『九月十三日、金曜日の天気予報をお知らせします』

 テレビのニュースキャスターがそう告げたとき、俺は妙に心臓がうるさく感じた。

「ほら、いっぱい食べるのよ。海斗」

 本当は休んでしまいたいのが本音だった。
 だが、両親には心配はかけられないし、学校のやつらにだって〝学校にも来られない弱いヤツ〟だなんて思われたくない。
 それに学校からの処分なんて受けたくないし、乗っ取りに屈服なんてしたくない。
 絶対に犯人を見つけてやる。
 俺をここまで追い詰めた奴に、目にものを見せてやる。

『もしかしたら! 殺人予告されてるのってお兄ちゃん、なんじゃないのかなって』

 玲奈の言葉が忘れられない。あれはあながち間違っていないのかもしれない。
 何故なら、本日アカウントに更新されていた言葉は。

《やっと今日ですべてが終わる》

 いつもならおふざけ全開の文章も、今日に限っては簡素で。

《さようなら、エリーニュス》

 どこか難解だった。

「用心するに越したことはないよ。気を付けてね、お兄ちゃん」

 家を出る前に、玲奈に応援の言葉を貰った。

「簡単にやられるお兄ちゃんじゃないんだから!」

 もちろんだ、負けてられないからな。
 そんな言葉を返した気がするが、正直、緊張で何を言ったか覚えていなかった。
 用心のため、キャンプが好きな父親の持ち物からサバイバルナイフを拝借した。
 これで、俺を殺してこようとするやつがいても、多少は何とかなる。
 むしろ、俺を襲ったことを後悔させてやる!
 いつでもかかってこい、犯人。

 学校への道のりはいつもより遠く感じた。
 というのも、周囲の警戒が解けなくて、いつでも反撃が出来るように構えていたというのも大きい。
 とにかく息切れがすごくて、俺はよろけるようにして校門にもたれかかった。

「っはあ……」
「海斗?」

 声の方を見れば茉優が立っていた。

「大丈夫?」
「はあ、はあっ……」

 咄嗟にポケットにあるサバイバルナイフを握りそうになったが、茉優が「ねえ、顔色が悪いよっ」と慌てたように言葉を続けた。

「顔色が酷いけど寝てないの? 保健室に……」
「っ触るな!」

 茉優の手を叩くように弾く。
 茉優は乗っ取りの犯人候補だ。俺をいつ殺そうとするかわからない。
 その証拠に……。

「どう、したの……? ねえ、海斗……なんか変だよ?」

 ぐちゃぐちゃな真っ黒の線に埋め尽くされて、茉優の顔は見えなかった。
 ただ、心配しているような声音だけが認識できて、尚更、気味が悪かった。
 なんだよ、なんだって……。

「俺が、何をしたって言うんだよ……」
「海斗⁉ 待って、海斗!」

 急いで校舎に向かって走り出す。
 そして廊下でぶつかりそうになった先に、木南先生がいた。

「危ないな! 廊下を走ってはいけな……榊くん?」
「き、きなみ……?」

 ひっ、と喉の奥から零れ落ちそうになった悲鳴を呑み込む。
 木南は「よかった、学校に来られたんですね。心配していたんですよ。身体の調子は……」
 自分に向かって伸ばされた手を俺は振り払った。

「やめろっ、触るな!」

 咄嗟に身体を引いた俺に、木南もまた茉優みたいな声音で「ど、どうしたんですか?」と言う。
 木南は犯人候補として、俺の中で名前が上がっている。
 そのせいか、顔は案の定黒々と塗り潰されているように見えた。

「何してるの、あれ……」
「あ。あれ榊くんじゃん」
「嘘……顔がやつれてて気づかなかった」

 はっとして周囲を見ると、ひそひそと話している彼らも、俺の視界の中で顔が黒々と塗り潰されていた。
 誰が、一体誰が……俺を殺そうしている乗っ取り犯なんだ……!
 急いで教室に向かう。
 今日はここから出ない。いわば籠城だ。
 うろうろと歩き回るのではなく、立てこもりながら犯人を待つのが手っ取り早い。
 だって敵の目的は、俺を殺すことなんだから。

「おい榊~、エリーニュスってなんだよ。お前、休んでる間に、随分と嗜好が変わったな」

 教室についてすぐ。馬鹿にするように声をかけて来たのは佐々木で、この一週間で大分でかい態度になったんだなと思った。

「神話の画像なんか載せちゃって、知的アピですか?」

 俺のSNSにはそんな画像が載っているんだ、と思いつつ「猿は黙っとけ」と呟くように言えば、「なんだと!」と佐々木は憤ったように足を踏み出した。
 だが、それを―――。

「佐々木くんやめて! 榊くん、病み上がりなんだよ!」
「は……行平?」

 行平が止めた。素っ頓狂な声を上げる佐々木はおろか、教室中が驚いて彼を見る。
 あんなに静かで、おどおどしてて、自分に自信がなさそうだった行平が、人気者の俺を助けた。……だって?

「お、お願いだよ。頼むから、静かにしてあげてくれないかな……?」
「……っぷ、あはははっ! おい榊! お前、惨めだな? 地味男くんに庇われてんじゃん!」

 行平が俺を庇ったことで、佐々木がさらにげらげらと笑った。
 ああ、なんて余計なことを。

「佐々木くん、僕は……っ」
「余計なことすんな!」

 怒鳴るように言えば、行平は肩を揺らして席に着いた俺を見た。

「誰が助けてくれって頼んだかよ……」

 こいつが犯人だったなら、俺をここまで陥れて、そうして救おうとする振りまでして。
 これまでにないほど惨めな思いを俺にさせようとしているんだ。

「偽善者ぶるな! 馴れ馴れしくしやがって、お前と俺は違えんだよ!」

 殺される前に、こいつの背中をずたずたに切り裂いてやるのもいい。
 やられる前にやらなければ、俺が殺されてしまうんだ。
 怒鳴るように告げた俺に向かって、行平が何を思っているかはわからなかった。
 何故ならその表情は他の奴らと同様、真っ黒に塗り潰されていたから。

「結局さ、小野先生は退職、柴山先輩は停学、石川くんは退学になったんだって」
「うわあ、九月呪われてんね。夏休み早々とかえぐすぎでしょ」

 こそこそと話している声が聞こえてきて、俺がいない間に何があったのかを把握する。
 大体のことは玲奈に聞いていたが、クラスメイトからその話が聞こえてくると、やけに現実味が増した。
 俺はずっと、ポケットに入れているサバイバルナイフに手を掛けていた。
 いつ誰が、俺に襲い掛かってもいいように。