人の命は燃えゆく時に何かを伝えようとするのだろうか。
たとえその命を消えさせたくなくとも消えねばならぬ時、その光を最後に輝かせようとするのだろうか。
僕と彼が話をしたのは、ほんの数分前の事
「またな将哉先生」
それが彼、田島尚《たじまなお》君との最後の会話だった。
「笹山先生、CCU田島尚さん……コード・ブルー(急変)です」
笹山医師はその連絡を受け取るなり再びCCUへ駆け出す。
尚君のベッドのわきにある心電図モニターは異様な音を立てまくり、ベッドの上で「はっ、はっ、……」とむねを抑えながら今にでも止まりそうな息をしている尚君の姿が目に入った。
ハートラインのモニター波形は不規則な形でしかも微弱な波を描いている。
笹山医師は尚君の胸を開け心音を聴く
「すぐに心臓外科に連絡、緊急オペの連絡を」
看護師が慌ただしく連絡を取りこの空間の空気が一瞬にして変わり、緊張が走る。
「後、ご両親にも連絡をしてください」
そして笹山医師は一言
「限界を超えた……」
尚君はベッドごとオペ前室へと運ばれた。
「笹山先生、尚君は……尚君はどうなんですか」
「…………」
グッと歯を食いしばり、両手を強く握り
「心不全を起こしている。もう……た、助からんかもしれない」
「そ、そんな……、ついさっきまで、ほんの今さっきまであんなに元気に話していたのに。大好きなサッカーまたやりたいって……あんなに言っていたのに」
笹山医師はぐっと口をつむぎ上を向いた
「私もオペに入る。杉村、お前は……」そう言い残し笹山医師はオペ準備室へと消えた。
そして駆け足で近づく二人の姿。尚君のご両親だった。
二人は僕の前を風が横切るかのように通り過ぎて行った。
今日はとても天気のいい日だった。
やわらかな秋の日差しに頬をさする様な優しい風が吹く穏やかな日だった。
ブラウインドの隙間からその日差しがオレンジ色の光に輝き、ベッドにそそがれる。
今日、このベッドにいた田島尚君がいたベッドへ。
今はそのベッドには夕日の光だけがそそがれている。
光だけが、そのベッドに入り込んでいた。
誰もいない、そのベッドに……
僕はただ、そのベッドの前でそそがれるオレンジ色の光を見つめていた。
自然と瞼から涙がこぼれ始める。
何も出来なかった。僕は本当に何もしてやることが出来なかった。
せめて……せめて……何か一つでも尚君に出来る事をしてあげたかった。
出来る事なら……もう一度、グラウンドを思いっきりボールを追いながら走る君の姿をこの目で見たかった。
「あーサッカーまたやりてぇ」
彼のあの声が聞こえてくる。
「ああ、出来るさ、きっと……諦めなければきっと……きっと出来るさ」
……杉村
笹山医師が僕に声をかけた
「田島尚君、もうすぐ退院されるそうだ。それとお母さんがお前に話があるらしい」
ある個室のドアを開けるとそのベッドに見慣れた尚君の姿があった。
深々と頭を下げご両親に挨拶をした。
「あの……杉村先生ですか?」
母親が静かな声で僕の名を呼んだ。
「はい」
小さな声だった。
「杉村先生、ありがとうございました。あなたが尚の担当になってから、この子杉村先生のことばかり話しするんですよ。俺が今まで見て来た研修生の中で一番怒られている研修生の先生だって」
「そうでしたか……」
「ごめんなさい、そんな意味で言った訳じゃないんです。あの子、あなたの怒られている姿を見て何度も怒られてもへこたれないで怒られまくっているその姿、自分がサッカーやっている時に監督から怒られているの思い出していたようなんです。多分、尚も嫌になるくらい怒られていたんですよね。でも、この子怒られれば怒られるほどサッカーにのめり込んで行くようになった。なんだか杉村先生見ていると自分を見ているような気がするって言っていました。だから自分もがばらないとって……杉村先生に負けてなんかいられないって、こんな病気なんかに負けるもんかって……」
