カイリとレインの婚約披露会が開かれる前日。
会場となる邸宅の広間もパーティー仕様に様変わりし、後は本番を迎えるだけとなっていた。
準備は会場だけではなく、主役である2人も着々と進んでいた。
カイリはリンや他のメイド達と共にドレスとアクセサリーを選んだ。初めてレインと出会った時に着ていたドレスと同じ色である薄紫のドレスを選んだ。
アガパンサスと同じ色がいいというカイリの要望もあってのことだった。
首に付けるネックレスは当然だが月夜の宝石にし、それ以外のアクセサリーも薄紫色のドレスに似合う色の宝石を選んだ。
リンとメイド達は「当日のメイクはお任せください!!」ととても意気込んでいた。カイリはその様子を見て微笑んだ。

「ありがとう、皆。期待しているわ」

カイリの笑みを見てリン達の士気が更に高まる。
きっと、結婚式の時も彼女達は最高な働きを見せてくれるだろうと期待を寄せる。
ドレッサーに置かれていた白い箱を手に取る。その箱をそっと開けて中身を見る。
その箱に入っているのは、レインと婚約を交わしたという証となるアガパンサスをモチーフにしたブローチ。薄紫色の花弁の部分はタンザナイトでできたとても素晴らしいブローチだった。
タンザナイトは、ある土地で発見され、空がまるで夕暮れのように紫や青色に変化することからその名付けられた。多色性の宝石で、見る角度や環境によって紫や青色に見える空の様な石。
カイリがいつも身に付けている月夜の宝石とはまた違う魅力を持つ宝石だった。
ブローチを作りに行った際に、職人からこの鉱石を勧められ一目惚れした石。全部イメージ通りの出来だった。

(後はレインに渡すだけ。どうしよう。披露会の時に渡すべき?それとも今……)

仕事や披露会の準備もあってあまり顔を合わせられない時間が多かった。
少し落ち着いた今なら渡せるかもと思ったが、翌日に渡すべきなのかカイリは迷っていた。
それ以前に早くレインに会いたいという気持ちの方が勝ってきていた。ブローチが入った白い箱をパチンと閉めた。

(よし。今日渡そう。それに時間があるから少し街に出てプチデートに洒落込ませれば…)
「どうしました?お嬢様?」
「あ、リン。少し考え事をね。突然で申し訳ないのだけれど、これから少し出かけてくるわ。準備を手伝ってもらっていいかしら?」
「分かりました。まさか、今日渡すつもりですか?」
「ええ。このブローチを早く彼に渡したくって」
「絶対喜びますよ!!とても素敵なブローチですもの!!」

他のメイド達の手を借りながら出かける準備を進める。メイドの1人はレインの部屋に向かう。
その頃のレインは、披露会で着るスーツ選びをすでに終えていていた。後は女公爵の夫になる人間として明日を迎えられるかベッドの上で不安に駆られていた。

「こえ〜。緊張する」
「大丈夫だって。レインなら乗り越えられるよ」
「いや、絶対無理。絶対あの人に迷惑かけまくる。どうしよう、ダンス失敗して大恥かいたら。マリアネルの名前に泥を塗るような真似だけはなんとか避けたい…」
(か、可哀想に。いっぱいいっぱいなんやな…)

緊張と不安に駆られるレインに従者見習いのケヴィンは必死に寄り添う。レイン自身も彼の気持ちに応えたいが全てが初めてのことばかりで全く余裕がない状態だった。
使用人の頃とは違う忙しさにレインは疲労困憊していた。
それと、あまり婚約者であるカイリと会話できていないストレスも追い打ちをかけていた。
まだお互いのことを知らないまま進む結婚にまだ不安しか感じていない。
カイリの必死のプロポーズのお陰で少し不安は和らいでいたが、いろんなことを覚える為の忙しさと少しずつ結婚へと近づいてゆく日々が不安をまた増幅させていたのだ。
本当にただの平民である自分が高貴な人の夫になっていいのかという気持ちも日に日に増していった。

(ネガティブモードになってる。何か…何かレインの癒しになるもの…)

ケヴィンがそう考えていると、扉の方からノック音が聞こえてきた。ケヴィンは「はい」と応え、扉を開けに向かう。
扉を開けると目の前にカイリから伝達を受けたメイドが立っていた。

