蔡怜(さいれい)は都の長官の息子で(つまり素錦(そきん)の兄)、幼少の頃から叡(えい)公子の近侍として付き従い、共に宮殿で教育を受けた。あまり大きな声では言えないが、公子以上に才能を発揮し教育長からこっそり絶賛されていたそうだ。
 公明正大な人格者で各方面からの信頼も厚く、武芸にも秀でているので今は叡公子の侍衛を務めている。

 蔡怜(さいれい)込みで、という姉上の評価に私も同意見だ。君子ひとりの能力なんてたかが知れてる。欠点がない方がおかしいのだし。重要なのは本人の欠けたところを補う一心同体の部下を持っているかどうかだ。
 家政でもそれは同じで、我が家では父上が使用人を厳選し、淑華(しゅくか)姉上には橘花(きつか)、芝嫣(しえん)姉さまには桂芝(けいし)、私には子宇(しう)と、性格的にもマッチして頼りになる腹心の侍女をつけてくれた。

「蔡怜がいる限り叡公子は安泰でしょう」
「では、叡公子を太子に推すのですね」
「ええ、そうね」
 頷いたものの、淑華姉上はまだ何か心配そうだ。
「芝嫣姉さまが気がかりですか?」
「もう。この子はなんでもお見通しなのだから」
「気にすることないですよ。芝嫣姉さまはちゃんとわきまえてます。どっちに転んでもいいようにと考えて毅(き)公子を攻めているのだと」

 王太子にはなれなくても、毅(き)公子は将来王弟として重用され、うまくいけば独立して国をかまえることだって夢ではない。また、もし、叡公子にもしものことがあれば、毅公子に出番が回ってくる。
 抜かりのない芝嫣姉さまはそう計算して毅公子で手を打ったのに違いない。淑華姉上の決断を待たずに姉さまはぐいぐい毅公子に接近していて、彼が陥落寸前なのは明らかだった。

「なるようになるのですよ。ですから淑華姉上も叡公子に決めて、腹を据えてください」
「……わたくし、自分がこんなに迷うだなんて思わなかった」
「父上だって、迷われたのですよ」
「そうね。わたくしも老巫に出会えたらよかった」
「いやですよ。また予言を増やされたくありません」
「子豫(しよ)ったら、もうそれは言わないで」

 こうして淑華姉上の選択は、まわりまわって王宮での卜占の結果、並びに天子の英断として発表され、やっと叡公子の立太子が決まった。

 さて、王太子妃はどういう段取りで発表されるのかと思いきや、一部の廷臣たちから〈棕(そう)家の女子〉ありきでこのまま決めてしまうのはいかがなものかと意見が出た。候補者を集め、試験を行うべきだろうと。
 どうぞどうぞ、と淑華姉上はぜひともそうしてもらいたいと自ら希望を出した。勝ち抜くのが当然なのに逃げる必要はないのだから。

 名乗りをあげたお妃候補の中には蔡素錦もいた。素錦は兄の蔡怜とともに幼少時代を叡公子と過ごし、あたりまえのように自分が妃になるのだと思い込んでいたらしい。身分的には側妃がせいぜいなのに純真な乙女心である。

「姉上の心配などまったくしてないけど。でも、裏工作されたりしないかしら?」
「心配ないですよ、芝嫣姉さま。既に対策済みです」
 娘を候補に出した者たちの屋敷をばっちり調べ上げ、弱みを握って脅迫状を送り付けてある。

 このところ、壅(よう)との国境付近がキナ臭く、都にも戦の気配が漂っている。軍備増強のため私財を出すよう命じられる前に財産を隠そうとする動きが重臣たちの間で活発で、脅迫材料を見つけるのは簡単だった。
 おまえらの貯えがこれだけあるのを知ってるぞ、と子細なリストを送り付けてやったから、みなビビッて下手な動きはとらないはずだ。

「あんたって怖いわね」
 芝嫣姉さまはころころ笑って喜んでいた。