「ユリさん、今時間は大丈夫ですか」
「はい、問題ございませんよ」
豊穣祭から数日、絃音はある計画を練っていた。
「旦那さまへ送りものですか」
「はい。先日の豊穣祭でのお礼をしたいのです」
ユリに伝えると温かい目で見られた。母親が子どもに向けるような慈愛の表情だ。
「ユリさん?」
「申し訳ありません。以前の絃音さまであればお詫びの品を渡したいとおっしゃるのではないかと思いまして。嬉しくなってしまいました」
今日の勉強会はお休みにしてお礼に何をするか決めましょうとユリが提案し、絃音もそれに従った。
「絃音さまは何をお返しにしたいのか考えていらっしゃいましたか?」
「具体的なものはないのですけど、形に残るものがいいなと思っています」
「形に残るものですか」
少し考えた後ユリは一つの冊子を持ってきた。
「こちらの腕輪を送るのはいかがでしょうか」
ページをめくると繊細な模様が形作られている腕輪が出てきた。糸を編んで作られており、色とりどりで独自性があった。腕に巻く短さのため初めてでも挑戦しやすそうだ。
「これなら私でもできるかもしれません」
「こちらの腕輪は夫婦でつける場合が多いのです。妻が夫に、夫が妻に、互いの安穏を願い渡すのだそうですよ」
「夫婦で」
「はい」
「……旦那さまとお揃いにするのはご迷惑ではないでしょうか」
「そんなことはありません。むしろお喜びになると思います」
「それでは頑張って二人分作ってみます」
それから腕輪作りが始まった。何本かの糸を選ぶ。絃音と京也の腕輪でそれぞれ違う色を中心にして作成することに決めた。絃音の腕輪は桃色を京也のは水色を選択した。
京也の腕輪の色はすぐに決まったものの、自身の色はすぐには決められなかった。特に使いたい色が浮かばなかったからである。宇苑家別邸にやってきてからの日々を思い返し、春の桜が印象的だったので桃色にした。
ユリが用意してくれた冊子を参考にしながら一目一目編んでいく。失敗しては解いてを繰り返した。
「できた……!」
腕輪の製作を開始してから一週間、遂に完成した。網目模様は同じにしたが、一箇所だけ変更している。それは紫苑の花を入れたことだ。秋に入り別邸の周りに群生している。それを真ん中に付け加えた。初めてにしては上々だと絃音は自賛した。
すぐにでも京也に渡しに行きたかったが、今日は別邸を留守にしている。宇苑宮で行われる儀式に参加するためだ。本人は乗り気ではないようだったが、当主からの命のため行かなければならない。宇苑宮には平吉が付き添いとして行っている。
京也がいないため縁側でのお茶会もない。絃音にはもうやることが残っていなかった。
自室から出て外の空気を吸った。京也とのお茶会と勉強をしている時間以外は腕輪を作っていたため久しぶりに空を見上げたように思う。
とんとんと足音が聞こえた。近づいてくる。この屋敷の人たちの者ではない、聞いたことのない音だ。
「あら、絃音さん?」
甘栗色の髪の女性が立っていた。年齢は絃音と同じくらいだろう。愛想の良さそうな笑みを浮かべている。突然の来訪者に驚きが隠せなかった。
「……こんにちは」
「ええ、こんにちは。今日は晴れていて素敵な天気ね。私は宇苑真莉子。覚えているかしら?」
結婚の儀の時に参加していたのだろうか。正直見覚えがなかった。
「いいえ、申し訳ありません」
「そう」
そっけなく真莉子は答えた。浮かべていた笑みが嘘だったかのように表情が失われる。
「私はね、京也とは親戚なの。とは言っても宇苑の家門の下の下で血のつながりはほとんどないけれどね。彼に近づくために必死で努力したわ。そうしてやっと婚約者になれたの」
うっとりとした表情で語る。その目は京也だけを見つめているように思えた。
「でも、京也は私を愛してはくれなかった。私はそれでもよかった、愛はすぐには生まれないもの。将来は結婚するのだし時間が解決してくれる。そう思っていたわ」
でも、と加える。やっと絃音の方を見た。そこには先ほどのような夢見る乙女はいなかった。憎悪に輪郭が歪んでいる。
