聴者は減るだろうな。でも残るのは、叶魅りあを大切に思う人だ。その人たちにこそ、時間と労力を使って、笑顔にすればいいじゃないか」
 老いたカメレオンの瞳から雫が零れ、乾いた肌を伝い遙か下まで落ちていく。下を見るのも怖いぐらいの高さだ。この高さから落ちれば……痛いでは済まないよな。臆病なのに、こんな高いところでビュービュー風に吹かれて……。屋上から落ちるより、希望がない人生を生きるほうが怖いなんて叫んでさ……。花宮にそう思わせちゃって、本当にごめんな――。
「――いずれはさ、バーチャルから飛び出して、かつて目指したステージを目指すのも面白いかもな――前向きに変換すると、そうだろう?」
「……私はそんなに強くない。客観的視点で前向きになるようには言えた。でも、自分のことは――」
「――だからこそ、俺を信頼して傍に置いてくれよ」
「……え?」
「俺が壊れそうな時、支えてくれてたんだ。推したのはそれだけが理由。見た目や声なんて、後付けだ。だから――今、孤独で辛そうな花宮に恩返しをさせてくれないか?」
「大神くん……」
「俺は人生の最後が来ても、花宮を裏切らないファンだ。どうしようもなく愛して、推しているんだ。そんで俺は、辛い時に部屋に籠もって腐らないよう花宮に助けてもらった。どっちかが倒れたら、その度に手を取って起き上がらせてやる。そうやって1人ではたどり着けない目標に向かうのが、人間だろ?――だから、まずはこの手を取ってくれないか」
 俺はフェンス越しに見える老いたカメレオンに向かい手を伸ばし――。
「私、私は……」
 ――花宮は、手が触れる寸前でハッと引き戻してしまった。
「ダメ! やっぱり、怖い! 信じたいけど、それでも! 私が大神くんを好きになっちゃったから、だからこそ怖い! このカメレオンの手が触れて、嫌われるかもって!」
「――花宮? 今……俺のことを、好きって?」
「配信者としてみんなに平等でいなきゃって思ってた! でも児童館の一件から大神くんだけ特別になってきて、ドンドン気になっちゃってた! 配信者としての私とリアルの私の気持ちがわからなくなって……! 隠さなきゃって思うとドンドン変な配信になってた!」
「……だから、ドンドン弱っていってたのか?」
「そうだよ、大神くんのことを考えると対等な配信もできない、ご飯も食べられないぐらいに胸がドキドキしてた!」
「それは、俺にとってはめちゃ嬉しいんだけど……だったらなんで離れようとしたんだ?」
「好きになればなるほど、失うのが怖いんだよ! だからわざと冷たく接して、そしたらかけがえのない存在になる前に離れてくれると思ってたの!」
「そう、だったのか……」
 なんて不器用なんだろう。冷たすぎて、完全に嫌われたと思っていた……。まるで本当に、警戒心が強い狐みたいだ。
「だからその手は取れない! 信じたい、でも怖いよ……! 私は警戒しちゃうの、こんなに優しい言葉が、未来では嘘に変わっちゃうのが!」
 花宮は頭を抱え、錯乱しだした。
 ブンブンと頭を、尻尾を振り――後ずさっていく。
 マズい。――このままじゃ、本当に転落するッ!
「落ち着け、暴れるな! 少しずつでもいい、俺は裏切らないと示すから!」
「私は自分が嫌い。臆病で、こんなに言ってくれる人をウジウジと信じない自分が大嫌い!」
「いいからっ。そこも含めて花宮は花宮なんだ! 俺はそんな花宮でも好きなんだ!」
「わかってるんだよ! 理屈では大神くんは裏切らないって! でも過去のトラウマが邪魔して、もしかしたらが頭をよぎる、保証なく信じちゃダメって……。この異常な世界もあって、もう頭がおかしくなりそう!」
「口先だけの言葉なんて信じられなくて当然だ! だから落ち着け! 本当に落ち――」
「――ぁ……」
 ――その瞬間、花宮が視界から消えていく。
 暴れた結果、屋上から足を滑らせて。――消えていくカメレオンは、涙目で微笑んでいた。
 そんな満足げで、心から安堵したような笑み――。
「花宮ぁあああッ!」
 ――認められるわけがない!
