その日、喧嘩のきっかけは本当に些細なものだった。
だが、その時を最後に私は二度とあの元気な母の姿を見る事はなかった。
あの日私は、朝から母親と喧嘩をして、学校行へ向かった。
母と私だけの二人きりの家族。
いきなり揺れだした大地。
大地の揺れは、海からもその脅威として襲いかかってきた。
かろうじて、逃げ切った私はその地獄の様な凄まじい波に飲み込まれる家々、そして人々を目にする事となった。
私がたどり着いた高台は、あと少しで海に流されるほどの所。
運がよかったのか悪かったのか。
それから三日間は、私一人だけがその高台に取り残されていた。
救助され、飲まず食わずの三日間の状態では体も動かず自分でも自分が解らないほど心に大きな衝撃を受けていた。
それから一か月間の避難所生活の末。
本当に変わり果てた自分の母と思われる遺体を目の前に、私のすべてのものが砕け落ちて行ってしまった。
高校2年の春まだ浅い、私の住む宮城の地での出来事だった。
翌年、親戚をたらいまわしに移り変わった末、私はこの秋田県大仙市に来た。
そしてそこから残りの高校生活を送ろうとしていた。
残りの高校への時間。
その時の私にとって、それは単なる時間の消化に過ぎなかった。
時の消化。
ただ時間さえ過ぎ去ってくれればそれでいいと感じていた。
もう私には失うものは何もなかった。
この存在さえも、私のこの躰《からだ》この心、そして記憶。すべてが今の私にとっていらないもの………
過ぎ去る時間さえも今の私にとっては苦痛と言うしかない。
ここ大仙市に来て初めての夏を迎えた。
唯一の家族だった母親はもうこの世にはいない。いっそのこと私もお母さんのいる所に行ければ……と、いつものように願い思う。
この苦しみと恐怖。そして私のすべてを支配する悲しみと寂しさから逃れたい。
腫物の様に接する叔父と叔母。
誰も悪くはない、そう誰も悪くはない………はずだ。
クラスメイトも、叔父も叔母も。悪いのは……。
でもその思いは誰にも伝わらない。伝えようともしていない。
伝えたところでどうにかなるものか。
私は一人もがき苦しんでいる。
大曲の花火の前日から花火目当ての観光客の姿は多く見られる。
指定の河川敷ではすでに普段はあまり見かけないキャンピングカーが目立ち始め、テントを張ってキャンプ気分に浸りながら花火の打ち上げを待つ姿が、にこやかな笑い声と共に目にするようになっていた。
私は、ここに来てからこの町をよく一人で歩き回っていた。
この小さな町の中を一人であてもなくただ歩き回る。
もしかしたら私は無意識のうちに、誰にも迷惑をかけずに死ねる場所を探していたのかもしれない。
一人でひっそりと誰にも見つかることなく、その存在を消せる場所を………
でもそんな所ある訳がない。
仙台や東京の様な大都市の様に高層のビルがある訳でもない。せいぜいあったにせよ5,6階ほどの病院やホテルぐらいだ。
まぁそのくらいの高さから落ちれば何とか死ぬことは出来るだろう。
でもそこから飛び降りるには難しすぎた。
それにこの町中のど真ん中で飛び降りれば、ひっそりどころかこの小さな町では大きな事件として扱われるだろう。
あの大きな川辺の木々や山の中で何度も誰もいかない様なところへ足を運んだ。
……でもやっぱり行動には移せなかった。
花火の当日、叔父と叔母から花火の桟敷席《さじきせき》を取ってあるから一緒に行こうと誘われた。
私は断った。
始めはだんだん膨れ上がる人ごみの中に入るのが怖かった。
この町は花火の打ち上げが近づくにつれてお祭りムード一色となる。
学校でもクラスの子達が花火の日、浴衣着て行こうか……どこで待ち合わせしようか、もうその話題で盛り上がっていた。
そん事どうでもよかった。私はいつも一人切り。
どんなに有名でどんなに人気があっても、そんなお祭りムードに浸る余裕はなかった。
一人、電気もつけずに自分の部屋の片隅で、小さくうずくまっていた。
時折聞こえる花火の「ドドーン」という音。
繰り返し何度も聞こえるその轟音。
そのたびに、今更どんなに悔やんでも悔やみきれない思いが次々と沸いてくる。
あの日、あの朝……どうして私はお母さんと喧嘩してしまったんだろう。
後悔しても後悔しきれない。
お母さんと私、二人っきりの家族。
お互い支え合い生きて来た。歩んできた。
どんなに辛くても、どんなにみじめでも私は歩んでいた。
ともに……お母さんと一緒に……
「ドドーン」
お母さんのあの笑顔が……
「ほら、早くしない……」
お母さんのあの声が……
花火の轟音と共によみがえってくる。
泣きたい。
思いっきり泣きたい……でも涙は出ない。
居た堪れなくなって私は部屋を、この家を飛び出した。