「絃音さんの様子はどうだった?」
絃音を部屋まで送り届けた後報告のために執務室に戻ってきたユリに、京也は問いかけた。
「報告いたします。絃音さまは受け答えもしっかりとしており、礼儀正しい方でございました。ですが……」
絃音は呪われた子どもとして噂になっていた。神からの寵愛を受けられず、祓い屋としての能力がないことを恨んでいる。ゆえに家族に対しても粗暴な行動し手がつけられないほどだ、と。
しかし先ほど執務室で会った絃音に対してそのような印象は受けなかった。この屋敷の主人である京也の前で大人しくしているのではないかとユリに探りを入れてもらったが不要だったらしい。
宇苑家として素性のしれない者を花嫁として迎えることは憚られたらしく数日前本家から平川家や絃音に関する調査結果が届いていた。書類の山からそのうちの一枚を抜き出す。
「虐待か」
「それは事実のようです。絃音さまに旦那さまに対してどのような印象をお受けになるかとお聞きしたのです。その際旦那さまの瞳の色がわかっていらっしゃいませんでした」
「というと?」
「旦那さまは絃音さまと目を合わせながら会話をしておりました。ということは絃音も旦那さまの目を見ておられたはずです。その際に目の色がわからないというのは不自然だということです」
「弱視になっていると?」
「そのようです」
京也はため息をついて持っていた紙を机の上に置いた。平川家では日常的な虐待をおこなっている可能性があると記されていた。
「他に気になったことはあるか」
「お着替えのお手伝いをした際に何箇所か傷跡を目にしました。打撲のような跡はありませんでしたが、結婚が決まってから暴力を振るわれていないとしたらありえない話ではございません。それに同年代のお嬢様方と比べても少々体が細すぎるような気がいたします」
実際に目にしたユリが言うのだから間違い無いだろう。
「絃音さんに何かできることはないだろうか」
「まずはご本人をあまり刺激しないこと。見えない形でお支えすることが重要だと考えます」
「ではそのように動こう。他の者にも伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
話を終えるとユリは執務室を出ていった。調査結果の書類を見ると、目を背けたくなるようなことばかりが並んでいた。
思い出せば絃音は京也の問いに対して最低限の返答しかしてこなかった。それがもし幼少期からまともな教育を受けられず今更付け焼き刃のように身につけた者だとしたら納得できた。
京也は思わず髪をかき上げた。解決すべきとこが山積みだ。
「まいったな」
たった一人の部屋にポツリとその言葉だけが残った。
***
数日後京也は執務の合間、気晴らしのために別邸内を歩いていた。庭では桜が満開に咲き誇っている。
「あ、旦那さま。申し訳ありません」
縁側へと足を向けると先客がいた。先日婚儀をしたばかりの結婚相手だった。
「どうして謝るのですか」
「旦那さまのお邪魔をしてしまったと思ったのです」
「気にしないでください。僕が勝手に来ただけなので」
縁側へ腰掛ける。しばらく沈黙が続いた。絃音は落ち着かないのか京也の様子を伺っていた。
「……絃音さんはどうして縁側に?」
「あ、ええと。今日の勉学の時間が終わってしまって、やることがなくなってしまったので庭を眺めておりました」
「そうですか」
会話が終わった。京也は雄弁にものを語ることはしない。それがいいと捉えられる場面がある一方で愛想がないと使用人たちから言われることもしばしばだった。
「絃音さんはこの庭が好きですか」
「それは……まだわかりません」
その瞳は薄い膜が張ったように、何かを映しているようで何も見えていないように感じられた。虐待によって傷つけられた心を模倣しているようだった。
「僕はこの庭が好きなのです。絃音さんにも好きになってもらえるように努めましょう」
京也は立ち上がるとその手に力を込めた。すると軽やかな風が吹き、桜の花びらを舞い上げた。そこにある花、草、木、全てが生き生きと輝きだす。一つの生命体のように。
「これは僕が持つ神力です。和国五代名家には時々その土地にあった神力を持つ子どもが生まれてきます。僕の場合は宇苑に生まれたので大地との親和性が高いのです」
「すごい……!」
息を漏らすような感嘆の声だった。純粋に夢中になる姿に目を奪われる。この人とは上手くやっていける、そんなことを感じさせてくれた。
