鳴り響く救急車のサイレンの音
体 全身に痛みを感じる。薄っすらと見える救急隊員の人の影そしてこだまするように何度も遠ざかる声の音

「解りますか?」
声を出そうにも声が出ない
今自分がどうなっているのかさえ分からない。私は今どうんな姿でいるのだろう。
ただ聞こえてくるのは……彼のあの優しい声が私の頭の中で何度も何度も囁《ささや》く
「歩実香、歩実香」……と
おぼろげに浮かんでは消えゆく彼の姿。
将哉、どうして消えるの将哉……消えないであなたの姿は私から消える事は無いんだから……

救急車のサイレンの音が止まった。ゴトン、ゴトンと体が揺さぶられる感じ。
どこかの廊下を私は流れるように運ばれる。
「辻岡さん、辻岡さん」何度も私に呼びかける声がする。
ここは何処?
「歩実香」泣き叫ぶように私の名を呼ぶ人。薄っすらと見える秋ちゃんの顔。
制服姿の彼女の姿。ここは病院?
私は……搬送されている……

いち、に、さん。
「辻岡さん服切りますね」
「ライン取れました」
「心拍87、血圧120の70」
私を診察する医師が思わず声を出す「これは酷い」
私の体は至る所に青あざが残されていた。
CT
そんな言葉が耳に入る。
慌ただしくそれでも的確に指示とその指示に背《そむ》くことなく動く人たち。
私のいる病棟の動きとは違う動き方
体が痛いどこかは分からないけど体が痛い……ただ今はその痛みに耐えるのに精一杯
声を出そうにも声なんか出せない。
痛みと……痛みと次第に湧き上がる恐怖
ドクン、ドクン、と心臓が鼓動する度その恐怖は痛みをも支配し始めて来た。
「うん、 内臓の方は大丈夫そうだね。頭部の方も幸い軽い打撲程度の様だ」
内臓、打撲……私はどうしたんだろうか?
また事故を起こしたんだろうか……
いいえ、今日は私は車は運転していない。
それならどうして、私は、わたしは、私の意識はゆっくりと静かに落ちて行った。


「今日も忙しいのに時間をつくってもらって済みません」

「なぁに僕は時間はいくらでも取れるからそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
真壁信二、彼との食事は今や日常化していた。

「でも先生、どうして私とこんなにも付き合ってくれるんですか?」
「どうしてって、君と一緒に食事をしたり他愛もない話をするのが楽しいからだよ」
「そんなこと言って、本当は下心ありありなんじゃないんですか」
「あ、やっぱわかる。そう僕も一介の男だからね。こんなにも美人の彼女を持てたならほんとに幸せだと思っているよ」
「ほぁら、やっぱり本性を表してきた」
「あははは、やっぱりわかっちゃっタ。なんてね、冗談だよ。君が少しづつ元気になっていく姿を見るのが僕にとって今は何だろう……楽しいと言うのかな、主治医として経過観察も兼ねていると言ったら職権乱用になるかなぁ」
「そんなぁ」
「でもね本当の所は君に感謝しているんだよ」
「私に感謝ですか?」
「そう君に感謝してるんだ」
「どうして?」
「まぁ、初めはかなり強引だったけど、君とこうして接点を持てるようになって僕の気持ちもそして病院でみんなが僕を見る目が変わってきてくれたからさ。ついこの間までは君たちナースの間では真壁信二には気を着けろ。あいつは平気で婚約者を裏切る酷い奴だって思われていたんだろ。それが今はどうだい、そんな噂なんか誰一人口にするような人はいなかくなったし、第一、僕に対する接し方が物凄く変わってきてくれたんだ。そのおかげかもしれないけど今は物凄く仕事にも打ち込めるし充実しているんだ。そしてプライベートにもね」
「先生のプライベート?」
「そ、プライベート。僕はこうやって君と話せるようになってようやく気が付いたんだ。僕自体が心身症に陥っていた事にね。心療内科いわば精神分野を専攻している割に自分の事は何も解っていなったていう事にね」
「先生が心身症ですか」
「ああ、僕は彼女、そう結婚を前提に付き合っていた彼女と別れた時、本当の自分の気持ちを閉じ込めてしまっていたんだ。本当は僕はあの時、物凄く傷ついていたんだ。それを自分は傷ついてはいないと自らその想いを封じ込めた。本当は僕はあの時、もっと自分に素直であるべきだったんだと思う。怒りや悲しみそんな思いを僕は封じ込めずにさらけ出して全部出してしまえばよかったんだ。そうすれば今まで僕は彼女の事をここまで引きずることはなかったんじゃないのかな」
表に出さない。いいえ出せない気持ち。それを自ら封じ込める。
私と同じ
「じゃ、先生も私と同じだったと言う事ですか?」
「まぁねそいう事になるのかなぁ」
「なぁんだそれじゃ私を診察しながら自分も診察していたっていう事でしょ。やっぱりそれって職権乱用じゃないですか」
「やっぱりそうか?」
「そうですよ」
「はぁ、やっぱりそうか。これじゃ医師失格だな」
「ですね。でも彼が言っていました。ある指導医から医者である前に人であれってね」
「医者である前に人であれか……なんだか胸が痛いね。君の彼、将哉君凄くいい指導医の下で研修を行えているんだね。医者も一人の人間なんだ。来院してくる患者さんと同じ、僕らは神でもなんでもない、ただ少しばかりその知識があるだけに過ぎない、そして医療と言う行為を行ってもよいと言う免除を持っているに過ぎないただの人だからね」
「でもそれってすごい事なんですよ先生」
「確かにタダで手に入るものじゃないからね。膨大な知識を習得するその時間と労力、並大抵の事では出来ない事だと思うよ。そこに今僕はいる。だからこそさっきの言葉は胸に響く。僕も一人の人間、人でありたいと」
「一人の人間ですか……」
「ああ、一人の人間として僕もようやく恋をしたいと思う様になったていう事さ」
「ええ、先生恋してるんですか。……わ、私じゃないですよね」
「あははは、安心しな、君じゃないよ。君に恋心を持たなかったと言うと嘘になるけど、僕がいくら君を愛しても君は僕を愛することはない事は解っているからね。だから僕は君とは良き友達でいてほしいと思うんだ。お互いのこれからの幸せを見せあい合えるようなそんな友達」
真壁先生は少し照れている様だった。ちょっとカッコイイかもと思う私の心が弾んでくる。
でも、それはこの人を愛すると言う事には変化はしない事は解っている。
お互いに、そう……分かり合える同じ気持ちを持ち、同じ苦しみ分ち合える友達として、支え合える人だと言う事に

