「カイリお嬢様。そろそろ首を縦に振ってくれません?迷うことはないのですよ?」

レインがラクサに足を踏み入れるほんの少し前。
マージルに無理矢理組まれたお見合いでターン・ブリク令息に迫られた時に言われた言葉だ。
わざわざ、マージルの邸宅に来て行われたお見合いでカイリは持っていた扇子を折ってしまいそうなの程屈辱を受け、そして、怒りとを覚えた。
まるで、断る理由がないと言いたげなその言葉にカイリは苛立つ。今でも思い出すだけで舌打ちをしたくなる程だ。
まだ結婚する気はないと告げてもしつこく"それ貴女の本心ではない"と勝手に決めつけてくる。

「幾ら公爵の名を受け継いだからって意味ないですよ?貴女は女なんだから。形だけのものなんですよ?いい加減気づいたらどうです?」

「貴女には公爵の爵位は見合わない。結婚して世継ぎを産めばいい。僕達の話を素直に縦に首を振ってればいいんですよ」

「他の貴族の方からなんて呼ばれてるか知ってます?弁えのない愚かな令嬢だって」

「貴女が持つ異能は本来平民に使っちゃいけないって教えてもらったでしょう?あんな下級共には勿体無い聖なる力は僕らの様な家族にだけ使えばいい」

求婚を受け入れようとしないカイリを責め立て煽る様な言葉達。
父から受け継いだ特別な爵位をカイリは誇りに思っていた。だが、その誇りを容赦なく汚し、女というだけで蔑んでくる。
カイリの気持ちを知ろうともしない悪意が彼女を闇へ取り込もうとしている。


そんな中、ようやく月夜の宝石が美しい満月の光を放つ。
その光を生み出したのは、海の向こうからやってきたパンケーキを美味しそうに頬張ってた褐色の肌の青年はレイン・バスラだった。
彼を見て初めて全身に走った衝撃は一生忘れられない。

(やっと見つけた。私の希望の光)






レインがマリアネル邸に来て3週間経った。
ラクサの生活に慣れつつ、マグアで培った知識と、生まれ持ったギフトを上手く駆使しながら使用人の仕事を全うしていた。
だが。忙しくもどこか幸せな日々外部からの身勝手な思想は許そうとしなかった。
カイリの元に叔父のマージルが送り込んだ見合い相手が毎日のように邸宅に訪れるようになった。
いつも、エドワードやリン達の使用人達に追い出されてるが性懲りも無く現れる。
初めてカフェで会った日以来、レインには殆ど会えていない。会えたとしても挨拶ぐらいで終わってしまっている。いつもカイリが肌身離さず持っている月夜の宝石を白く光らせたのもあの日以来だ。
本当はしっかりも向き合って話し合いたいのだが、仕事も相まって時間が取れずにいる。カイリの頭を悩ませていた。

(本当うざったいわね。そんなに私が公爵でいるのが気に入らないの?)
「今日も来てますよ?ターン令息。今日は会えないって言ってるのに何時間でも待つとか言い出して…」
「酷いようなら警備隊を呼んでいいから。捕まって廃嫡になろうが知らないわ。自分で蒔いた種だもの」

自室の扉から外を眺めると、ターン令息と思われる男が執事のエドワードと使用人に怒鳴っている声が2階から見ていても
聞こえてくる。
よくよく見ると、怒鳴られている使用人の一人がレインだった。

(レイン…!!)

居ても立っても居られなくなったカイリは、自室を飛び出しレイン達の元へ向かう。その怒りは、空気を凍らし殺気を撒き散らす。扇子を握る手の力が更に強まってすぐにでも折れてしまいそうな勢いだった。

「いいからカイリお嬢様に会わせろ!!言っただろう?!!彼女が僕との結婚を了承するまで諦めないって!!!」

唾を撒き散らしながらカイリに会わせろと罵倒するターンにレインはドン引きしていた。
嫌な出来事がレインとカイリの脳裏に過ぎる。


それは、レインが採用された日の翌日に起きた出来事。
今日の様にターンはマリアネル邸に訪れていた。その時は今回みたいに狂気に満ちてはいなかったが、この日に訪問した目的も今回と同じでカイリへの求婚だ。
レインとはフットマンの仕事の一つである来客の対応で、コートや帽子等を預かった時にターンと初めて接触していた。
ターンはレインの肌の色を見た途端、軽蔑な視線を向けた嘲笑った。

