なにもかも上手くいかない日に、ちょっとだけ声が聞きたくなる。
だけど寂しいとか辛いとか、苦しいとか、そんな陳腐な言葉を声に出して君に伝えることを躊躇ってしまう。

好きって感情は、自分勝手で伝えすぎても相手が押しつぶされそうで怖くなる。


「弥代、また情緒不安定?」
呆れたような声が上から降ってくる。
床に寝転がり、暗い部屋を照らすのはベッドの横のスタンドライトだけ。


「めんどくさいよね、私」
「めんどくさいね」

そんなことを言いながらも、私の傍に座った。それだけで、ちょっと涙が出そう。

たぶんあれだ。今さっき言われた情緒不安定ってやつだ。


似ているようで似ていない私たち。
同い年で、同じ苗字で、血も繋がっている。


「未弥」

緩慢な動作で、右手を伸ばす。
呆れたように、その手をとってくれたのは、私の双子の弟。


「ときどき、どうしようもなく不安になる」
「一応聞くけど、なにが?」
「私って、必要?」

馬鹿げた質問だと、未弥はため息を吐く。


「弥代はどうなりたいの」
「私は……」

空いている左手で顔を覆う。
体内に蠢いている黒く醜い塊の、正体はいったいなんて名前をつけたらいいのだろう。


「必要と、されたい」

開けっぱなしだった窓から風が吹き、白いカーテンが揺れて波打つ。

秋の夜風は冷たくて、こぼれ落ちる涙の方があたたかい。



「真千がいるじゃん」
「こんな私を知って、嫌にならないかな」
「それはわかんないけど」

幼なじみで年下の男の子————真千の前では、こんな精神面が脆いところを隠して、平気なフリをして笑っている。

もしかしたら既にバレているかもしれないけれど。


「なんで真千って、私のこと好きなんだろ」
「必要とされたいくせに、そういうこと言うのって意味不明ってわかってる?」
「……そうだよ。私って矛盾だらけで面倒なんだ」

なにもかも嫌になることなんてしょっちゅうだし、ぜんぶ消えちゃえ! くそったれ!って口の悪いことを心の中で叫ぶことだってある。

愛想笑いも本当はしたくないし、勉強だって投げ出したい。


私のことなんて放っておいてよって思うことだってある。

自分勝手で嫌なやつ。



「だけど、真千には弥代が必要なんだよ」

靡いたカーテンの隙間から、ほんの少しだけ欠けた月が見えた。

私は不完全な人間で、人よりもできないことばかり。

それでも、こんな私を真千は本当に求めてくれているのだろうか。


「知ってるくせに、試すのやめたら?」
「未弥は、私には辛辣だよね」
「弥代がめんどうだからだよ」

でもね、知っているわけじゃないよ。
だけど欲しかった言葉ではある。


「真千と、喧嘩したんだ」
「あー……だから最近テンション低かったんだ」
「……私のこと、嫌いになったらって思うと怖い」
「はぁ……めんどくさい」

掴んでいた私の手を乱暴に床に落とすと、未弥が立ち上がった。


「弥代、欲しい言葉ばかり求めて、相手を試すような真似するのやめなよ。そんなことしてたら、いつか本当に愛想尽かされる」
「……うん」
「真千にどうしてほしいの。弥代はどうしたいの。それをちゃんと本人に伝えなよ」


