「ねえ、ねえ……海斗ってば、お昼食べないの?」
いつの間に昼休みになっていたのか。
他クラスのはずの茉優が俺に向かって声をかけてきた。張り詰めた緊張がよりいっそう高まる。
「なんでずっと怖い顔してるの……? それに息も荒いし、今日は早く帰った方がいいよ」
「……余計なお世話だって、言ってんだろ」
お前もどうせ、人気者の俺を助けた優越感に浸りたいだけなんだ。
「海斗……」
心配そうに名前を呼んだって無駄だ。全部、演技だっていうのもわかってる。
俺に危害をくわえそうになったら、速攻でやり返してやる。
「榊! 榊海斗はどこだ⁉ 二年のC組だってことはわかってるんだ」
教室の外が騒がしいと思って、顔を上げる。
「いた、お前だな! 榊海斗!」
すると私服姿の柴山先輩が現れた。
「お前のSNSのせいで、小野先生がこの学校から追い出された……どうしてくれるんだよ! 僕と先生にどんな恨みがあるって言うんだ!」
一目散にこちらに向かって歩いてきて、席で俯いていた俺が顔を上げる頃には思いっきり胸倉を掴まれた。
全校朝会とかで見た柴山は、だいぶ利発そうな先輩に見えたけど、今は感情に呑まれ、怒りに任せた真っ赤な顔を歪ませた鬼のようだった。
柴山の顔も真っ黒く塗りつぶされていたが、ここまで近づけば薄っすらと表情が見えるものなんだな。
「きゃあっ、先輩! やめてください!」
茉優が悲鳴を上げる。そして、傍に座っていた行平も慌てて立ち上がる。
「やめてくださいっ、先輩! もしもここで暴力沙汰を起こしたら停学だけじゃすまなくなりますよ!」
「西荻くんは黙っててくれ! これは僕とこいつの問題だ!」
茉優を『西荻』と呼ぶ柴山。ああそうか。茉優は柴山とは中学の時、同じ部活だったっけ。
ってことは、繋がりがあるんだ。
「せ、先輩……こんなことしても、小野先生は喜びませんよ!」
「行平まで……だがクズ! 粛清した方がこの学校のためになるだろ!」
行平……ああ、そうか。こいつは生徒会で柴山と一緒なんだ。
「粛清……粛清か……」
なんだ、俺はてっきり、犯人は一人だと思っていた。
よく考えたら、木南は生徒会顧問だ。
柴山と繋がりがあるから、手を貸した可能性だってある。
俺のアカウントを乗っ取り、自らのゴシップを晒してでも、こいつらは俺を潰したかったのか?
なんのために? そんなに俺が目障りだったのか?
「生徒会長は支持が大事だしな……」
学校中の支持を集める俺に、嫉妬でもしたのかもしれない。
「何をぶつぶつ言ってるんだ……? お前、いまどれだけの人に迷惑をかけているのか知らないのか! このSNSだって……」
柴山が来ていたジャケットの内側に手を忍ばせた。ああ、来る。
ついに……。
どいつもこいつも真っ黒に顔が塗り潰されていたのはそういうことだろう。
みんなして、協力しあって俺を潰そうとしているんだ。
で、なければ証明できない。
アカウントを乗っ取るだけにとどまらず、俺のスマホに収められた写真に、西和崎高校の関係者にまつわる情報を自由に入手するなんて、関係者以外に出来るわけがない。
乗っ取りの犯人、つまりそれは。
「……見ぃつけた」
「え……」
目の前にいる全てのやつらだ。
ぷしゃあっ!
と、赤い色で視界が染まった瞬間、ようやく景色が明瞭になった気がする。
しかし、相変わらず人の顔はぐちゃぐちゃで何も見えやしなかった。
サバイバルナイフで柴山の首を刺せば、柴山はジャケットから取り出そうとしていたスマホを落とした。
カタン、とそれを見下ろして「なんだ……」と拍子抜けした。
俺と同じようなナイフを持っているかと思ったけど、そうじゃなかったんだ。
あーあ、構えていたのに。いつ俺を殺す気なのかと。
やられる前にやるつもりだったのに、これでは些か拍子抜けだ。
「きゃああああっ⁉」
近くにいた茉優が叫び上がった。
「し、しばや、ま……せんぱっ」
どさりと、人形のように倒れ込んだ柴山を真っ青な顔で見ながら、行平は腰を抜かしていた。
「に、逃げろ!」
「先生、呼んでこいっ!!」
教室中がパニックになる。そんな中でも動画だけは忘れないとばかりに、スマホで撮影するやつらもいた。
やめろ、撮るな。
「おい、やめろ」
ピコン。
「撮るな」
ピコン。
「撮るなって」
ピコン。
「撮るなよ!」
床に落ちた柴山のスマホの画面には、俺のSNSが表示されている。
そして、リアルタイムで更新された。
俺が柴山を刺した動画が載る。
ばっと顔を上げて、「誰だ⁉ 誰なんだよ!」と見回す。
いる、いま。ここに。
俺のSNSを更新しているやつが。
「お前だろ! 茉優!」
「えっ、あぁっ……」
柴山同様に茉優の首にもナイフを刺す。
しかし、またも動画が上がる。クソ、違った。
「行平かぁ!?」
「えっ、あ、うああああっ!」
行平を滅多刺しにしても、また動画が上がる。
なんで、なんでなんで……! なんで更新が止まらないんだ!
「やめなさいっ、榊くん!」
木南が目の前に現れて、ああもうこいつしかいないと腹部に目掛けてそれを刺したが、またも俺のSNSにリアルタイムの動画が上げられた。
手のひらが真っ赤に染まる。
血肉が抉れ、柔く硬い、その得体の知れない感触が手のひらの全てを侵食した。
一気に冷静になって動きを止めた瞬間、田所たちが俺を押さえにかかった。
「榊ぃ! お前とんでもないことしでかしてくれたな!」
床に身体を押さえつけられて、物凄い力で身体を潰される。
窒息死させられるんじゃないかってほど、肺が押し潰されていく。
ああ、ダメだ。何人もの大人に抑えられたら、さすがに太刀打ちはできない。
意識を失いそうになっていると。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃん!」
玲奈の声が聞こえた。
生徒たちに止められながら、彼女は俺のことを必死に呼んでいた。
ああ、ああっ……。
「れ、な……」
床に身体を擦り付けられる俺を、どういう気持ちで見ているんだろう。
ごめんな、みっともなくて。
ごめん、でもやったよ。
犯人を、乗っ取り犯を全員、殺したんだ。
簡単にやられる兄ちゃんじゃなかったろ?
血に濡れた手で、武者震いのように拳を握った。
玲奈が俺を励ます時にやってくれたように。
すると玲奈は、俺に向かってにんまりと笑ってくれた。
右手にスマホを掲げながら。
「お兄ちゃん……」
その不自然な仕草の意味はわからないまま。
俺はついに意識を失った。