「あなたと京也を結婚させると当主さまから聞くまではね」
真莉子は絃音に近づき顎を人差し指で持ち上げる。
「何も知らない、努力もしてこないで恵まれているあなたに吐き気がする」
真莉子に圧倒されて何も言葉を発することができない。
「ねえ、絃音さんは京也のことが好きかしら?」
この場合の好きとは恋愛の意味での好きだろう。そのくらいは絃音でも察することができた。
難しい質問だ。ただ好きかという質問ならすぐに、はいと返答できる。だがそれは親愛の意味か恋かわからない。
「わかりません」
「わかりません?はっ!かわいそうな京也。本当に恋した相手には愛してもらえないなんて。……ねえ、今日彼が宇苑宮へ行った本当の訳を知っていて?」
「わかりません」
「私と婚約し直すためよ」
ひゅっと息を呑んだ。うまく呼吸ができなくなる。真莉子と婚約をする。つまり絃音はお役御免というわけだ。
「あなたは用済み。あなたたちの結婚は元々当主さまの気まぐれのようなものだったのだし、当然よね。役立たずのあなたより、私の方がいいに決まっているわ」
真莉子の言葉に納得してしまっている自分がいた。絃音は耳がいい以外何か特出した能力はない。京也の役に立てるのは真莉子の方だ。
ゆっくりと視界が歪んでいく。どうしてだろうか。客観的にも絃音よりも真莉子の方が優れている。婚約し直すことも真っ当なことだ。
薄れゆく意識の中、絃音たちがいる方へ走ってくる足音が聞こえた。
「絃音さま! ……どうして真莉子さまがここに!?」
「こんにちは、ユリ」
焦るユリ、一方で真莉子は冷静だった。
リインと鈴の音が聞こえた。倒れる体をユリが抱き止めてくれる。同時に絃音は自身を嫌悪した。
抱き止めてくれる相手が京也だったらよかった。そう思ってしまったのだ。
以前はそうしてくれたのに。……以前?こうして倒れるのは初めてのはずなのにどうしてそんなことを思うのだろう。
ずっとリイン、リインと鈴の音が聞こえる。意識を手放す直前、豊穣祭で話したあの小さな男の子が視界の端に入り込んでいたような気がした。
「はい、問題ございませんよ」
豊穣祭から数日、絃音はある計画を練っていた。
「旦那さまへ送りものですか」
「はい。先日の豊穣祭でのお礼をしたいのです」
ユリに伝えると温かい目で見られた。母親が子どもに向けるような慈愛の表情だ。
「ユリさん?」
「申し訳ありません。以前の絃音さまであればお詫びの品を渡したいとおっしゃるのではないかと思いまして。嬉しくなってしまいました」
今日の勉強会はお休みにしてお礼に何をするか決めましょうとユリが提案し、絃音もそれに従った。
「絃音さまは何をお返しにしたいのか考えていらっしゃいましたか?」
「具体的なものはないのですけど、形に残るものがいいなと思っています」
「形に残るものですか」
少し考えた後ユリは一つの冊子を持ってきた。
「こちらの腕輪を送るのはいかがでしょうか」
ページをめくると繊細な模様が形作られている腕輪が出てきた。糸を編んで作られており、色とりどりで独自性があった。腕に巻く短さのため初めてでも挑戦しやすそうだ。
「これなら私でもできるかもしれません」
「こちらの腕輪は夫婦でつける場合が多いのです。妻が夫に、夫が妻に、互いの安穏を願い渡すのだそうですよ」
「夫婦で」
「はい」
「……旦那さまとお揃いにするのはご迷惑ではないでしょうか」
「そんなことはありません。むしろお喜びになると思います」
「それでは頑張って二人分作ってみます」
それから腕輪作りが始まった。何本かの糸を選ぶ。絃音と京也の腕輪でそれぞれ違う色を中心にして作成することに決めた。絃音の腕輪は桃色を京也のは水色を選択した。
京也の腕輪の色はすぐに決まったものの、自身の色はすぐには決められなかった。特に使いたい色が浮かばなかったからである。宇苑家別邸にやってきてからの日々を思い返し、春の桜が印象的だったので桃色にした。
ユリが用意してくれた冊子を参考にしながら一目一目編んでいく。失敗しては解いてを繰り返した。
「できた……!」
