「旦那さまお休みにならないと、お身体を壊してしまいます」

「大丈夫だ、これくらい何ともない」

 くまを作りながら京也は答えた。警備のため執務室にいる平吉は思わずため息をついてしまう。
 絃音が倒れてから約半年が経過した。その時から余計に仕事を入れほとんど休んでいない。右手首には桃色の腕輪が付けられている。絃音の部屋で見つけたものだ。おそらく桃色は彼女が自分用に作ったものだと推測できたが、あえて桃色の方を身につけている。
 そうすれば彼女を身近に感じられるという女々しい理由だ。
 京也の神力は宇苑の土地と調和している。彼が不安定になるほど、気候も土地も荒れていた。

「……何ともなくは見えませんよ、旦那さま」

 空耳だ、と京也は思った。まだ彼女は寝ているはずだ。呪いはもう解けない、かけた術師が亡くなった以上目覚めるかどうかも怪しかった。

「絃音さん?」

 執務室の扉付近に、ユリに支えられながら歩く絃音の姿があった。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 半年だ。毎日不安だった。また失敗してしまった。守れなかった。手が震えて涙が頬を伝う。

「謝らなければいけないのは僕の方です。絃音さんをもっと信頼して打ち明けられていればこんなことにはなっていなかったかもしれないのですから」

「旦那さま」

「僕は自分自身を一番信用していない。そのことに気付かされました」

 絃音は沈黙している。

「旦那さま、結婚の儀を行いましょう」

 その言葉を聞いて京也は冷静になる。そうだ、呪いは解けない。つまり絃音は京也と過ごした日々を忘れてしまっているのだ。
 気付かぬうちにそばに来ていた絃音が京也の手を握った。

「記憶をなくしたわけではありません。もう一度婚儀をしてはくれませんか。今度は形式的なものではなく、生涯の愛を心から誓いたいのです」

 積極的な言葉に京也は赤面した。彼女はこんなに強い人だっただろうか。

「駄目、でしょうか」

「いいえ、駄目というか理解が追いつかなくて」

 それはもっともなことだった。

「腕輪をつけてくださっていたのですね」

「え……?」

「この腕輪に助けられました。旦那さまがつけてくださったのでしょう?この水色の腕輪がなければ呪いに負けてしまっていたかもしれません」

「それは、どういうことですか」

「ふふ、積もる話はまた後日ということで」

 二人の未来はまだまだ続いていくのだから。

「生涯愛するのは旦那さまだけです。互いに支え合いながら生きて参りましょう」


 荒れていた天気が凪いでいく。雲の隙間から光が差し込んで大地を照らした。凍える冬が開け、春がやってくるのだ。

 これは歴代宇苑家随一の名主と謳われた宇苑京也と祓い屋として名を馳せた妻、絃音の序章の話である。