いったいあの女性《ひと》は誰だったんだろう。
お母さんより少し年上、でも綺麗な目と、整った顔立ち。そしてどこか貴賓のある面影。
何となくここ秋田にいるような女性《ひと》じゃない様な気がする人。
こっちの人とは何かが違うそんな雰囲気を感じる人。
昨日、初めて会ったのに、初めてじゃない様な。どこかであっていたかのような人。
もしかしたら私が解らないだけで……多分、それはないと思う。
次の日私はまたいつものあの場所で時間を潰した。
待っていたわけじゃないけど、あの女性《ひと》は来なかった。
「来るわけないよね。いつもいるのはここの看護師さんと先生達、それと入院している人達だけなんだもん」
でも、あの時別れ際にあの女性《ひと》は言った。
「また今度逢いましょう」って……
何処の誰かは分からないけど、
そうどこの誰かはわからない人でも初めて出会ったときから……なんだろう。とても懐かしい想い。そして今まで心の中のどこかで引っかかっていた苦しい想いを、忘れることは出来ないけど何かに包んでくれるようなそんな気がする女性《ひと》
何となくお母さんの香りがする女性《ひと》
お母さん。
私の想いの残り、そして最後にどうして……後悔をしたい。思いっきり後悔をしたい。
でもその後悔をすれば今の私はまた元の私に戻ってしまいそうな気がする。
何もかも……何もかも、すべてを受け入れることの出来ない私に。
◇◇
「もしもし、雅哉です」
「あら、雅哉さんどうしたの」
「先日は病院におこし戴き蒔野さんに面会していただいたそうで……」
「ああ、その件ね」
「それで……」
「それで、その先は?何を期待しての言葉何かしら」
「あ、いやどうだったのかなぁって……」
「何言ってんのよ。ただ一度会っただけなのに、もう結果を求めるわけ」
「そ、そんなつもりはないんですけど、ただ……」
「そうね正直驚いたわ。あの子蒔野さん……歩実香にほんとよく似ていたから。貴方が何となく少し変わってきたのにもうなずける。でも彼女は歩実香じゃない。彼女は蒔野巴美さん。貴方はその事一番い知っているはずよね。それなのにあえてわざと?私にこの話を持ち掛けたのは?」
「………そうです。わざとです」
「僕は償いをしなければいけません。歩実香にも、そしてあなたにも」
「償い……」
「雅哉さん、あなたその償いのために蒔野さんを利用しようとしているの?歩実香によく似た蒔野さんを私の元に、それで償いが出来たととでも思っているの?」
「………そ、それは……」
「もしあなたがそんな気持ちで蒔野さんを紹介したつもりなら……このお話は聞かなかったことに……してくれない。貴方たち医者という立場もわかるけど、あなたはわかってくれていると思っていた。私の気持ちを……そして歩実香の気持ちを……」
あなたは……何も、わかっていなかった………
その言葉を最後に電話は切れた。
しばらく僕は呆然としながらその場に立ちすくんだ。
「あなたは何もわかっていなかった………」
その言葉が僕の耳にこだまする。
僕は……僕は、どうすればいいんだ。
俺は、どうしたら………
握るこぶしに汗がにじみ出る。うまく収まることなんかありはしない。
償い、俺にはそんな言葉以上の事をしなければいけない。
出来ることならばこの命、歩実香のためならこの命なんかいらない。
誰のためにある命なんだ俺の命は……
俺のためじゃない、自分のための命なんかじゃない。俺のすべては歩実香のためにあるのだから。
歩実香のために……
◇◇
あれから数日が経った。
あの女性《ひと》は来ない。
毎日のように私はあの場所に足を運んでいた。
今日は雨、それは曇り陽の光りはこの窓ガラスを照らしてはいない。
もう空から落ちる白い雪はその姿をひそめているようだ。3月に入り辺りはまた白一色からいろんなものが見え始めていた。
今まで白い雪のベールで包まれていた木々に焦げ茶色をした土の色。
コンクリートの上にはその汚れがちいさな流れをつくりどこともなく流れ去っていく。