「こんなマグア出身で奴隷肌の人間を雇ったのですか?いけませんよ?またマリアネルの名を穢すつもりですか?」
「……穢す?どうして貴方に指図されなければいけないのですか?それに、貴方のその愚かな考えは今すぐにやめるべきですよ?」
「マグアの人間は野蛮な人間が多い。盗みも平気でする奴らばかり。このまま彼を雇い続ければマリアネルの名に泥を塗りかねない。だから忠告してるんです」

得意げに語るターンの言葉は嫌でもレインの耳に入る。いたたまれなくなったレインは近くに居た同僚に耳打ちし裏に隠れた。
マグア人特有の褐色肌は貴族の間では奴隷肌と呼ばれていて差別の対象だった。雇われたとしても、レインの様な使用人の仕事に就くのは珍しく、環境が良くない環境での雑用以下の仕事や鬱憤晴らしの道具として扱う事が多い。
亡くなったとしてもその死が明るみになることはない。闇に葬られ、また新しく犠牲者を連れてくるというのが貴族の間では普通になっていた。
マリアネル家の様にマグア人も平等に扱う貴族はとても稀な存在であり他の貴族からは見下げた態度を取られていた。
カイリは平気でマグア人を傷つける様な貴族達に軽蔑し反抗していた。マージルが送り込んできた見合い相手の想いを徹底的に潰し諦めさせていたのもそのうちの一つだった。けれど、ターンだけはそれが効かなかった。

「勝手な偏見で全てを決めつけ差別するのはとてもいただけません。それに私はこの異能……ギフトを貴族だけに使うつもりはありませんし、これからもそのつもりです。何度も言ってる筈ですけど忘れましたか?」
(やっぱりマージル様の言う通りだ。この女、変に強気になりやがって。どうせ後で後悔して泣いて縋り付くんだ。こんな女に爵位なんか与えるからつけ上がるんだ。早く分からせないと…)

たかを括っていたターンに対しての不快感が限界に達したカイリはエドワードに強制的に退去しろと指示させる。
数人の使用人と共にターンを囲い退去を促した。
カイリはその様子をちらっと一目だけ見て立ち去ろうとする。

「残念ですが、お嬢様は人を差別する様な人間とは結婚する気はございません。お引き取りを」
「な、何を言っている!!!彼女は絶対に僕のことが…!!」
「貴方のその身勝手な考えは早めに捨て去ることね。もう十分話を聞きました。お帰りください。エドワード申し訳ないけど後はお願い」
「はい。お嬢様」
「待って、待ってください!!カイリ様!!!!」

懇願する愚かな男の声を聞きながらカイリは急いでレイン元へ向かおうとするが、同席していたマージルに腕を掴まれてしまう。

「カイリ!!貴様よくも…!!よくも私の顔に泥を…!!!」
「…本当、貴方が連れてきた男は全員馬鹿ばかり。会う人皆人を見下してばっか。私がそんな(やから)と結婚するとでも思っているの?」
「我儘言いやがって…!!誰がここまで育ててやったと思ってる!」
「仕事の忙しい父の代わりをしてくれたのは感謝します。ですが、それとこれとは話が違います。貴方様な人間にマリアネルの名もギフトの力も渡さない。それだけは覚えておいて」

カイリはマージルの手を振り解き、裏に隠れてしまったレインの元へ急いだ。マージルは「待て!!!」と叫びながらカイリの背中を憎悪の目で見ていた。

(兄貴そっくりだあの小娘…!!絶対に許さん!一刻も早く始末してやる。楽には死なせない。苦しみながら殺してやる…!!!)



ターンの差別の言葉を聞いたのは初めてではない。マグアでも散々聞いてきた言葉だ。
けれど、未知なる地での生活や仕事等で心身共に弱っていたせいかその言葉がナイフに刺されてゆく感覚で効いてしまっていた。
さっきのターンの言葉から逃げる様に見合いが行われていた応接室から思わず飛び出してしまった程だ。
仕事を放棄してしまったという後悔がレインを蝕む。

(何やってんだよ。慣れてた筈なのに)

深くため息を吐き、仕事に戻ろうとするも身体が動かない。頭の中にさっき言われたことが嫌でも過って、またそう言われてしまうのではという不安が身体を固着させてしまう。
すると、レインから話を聞いていた同僚がケヴィンに伝えてくれたのだろう。動けずにいるレインの元に駆けつけてくれたのだ。
ケヴィンは心配そうにレインに話しかけた。
こんなに弱々しいレインを見たのは初めてだったケヴィンは胸を締め付けられた。それと同時に彼をこうさせたターンに怒りが湧いた。