腕輪の製作を開始してから一週間、遂に完成した。網目模様は同じにしたが、一箇所だけ変更している。それは紫苑の花を入れたことだ。秋に入り別邸の周りに群生している。それを真ん中に付け加えた。初めてにしては上々だと絃音は自賛した。
すぐにでも京也に渡しに行きたかったが、今日は別邸を留守にしている。宇苑宮で行われる儀式に参加するためだ。本人は乗り気ではないようだったが、当主からの命のため行かなければならない。宇苑宮には平吉が付き添いとして行っている。
京也がいないため縁側でのお茶会もない。絃音にはもうやることが残っていなかった。
自室から出て外の空気を吸った。京也とのお茶会と勉強をしている時間以外は腕輪を作っていたため久しぶりに空を見上げたように思う。
とんとんと足音が聞こえた。近づいてくる。この屋敷の人たちの者ではない、聞いたことのない音だ。
「あら、絃音さん?」
甘栗色の髪の女性が立っていた。年齢は絃音と同じくらいだろう。愛想の良さそうな笑みを浮かべている。突然の来訪者に驚きが隠せなかった。
「……こんにちは」
「ええ、こんにちは。今日は晴れていて素敵な天気ね。私は宇苑真莉子。覚えているかしら?」
結婚の儀の時に参加していたのだろうか。正直見覚えがなかった。
「いいえ、申し訳ありません」
「そう」
そっけなく真莉子は答えた。浮かべていた笑みが嘘だったかのように表情が失われる。
「私はね、京也とは親戚なの。とは言っても宇苑の家門の下の下で血のつながりはほとんどないけれどね。彼に近づくために必死で努力したわ。そうしてやっと婚約者になれたの」
うっとりとした表情で語る。その目は京也だけを見つめているように思えた。
「でも、京也は私を愛してはくれなかった。私はそれでもよかった、愛はすぐには生まれないもの。将来は結婚するのだし時間が解決してくれる。そう思っていたわ」
でも、と加える。やっと絃音の方を見た。そこには先ほどのような夢見る乙女はいなかった。憎悪に輪郭が歪んでいる。
「あなたと京也を結婚させると当主さまから聞くまではね」
真莉子は絃音に近づき顎を人差し指で持ち上げる。
「何も知らない、努力もしてこないで恵まれているあなたに吐き気がする」
真莉子に圧倒されて何も言葉を発することができない。
「ねえ、絃音さんは京也のことが好きかしら?」
この場合の好きとは恋愛の意味での好きだろう。そのくらいは絃音でも察することができた。
難しい質問だ。ただ好きかという質問ならすぐに、はいと返答できる。だがそれは親愛の意味か恋かわからない。
「わかりません」
「わかりません?はっ!かわいそうな京也。本当に恋した相手には愛してもらえないなんて。……ねえ、今日彼が宇苑宮へ行った本当の訳を知っていて?」
「わかりません」
「私と婚約し直すためよ」
ひゅっと息を呑んだ。うまく呼吸ができなくなる。真莉子と婚約をする。つまり絃音はお役御免というわけだ。
「あなたは用済み。あなたたちの結婚は元々当主さまの気まぐれのようなものだったのだし、当然よね。役立たずのあなたより、私の方がいいに決まっているわ」
真莉子の言葉に納得してしまっている自分がいた。絃音は耳がいい以外何か特出した能力はない。京也の役に立てるのは真莉子の方だ。
ゆっくりと視界が歪んでいく。どうしてだろうか。客観的にも絃音よりも真莉子の方が優れている。婚約し直すことも真っ当なことだ。
薄れゆく意識の中、絃音たちがいる方へ走ってくる足音が聞こえた。
「絃音さま! ……どうして真莉子さまがここに!?」
「こんにちは、ユリ」
焦るユリ、一方で真莉子は冷静だった。
リインと鈴の音が聞こえた。倒れる体をユリが抱き止めてくれる。同時に絃音は自身を嫌悪した。
抱き止めてくれる相手が京也だったらよかった。そう思ってしまったのだ。
以前はそうしてくれたのに。……以前?こうして倒れるのは初めてのはずなのにどうしてそんなことを思うのだろう。
ずっとリイン、リインと鈴の音が聞こえる。意識を手放す直前、豊穣祭で話したあの小さな男の子が視界の端に入り込んでいたような気がした。



