「――榊くん、職員室に来てください」
ホームルームが終わってすぐ、担任の木南に職員室に呼び出された。
きっと小野静香と柴山豊のことだろう。
職員室に辿り着くと電話がひっきりなしに鳴っていて、どの先生もこちらを見る暇もないと言った具合だった。
「中に入って」
木南に職員室のさらに奥まった場所にある小部屋に入るよう促される。
その中には校長と学年主任、そして小野先生がいた。
普段はウェーブがかった髪をポニーテールのように結び、お洒落なバレッタでとめているのに。今の小野先生は髪をだらりと下ろして、硬い表情で俯いていた。
その頬には涙の痕すら見えて、非常に重苦しい空間に足を踏み入れたのだと思った。
もしかしたら、小野は既に学校をやめるように言われた後なのかもしれない。
木南にこの後どうしたらいいのかと目で訴えれば「座りなさい」と一言。
必要最低限の指示しかしない木南には、もっと気を遣って欲しいと思ったものだった。
「榊、どうして呼ばれたかわかるか?」
学年主任の田所が筋肉質な腕を膝の上に置きながら、神妙な面持ちで告げた。
サッカー部の顧問だから肌が黒く、その上がたいが良いものだから、歩いていたらひと目で田所だとわかる。
「……SNSのことですか?」
「そうだ。お前、どういうつもりであれを書いたんだ」
田所の決めつけに、すぐさまむっとした。
「違います、あれは俺じゃないです」
「違う? だが、あのアカウントはお前のだって木南先生に聞いてるぞ」
木南は俺がSNSで有名なことを知っている。
それはクラスのやつらがよく先生と雑談をする際に、俺のことをまるで自分のように自慢するからだ。
彼らの話を聞いていた木南に、一度SNSを指南しようと持ちかけたことがある。
というのも、木南はその昔、俳優を目指していたらしい。
真面目な性格が祟ったのかは知らないが、ただの下積み生活を終えて、そのまま芽吹くこともなく、彼の夢は儚く散ったのだ。
そんな夢破れた落ちこぼれ教師にSNSを使った有名人へのなり方でも、指南をしてやてやろうと思っていたのに、あの時は断られた。
まさか、あの時の俺の善意をこんな形で返されるとは。非常に不愉快だ。
「―――ひとまず、SNSを消してもらえますか。榊くん」
「……は?」
顔を上げれば、木南がいかにも教育者らしい顔で言ってきた。
「あなたのSNSのお蔭で、今、学校の電話対応が追い付かない状況になっているんです」
「榊、お前のSNSについては度々職員会議で上げられていたが、今回のことはさすがに目を瞑れない。警察からも確認の電話が入ったんだぞ」
木南に続いて田所も言ってくる。
「殺人予告だか、なんだかをしたらしいな。お前のファンらしい人たちからよく電話がかかってくるそうだ」
「……だから、あれは俺じゃないんですって! 乗っ取りで……」
「何を言ってるんだ。だったらどうしてうちの学校の先生や生徒の写真が出回ってる?」
「そ、れは……この学校の誰かが、俺のアカウントを乗っ取って……」
「とにかく、なんだっていい。アカウントを消してくれ」
「っ、ログインもできないのに消せるわけないだろ! 大体、そんな簡単に言わないでください、先生たちはあのアカウントがどれほどの影響力があるか知らないから、そんな風に……」
「小野先生と柴山のご両親からの要望だ」
「そんなの知るかよ! 大体、小野先生はどういうつもりで消せって言ってんすか? 教師が生徒に手を出してる時点でただの犯罪なのに! なんで犯罪者の肩を持たなきゃいけないんですか、こうなることを予測しての行動だったんじゃないのかよ!」
「榊!」
田所が咎めるように俺の名前を呼んだ。小野先生は肩を震わせて、ぼろぼろと泣いている。
これではどちらが悪者なのか、わかったものじゃない。
「小野先生は教育者として配慮にかけた部分もある。だがお前がネットに晒した話と事実は少し違う」
「違う?」
「小野先生は旦那さんと既に離婚している。初め柴山とは隠れた交際だったそうだが、学校も辞めさせられる覚悟で、一度、柴山のご両親に挨拶に行ったそうだ。未成年との交際は、婚約関係なら犯罪にはならないからな。勿論、反対はされたそうだが。受験が終わるまで傍で支え、清く正しく付き合うのならと話を進めていたそうだ」
「で、でも繁華街から出てきましたよ。あれはどう説明するんですか!」