「レイン。大丈夫か?」
「ケヴィン…」
「ジョージから全部聞いた。あのブリクのところの令息だろ?アイツ…」
「いや、弱い俺が悪いんだ。仕事も放棄しちゃうし」
「何言ってんだよ。あんな事言われて辛くならない奴なんているかよ。エドワードさんも心配してたぞ?」
「お嬢様のお見合いを台無しにした挙句、エドワードさんにも迷惑かけちゃったな。はぁ〜」
「…寧ろ、そうしてくれてありがとうって言ってたよ。俺もスカッとした」
「……」

ケヴィンは、同僚のジャージから聞いたレインがいなくなった後の事の経緯を話た。それでもどこか心は晴れなかった。


『私の可愛いレイン。私のアガパンサス。誰よりも幸せになってね』


母が遺してくれたおまじないが今のレインには皮肉にしか聞こえない。
この言葉を実現するには困難が多過ぎるとも感じていた。

(今のままじゃ幸せになんて程遠過ぎる。もし、ケヴィンみたいに肌が白かったらこんなこと言われずに済んだのかな?)

時折、マグア出身じゃなかったら、肌が白ければ、もっと身分が高ければとタラレバばかり並べてしまう自分にレインは嫌気がさしてしまう。
そんな自分に手を差し伸べてくれるケヴィンは、レインの灰色の世界の一筋の光となっていた。

「エドワードさんに言って早めに昼休憩もらってきたから少し休もう。俺腹減っちゃった」
「…ありがとう。ごめんな。俺のせいでケヴィンの仕事を台無しにして…」
「もう〜謝るなよ〜。つーかレインは何も悪くないっての。悪いのはあのボンボンだよ…あ〜思い出しただけで腹立つ〜!!何がマグア人は奴隷肌で奴隷の種族だよ!!本当ムカつく〜!!!」

自分のことの様に買ってくれる人に出会ったのは初めてだったせいかレインはどう反応すればいいか分からなかった。けれど、満更でもないのは確かだった。

「あーゆー差別人間は一生出世しねーって母さんが言ってた。だからあのボンボンは将来廃嫡されるか島流しだな、うん」
「はは。何だよそれ」
「だってぇ、あんなふざけた奴が統治できる気がしないもん。もっと大きな事件を引き起こして泣き喚く未来しか見えん」
(まぁ、分からんでもない)

楽しそうに話すレインとケヴィンを影から見ていたカイリは2人の仲を邪魔してはいけないと思い踵を返した。
悲しい顔を浮かべていたレインをケヴィンという友人が笑顔を取り戻してくれたことにとても感謝していた。

(もうレインを悲しませる様な真似はしたくない。早くあの話を進めてしまわなければ。後はあの男共をどうするかね)

レインとふたりきりになりたくても、マージルが送り込んでくる輩のせいで時間が作れずにいる。それに、領地の運営や自分が手掛けている事業等の仕事にも支障が出てきてしまっている。
これ以上マージル達の勝手にはさせられない。その口を塞ぐ方法は一つ。

「貴方の出番よ。ナイト」

月夜の宝石であるナイトは、カイリのその呼びかけに応えるかのように一瞬だけ怪しく光った。




そして今に至る。
言い争っている声がカイリの耳に嫌でも入る。ターンの不愉快な声は苛立たせるのに打ってつけだ。
このまま感情のままに動いたら相手の思う壺だ。カイリは女公爵として怒りに蓋をする。

「あ!カイリお嬢様!!やっぱり会いにきてくれた!!!」
「おはようございます。私に会いにきたのでしょう?これ以上私の使用人達に危害を加えるのはやめていただけません?
「いや、それは、この人達がカイリお嬢様には会わせられないってふざけた事を…」

ターンのその言葉を聞いて、カイリは激しく音を立てながら扇子を閉じた。
エドワードは扇子が閉じる前からカイリの怒りを感じ取っていたのか、レイン含む使用人達の様に動揺はしていなかった。寧ろ、やっぱりなっという様子でターンとの会話を見守っていた。

「屋敷の中ではなんですから庭園の方へ行きませんか?丁度、今の時期アガパンサスが咲き頃なので、そこでお茶でも飲みながらお話ししましょう?」
「はい!!是非!!!」
(アガパンサス…)

レインはある花の名前に反応する。
故郷の花であり、夢に出てくる母親の言葉の中に出てきた花の名前だ。
薄紫色と白色の彼岸花によく似た花で初夏に咲く。
母はその美しく可憐な花を愛する息子に重ねていたのだ。
月夜の宝石いう鉱石、そして、アガパンサスという花が同じ異能(ギフト)を持つレインとカイリを結びつけてゆく。
レインはその事実に薄々気づいてはいたが知らないふりをして逃亡を図ろうと試みる。例えそれが母が望む幸せだとしてもレインは受け入れるつもりは更々なかったからだ。