京也は平吉と共に宇苑家本邸にやってきていた。理由は京也の父である宇苑家当主に会うためである。絃音には宇苑宮で儀式に参加をすると伝えてきた。

 「失礼いたします」

 本邸の執務室に入ると当主が既に待っていた。

「久しぶりだな、京也」

「当主さまこそ、お変わりなく何よりです」

 親子とは思えないような義務的な会話。それが京也にとっては適切な距離だった。

「それでわざわざ約束まで取り付けて何の用だ」

「私の妻に関することでございます」

「それは私にするべき話か?」

「はい」

 京也は去年絃音が呪術によって倒れた時から、旅をしているという術師に行方を追っていた。先日のその術師が見つかり素性がわかったと報告を受けたのだ。
 件には宇苑の家門に所属する真莉子が深く関わっている。その対処には当主の権利が必要だった。

「まず妻に呪術をかけた人物の素性が判明しました。犯人は現平川家当主で妻の父親でした」

「ははは! 闇に取り込まれたか。娘を呪う父親とは滑稽なものだ」

 報告を聞いた時京也も驚いた。平川家は美蓮家直属の祓い屋だ。娘を虐待するようなクソ野郎とはいえ矜持はあるのだろうと思っていた。だがそれさえも捨ててしまっていたとは。

「それで?お前は何を望む?」

「平川家現当主の追放と真莉子への処分の決定です」

 「私が願いを受け入れればお前は宇苑に留まるのか?」

「はい」

「そこまであの娘が大事か」

 宇苑家当主はそう言ってニヤリと口角を上げた。

「わかった。美蓮家には私から平川家に処分を下すよう促しておく。真莉子の処分も行おう」

 京也にとってその答えは拍子抜けだった。もっと何かしらの条件がつけられるか、それはできないと突き返されるかと思っていたのだ。

「不思議そうな顔だな。もういい歳なんだ、表情くらい管理しておけ」

「ですが……」

「何、宇苑家にはお前の瞳が大切なんだ。神より賜りし宝を他に渡すわけにはいかない。そのために力を使うだけだ」

 すると扉を叩く音が聞こえた。当主が人払いをしていたはずだが緊急の連絡だろうか。

「当主さま、内談中失礼致します」

「構わん入れ」

 執務室に入ってきた使用人は恭しげに頭を下げる。

「手短に話せ」

「は。ただいま別邸より連絡が入りまして、絃音さまがお倒れになったそうです」

 京也は芯が冷えていく感覚を覚えた。無意識のうちに拳を握る。

「不測の事態が起こったようだな」

「当主さま」

「構わん、別邸へと帰れ。このままお前と話し合いをしても意味がなさそうだ」

「お心遣いに感謝します」

 そう言って京也は執務室を出た。当主と使用人が部屋に残る。

「当主さまは素直ではないですね」

「何のことだ」

「心配だと素直におっしゃればいいと言っているのです」

「馬鹿なことを言うな、下がれ」

 使用人は静かに執務室を去っていった。

「この世には言わなくてもいいことがある」

 当主は机の引き出しを開けた。古くなり色褪せた写真が一枚出てくる。若い頃の京也の母親だ。

「あいつは君に似ている。真っ直ぐで優しい。だから俺くらいは嫌われ者でいないとな」

 その優しさで迷わぬように。道を違わぬように。

 水色の瞳を持って生まれた者は試練に襲われる。一説によれば宇苑の危機に対抗するためだそうだ。
 神から賜ったと言えば聞こえはいいが、一種の呪いのようなものだ。現当主は水色の瞳ではない。その点京也には同情する。
 絃音と結婚させたことを周囲からは気まぐれの一部だと思われている。だがそれは違かった。亡くなった京也の母親の遺言を遂行したのだ。現当主は婿養子で母親こそが宇苑の血を色濃く受け継いだ人だった。瞳は水色がかっており未来を予見する力があった。その能力は水色の瞳持つものには及ばないものの、断片的な夢を見ることができた。
 宇苑宮の守神であるウカノミタマから、実り豊かな大地を守る蒼穹のように、人々を見守り未来を見通せるようにと与えられた水色の瞳。多くの人が神話の話だと思っている。だがそれは違った。実際に起こる話なのだ。
 その能力は簡単には開花しない。きっかけが必要なのだ。京也の場合はそれが絃音だった。その予知夢が当たっているかはわからない。まだ先にある未来の話だ。