田所に向かって責めるように声を上げれば、静かに小野先生が口を開いた。
「……あそこの近くに、受験の参考になる本が売っている書店があったんです。それであの場所にいました……」
「は? そんな嘘、通じると思ってるんですか? 抱き合っていたじゃないですか!」
「あっ、あれは! あの日は! 私の誕生日だったんです……柴山くんから、お祝いのプレゼントを貰って、嬉しさのあまりつい、彼に抱きついてしまいました」
信じられない。よくも次から次へとそれらしい言い訳が出てくるものだと思った。
「っう、うっ……ごめんなさい。軽率な行動をとってしまい、申し訳ありませんでした。先生方の言うように私は辞職いたします……ただ、柴山くんの処分だけは、どうにかやめてあげてください……彼はまだ受験生で、未来ある学生なんです」
小野先生のすすり泣く声に、田所も木南も校長も黙ったままだった。
「小野先生がこう言ってることですし、榊くん、アカウントを消してもらえませんか?」
すると不意に木南が言った。その言葉はまるで赦しを与える側の柔らかな口調で、余計に癪に障った。
「……ふ、ふざけんなよ。どうしてアカウントを……」
軽々しく、言うな。あのアカウントをあそこまで大きくするために、どれほど俺が頑張ったかと思ってるんだ。
「あれを書いたのは俺じゃない! 何度言ったらわかるんですか!」
「では該当を文や写真を消すことも出来ないんですか?」
「出来ない、乗っ取られてるんだから!」
「でもこれ以上、騒ぎが大きくなったら、君の処分も考えなくてはならなくなります」
「な、なんで俺の処分になるんですか⁉」
木南に訴えかければ、「それは」と答えたのは田所だった。
「お前のSNSがうちの学校にもたらした被害が、今回が初めてじゃないからだ」
「え……?」
「お前、よくうちの学校でも撮った動画を上げてたりするだろ。おかげで、この学校にお前がいるのかどうか訪ねてくる他校の学生や、学校での撮影を許可してるのかっていうクレームの電話だってよく来る」
「は……?」
「その対応に木南先生もよく追われていたんだぞ」
ぱっと木南を見れば、彼は「そういうことです、榊くん」とまるで手を差し伸べるような大人の顔をして、俺の肩を叩いた。
「あなたのSNSは消すべきです」
まるで、俺が何も持っていない子供のように扱おうとする。
「もしも将来に迷ったら、僕がきちんと指導しますから」
なんだかやり返されている気分だった。
田所や校長の顔を見てわかるのは、結局のところ彼らは火消しをしたいだけなのだ。
例えば小野を切っても柴山を退学させても、ネットの炎上は鎮火しない。
騒いでいるのは所詮外野で、彼らが認識しているのは『西和崎高校の教師がとんでもない事をした』という出来事だけ。
この問題が解決しようがしまいが、実感なき認識なのだから、俺のSNSのあの投稿が残る限り、暫く飽きるまでずっと続くだろう。
だから、先生たちは俺のアカウントを消したくて堪らない。
だけど、木南は違う気がした。そんな理由で、俺のSNSを消したいわけじゃなさそうだった。
SNSを指南すると上から目線で言った俺に、木南はどんな顔をしていたっけ。
「……木南、先生……?」
乗っ取りの犯人は、小野と柴山のことを知っている人物だ。
つまり、この学校の人間で間違いない。
そして、俺のスマホに触れて、覗くことが出来るようなやつ。
正直、俺がうっかり学校内でスマホを手放す瞬間があれば、誰しもが容疑者になり得る。
だが、そんなヘマをこの高校生活でしたことはない。
しかし、一度だけ。授業中にSNSが気になってこっそりスマホを弄っていた時、木南に一時的に没収されてしまったことがあるのだ。
あまりにも突然没収されてしまったから、アカウントを開きっぱなしだったかもしれない。自動ロックは掛けている筈だけど、ロックがかかる前に中を見られでもしていたら……。
「まさか、木南先生が、乗っ取りの犯人か……?」
「何の話をしているんですか?」
眉を顰める木南に、苛立ちが募る。
当たり前だ、もしも乗っ取っていたとしても素直に頷くわけがない。
小野のことを告発したのが木南なら、同業者を陥れたことになるんだから。
「なんで、木南先生はSNSを消せ消せうるさいんですか⁉」
俺への嫉妬か? そんなに陥れたくて堪らないのか?