帰りに
「今日はタクシーで近くまで送って行くよ」
そう言ってくれた。でも今日は……今日は一人で帰りたかった。気持ちは物凄く良かった。何か今まで重くのしかかっていたものが少しづつ時離れていくのを実感できた日の様だった。
途中で何か将哉にプレゼントも買いたかった。
寒くなって来たこの季節、将哉の事だからまた去年と同じコートを羽織るんだろうな。
そんな事を想いながら街の明かりに照らされる自分の影と共に将哉に似合いそうなコートを探し歩いた。その時間があの時の私の幸せな時間《とき》として刻まれていく。
離れ離れになっても、例え離れていても心は寄りあえる。
将哉を想う心があれば……どんなに辛くても乗り越えていける。そう彼に出来る事を私は私の想いのまま行えばいい。そう、将哉も将哉の出来る事を今頑張ってくれるだけで私は幸せなんだ。
私は将哉がいるからどんなに苦しくても耐えていける。
私の存在は将哉のためにあるから

片手に将哉に送るコートの入った袋を手に私の心は一歩、歩くごとに軽くなっていくような気がする。
彼に出来る事そう私にしか出来ない事を……私は支え、支えられている事の喜びをかみしめながら、秋風の吹く街の中を歩いていた。
少しづつ頬を指す風は冷たさを増している。
秋の風が私の髪を少したなびかせた。
先行くむこうに街の明かりが、大きな影を作り出した。
私の影もその大きな黒い影の中に飲み込まれていく。

その影に飲み込まれた時私のすぐわきに一台の車が急停車した。
一瞬だった……
車から降りて来た黒い影に私は口をふさがれ殴られた。
意識が遠くなる……
無理やり私のバッグを剥ぎ取ろうとするその黒い影
そしてさっき買ったばかりの将哉に送るコートに手をかけた時。私は反発した。このコートは私の大切な人のための物。
誰の手にも触れる、触れさせることは嫌だ
反抗する私の体をその黒い影は蹴り上げ殴り上げた。それでも必死に私はそのコートを守ろうとした。

「誰か……助けて」

大声で叫ぶ声はビルの狭間にこだまする。
そのまま車に押し込まれた
もうろうとする意識の中、私の衣服は剥がされた。

今何が起こっているのか解らない。理解が出来ない。ただ私の躰にかぶさりのしかかる黒い影だけが私の消えゆく意識の中でかすかに感じることが出来た。

「いやー……嫌だ。嫌だやめて助けて……いっ……や……だ……」
抵抗する力も尽き果て、もう躰は言う事を効かない。
まるで悪夢を見ているかのように時間は私に暗闇の影の時を落とした。

見知らぬ場所に私の躰は物の様に投げられる。

冷たい風が物となった私の躰をつけぬけた。
ぽつり、ぽつりと黒い空から冷たい涙の雫が落ちはじめ、私の心に染み込ませた。
雫は私の心を壊し始めた。
ようやく明るい光がまた差しかけていた私の心を冷やし溶かし崩し始めた。

冷たさも、もう苦しさもその時は何も感じなかった。

もう……物となった私の心は……黒く固まってしまった。