***

 京也は平吉と共に宇苑家別邸に向かった。

「絃音さん!」

「……あら京也、意外と早いお帰りなのね」

 焦る京也とは対照的に真莉子は落ち着いていた。そこだけ時間の流れが違う別世界のような雰囲気だ。

「真莉子、絃音さんに何をした!」

「何も?いつもの澄ました顔はどこへ置いてきたのかしら。少しお話ししていただけよ。嘘の話を教えていたけれどね」

「嘘?」

「ええ。京也は儀式のために宇苑宮に行っているのではなくあなたと離婚し私と婚約する打診をするために本邸に行ったのよって伝えたわ」

「そんな嘘、言っても意味がないだろ」

「意味はあるわよ。事実、私がその話をしたら絃音さん(あの娘)は気を失って倒れたわ。……怖い顔。本当に私は彼女に指一本触れていないのよ」

「なぜそこまで僕を恨む」

「恨む?恨む?あはははは!確かに私はあなたを恨んでいるかもしれないわね。でももういいの。私はもう次期処罰されて宇苑にいられなくなるし」

「どうしてそのことを知っている」

「私はそこまで馬鹿ではないということよ。やってしまったことを考えれば納得ね」

 真莉子は人差し指を口元に当てた。

「でも、目的を果たせたんだもの後悔はないわ。絃音さんにかけられた呪い、本当はあなたにかかるはずだったのよ」

「え」

 京也は驚きのあまり表情を失った。

「初めて見る表情ね。最後だから教えてあげる。あの呪いはね誰も愛することができない呪いなの。正確には標的が想い人への気持ちを自覚した時に相手に関するすべての記憶を無くさせるようにする呪いね」

 だって気に食わないじゃないと真莉子は続けた。

「私は今まで京也と結婚することを夢見てきた。それをぽっと出の娘に掻っ攫われたのよ。だから呪いをかけて気持ちだけでもつながらないようにしようと思った。いざその時になったら絃音さんが出てきてあなたに呪いはかけられなかったけれど、それは幸運だったわ」

 真莉子の独壇場だ。彼女は踊るように雄弁に語り続ける。

「愛に苦しむあなたを見られたから。ねえ、愛する人を守れないのはどんな気持ち?あなたを庇って犠牲になるのよ。そしてその呪いはもう解けない」

「何だと。……まさか!」

「ええ、呪いをかけた術師本人が亡くなったの。私が知らないところでね。大方報酬金を貰っていい気になっているところで賊に襲われたってとこかしら。まあ心の闇を栄養素にした霊に食われてしまうのも時間の問題だったから、いずれは死ぬ運命だったのだけれど。もし絃音さんが祓い屋としての能力を持っていたなら、解けていたかもしれないけれど彼女はそんな力持っていないものね」

 真莉子の話がどこまで本当かはわからない。飲み込まれるな。そうすれば相手の思うつぼだ。

「わかった。話はそこまでか?」

「ええ、十分ね」

 その言葉を合図に使用人たちが入ってきて真莉子を捕らえた。抵抗せずに大人しくしている。
 部屋から出ていく時京也の近くでそっと呟いた。

「あなたの愛する人は決して好きになってはくれない。ずっと繰り返される。苦痛に歪むあなたの姿はこれ以上ないほど男前でしてよ?」

「……早く連れて行け!」

 入れ替わるようにしてユリと平吉が入室する。

「旦那さま、絃音さまは別室でお休みになっておられます。状況は一年前にお倒れになった時と同じです」

「一度お休みになっては?顔色が悪いですよ」

「いや、大丈夫だ。僕は少しここに残ってから行く」

 そして京也は一人きりになった。絃音に割り当てた部屋を見渡す。机の上に何か置かれていることに気がついた。勝手に触ってしまい申し訳ないと思いつつも手に取った。
 置かれていたのは二つの腕輪だった。桃色と水色の糸を中心としてそれぞれ編まれている。その付近に二つ折りにされた紙もあった。

 開いてみると絃音の文字で何か書かれていた。

『旦那さま、いつもありがとうございます。ただもう少し私を頼りにしてくださると嬉しいです』

 京也は読んで、目を見開いた。彼女の気持ちだ。傷つけないように守っていたい。何かを背負うのは自分だけで十分だ。それが労りだと思っていた。何も知らないままずっと、笑っていて欲しかった。京也はやっとそれが間違いだったことに気がついたのだ。