いつまでも遠吠えをしている駄犬わん太郎。
そんなヤツを尻目に、最後の難関へと挑む。
そう、コイツは魚というよりむしろ肉に近い味わいだ。
しかもジビエ料理に似た尖った味と香りが凄い素材というのが、俺の料理人生に挑戦状を叩きつけた。
『先程から見ていましたが、主はずいぶんと料理にこだわりがあるようですね?』
「まぁな。俺は釣り人として、いつでも真剣勝負だ。小物はリリースするが、マズイ魚でも大物を釣り上げたら必ず食す。それが俺のポリシーだからな」
『なるほど。その過程で料理が好きになったと?』
「そんなところだ。不味くて最悪な調理をしたら、釣り上げたあいつらに失礼すぎる。だから俺のレシピと経験で、最高の素材として料理の華を咲かせるのさ」
『早い話がただ食べたかっただけだと?』
「ちがいない。なにせ食い意地がはってるからな」
そう言いながら赤い切り身へと歩を進めるが、ヤツは俺へ不敵に笑っていやがる。
まるで「我を旨く調理するだと? フ、おこがましいが……挑むがいい。そこまで言うなら食ってみろ小僧!」言わんばかりに威圧をこめて。
「待っていろ魔王。俺が今――裁くッ!」
『……ただの魚の切り身ですが?』
「さ、美味しく料理しちゃうぞ♪ まずは特性を考えようか……コイツの持ち味は文字通りの野生味だ。ならば遠慮はいらない。野性で挑んでくるなら、俺もその作法受けて立つッ!!」
『え、主何をッ!? そのまえに全てが野生の魚ですが?』
相棒がそう叫ぶが、俺の行動はとまらない。
調味料に近づくと、右手を一閃! ザっと全ての調味料の頂点をかすめ取り、そいつを一気にぶちまけた。
中を泳ぐ七色の調味料。その時一陣の風が吹き、わん太郎の鼻へと胡椒がフワリ。
くちょんとクシャミをした光が、月夜に照らされて闇夜を照らす。
が、そこまで暗いわけでもなく、満月の光が調味料を美しくいろどる。
その虹の光が魔王・赤い切り身へと降りかかると、一気に濃厚な香気が立ち昇りひるむ。
それはそうだろう。あの赤金草と同じ状態なのだから、普通に考えればマズイはず。
しかしそうはならないと確信があった。
この赤い切り身は、ジビエ肉そのもの。だから丁寧に処理をするのもいいが、ここは一気に全部マシマシで豪快にいただくのが正しいと思う。絶対、多分。だといいな……。
「よし……じゃあ食べてみるか。はい、わん太郎の分はここに置くからな」
「わぁ~綺麗でとってもいい匂いなんだワン」
わん太郎と視線を合わせて、同時にうなずく。
そのまま「「いただきまーす!」」と声を合わせて同時に口へと放り込む。
――熱。
そう、はじめに舌の中ほどへダイブした赤い切り身は、ルイベの冷たさで一気に舌の熱を奪い冷たい旨味がじんわりと広がった。
次の瞬間、わん太郎が「あふぁ!? あっついワン!!」と叫ぶと同時に、俺の舌もそれを感じて一気に額に汗がふきでる。
一瞬何がおきたのかが理解できず、左の奥歯へと到達した時にその正体が判明。
まずはローズマリー風の清々しくも強い風味が、タイム・スィートマジョラムと合わさり、赤い切り身と妙にマッチしながら山椒のピリカラで一気に口内の熱量があがる。
さらに噛みしめると胡椒の風味がはじけ、それが一層辛さを増したところに、旨味を引き立たせるセルバチコのごまの風味と、辛味がまた特濃な辛旨さを後押しして、背中までビッシリと汗が浮かぶ。
これらは赤い切り身自体からくる、舌を強烈に刺激する旨味が刺激になった結果と、調味料の相乗効果なのはまちがいない。
しかもそれが噛みしめるほどにますます強くなり、「もう無理!」と思った瞬間吐き出そうと思ったが、なぜか飲み込んでしまう。
が、そこで驚くことが起きた。
なんと呑み込む刹那、レモングラスの高原の風を思わせる爽快さが口内から辛さを吹き飛ばし、心地よい旨さだけだが残った状態でノドの奥へと吸い込まれてしまう。
「な……んだこれ……」
「すっご……い……ワン……」
無意識に天を仰ぎ、その旨さの余韻に一筋の涙が流れ落ちた。
わん太郎も同じようで、「生きていてよかったワン」とつぶやくが、俺も同じ気持ちでいっぱいだ。
感動で星空を眺めていると、相棒が冷めた様子で話す。
『駄犬の鼻水も、いい味だしていたんじゃないんですかね?』
そう言われるとそんな気がし、白目をむきながら「んあ~」と涙を流す。塩辛い……。