「僕と………」
 真壁信二の真剣なまなざしを浴び私は俯き何も答えられなかった。
「僕は今まで君に答えを求めなかった。それは君の気持ちが落ち着いていなかったのもある。そして君が今想い、君の心の中にいる彼の事の存在を思い時間をおいた。実際、僕の気持ちも本当に君に対すものが本当のものかどうかである事をもう一度冷静に考え直す時間も必要だと思った。
 それでも僕の気持ちは変わらなかった。いやむしろ歩実香さん、君に対する想いは強くなっていった。

 歩実香さんの気持ちが今、どう変化しているかは僕にはわからない。それでも僕は君に僕の想いを伝えた」
 静かにピアノの曲が流れ曲が終わる。空白の時間の様な空間が広がる。
 彼、真壁信二の気持ちにはなんの偽りも、そして陰りも感じなかった。ただ………私の事だけ、その一点を見つめ想うその姿があった。

 ゆっくりとピアノの鍵盤がたたかれた。
 この曲………「ノクターン」静かな旋律が空気を変え始める。

「先生はあの時『フェアじゃない』と言いました。フェアじゃないその言葉は先生ご自身に向けて言われたんだと思います。でも本当にフェアじゃないのは………私の方。
 私はあの時、あなたを……手に届く温もりを、近くに寄り添う支えがほしかった」
 彼はにっこりと微笑んで
「解っているよ」とだけ答えた。
「それでも………」
「そう、それでも僕は君の事を愛してしまったんだよ。フェアじゃないのはお互い様さ」
 ハッキリとさせないといけない
「先生……す、済みません。私、先生の気持ちお受けできません。先生には今まで本当にいろんなことでお世話になりました。本当なら、私は断ることは出来ない。いいえ、お断りする理由も無いのかもしれません。

 でも、私の中には彼がいます。

 決して消える事のない彼への想いが私にはあるんです。

 本当に申し訳ありません。

 深く頭を下げ、真壁信二の申し出を断った。

「そうか……」一言つぶやくような小さな声で言い
 手元のワイングラスを持ち上げ一気に飲み干した。

「これで2敗だな、まいったなこりゃ」
 少しはにかみ照れ臭そうに言う。
「でもさぁ、解っていたんだ。僕のプロポーズは断られるってね。君がこんなにも元気になれたのは彼への気持ちと君自身の気持ちがまた寄り添うことが出来たからじゃないかって思っていたからね。歩実香さんと確か杉村将哉君て言ったけ、君の彼氏。本当に入り込むことが出来ないくらい想いあっているのも知っていた。それでも………僕に1パーセントでも望みがあるのなら、僕はそれにかけたかったんだ。

 ごめん、君を惑わす、いやまた苦しめるようなことをしてしまって」

「いいえ、そんな事。本当は真壁先生に感謝しているんです。私が自分を見失った時にいつも寄り添ってくれて、いつも私を励ましてくれていた。そして私がこうして自分にもう一度向き合えるようになれるきっかけをくれたんですもの」

「自分で自分の首を絞めてしまったか」
「そ、そんな……」
「解った。でも、一つだけ僕の願いを訊いてくれるかな?」
「ね、願いですか?」
「うん、これからも君をモデルに写真を撮りたいんだ。もちろんモデル料はちゃんと払うよ。それにいらぬ想いも無しにね」
「モデルですか……先生は本当に写真が好きなんですね」
「ああ、本当は僕は医者にはなりたくなかった。出来れば写真家としてこの世界をファインダーを通して見てみたかった。まだ夢を捨てた訳じゃないんだ。今度、個展も開くんだ。ぜひ君にも来てもらいたい。