冷ややかな視線で私を見下ろしていた未弥が、身を屈めて軽く頭を撫でてくる。



「捨てられたら、慰めてあげる」

仕方なさそうに笑うと、私の部屋から出て行った。




すぐ傍に転がっているスマホを手に取って、おもむろに着信マークを押す。

考えなんて纏まっていない。だけど、伝えたいことはわかっている。


「弥代ちゃん」

第一声が、もしもしじゃなくて私の名前だったことに、目が潤んでしまう。

「真千」
「うん」
「怒ってごめん」

始まりは私の不機嫌からだった。なんで機嫌が悪かったかなんて、理由を思い出すと恥ずかしい。


「俺、弥代ちゃんの考えてることわかんねー」
「……そうだよね」
「最近特にめんどくさいと思う」
「う、うん」

はっきりと電話越しに言われてしまって、反論の言葉もない。ぜんぶ真千の言う通りだ。


同級生の女子とあまりにも距離が近くて、端から見るといい感じに見えた。
私のことを好きだと言っていたのに、あれは嘘だったのかと疑ってしまったのだ。

それで、真千に当たるようなことを言ったり、遠回しに嫌味のようなことを言った。

だんだんと私たちの仲の雲行きが怪しくなり、ついには口喧嘩をして数日間話さなくなっていた。

挙句、今日はテストの点も悪くて、バイトでも嫌なお客さんに当たってしまい理不尽な叱られ方をした。


本当、なにもかも上手くいかない。


「俺の交友関係って、自由だと思う」
「……そう、だね」
「女子と仲良くても、距離が近くても、弥代ちゃんには関係ないじゃん」
「……うん」
「彼女なら別だけど」

真千の言葉が正論すぎて突き刺さる。
彼女でもなんでもない私が、口出す権利なんて一ミリもない。


相手の想いの上に胡座をかいて、甘えきっていた。
好きだと言ってくれたからって、それが不変なわけではないのに。


私が踏みにじれば、変わってしまうこともあるのだと、理解をせずに自分本位で動いてしまっていた。



「まあでも……俺も混乱させることはしてたから、ごめん」

真千のごめんは、きっとあの日のことだ。

真千の家に行った日に、告白とキスをされたのは、少し前の話。だけど結局私は返事をしていなかった。


今まで恋愛経験もなくて、初恋すら知らない。
それなのに幼なじみで年下の男の子が急に好きだと迫ってきて、私にとっては大混乱な出来事だった。

だから感情の整理が追いつかなかったのもある。


「弥代ちゃんはさ、サバサバしてそうで結構めんどうだし、案外わがまま」
「……ごめん」
「それと何気に構ってちゃんで本当だるい」
「う……っ否定はできない」
「鈍感だし、人の告白の返事も後回しの逃げ腰ズボラだし、そのくせ人の交友関係に口出してくる」


真千が私のことを好きだと言ったのは気の迷いだったのだろうと、思わずにはいられないくらい辛辣な私への言葉。

だけど、当たってる。私って、本気でめんどうな女だ。


「でも残念なことに、それすらも可愛いと思うから」
「……幻聴?」
「妙なフィルターがとれないのかもしれない」
「……私でいいの?」
「本当馬鹿」


噛み合わない返答に眉を寄せる。……私はどうしたらいいのだろう。


「俺のこと試すのやめて」
「……はい、ごめんなさい」
「そんなことしなくても、俺の気持ちは変わらないし」

私の不安を取り除いてくれるように、真千が安心を言葉にしてくれる。

……だめだ、会いたくなってしまう。



「好きになってよ、俺のこと」

願うように切なげな声が耳に届く。

私は、なにひとつちゃんと真千に伝えられていない。



「……もう、なってるよ」

告白されたときから、真千を意識して、いつのまにか嫉妬するくらい好きが大きくなっている。

知らない感情が膨れ上がって、怖気づいて感情的になってしまっていた。



「めんどうで、ごめん」
「彼女になってくれんなら、いいよ」
「……彼女、なる」
「なにその片言な返答」

電話越しに真千が笑った。それが嬉しくて、私もつられて笑う。


上手くいかないことばかりで、つまらない日だと思っていた。

だけど、日付が変わる一分前。


最後に、ひとつ。
いいことが起こった。



「てかさ、俺……まだ好きって言われてねーんですけど?」

もうわかるでしょ?
なんて返すと、更に不満げにされる。


「えーっと、だから」
「だから?」
「その、」
「言って」

電話越しとはいえ、好意を言葉に表すのは、かなり緊張してしまう。



「……好き、だよ」


日付が変わる数十秒前、拗ねた様子の真千に想いを告げる。




なにげない日が、記念日に変わった。