「それは学校としても、今回の騒ぎは無視が出来ないから……」
「なら、その騒ぎを作った犯人を捜してきますよ! それで、そいつに全責任を負わせれば文句ないですよね? どうせ俺を妬んでる、この学校の人間なんだから」
木南自身を責め立てるように言えば、今度は田所が「だから、榊」と少々うんざりした顔で告げた。
「そういう問題じゃないんだ。お前のアカウントが今、どれほど迷惑をかけているか……」
「今回の騒動が、榊くん本人の仕業でないのであれば、騒ぎを起こした当人を連れてきてもらえればこちらとしても助かります」
田所の言葉を遮るようにして、ずっと黙っていた校長がようやく口を開いた。
白髪に四角い眼鏡が特徴的で、糸目のような細い目をしている。
穏やかそうな人相とは裏腹に、何を考えているのかわからない。気味の悪さを少々感じる。
「ただし榊くんの言うように校内の人間でなければ、こちらとしてもあなたが情報を拡散した人ではないという証拠がありません」
「大丈夫ですよ。絶対にこの学校の人ですから」
鼻で笑うようにして木南を見遣る。校長はその仕草を差して気にしてもいない様子で、さらにこう続けた。
「ただ、もしも見つからなかった場合は榊くんのアカウントを消してもらいます。それでも、どうしてもアカウントを消さず、このまま学校に迷惑がかかるようなら停学……最悪の場合、退学も視野に考えてもらわなくてはいけません」
「は、はあ? どうして俺がそんな処分を……!」
「今でもあなたのアカウントの影響で学校の電話が鳴り続き、先生方は対応に追われっぱなしです。この状況は学校側としては非常に深刻な状況なのです」
「そんなん、知るかよ……」
「たとえあなたのアカウントが乗っ取られたからと言って、あなたの責任が消えるわけではないのです。そういったリスクを踏まえて、今までSNSをされていたのでしょう?」
木南も田所も小野も、どうして俺を責めるような面持ちで見てくるんだろう。
俺がこの学校にいるからと、今年入学したという生徒だっていた。
この学校の知名度に多少なりとも貢献してきたはずだ。
感謝をされても、非難されるようなことなどした覚えはない。
「……学校は、生徒を守るためにあるんじゃないですか?」
「榊くんの言う通り、学校は生徒を守るために存在しています。ですが」
「……」
「生徒はあなただけではないんです」
色んな意味が含まれているような気がした。
あなた以外の生徒に被害が及ぶ恐れがある。
あなた以外に、代わりの生徒はいくらでもいる。
火消しをして、臭い物に蓋をする合理的で、わかりやすい。
例えどんなに理不尽だろうと、自分たちの保身の方が大事だということだろう。
「乗っ取り犯を捕まえるのは一週間ほどでいかがでしょう? その間に、あなたもアカウントを削除しても構わないと思い直すかもしれません。これ以上、学校や周囲の人たちに被害が拡大する前に、よく考えてください」
一週間の猶予だと、宣告されている気分だった。
犯人を捕まえて、そいつに罪を償ってもらわなくては。
「わかりましたね」
俺は理不尽にこの学校から放り出される。