「レインさんはいる?」
「いるけど、レイン…じゃなかった、レイン様は今ベッドで横になってる。何か用事?」
「ええ。カイリ様からの伝言。これから街に一緒にお出かけしたいから支度して欲しいだそうよ。お嬢様はもう支度を始めたからレインさんも早く支度するように伝えて」
「(デートや…!!)わかった。伝言ありがとう。すぐに行くからって伝えといて」

ケヴィンはメイドと少しだけ話を終えると、急いでベッドで寝転がるレインを起こし出かける準備を進めさせる。

「出かけるってどこに?急過ぎて頭がよく回らん」
「一応街に行こうとは言ってたかな。もうお嬢様は支度してるみたいだから俺達も急がなきゃ」
(あのお嬢様の考えてることがよく分からん)

レインは急いで出掛ける用の黒寄りの紺色のスーツに袖を通す。急いで準備を進めていたせいか、ブローチ等の装飾を身に付けるのを忘れてしまっていた。
スーツと同じ色の帽子を被り、姿見に映る自分を見て変なところがないか確認する。

(急に貴族になりそうな奴がこんな高価なスーツ着るとなんか変)

貴族達が着るような高価な洋服に慣れないレインは姿見の中の自分に違和感を覚えていた。けれど、この部屋を与えられてから毎日のように着るようになってから少しずつだが慣れ始めていたが、まだどこか納得ができずにいた。

(今はそんな事を考えるのはやめよう。早くカイリお嬢様の元に向かわなきゃ)

急いで支度を終えて、カイリが待つロビーにケヴィンと共に向かう。
ロビーに行くと、そこには身なりを整えたカイリがすでに待っていた。レインは慌てて階段を降り、彼女の元へ急ぐ。
ケヴィンも付いて行こうとしたが、リンに腕を掴まれ阻止されてしまったが「見ればわかるでしょ!!」と小声で耳打ちされた事で全てを察した。

「すみませんお嬢様。急だったので」
「いえ、私が悪かったの。突然で申し訳なかったわ。それじゃいきましょうか?」
「それはいいですけど…これからどこに行くんですか?」
「少し街で買い物と言った方がいいかしら。2人だけでいろいろ回りたいの」
(ん…?ふたりきり…?)
「それじゃリン、エドワード、留守をお願いね」
「いってらっしゃいませ」

侍女も従者も付けず2人きりのお出かけ。疲労困憊で頭の中がふわふわしていたレインでもその意味がすぐに分かった。

「で、デート」
「やっと分かったわね。さあ、早く行きましょう?私、好きな人と行きたい場所があるの」

カイリはレイン腕に自分の腕を組ませる。側から見ると恋人か新婚夫婦そのものだった。
2人は用意した馬車に乗り街へと向かって行った。


黄昏時の街は夕陽に染まってオレンジ色に染まっている。人々は買い物をしたり、呼び込んだりとどこか騒がしい。
馬車を止め、ゆっくり馬車から降りる。
マリアネル邸に来てから街に赴くことはあまりなかったレインは少し新鮮味を感じていた。
初めてこの地に足を踏み入れた時のラクサとはまた違う光景をゆっくりを見渡す。
レインは海の方に目を向ける。海面は夕暮れ時のオレンジ色の太陽の反射でキラキラしていた。

(また朝の時とは違って綺麗なんだな)
「ねぇ、レイン。実はね、今日は夜市が行われる日で、どうしても貴方と巡りたかったの。ごめんなさい。私の我儘で無理矢理連れてきてしまって」
「いえ、丁度気分転換もしたかったところでしたから。貴女からのプロポーズを受けてからデートらしい事なんてしたことなかったし。で、これからどうします?」

カイリはうーんと少し考えるがすぐに応えが浮かぶ。とりあえず今は恋人の様に腕を組みながら街を巡りたいと応えた。

「後は、何か2人で買い物とかしたいわ。何か食べ歩いたりしてもいいかも」
「……」
「どうしたの?」
「いや、あの、本当にデートらしいなって思っただけで……へへ(変な声出た)」