「……ぇ」
 俺は古びたフェンスを力尽くで叩き壊し――落下する花宮を抱き寄せる。
「大神くんまで、死んじゃ――」
「――喋るなッ!」
 舌を噛まないように、喋るのを止めさせる。
 大きな体で花宮の一変も地面に触れさせないように強く抱き寄せ――。
「ぐッ!」
 背中に衝撃を受けた直後、地面を転がる痛みを感じた。
「……生きてる?」
 ゆっくりと目を開けた花宮が、絹糸のようにか細い声で言う。
「ああ。……珠姫、信じてたよ」
「義兄さん、どこまで……どこまでぼくの心臓に悪いことをすれば気が済むんだ!?」
「ごめん、少し嘘。ぶっちゃけ……落ちてる時は、死ぬかと思ってた。――イッ……つぅ」
 左腕が電流が走ったみたくズキズキ痛むッ……。それでも花宮は抱きしめて離さないけど。
「ぇ……珠姫ちゃん、黒一に……みんな?」
「貴子! 無事でよかったッ! お前が落ちそうになってるのを見て、みんながマットを運んでくれたんだぞ!?」
「……これを、みんなが?」
「ああ、みんなが貴子を救いたいと思ってだ!」
 少し後ろを振り返れば、陸上高飛び用のマットが敷かれていた。屋上で花宮が落ちそうになっているのを見て、体育倉庫か何かにあったのを急ぎ運んでくれたんだろうな。
「……もうちょい衝撃を吸収できる素材はなかったのかな。俺、地面に落ちた時に左腕が……」
「うお、めっちゃ腫れてるッ。これは、折れてるかもな。――でもよ、死ぬよりいいだろ?」
「そもそも、屋上から落ちる人間2人分の重量を受けとめることを想定した素材なんて学校に有るわけがないだろう!? 頭から落ちず、命があったことに感謝して早くぼくをなでろ!」
「わかったわかった、落ち着けって。……まぁ、そうだよな。ありがとう白井、珠姫」
 まだ震える花宮を激しく痛む腕で胸へ抱えたまま、優しいカメレオンたちに礼を言う。
「……どうして?」
「ん? 花宮、どうした?」
「自分が死ぬかもだったんだよ!? どうして、そこまでして私を助けようとするの!?」
 理解できないとばかりに泣き叫ぶ老いたカメレオンに――俺は思わず口角が緩む。
「言っただろ?――人生の最後が来ても、絶対に花宮を裏切らないって」
「ぇ……」
「口先だけじゃないのが伝わったか?……でも俺だって怖いから、二度と飛び降りるなよ?」
 呆然としていた老カメレオンは、言葉の意味を少しずつ飲み込んだのか。
 ドンドンと瞳から涙を溢れさせ――スマホを取り出した。
「――え、このタイミングでスマホ? 何するんだ?」
「……大神くんはさ、まるで狼のように孤高で、仲間想いの自由人だよね。私にない強さが一杯で、身を挺して裏切らないって証明してくれた」
 スマホのディスプレイに目線を落としながら、一言一言、感じ入るように言った。花宮は数秒、口を閉じた後、陽光に照らされる湖面のように瞳を輝かせながら。
「大神くんの期待に――私は答えるから!」
 そう言葉を繋げ、スマホを操作しはじめた。気になって俺もスマホを覗き込むと――。
「……それ、配信アプリ? おい、まさか!?」
 花宮は驚く俺に向けて少し微笑んだ後――配信開始ボタンを押した。
「――みんな、叶魅りあです! 突発配信でごめんね!」
 恐怖に震える声を振り絞り、スマホに向かって話かける。その声は集まっていた人々にも届いていて、「花宮が、叶魅りあ?」、「え、あのVチューバーの?」、「あ、私知ってる! マジで!?」と、花宮を中心に波紋の如くざわめきが広がる。
「お、おい?」
 何しているんだ、と配信に乗らないよう小声で話しかけるが――花宮はこちらを向かない。
「今、SNSで広がっているように、私には好きな人がいます!」
「ちょっと、おい!?」
「その人は私が辛くて暗闇に堕ちていくのを、笑顔に変換してくれた人です。身を挺して、これからも守ってくれるって証明してくれた人なんです! 私に裏切られたって思う人もいるかもしれないけど、私は――これからもみんなが辛い時、前向きになれるよう全力で体当たりするよ! 私が辛い時は守るって約束してくれた人がいるから、そうできるの!」