尚君のその安らかな顔を見つめながら僕に語ってくれた。
「……でも、僕は、僕は……尚君に何もしてあげれなかった」
下をうつむき両手を力いっぱい握り込みながら言った。
「いいえ、それは違うわ。あなたは、杉村先生は、この子に、尚に寄り添ってくれた。どの先生達よりも一番杉村先生は寄り添ってくれた。それだけで、この子はどれだけ救われたんでしょう」
「だから……ありがとうございます。杉村先生」
尚君を乗せた車が病院から出るとき、笹山医師と僕は深く頭を下げ、この病院からようやく帰ることが出来る自宅へ向かう尚君に別れを告げた。
その時笹山医師が言った。
「杉村、忘れるな。この気持ちを……。助けることが出来なかったこの悔しさを。実際私たちも何も出来なかった。何もしてあげることが出来なかった。だからこそこの悔しさを医者は忘れてはいけないんだ。
『医者は人であれ、機械ではない。人の命の尊さが解るからこそ……医者は医者でいられる事を……」
僕はこの時、医者になる事の尊さを、いや医者と言う今まで持っていた概念を切り捨てられたような気がした。
僕はなぜ、医師を目指したんだろうか?
あの時、高校2年のあの時僕は医者になる事を決め、好きだったバスケも辞めその目標だけに進んでいった。
でも、今、僕は思う。どうして僕は医師になろうとしたんだろうと……
心の中に何か解らない小さな穴の様なものが開いた気がした。
「杉村、今日は帰宅しろ。明日は休みだ。今日は早く帰って寝ろ……今のお前に必要なのはとことん寝る事だ。解ったな……杉村」
「はい……」
少し感情をむき出したような言葉。初めて訊く彼女の悔しさと苦しさを現したような声だった。
彼女はいつも束ねていた髪をほどいていた。医師としてではなく笹山ゆみとして一人の人として尚君を見送ったのだ。
垂れ下がる長い髪の先から一滴の涙がこぼれているのを僕は静かにこの目にした。
その日僕はそのまま帰宅した。
医者になると言う事は人の死に一番近い位置にいなければならない。そんな事解りきっていた事なのに。
なのに、この苦しみは何だろう。
前に歩実香が言っていた
幼い患者の命を繋ぐことが出来なかった医師の事を……
彼は・・・その医師はまた一つ重い何かを背負ったようだったと……
その重さがどれだけのものかはその時は分からなかった。
今でも僕は多分解ってはいないだろう
人の命を託される重圧感……
目を閉じれば今日僕の目に残像の様に移りだす田島尚君のあの顔が浮かび上がる。
あの笑顔がもう二度とみられない。そんな事ってあるんだろうか。
でも、現実に彼のあの笑顔を見る事はもう二度とないことを僕は、僕は流れ出す涙に教えてもらった。
僕が初めて立ち会った臨終の場
それはあまりにも未来を残し過ぎたある少年の想いを直接受けたものだった。
未来、それは希望ということばにも変えることが出来るのだろうか。
希望を失った人生は未来を描くことは出来なく無くなるのだろうか。
僕が医師を目指した理由
本当に僕は医者として希望を持った人生を築き上げることが出来るのだろうか
あの時受けた小さな心の穴は僕を苦しめた。
本当の僕の姿を僕は……見えていない、いや、見ようとはしていなかったのかもしれない。
これから僕が向かう先にはこんな事ばかりしかないんだろうか。
そして僕の支えとなる歩実香に大きな変化が襲いかかる事すら今の僕には予知することさえ自分に余裕がなかった。
離れていても、どんなに離れていても僕らはいつも繋がっているものだとばかり信じていた。