見えていなかったものが見えるようになる季節。
これが現実の世界。
雪はその現実の世界をすべて隠してしまう。都合のいいように……
私と同じように現実の世界を隠そうとしている。
これが現実……そしてこれが私なんだ。
窓辺に降り落ちる雨の雫を目にして
私は地にたたきつけられる雫の様だと思った。
何度も何度もたたきつけられながら形を変え流れ消えていく。
私の人生、私の将来、もうそんなものはどうでもいい。
行く先もない。治る見込みもないこの状況。
不安と恐怖心だけが私をいつも襲う。
もう沢山だ……もう疲れたよ
お母さん。
私が生きることに何の意味がるのだろう。
なぜ私は生きているんだろう。
どうして、私は……生きなきゃ、いけないの
お母さん、迎えに来て……謝りたい。そしてまた一緒に暮らしたい。
お母さんと一緒に……あの日の日々の様に
雨は激しさを増していた。
外の景色は汚れてきたない。汚い、汚い……
綺麗な景色が見たい。
広くどこまでも続く海の色。防波堤に上がると私の髪をたなびかせる潮風
青い空、どこまでも続く海の広さ
私は、私はあの海の、あの広い海に私を捨てに行っていたんだ。
私の捨てた物……
海……
潮風……
青空……
足は勝手に動いた。
病棟から階段で一階づつ下に降り、ホールをまっすぐ進んで玄関を出て外に出た。
雨は止んでいない。振り仕切る3月の冷たい雨の中、私はまっすぐに歩いた。
海を目指して
海なんかどこにあるかなんてわからない。
でも私はただ歩いた。スリッパに雨水がしみ込んでいく。
患者衣は雨に濡れ裾から雫がたれ始めていた。髪は濡れ、目はだんだんとかすんでいった。でも足だけはしっかりと動いている。
海、私が私を捨てに行ける場所はあの海しかない。
私は私を捨てに海に向かった。
何もわかっていない。
その意味すらも今の俺には解らない。
どうすればいいんだ……
どうすれば。
その時病棟から連絡が入った
「杉村先生、蒔野さんが……蒔野さんの姿がどこにもいないんです」
急ぎナースステイションにむかった。
看護師たちは総出で彼女を探していた。
「さっき下のホール玄関から病衣を着た若い女の子が外に出たのを見た人がいました」
それを聞き、俺は有無を言わさず外に出た。
正面玄関の外で大声で叫んだ
「蒔野さん、蒔野さん、蒔野……巴美、巴美」
ふりしきる雨の中走った。
電話で警察に捜索願いを要請させた。
今の彼女の体力ではそんなに遠くには行けまい。現金は持っていいないはず。だとすれば必ずこの近くにまだいるはずだ。
俺は病院を出て彼女を探し走った。振りしきる雨の中、冷たい雨の中俺は必死に巴美を探した。
もう……失うのはいやだ。
これ以上、俺の……俺のたいせつなひとを失うのはいやだ
「ねぇ、さっきの子。病院から抜け出してきたんじゃない」
「そうよね。だってあれって入院している人が着ているのじゃなかった」
その声に
「すみません。その子どこらへんで見かけましたか?」
すれ違うその女性たちに声をかけた。
「ああ、ちょうどあの信号を曲がったところだったわよ」
「ありがとうございます」
もうなりふり構わず走った。無事でいてくれ、ただそれだけだった。
信号の角を曲がると、向こうに、離れた向こうに彼女の姿が見えた。
全力で、降りしきる雨の中。その彼女の背を目指し走った。
ふと目に映るその姿は……歩実香の姿に見え始める。
俺がどんなに走って彼女を追いかけても彼女は前に進んでいく、歩実香は前に進んでいく。もう歩実香との俺の距離を埋めることは出来ない。
でも彼女、蒔野巴美との距離は着実に近づいていた。
「ふ、……巴美、巴美」
叫びながら彼女の歩く背を追いかける。
そして彼女の手をつかんだ時、振り返るその姿は……歩実香だった。
「杉村先生……」うわ言のような言葉で俺の名を呼んだ
そして倒れ込むように俺の胸の中に入っていった。
次第に彼女に意識が薄くなり始めたころ
うわごとのように彼女は言う
「和也《かずや》また来てくれたんだ……」