 もう口を挟めない、それにどこか嬉しい。配信でこんな暴露するのは――とんでもない勇気がいる冒険だから。それを花宮がして……好きな相手が俺というのが、とんでもなく嬉しい。
「自分のやりたいことして、自分の意見を言うと叩かれる。そんな世の中になんか、私は溶け込まない! 自分の考えを持って行動する。そんな、堂々とした人間でありたい! 優しいだけじゃない、厳しいコメントも待ってるよ。それが私を強く成長させてくれるんだからね!」
 花宮の本物の笑顔がインカメラに映り、満面の笑みを浮かべる叶魅りあを作り出す。
「私が幸せになることを許してくれて、辛い時に助けを求めてくれる人を――私は全力で笑顔にして癒やしたい。前向きになれるようにお手伝いしたい! それが私の幸せで、そういう人間であり続けるのが目標だから! こんな私も認めてくれる人は、これからもよろしくね!――応援してくれる人が1人でもいる限り、アンチになんか負けてやらないから!」
 吹っ切れた花宮の声は、今までで1番力強く、そして澄んでいる。
 ああ、本当に……魅力的な子だな。勝手に顔がニヤけちゃう――。
「じゃあ、噂のお相手さんにも一言もらうね!」
「――は?」
 ――のを止めたのは、花宮の爆弾をぽんっと投げわたすような発言だった。
「ほら、早く!」
 グイグイとスマホを手渡してくる花宮に、俺はもう半ば自棄になりながら――。
「最古参ファンにして、叶魅りあも中の人も世界一愛してるオオカミ男爵です。――炎上、煽り、文句は俺のアカウントにどうぞ!……俺たちの、現実世界での生活をおびやかすなら、すぐ警察に通報するけどな」
「――どんな本音を話しても大丈夫。そんな確信を持てる人がいるとね、自由に挑戦するぞってワクワクした熱い気持ちになるの! 私は、みんなの本音を否定しないから。無理して周りに溶け込まないでね!――悩んだら、どうすればいいか一緒に考えて、前向きに肯定していくから!――こうなれたらって楽しい夢を見てさ、一緒に冒険しようね!」
 そう言いはなって、花宮は配信終了ボタンを押した。
 ふぅ、とため息をつくと周囲は「誰だよあいつ!?」、「確か転校生のでかいやつ?」、「花宮と付き合ってるってマジかよ!?」と喧噪に包まれる。そんな中で――。
「……言っちゃったね」
「ああ、花宮も大胆なことをするな」
「後悔、してる?」
「――全くしてない」
 一層嬉しそうにする花宮の目を見つめ、俺がそう答えた瞬間――まばゆい輝きが胸元から発せられた。
 チカチカとする目を、おそるおそる開くと――。
「……大神くん、人間に戻ったよ?」
「……花宮も、人間になってる」
 何が起きたのかわからない俺たちに、未だカメレオン姿に白衣を羽織る珠姫が――。
「2人ともが、課題をクリアしたんだろうね。『信念』、『目標と理想への行動』。そして――『自信』だ」
「自信……。もしかして、私には命がけで裏切らないって証明してくれた人がいるから、もう心は折れない。大丈夫って確信したのが……かな?」
「俺は……自分が花宮に受け入れられたから。支え合うって目標に、自信が持てたのか?」
 俺たちはキョトンとしてお互いの顔を見つめ合い――やがてどちらともなく吹き出した。
「私ね、大神くんのおかげで見る世界が全部、元に戻ったよ」
「そうか、俺はまだ花宮だけだな。他の人は……カメレオンに見える」
「そうなんだ。――でも今度は、私も支えていくからね。……ねぇ、優くんって呼んでいい?」
 そう言いながら、花宮はギュッと抱きついてきた。もう離さないとばかりに、力強く。
「お、おう……。なんか、急に甘えんぼになったな?」
「え、嫌なの?」
「嫌じゃないけど……驚いた。ずっと冷たかったから」
「ふふ、狐はね……臆病で警戒心が強いけど。――気を許して懐くと、デレデレなんだよ」
「そ、そうなのか……。狐か」
 人間姿の花宮も、学園のアイドルという名に相応しい狐顔美人だ。人間の姿に戻れて、こんな可愛い花宮に懐かれるのは嬉しい。
 でも――。
「――ぇ」
「ん? どしたの?」
「ぁ……いや。顔は人間なんだけど、狐の耳とか尻尾が戻った?」
「え。……私は、変わってないよ?」
 花宮が自分の体を確認して、不思議そうに答えた。