その糸が今切れようとしている事させ、僕は知らなかった。
たとえその命を消えさせたくなくとも消えねばならぬ時、その光を最後に輝かせようとするのだろうか。
僕と彼が話をしたのは、ほんの数分前の事
「またな将哉先生」
それが彼、田島尚《たじまなお》君との最後の会話だった。
「笹山先生、CCU田島尚さん……コード・ブルー(急変)です」
笹山医師はその連絡を受け取るなり再びCCUへ駆け出す。
尚君のベッドのわきにある心電図モニターは異様な音を立てまくり、ベッドの上で「はっ、はっ、……」とむねを抑えながら今にでも止まりそうな息をしている尚君の姿が目に入った。
ハートラインのモニター波形は不規則な形でしかも微弱な波を描いている。
笹山医師は尚君の胸を開け心音を聴く
「すぐに心臓外科に連絡、緊急オペの連絡を」
看護師が慌ただしく連絡を取りこの空間の空気が一瞬にして変わり、緊張が走る。
「後、ご両親にも連絡をしてください」
そして笹山医師は一言
「限界を超えた……」
尚君はベッドごとオペ前室へと運ばれた。
「笹山先生、尚君は……尚君はどうなんですか」
「…………」
グッと歯を食いしばり、両手を強く握り
「心不全を起こしている。もう……た、助からんかもしれない」
「そ、そんな……、ついさっきまで、ほんの今さっきまであんなに元気に話していたのに。大好きなサッカーまたやりたいって……あんなに言っていたのに」
笹山医師はぐっと口をつむぎ上を向いた
「私もオペに入る。杉村、お前は……」そう言い残し笹山医師はオペ準備室へと消えた。
そして駆け足で近づく二人の姿。尚君のご両親だった。
二人は僕の前を風が横切るかのように通り過ぎて行った。
今日はとても天気のいい日だった。
やわらかな秋の日差しに頬をさする様な優しい風が吹く穏やかな日だった。
ブラウインドの隙間からその日差しがオレンジ色の光に輝き、ベッドにそそがれる。
今日、このベッドにいた田島尚君がいたベッドへ。
今はそのベッドには夕日の光だけがそそがれている。
光だけが、そのベッドに入り込んでいた。
誰もいない、そのベッドに……
僕はただ、そのベッドの前でそそがれるオレンジ色の光を見つめていた。
自然と瞼から涙がこぼれ始める。
何も出来なかった。僕は本当に何もしてやることが出来なかった。
せめて……せめて……何か一つでも尚君に出来る事をしてあげたかった。
出来る事なら……もう一度、グラウンドを思いっきりボールを追いながら走る君の姿をこの目で見たかった。
「あーサッカーまたやりてぇ」
彼のあの声が聞こえてくる。
「ああ、出来るさ、きっと……諦めなければきっと……きっと出来るさ」
……杉村
笹山医師が僕に声をかけた
「田島尚君、もうすぐ退院されるそうだ。それとお母さんがお前に話があるらしい」
ある個室のドアを開けるとそのベッドに見慣れた尚君の姿があった。
深々と頭を下げご両親に挨拶をした。
「あの……杉村先生ですか?」
母親が静かな声で僕の名を呼んだ。
「はい」
小さな声だった。
「杉村先生、ありがとうございました。あなたが尚の担当になってから、この子杉村先生のことばかり話しするんですよ。俺が今まで見て来た研修生の中で一番怒られている研修生の先生だって」
「そうでしたか……」
「ごめんなさい、そんな意味で言った訳じゃないんです。あの子、あなたの怒られている姿を見て何度も怒られてもへこたれないで怒られまくっているその姿、自分がサッカーやっている時に監督から怒られているの思い出していたようなんです。多分、尚も嫌になるくらい怒られていたんですよね。でも、この子怒られれば怒られるほどサッカーにのめり込んで行くようになった。なんだか杉村先生見ていると自分を見ているような気がするって言っていました。だから自分もがばらないとって……杉村先生に負けてなんかいられないって、こんな病気なんかに負けるもんかって……」
