カフェを出たガイアとレインはその足でマリアネル邸に向かった。
ガイアは楽しそうに歩いているが、レインは月夜の宝石に囁かれた"運命の番"という言葉に引っ掛かりを感じていた。

(運命の番……番ってことは夫婦になるって事だよなぁ。ん……?夫婦…?はぁ?ちょっと待て)

番の意味を思い返したレインは困惑してしまう。
どうして身分が低く、貴族でもなんでもない自分には与えられる筈のないお告げだ。レインは頭を抱えてしまう。

(いや、聞き間違えだって。おかしいおかしい。あんなお嬢様の旦那になれるわけねーし。もう、あんま気にしちゃダメだ。今は使用人として働いて生活を安定させないと…)
「レインくん大丈夫?なんか思い詰めてるみたいだけど」
「ふぇ?!別に大丈夫ですけど!!」
「び、びっくりした。本当に大丈夫?もう少ししたらマリアネル邸に着くよ?」
「あ、はい、平気っす。いや、その、いろいろ考えちゃって」

きっとこれから始まる新生活のせいで緊張しているのだろうと思われたのだろう。ガイアは「大丈夫大丈夫。レインくんならできるよ」と優しく諭してくれた。
しょげてた理由はそれではないが、その言葉だけで少し心が軽くなったのも事実だった。

「君が持つギフトも駆使すれば早めに昇格するかもだし。応援するよ」
「……本当奴隷商人らしくないですよね。普通そこまでしませんよ?もっとヤバいところに売り飛ばしそうなのに」
「だって自称だもん。ロリでもショタでもないしね。さっきも言ったけど、全ては一部の貴族共への復讐みたいなものだから。レインくんには幸せになって欲しいし」

マグアでも幼少期の頃に何度か奴隷商人に捕まり売られたりしたが、ここまで献身になってくれる様なものはいなかった。寧ろ、雑に扱い、逆らおうとすれば暴力を加えるという過酷な環境ばかりだった。
ガイアの場合はどれも当てはまらない。本当に彼が言う復讐の為に動いているのだろう。
レインは拍手の理由を聞こうとしたがまだそのタイミングではないだろうと思い心に留めた。

「ある程度の自己紹介は済んでるし、後は執事の人に挨拶とリンちゃんが言ってた手続きぐらいかな」
「執事の人って優しい?」
「結構厳しいかな。カイリお嬢様が生まれる前から支えてるから」
(結構、由緒ある貴族なんだな。じゃあ…あの宝石ももしかしたら何か関係してるかも。まぁ!俺には関係ないけど!……ギフトが絡んでなければ…)

レインのその考えはすぐに覆される。
あの月夜の宝石から告げられた呪詛の様な言葉はゆっくりと彼の日常に浸食し始める。
それを思い知るのはマリアネル邸の使用人として認められてからあまり時間が経たないうちに思い知る事になる。遂にマリアネル宅にやって来たレインは使用人専用の応接室で面接を受けていた。

「お前がガイア殿に連れて来られたという男だな。確か…名前は…」
「レイン・バスラです。マグアから来ました。向こうでは主に使用人の仕事をしてました。えっと…大体のことは分かってるつもりです……はい」

名前を聞いてきたマリアネル邸で働く使用人達の長であり執事でもあるエドワード・ベルナーレにここで働きたいという旨を伝える。なんとか自己紹介はしたが緊張気味で話しているせいかどこかぎこちない。
あらかじめカフェで書いておいた履歴書にも目を通されて更に緊張と不安が増す。
何故ラクサにやって来たのか、ここに来るまで何があったのかといろいろ聞かれるのでは身構えていたがガイアが連れて来たという理由だけ十分だったようだ。

「一応聞くが…マグアではどこまでやっていた」
「えっと…フットマンの仕事までは…従者の仕事も少しはやりましたけどいろいろありまして…」
「……」
(この沈黙が怖過ぎる…)

エドワードは「分かった」と一言つぶやく。

「今日からここで働いてもらう。使用人としての経験は豊富な様だから一応フットマンから始めてもらう。あまりカイリお嬢様の名を汚す様な粗相の無いように」
「えっ、あ、はい!!!ありがとうございます!!!がんばります!!」

