「一緒に帰ろ?」

甘ったるい声が嫌い。
上目遣いでこちらを見ながらお願いすれば、なんでも聞いてくれると思っている。


だいたい、私にこうやって寄ってくるときは大抵彼氏に用事があるときだ。


開いたままだった水道の水が、じゃばじゃばと音を立てながら流れ落ちていく。

私は逃れるように視線を逸らして、両手に水をくぐらせる。


捻りすぎた蛇口から大量に出てきている水は生ぬるくて、不快だった。



「もしかして用事ある?」
「……ないけど」


ポケットから出したタオルで手を拭きながら、目の前に広がる窓越しの青空に目を細める。

うんざりするほど、眩しくて暑くて青い。

水で手を洗ったのに全然涼しくならなくて、蒸し暑さが消えない。



「じゃあ、一緒に帰ろっ! 決まり」

顔をくしゃっとさせて笑う彼女は、遠慮なく私の腕に巻きついてくる。

こんなに暑いのに、いつも平気で抱きついてくることが不思議で仕方ない。



「カバンとってくるから待ってて」

水道のところに彼女を置いて、ひとまず自分の教室へ戻る。


どう足掻いても一緒に帰ることになりそうだ。



机の上に置いていたカバンを手に取ると、近くの席に座って三人で喋っているクラスメイトに声をかけられた。



「ちー、帰るの?」

「うん、用事できた」

軽く手を振って、またねと言葉を交わして教室をあとにする。

肩にかけたカバンは硬くて、ずしりと重たい。

紺色の靴下は足にまとわりついているみたいで不快で、襟元に溜まった熱気は鬱陶しい。



————夏は嫌いだ。




水道のところに着くと、いつのまにか女子たちに囲まれて喋っている。

帰るなら私じゃなくて、あの子たちと帰ればいいのに。



「全然椎名ちゃん悪くないって!」
「そうだよー! 椎名ちゃんって優しいし可愛いのに不満持つほうがおかしいよ〜」


そんな会話が聞こえてきて、思わずため息が漏れる。

なるほど。最近彼氏とうまくいってないから、今日は一緒に帰らないということなのか。



「いつも尽くしてて、本当尊敬する」
「それなのにあんな態度しんじられないよねぇ。椎名ちゃんがかわいそう」


あの輪の中にいると、ひとりだけ垢抜けていてよく目立つ。

綺麗な薄茶色の髪には天使の輪が見えて、毛先は内巻きにカールされている。


淡く色づいた唇が動くたびに、甘ったるい声が聞こえる。


目尻にはキラキラとしたラメが施されていて、瞬きをするたびに長い睫毛が影を落とす。



彼女を見れば、口を揃えて〝かわいい〟と言う。
それが私の腐れ縁な幼なじみ。




「夏那」

名前を呼ぶと、花が咲いたように彼女が笑う。



「私はなにがダメなんだと思う?」
「……また?」
「うん、また」


こういう話を私は何度もされている。

夏那は、ぽつりぽつりと今日あった出来事を話していく。


彼氏とは順調だけど、友達を優先されることが多くて、そのことを先ほどの女子たちに〝彼氏が夏那を大事にしていない〟と言われたそうだ。



「私は大事にされてるって思ってるんだけど……でも冷たいって。私が尽くしているみたいなんだって」
「夏那は誰を一番信じたいの」


私の言葉に夏那が立ち止まる。

緩やかな夏風が私たちの間を吹き抜けて、夏那の色素の薄い髪が靡いてスカートがはためく。




「わかってるくせに」

ほんの少し、口を尖らせていじけたような表情になる。



「そんな顔しても可愛くない」
「私のことを可愛くないって言うのは、ちーちゃんくらいだよ」
「知ってる」


素っ気なく答えると、夏那が笑った。大きな目を細めて、ほんのりと頬に赤みがさす。



「あの子たちは褒めているフリをして、下げているだけでしょ」
「そうだね。私のことかわいそうって言いたいみたい」

見た目も、性格も、勉強も運動だって、夏那はなんでもできて、なんでも持っている。

だからこそ、かわいそうな部分を見つけて、慰めているフリをして落としてくるのだ。


昔から夏那はそういう標的になりやすい。


世界(がっこう)は彼女のために回っているように見えるのに、本当は彼女が世界(がっこう)に合わせているだけ。




「馬鹿だね」
「あの子たちが?」
「アンタが」


なにを言っても夏那は驚かずにクスクスと笑う。

最初から私の答えを知っているかのようで、いやそうじゃない。

私の性格を熟知した上で、わかっているんだ。


それなのに、アンタは私に言わせる。



「そんな子たちにいい顔して、楽しいの?」


私もわかっていて、口にする。


望んだ言葉を手にした夏那が、満足そうに唇で弧を描く。





「趣味が悪い」
「そうかな?」


夏の日差しがジリジリと肌を刺す。

それなのに涼しい顔をして、汗一つ流さずに立っている夏那が憎らしい。



「だって、ちーちゃんのその本音って心配してくれてるってことでしょ」


ガードレール越しに立っている彼女の腕が伸びてくる。



「してない」

まるでそれは、自己防衛のように出た言葉だった。



「ねぇ、ちーちゃん」

華奢な指先が私の喉元に触れる。

真夏だというのに夏那の手は冷たくて、長い爪先は喉を刺されているみたいに感じた。



「私のこと、好き?」
「嫌い」



だからこそ、夏那は私を手放さない。

甘い言葉ばかりを与えて、裏で毒針を持っている人たちではなくて


見える本音を晒す私を欲している。



アンタのことを嫌いだと思うのに、私も結局離れられない。


唯一、真正面から私を好きだと言う存在。





好きと嫌いな私たちは、互いを必要としてしまう。




「ちーちゃん、大好き」


うだるような暑さの夏と、私を呼ぶ甘ったるい声。


目眩がするような青空と、涼しい顔をした彼女。



ぜんぶ、ぜんぶ嫌いだけど


「私は————」


今日も彼女が欲しかる言葉を言ってしまう。