尚君のその安らかな顔を見つめながら僕に語ってくれた。
「……でも、僕は、僕は……尚君に何もしてあげれなかった」
下をうつむき両手を力いっぱい握り込みながら言った。
「いいえ、それは違うわ。あなたは、杉村先生は、この子に、尚に寄り添ってくれた。どの先生達よりも一番杉村先生は寄り添ってくれた。それだけで、この子はどれだけ救われたんでしょう」
「だから……ありがとうございます。杉村先生」
尚君を乗せた車が病院から出るとき、笹山医師と僕は深く頭を下げ、この病院からようやく帰ることが出来る自宅へ向かう尚君に別れを告げた。
その時笹山医師が言った。
「杉村、忘れるな。この気持ちを……。助けることが出来なかったこの悔しさを。実際私たちも何も出来なかった。何もしてあげることが出来なかった。だからこそこの悔しさを医者は忘れてはいけないんだ。
『医者は人であれ、機械ではない。人の命の尊さが解るからこそ……医者は医者でいられる事を……」
僕はこの時、医者になる事の尊さを、いや医者と言う今まで持っていた概念を切り捨てられたような気がした。
僕はなぜ、医師を目指したんだろうか?
あの時、高校2年のあの時僕は医者になる事を決め、好きだったバスケも辞めその目標だけに進んでいった。
でも、今、僕は思う。どうして僕は医師になろうとしたんだろうと……
心の中に何か解らない小さな穴の様なものが開いた気がした。
「杉村、今日は帰宅しろ。明日は休みだ。今日は早く帰って寝ろ……今のお前に必要なのはとことん寝る事だ。解ったな……杉村」
「はい……」
少し感情をむき出したような言葉。初めて訊く彼女の悔しさと苦しさを現したような声だった。
彼女はいつも束ねていた髪をほどいていた。医師としてではなく笹山ゆみとして一人の人として尚君を見送ったのだ。
垂れ下がる長い髪の先から一滴の涙がこぼれているのを僕は静かにこの目にした。
その日僕はそのまま帰宅した。
医者になると言う事は人の死に一番近い位置にいなければならない。そんな事解りきっていた事なのに。
なのに、この苦しみは何だろう。
前に歩実香が言っていた
幼い患者の命を繋ぐことが出来なかった医師の事を……
彼は・・・その医師はまた一つ重い何かを背負ったようだったと……
その重さがどれだけのものかはその時は分からなかった。
今でも僕は多分解ってはいないだろう
人の命を託される重圧感……
目を閉じれば今日僕の目に残像の様に移りだす田島尚君のあの顔が浮かび上がる。
あの笑顔がもう二度とみられない。そんな事ってあるんだろうか。
でも、現実に彼のあの笑顔を見る事はもう二度とないことを僕は、僕は流れ出す涙に教えてもらった。
僕が初めて立ち会った臨終の場
それはあまりにも未来を残し過ぎたある少年の想いを直接受けたものだった。
未来、それは希望ということばにも変えることが出来るのだろうか。
希望を失った人生は未来を描くことは出来なく無くなるのだろうか。
僕が医師を目指した理由
本当に僕は医者として希望を持った人生を築き上げることが出来るのだろうか
あの時受けた小さな心の穴は僕を苦しめた。
本当の僕の姿を僕は……見えていない、いや、見ようとはしていなかったのかもしれない。
これから僕が向かう先にはこんな事ばかりしかないんだろうか。
そして僕の支えとなる歩実香に大きな変化が襲いかかる事すら今の僕には予知することさえ自分に余裕がなかった。
離れていても、どんなに離れていても僕らはいつも繋がっているものだとばかり信じていた。
その糸が今切れようとしている事させ、僕は知らなかった。