 そして……恋人なんかじゃなくていい。今度は僕を支えてくれる最も親しい友人として僕と繋がっていてほしい」


 そして僕は……君の幸せな姿を撮り続けたい


 彼はそう言ってくれた。
 涙がこぼれた。私のこの荒れ果てた心にようやく芽出た新芽。その新芽を守ってくれる人がもう一人いる事に……

 私はまた歩みだせるんだ。

 また……将哉と一緒に……私は歩みだす。



 12月の中旬が過ぎ、もうじきクリスマス……
 今年は始めに雪が多かったせいだろうか、例年クリスマス寒波がやってくるこの時期、秋田の空は穏やかだった。

 道路の雪も解け、まるで春が来ているかのような錯覚さえ感じさせる陽気
 街にはクリスマスのイルミネーション、そして秋田駅前広場には飾りつけされたクリスマスツリーがやわらかな陽の光を浴びていた。
 夜になればイルミネーションが輝きだし幻想的な雰囲気を味わえるんだろう。
 東京にいた頃を思い出していた。
 将哉と一緒にこの季節この時期に、あの街の光の中に包まれ二人で一緒に歩いたことを。
 この陽の光に誘われるように平日でも行きかう人はいつもより多い。
 懐かしさが込み上げてくる。
 多分すぐに戻ってこないだろう。
 将哉にメッセージを送った。

「クリスマスプレゼントなにがいい?」

 一言、たった一言のメッセージ。返事はすぐには来ない。解っている、将哉が今必死に頑張っている事、すぐに返事帰ってきたら

「何さぼってんの……笹山先生に連絡するわよ」て送ってやるつもりだった。

 今日は仕事は休み、そして明日も休み。
 朝、急いで仕事に出かけたお母さんを見送った。
 お父さんが亡くなり、数年間気丈に振る舞うお母さんのその姿を見て来た。
 仕事に向かうお母さんの後ろ姿

 母は強い人だと思えた。いいえ、親は強くなければいけないんだと、あの年々年老いていく母の後姿をいつまでもこの目で追っていた。
 いずれ私も、母の様に、私を育ててくれた両親の様に……なりたい。

 ぶらりと歩く街の中。
 至る所に雪が残る千秋公園の桜並木。桜の枝には花は咲いていない。でも……いくつもの小さなつぼみが、北の国の遅い春の日差しを待っている。厳しい冬を乗り越えるために、硬い殻をまとい、その花を春に咲かせようと頑張っている。

 まるで私自身を見ているようだった……


 裏路地の交差点
 歩行者用の信号は、青に変わった。

 そんなに道幅が広くない道路
 向こう側には小さな女の子がいた。ピンクのスノージャンパーに赤いマフラー、そして白いボアの手袋。
 日差しが注いでいても小さな子供にとっては冬の最中
 赤いマフラーが私の目につく
 将哉をあの塾の玄関前で待っていた時、私も真っ赤なマフラーをしていたことを懐かしむように思い出した。

 一瞬とは、どういう時間の流れをしているのだろうか
 私にはまるで何枚もの写真がめくられて見えるように感じた。

 横断歩道を渡る小さな女の子
 私の顔を見てにこっと微笑んだ。

 そして、その子の右側から来る冷たい黒い影の塊。
 あの時、事故を起こした時の光景が一枚、一枚写真を見ているかの様に浮かんでくる。

 躰は動いていた。

 歩行者信号はまだ青のままだった。

 泣き叫ぶ小さな女の子の声
 かん高い鳴き声が聞こえてくる。無事だったんだ……
 あの鳴き声、私の小さい時の泣き方と同じ……
 幼い子の泣き方は声を張り上げ、躰からその泣く力を出す。泣いている、泣いているかん高い声で……
 泣けている、あの子は大丈夫……

 赤いマフラーが次第にかすんでいく。
 赤い血が冷たいアスファルトに流れ出し私の体にまとい始める。
 女の子の鳴き声が遠くに感じ始めた。

 何だろう、写真を……アルバムをめくっているような残像が次第に薄れていく。
 人の声、街のざわめきが静かになっていく。

 私はどうしたんだろう。
 躰は……私は………

 将哉の姿が瞼の奥に浮かび上がる。
 私を呼んでいた
 何度も何度も将哉が私を呼んでいた。

 将哉、将哉………

 将哉と一緒に歩いた昭和記念公園
 人ごみの中、はぐれない様にしっかりと手を繋いで観に行った東京の夏花火。

 花火………

 初めて二人で見た。

 あの大曲の花火

 二人で歩んできた。二人で進んできた。

 将哉、綺麗だったね。
 あの大曲の花火………

「大きな夜空に咲く………はなび………」

 ごめんね、もう一緒に……私、一緒に


 ごめんね…………将哉