レインのその言葉にカイリは少し笑った。彼女のその笑みにレインは少しだけ緊張が和らいだ。それと同時に何処か安心できる様な感覚を覚えた。
従者や侍女もいない2人だけのデート。あまり貴族らしくないデートに2人の心は満たされてゆく。
夜市の屋台で甘い綿飴を買ったり、ダンスホールで見る様なモノとまた違う陽気で元気が出る様なダンスを鑑賞したり、日が暮れて夜へと変わるとライトが点灯されて夕暮れの時と違う街の様子に胸を躍らせていた。
夜市を楽しんでいると、レインはある店に目を向ける。とても気になるその店に入ってみたいが恥ずかしさが邪魔してカイリに言えなかった。

「レイン?どうしたの?」
「ふぇ?あ、いや、あの、ショーウィンドウのぬいぐるみがふわふわが気持ち良さそうだななんて…」

カイリはレインが隠している事をすぐに見透かした。

「もしかしてここに入りたい?」
「(え"。なんで分かったの?!)いや、そういうわけじゃ…ハハ…」
(やだ。なんて可愛い人なの)

レインが気になっていたその店とは、ぬいぐるみやドールが売られている小洒落た店だった。
ショーウィンドウの中のあるぬいぐるみとクッションがとても気になったレインだが自分自身への偏見が邪魔して素直になれずにいた。
そんなレインに可愛げを感じ胸が張り裂けそうだったがなんとか抑えて落ち着いて話を続けた。

「実は私も気になる物があるの。一緒に見てくれないかしら?」
「え、でも」
「ね?いいでしょう?」
「わ、分かりました(やったって…これ喜んでいいのか?)」

カイリはレインの為に嘘を付き店の中に入る口実を作ってあげた。レインはカイリに言われるがまま店の中に入ることができたのだった。
店内はいろんな動物のぬいぐるみが並んでいて、中にいた客と子連れの家族やカップルが数組いた。
なんとなく場違いさを感じていたが、とりあえずショーウィンドウに飾られていたある動物のクッションとぬいぐるみを探そうと頭を切り替えた。
カイリと店内を歩きながら目的の物を探す。
どれも魅力的なぬいぐるみばかりで目移りしながら必死に探す。

(あっ)

レインはようやく立ち止まる。
探し求めていた物はしろくまのぬいぐるみのコーナーの近くに置かれていた。レインがショーウィンドウを見て一目惚れしたモノ。それはペタペタと2本足で歩くあの動物だった。

(あった。ペンギンクッション。あの部屋に置くには不釣り合い過ぎるけど)

レインが手に取ったそれは、可愛くデフォルメ化されたフンボルトペンギンのフェイスクッションだった。ショーウィンドウにしろくまのフェイスクッションと一緒に展示されていたのを見て気になった商品だった。
さっきまでの恥ずかしさを忘れて目を輝かせながらクッションを眺めるレインにカイリは胸を抑える。

(本当に可愛過ぎる。本当に私の夫になっていい人なの?!私にはもったいない気がしてきた…!!!)

悶絶するカイリにレインはそっと彼女に話しかけた。

「あの…」
「え?!ど、どうしたの?」
「その、さっきはありがとうございました。どうしてもコレが気になってしまって。変ですよね、男なのにこんな可愛いモノが好きなんて」

申し訳なさそうに話すレインにカイリは諭す。

「何を言っているの?別に気にすることなんてないわ。男性が可愛いモノが好きでも別にいいじゃないの。それに文句言う奴なんかほっておけばいいわ。私は、素直な貴方のままでいて欲しい。だから否定なんかしないで」
「(お嬢様…)ありがとうございます」
「それじゃあそのクッションを買ったらそろそろ邸に戻りましょうか?」
「…はい」

カイリの言葉に救われたレインはずっと感じていた不安が和らぎ始めたのを感じた。
マグアにいた頃は、男らしくない、奴隷の血がそんなモノ持つな等と言われながら生きてきた。そんな自分を救ってくれる様な光がレインの心を満たしてゆく。
それはカイリも同じだった。悪意に満ちた日々に光を与えてくれたのが彼だったからだ。
互いの灰色の世界にようやく光が満たされ色づき始めたのだった。