「そっか。……ちょっとなでていい?」
「もう、仕方ないなぁ」
 右手をぽふっと頭に乗せる。やっはり、髪の毛とは違うふわっとした感触だ。
「こっちの手は、こうね?」
 左腕は痛まないよう、花宮がそっと右手で触れてくる。すらっとした細長い指を俺の指に深く絡め、キュッと優しく握ってきた。いわゆる、恋人繋ぎという愛情表現だ。……デレデレ狐の花宮さん、恐ろしく可愛いんだが。大勢に見られている中、無言でジッとしているのは、恥ずかしくてムズムズする。照れ隠しで花宮の頭をなでると――。
「――あ、ふわふわで気持ちいい」
「私にはわかいなぁ。……もう、おっかなそうに触らないでよ。ね、ちゃんとなでて?」
 銀狐獣人の花宮は、頭をなでられ気持ち良さそうに目を細めている。まるっとした尻尾もふりふりと嬉しげに揺れていてたまらない。もふもふ癒やされる……。
 なんて現実逃避していたが――周りはカメレオンに見えて、花宮が狐に見えるのも俺だけ。
 これは初代学長の呪いとやらに、最初に感染した俺だけに起きる何かなのか……。
 などと毛並みをなでながら思考を巡らせていると――。
「――あ、人間に戻った」
「え?……珠姫ちゃんや黒一よりも、短いね?」
「今の俺が見たいと思えばそう見えるのかな。数秒で戻るけど、鏡の影響? 表面じゃなく、変わらない本質を瞳に映せるってことか? 他は変わらずカメレオンに見えるし……」
「元々、優くんが人を『周囲に溶け込んでるカメレオンみたいなやつら』って思うからそう見えるのかもって仮説だったしね」
「――ってことは、俺はこれからもカメレオン集団に囲まれて生きなきゃいけないと……」
「いいじゃん。最愛の私は人間に見えるんでしょ?」
「まぁ……そうだな」
「優くんは、私の顔じゃ癒されない?」
「すごく癒されます」
 正直、たまりません。
 隣で睨んでる白井も、親指を噛みちぎっている珠姫の視線も今は気にならないぐらい。
 それぐらい――俺は花宮を推している。
「それなら、ゆっくり正常な世界に戻していこうよ。他の人も人間と認められるように、ね」
「俺の問題か、相手の問題か。まぁこれからもバタバタしそうだけど……。でも良かった」
「え、良かった?」
「顔だけは花宮で、他は銀狐ってのもすごく可愛いから。もう二度と見られないのは少し残念って気持ちがあったからさ」
「バカ……浮気したら、噛みちぎるからね?」
「……何を?」
「――内緒」
 ふふっと目を細める花宮は、美しくも恐ろしい。
 恐怖の3週間と1日は、ひとまず終了した。
 周囲がカメレオンに見えるとか、課題は残ってるけど……俺はきっと、このオカルトめいた世界もなんとかできる。冒険に胸を躍らせながらな。
 最推しと支え合い、頼れる新しい群れがいるんだから――全く不安はないさ。
 ハロウィンと合わせて仮装が終われば綺麗だったが、1日遅れで人間に戻る。
 やはりどこか締まらない展開。――これも、俺らしい大切な個性だ。
 ぼっちでもいいさ。周りと違くても構わない。
 俺は周囲に溶け込むカメレオンとは違う。
 少し結果が遅れても、構わない。大切なのは、いつ結果にたどり着くかじゃないんだ。
 いつか理想とする結果――目標にたどり着く為、青春に胸をときめかせながら冒険をする。
 人が生きていれば、心の中に受け入れられない影ができるはずだ。
 花宮でいうと、裏切りがそれに当たるだろう。でも、その影は完全な黒でもないし、人らしく生きていないことにはならない。むしろ、影には個性という鮮やかな色味があるだろう。影ができるぐらい頑張って歩んできたからこその、味を持っていると思う。
 前向きに言えば、個性が磨かれたとも考えられる。
 心に影がある、不完全な自分でいいじゃないか。同調圧力という周囲の黒い影に溶け込まない、個性的な色と味がある影。俺はすごく格好いいと思うし、見たい。もし影が心を覆って苦しいなら、個性を認めてくれる誰かに手をさし伸べてもらえばいいんだから。
 自分だけの影を創りだしながら、それでも理想に向かい歩き続ける。俺はそうありたい。
 影が創られるのは、『青春して生きる人間』として、輝いている証からだと思うから――。