絃音を部屋まで送り届けた後報告のために執務室に戻ってきたユリに、京也は問いかけた。
「報告いたします。絃音さまは受け答えもしっかりとしており、礼儀正しい方でございました。ですが……」
絃音は呪われた子どもとして噂になっていた。神からの寵愛を受けられず、祓い屋としての能力がないことを恨んでいる。ゆえに家族に対しても粗暴な行動し手がつけられないほどだ、と。
しかし先ほど執務室で会った絃音に対してそのような印象は受けなかった。この屋敷の主人である京也の前で大人しくしているのではないかとユリに探りを入れてもらったが不要だったらしい。
宇苑家として素性のしれない者を花嫁として迎えることは憚られたらしく数日前本家から平川家や絃音に関する調査結果が届いていた。書類の山からそのうちの一枚を抜き出す。
「虐待か」
「それは事実のようです。絃音さまに旦那さまに対してどのような印象をお受けになるかとお聞きしたのです。その際旦那さまの瞳の色がわかっていらっしゃいませんでした」
「というと?」
「旦那さまは絃音さまと目を合わせながら会話をしておりました。ということは絃音も旦那さまの目を見ておられたはずです。その際に目の色がわからないというのは不自然だということです」
「弱視になっていると?」
「そのようです」
京也はため息をついて持っていた紙を机の上に置いた。平川家では日常的な虐待をおこなっている可能性があると記されていた。
「他に気になったことはあるか」
「お着替えのお手伝いをした際に何箇所か傷跡を目にしました。打撲のような跡はありませんでしたが、結婚が決まってから暴力を振るわれていないとしたらありえない話ではございません。それに同年代のお嬢様方と比べても少々体が細すぎるような気がいたします」
実際に目にしたユリが言うのだから間違い無いだろう。
「絃音さんに何かできることはないだろうか」
「まずはご本人をあまり刺激しないこと。見えない形でお支えすることが重要だと考えます」
「ではそのように動こう。他の者にも伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
話を終えるとユリは執務室を出ていった。調査結果の書類を見ると、目を背けたくなるようなことばかりが並んでいた。
思い出せば絃音は京也の問いに対して最低限の返答しかしてこなかった。それがもし幼少期からまともな教育を受けられず今更付け焼き刃のように身につけた者だとしたら納得できた。
京也は思わず髪をかき上げた。解決すべきとこが山積みだ。
「まいったな」
たった一人の部屋にポツリとその言葉だけが残った。
***
数日後京也は執務の合間、気晴らしのために別邸内を歩いていた。庭では桜が満開に咲き誇っている。
「あ、旦那さま。申し訳ありません」
縁側へと足を向けると先客がいた。先日婚儀をしたばかりの結婚相手だった。
「どうして謝るのですか」
「旦那さまのお邪魔をしてしまったと思ったのです」
「気にしないでください。僕が勝手に来ただけなので」
縁側へ腰掛ける。しばらく沈黙が続いた。絃音は落ち着かないのか京也の様子を伺っていた。
「……絃音さんはどうして縁側に?」
「あ、ええと。今日の勉学の時間が終わってしまって、やることがなくなってしまったので庭を眺めておりました」
「そうですか」
会話が終わった。京也は雄弁にものを語ることはしない。それがいいと捉えられる場面がある一方で愛想がないと使用人たちから言われることもしばしばだった。
「絃音さんはこの庭が好きですか」
「それは……まだわかりません」
その瞳は薄い膜が張ったように、何かを映しているようで何も見えていないように感じられた。虐待によって傷つけられた心を模倣しているようだった。
「僕はこの庭が好きなのです。絃音さんにも好きになってもらえるように努めましょう」
京也は立ち上がるとその手に力を込めた。すると軽やかな風が吹き、桜の花びらを舞い上げた。そこにある花、草、木、全てが生き生きと輝きだす。一つの生命体のように。
「これは僕が持つ神力です。和国五代名家には時々その土地にあった神力を持つ子どもが生まれてきます。僕の場合は宇苑に生まれたので大地との親和性が高いのです」
「すごい……!」
息を漏らすような感嘆の声だった。純粋に夢中になる姿に目を奪われる。この人とは上手くやっていける、そんなことを感じさせてくれた。