彼女は俺の胸の中で意識を失った。
お母さんより少し年上、でも綺麗な目と、整った顔立ち。そしてどこか貴賓のある面影。
何となくここ秋田にいるような女性《ひと》じゃない様な気がする人。
こっちの人とは何かが違うそんな雰囲気を感じる人。
昨日、初めて会ったのに、初めてじゃない様な。どこかであっていたかのような人。
もしかしたら私が解らないだけで……多分、それはないと思う。
次の日私はまたいつものあの場所で時間を潰した。
待っていたわけじゃないけど、あの女性《ひと》は来なかった。
「来るわけないよね。いつもいるのはここの看護師さんと先生達、それと入院している人達だけなんだもん」
でも、あの時別れ際にあの女性《ひと》は言った。
「また今度逢いましょう」って……
何処の誰かは分からないけど、
そうどこの誰かはわからない人でも初めて出会ったときから……なんだろう。とても懐かしい想い。そして今まで心の中のどこかで引っかかっていた苦しい想いを、忘れることは出来ないけど何かに包んでくれるようなそんな気がする女性《ひと》
何となくお母さんの香りがする女性《ひと》
お母さん。
私の想いの残り、そして最後にどうして……後悔をしたい。思いっきり後悔をしたい。
でもその後悔をすれば今の私はまた元の私に戻ってしまいそうな気がする。
何もかも……何もかも、すべてを受け入れることの出来ない私に。
◇◇
「もしもし、雅哉です」
「あら、雅哉さんどうしたの」
「先日は病院におこし戴き蒔野さんに面会していただいたそうで……」
「ああ、その件ね」
「それで……」
「それで、その先は?何を期待しての言葉何かしら」
「あ、いやどうだったのかなぁって……」
「何言ってんのよ。ただ一度会っただけなのに、もう結果を求めるわけ」
「そ、そんなつもりはないんですけど、ただ……」
「そうね正直驚いたわ。あの子蒔野さん……歩実香にほんとよく似ていたから。貴方が何となく少し変わってきたのにもうなずける。でも彼女は歩実香じゃない。彼女は蒔野巴美さん。貴方はその事一番い知っているはずよね。それなのにあえてわざと?私にこの話を持ち掛けたのは?」
「………そうです。わざとです」
「僕は償いをしなければいけません。歩実香にも、そしてあなたにも」
「償い……」
「雅哉さん、あなたその償いのために蒔野さんを利用しようとしているの?歩実香によく似た蒔野さんを私の元に、それで償いが出来たととでも思っているの?」
「………そ、それは……」
「もしあなたがそんな気持ちで蒔野さんを紹介したつもりなら……このお話は聞かなかったことに……してくれない。貴方たち医者という立場もわかるけど、あなたはわかってくれていると思っていた。私の気持ちを……そして歩実香の気持ちを……」
あなたは……何も、わかっていなかった………
その言葉を最後に電話は切れた。
しばらく僕は呆然としながらその場に立ちすくんだ。
「あなたは何もわかっていなかった………」
その言葉が僕の耳にこだまする。
僕は……僕は、どうすればいいんだ。
俺は、どうしたら………
握るこぶしに汗がにじみ出る。うまく収まることなんかありはしない。
償い、俺にはそんな言葉以上の事をしなければいけない。
出来ることならばこの命、歩実香のためならこの命なんかいらない。
誰のためにある命なんだ俺の命は……
俺のためじゃない、自分のための命なんかじゃない。俺のすべては歩実香のためにあるのだから。
歩実香のために……
◇◇
あれから数日が経った。
あの女性《ひと》は来ない。
毎日のように私はあの場所に足を運んでいた。
今日は雨、それは曇り陽の光りはこの窓ガラスを照らしてはいない。
もう空から落ちる白い雪はその姿をひそめているようだ。3月に入り辺りはまた白一色からいろんなものが見え始めていた。
今まで白い雪のベールで包まれていた木々に焦げ茶色をした土の色。
コンクリートの上にはその汚れがちいさな流れをつくりどこともなく流れ去っていく。
見えていなかったものが見えるようになる季節。