夜市を楽しみ尽くした2人は邸宅に戻ってきたが、すぐには中に入らず、馬車を降りそのまま庭園の方へ足を進めた。

「レイン。貴方に渡したい物があるの」
「渡したい物?」

噴水の前で立ち止まり、カイリはレインと向かい合うと持っていた小さなバックから白い箱を取り出しそっとレインに渡した。

「これは…」
「開けてみて?」

カイリに促されながら白い箱を開ける。中にはタンザナイトでできたアガパンサスがモチーフのブローチ。婚約指輪の代わりとなるブローチが入っていた。

「あの、これ、このブローチ」
「本当はプロポーズの時に渡したかったけど、受けてくれるか分からなかったから」
(アガパンサス…母さんのおまじないの花の名前…)

箱の中で月夜に照らされてキラキラ光るタンザナイトにレインは目を奪われる。あまり宝石に興味がなかったはずの彼を魅了させた。

「こんな高価なブローチ俺なんかが付けたら…!!」
「貴方だから似合うのよ」

カイリは箱の中のブローチを手に取り、レインの紺色のスーツのジャケットに付けてあげた。
まるで、ようやく望んでいた持ち主に会えたと喜んでいる様にタンザナイトの輝きが増した気がした。
とても美しいが、レインにはとても重く感じるブローチ。物理的なではなく、ブローチに込められたカイリの想いと、これから自分が歩むであろう女公爵の夫としての役割、マリアネルの名を守る指名等、いろんな思考が込められた重みだった。

「明日の披露会でも付けてほしいの。婚約の証でもあるから」
「ありがとうございます。カイリお嬢様。でも…」
「大丈夫。貴方ならやり遂げてくれる。信じてるわ」
「……分かりました」
「私はそろそろ屋敷に戻るけど」
「俺はもう少しここに居ます。あの…今日はありがとうございました。とても楽しかった」

初めてのデートは疲れ切っていた2人の心を救ってくれた。お互いの事を少しだけ知ることができた有意義なお出かけとなった。
そして、極め付けのアガパンサスのブローチ。レインの胸で輝くブローチにカイリは満たされていた。

「こちらこそありがとう。急な誘いだったのは許してね。そうだ、あと…」
「へ?」

カイリはずっと願っていた事をようやくレインにぶつけた。

「もう貴女は私の婚約者なのだからお嬢様ではなく"カイリ"と呼んでくれないかしら?」
「え、呼び捨てにしろってことですか?」
「敬語もダメ。夫婦になるんだから。それじゃお先に」
「え、ちょっとぉ…!!」

困惑するレインを置いてカイリは逃げる様に屋敷に戻って行った。庭園に一人残ったレインは呆然としながら噴水に腰掛ける。
そっとジャケットに着けられたブローチを外し、落とさない様に両手で包みながらそれを見つめる。

「本当に俺なんかでいいのかよ。お嬢様。記憶の異能しか持ってない俺なんかで本当に…」

思い出の花をモチーフにしたブローチを見てその思いが掻き立てられる。
自分を優しく諭して寄り添ってくれた彼女を悲しませたくない思いがため息に変わる。けれど、もう逃げるなんて許されなかった。
今まで使用人として彼女の側にいた立場だったのに、突然呼び捨てで尚且つためで話せと言われてもすぐには無理だとレインは頭を抱えた。

(なんかまだ部屋に戻りたくない。もう少し外の空気を吸ってからにしよう)

また深くため息をついた時だった。

『同じギフト所有者っていう理由ならいいんじゃないの?いつまで身分にこだわる気?』
「ん?んんん?」
『貴方の手の中の物を見て!!!ギフト所有者ならきこえてるでしょ!!!』
(まさか)

明るい少女の声はあのアガパンサスのブローチから聞こえてくる。あの、月夜の宝石と同じ様に声が聞こえてきたのだ。
ギフト所有者にしか聞こえない聖なる声。未来を見据える光の声。

『初めましてレイン・バスラ。あら!言い忘れてたわ!!アタシの名前はリーナ。今日からあんたはアタシの所有者になるの!!』
(ひぇ、まさかの陽キャ…)

青にも紫にもなる宝石は月夜に照らされて更に輝きを増す。その見た目とは反して声は太陽の様な光を持っていたのだった。