所々不安になる様な間があったものの、なんとかマリアネル家の使用人として採用されたレインは安堵する。
やはり、使用人としての仕事が初めてではなかったことが大きかったようだ。けれど、幾ら採用されたとしても大変なのはここからだ。
レインは気を引き締めてこの仕事をしっかり努めようと決意する。

「レイン。これが部屋の鍵だ。同室のケヴィンにいろいろ教えてもらいなさい。準備ができたらすぐに私の元に来るように」
「(2人部屋なんだ)はい。分かりました」

エドワードから自室の鍵を受け取り、教えてもらった通りに部屋がある方に向かう。
歩きながらなんとか衣食住を確保できたことに再度安堵する。

(船の中とマグアでの野宿は本当キツかったからな…。やっとベッドで寝れる…)

しばらくちゃんとした寝具で寝れていなかった現状を打破できたことにもとても感謝していた。
御曹司の虚言のせいで職と住処を失い、国を追われたレインはガイアが現れるまでの間ずっと野宿状態だった。ラクサに向かった船の中もベッドというものはなく雑魚寝状態。
もし不採用だったらと思うとレインは身震いした。
そして、自室の前に着き、コンコンコンと3回扉をノックした。扉の向こうから「はーい」とくぐもった声が聞こえてきた。
レインは緊張気味にドアノブを回し「失礼します」と言いながら部屋の中に入った。

「あの〜…」
「あ!!君が今日から入った人だよね!!!俺、ケヴィン・フレイ!!よろしく!!」
(ひぇ…陽キャ…)
「俺もここに来たばかりで心細くてさぁ〜。良かった。これから仲良くやろうね!!」
「は、はぁ…」

ケヴィンという名の栗毛でそばかすの肌の青年は、嬉しそうにレインの手を握りブンブンの上下に振るう。ガイアに明るさをもう少し足したような人だとレインは感じた。

「荷物はここに置いて。で、えっと…」
「えっと、まだ名乗ってなかったですよね。名前はレイン・バスラです」
「レイン…おぉ〜かっこいい名前…」
「そ、そうですかね?(初めて言われた…)」
「レインはそっちの左側の席とベッド使って。クローゼットは机の隣だから」

ケヴィンはちらっと壁にかけられた時計を見る。

「エドワードさんにすぐに来るように言われてるよね。ごめんね!仕事終わったらいろいろ話そう!」
(すんごい陽キャ寄りの子や…俺大丈夫かな…)
「レイン?大丈夫?緊張してる?」
「へ?あ、ああ…まぁそうですね。今日来たばかりなんでいろいろ分からなくて」
「大丈夫だよ。確かに仕事は大変だけど慣れればね。住めばなんとかってやつだよ。あ、話してる場合じゃないね!行こう!」

マグアから来た自分を快く受け入れてくれたケヴィンの太陽な笑顔はレインには眩しく見えた。自分にはない眩しさ。
けれど、マグアにいた頃には感じなかった感情がゆっくりとレインの心に芽生えてゆくのを感じていた。
レインは急いでケヴィンと共にエドワードの元に向かう。

「あの…ケヴィンさん…」
「さん付けじゃなくていいよ!!ケヴィンでいいから!!タメで話してよ」
「えっと、じゃあ、ケヴィンは、そのどこに配属なの?」
「俺さ、まだ使用人の仕事初めてだからボーイからなんだ。ブルエラって国出身でここに来るまで炭鉱とか新聞配りとかやってたんだけどお金が高いもんだからここにきたわけ」
(まだ見習いなんだ。でも、此処のことはケヴィンの方がよく知ってるし先輩だよね)
「レインのこともあとで聞かせてよ!約束だから!」
「お、おう」

ケヴィンも階級関係無しに友達として接してくれそうだなとレインは思った。まさに太陽な人だとも。

レインの新しい生活は、不思議な男の手引きと女公爵、そして、月夜の宝石という鉱石の声から始まった。彼がこれから歩む道に優しくも眩しい太陽が付け加えられる。
もうそこには冤罪によって全てを奪われた可哀想な青年はいなかった。