打ち合わせの後、馬車で出かける芝嫣(しえん)姉さまを見送り、私は馬で城壁の北門へと向かった。
 そこは古びた廃屋が立ち並び、他国からの移住者が多く暮らす一角で、商店は他にないから赬耿(ていこう)に教えられた皮店はすぐに見つかった。

 獣から剥いだ状態の毛皮が吊るされた軒下から中を覗く。身なりこそ都の庶民と同じだが、遊牧民族の特徴の縮れ髪の男がじろりと私を睨んだ。
 赬耿の名を告げると、店の奥へと案内され、そこには予想通り伝書鳩の小屋があった。この店は煌(こう)の間者の連絡場所というわけだ。

 鳩に託せる書簡は小さな小さな端切れがせいぜいらしく、私は考え考え文字を綴った。返事がくるのは数日後だろうという。

 私は皮店を後にし、今度は宮殿へと向かった。もう夕暮れ時で門の前には篝火が出ていた。
 馬から下りて寒さを堪えながら待っていると、蔡怜(さいれい)が門から出てきた。今夜は宿直でなかったみたいだ。もしそうなら、どうにかして中に押しかけるつもりでいたが良かった。

「蔡怜」
 頭にかぶっていた外套から顔を覗かせ呼ばわると、蔡怜ははっと私に気づいて礼をした。
「子豫(しよ)お嬢様。なぜこんな時間に」
「あなたに話があるの」
 目線で暗がりを示すと、蔡怜は顔を強ばらせながらついてきた。

 私はいきなり剣を抜き蔡怜の首に押しつけた。蔡怜は咄嗟に柄に手をかけたが剣を抜かなかった。
 覚悟はできていたのだろう。感心な気持ちは表に出さず、私は低く尋ねた。
「煌(こう)? それとも壅(よう)?」
「なんのお話ですか」
「煒(い)王家の天子継承を邪魔するために、頼まれて淑華(しゅくか)姉上を誘惑したのじゃなくて?」
「な……」
「幼いころから叡(えい)公子に傅いておきながら、よほどの好待遇で引き抜かれたのね」

「違います! ありえない!」
「ありえない?」
 私は目を細めてぐいっと剣を押しあてた。
「主君の女を寝取っておいて平気な顔で仕えているほうがありえないわ」
 蔡怜の額にじっとり汗が浮かぶ。
「平気なんかじゃない、平気では……」
 澄んだ瞳にみるみる涙の膜が張る。
 ええええ。こいつも泣くのか。

 メンドクサイなあと剣を引くと、蔡怜はぐしぐしと袖で目元をぬぐった。
「私から見たら淑華様は女神です。気高くて凛々しくてお美しくて。そんな方が、私に微笑んでくれて……それから気づいたんです。美しいだけじゃない。お優しくて、本当に楽しそうに笑うと少女みたいで……」
 うざ。のろけ話うざ。

「おまえの恋情なんてどうでもいいのよ、起きたことをどうするのかと話しているの。おまえひとりが死ねば丸く収まるのに、淑華姉上は自分も死ぬと言う。どう責任を取ってくれるの」
「淑華様がそんなことを……」
 おいこら。なに感極まってんの? これだから脳みそお花畑の連中は。

 私は改めて蔡怜に剣を突きつけ迫った。
「おまえが姉上をそんなふうにしたのよ、どうしてくれるの。姉上はもう王后(おうごう)になれない。おまえのせいで」
「ですが」
 実直そうな瞳を見開いて、不意にきっぱり蔡怜は言った。

「煒(い)は滅びる。私は、淑華様に亡国の王后になってほしいと思わない。もちろん、今だから言うのです。最初は、王家の一員としての公子と淑華様に最後までお供するつもりでした。でも、淑華様が私を選んでくださるのなら、必ず淑華様をお守りしてどんなことをしても二人で生き抜きます」

 脅して言わせようとしていたことを、蔡怜は自ら誓ってくれた。
 私は内心で苦笑いしながら剣を鞘に戻した。
「数日内に出発できるよう手筈を整えるから、出奔の準備をしておきなさい。追って知らせを走らせるわ。それまで姉上には仮病を使って屋敷に籠ってもらう。あなたもくれぐれもぼろを出さないように。特に素錦(そきん)に気をつけて」