これが現実の世界。
雪はその現実の世界をすべて隠してしまう。都合のいいように……
私と同じように現実の世界を隠そうとしている。
これが現実……そしてこれが私なんだ。
窓辺に降り落ちる雨の雫を目にして
私は地にたたきつけられる雫の様だと思った。
何度も何度もたたきつけられながら形を変え流れ消えていく。
私の人生、私の将来、もうそんなものはどうでもいい。
行く先もない。治る見込みもないこの状況。
不安と恐怖心だけが私をいつも襲う。
もう沢山だ……もう疲れたよ
お母さん。
私が生きることに何の意味がるのだろう。
なぜ私は生きているんだろう。
どうして、私は……生きなきゃ、いけないの
お母さん、迎えに来て……謝りたい。そしてまた一緒に暮らしたい。
お母さんと一緒に……あの日の日々の様に
雨は激しさを増していた。
外の景色は汚れてきたない。汚い、汚い……
綺麗な景色が見たい。
広くどこまでも続く海の色。防波堤に上がると私の髪をたなびかせる潮風
青い空、どこまでも続く海の広さ
私は、私はあの海の、あの広い海に私を捨てに行っていたんだ。
私の捨てた物……
海……
潮風……
青空……
足は勝手に動いた。
病棟から階段で一階づつ下に降り、ホールをまっすぐ進んで玄関を出て外に出た。
雨は止んでいない。振り仕切る3月の冷たい雨の中、私はまっすぐに歩いた。
海を目指して
海なんかどこにあるかなんてわからない。
でも私はただ歩いた。スリッパに雨水がしみ込んでいく。
患者衣は雨に濡れ裾から雫がたれ始めていた。髪は濡れ、目はだんだんとかすんでいった。でも足だけはしっかりと動いている。
海、私が私を捨てに行ける場所はあの海しかない。
私は私を捨てに海に向かった。
何もわかっていない。
その意味すらも今の俺には解らない。
どうすればいいんだ……
どうすれば。
その時病棟から連絡が入った
「杉村先生、蒔野さんが……蒔野さんの姿がどこにもいないんです」
急ぎナースステイションにむかった。
看護師たちは総出で彼女を探していた。
「さっき下のホール玄関から病衣を着た若い女の子が外に出たのを見た人がいました」
それを聞き、俺は有無を言わさず外に出た。
正面玄関の外で大声で叫んだ
「蒔野さん、蒔野さん、蒔野……巴美、巴美」
ふりしきる雨の中走った。
電話で警察に捜索願いを要請させた。
今の彼女の体力ではそんなに遠くには行けまい。現金は持っていいないはず。だとすれば必ずこの近くにまだいるはずだ。
俺は病院を出て彼女を探し走った。振りしきる雨の中、冷たい雨の中俺は必死に巴美を探した。
もう……失うのはいやだ。
これ以上、俺の……俺のたいせつなひとを失うのはいやだ
「ねぇ、さっきの子。病院から抜け出してきたんじゃない」
「そうよね。だってあれって入院している人が着ているのじゃなかった」
その声に
「すみません。その子どこらへんで見かけましたか?」
すれ違うその女性たちに声をかけた。
「ああ、ちょうどあの信号を曲がったところだったわよ」
「ありがとうございます」
もうなりふり構わず走った。無事でいてくれ、ただそれだけだった。
信号の角を曲がると、向こうに、離れた向こうに彼女の姿が見えた。
全力で、降りしきる雨の中。その彼女の背を目指し走った。
ふと目に映るその姿は……歩実香の姿に見え始める。
俺がどんなに走って彼女を追いかけても彼女は前に進んでいく、歩実香は前に進んでいく。もう歩実香との俺の距離を埋めることは出来ない。
でも彼女、蒔野巴美との距離は着実に近づいていた。
「ふ、……巴美、巴美」
叫びながら彼女の歩く背を追いかける。
そして彼女の手をつかんだ時、振り返るその姿は……歩実香だった。
「杉村先生……」うわ言のような言葉で俺の名を呼んだ
そして倒れ込むように俺の胸の中に入っていった。
次第に彼女に意識が薄くなり始めたころ
うわごとのように彼女は言う
「和也《かずや》また来てくれたんだ……」
彼女は俺の胸の中で意識を失った。