都へ移り住んで間もなくの頃。
父上に言いつけられている日課の修練を終えて目を開ければ、隣で淑華(しゅくか)姉上が私と同じようにあぐらで座って瞑想していた。
ぱちりと目を開け、胸の前で両手を上下に重ねて〈気〉を練ろうとする。しかしすぐに諦めた。
「駄目ね。わたくしには才能がないわ」
「修練自体は心を強くする効果があるって父上は言ってます」
「そうよね、だからわたくしもやらなくてはと思って」
衣の裾を整えながら足を下ろした姉上は、ふうと息をついて私に言った。
「ねえ、子豫(しよ)。あなたならそろそろ公子お二方の為人(ひととなり)がわかってきたでしょう?」
「そうですねぇ」
「天子にふさわしいのはどちらかしら?」
「そんなのはわかりません。姉上がお好きな方を選べばいいんですから。どちらがふさわしいとかではないのじゃないですか?」
「意地悪ね。わかってて言ってるのでしょう?」
顎を引いて上目づかいで睨み上げてくる姉上は美人なだけに迫力だが、これくらいで怯む私ではない。姉上のいらぬ工作のせいで話が進まなくなっているのだから。
物語の流れ的に、私たちが都に到着すれば早々に始まるかと思われた王太子のお妃選びは一向に始まらず。肝心の王太子が決まっていないので当然だが、それもこれも棕(そう)家の予言に天子までもが振り回されているからだった。
天上界の父神に地上の支配を任された王が天子である、という謂れがあるだけあって、王宮では天の意志を問う占術の類が重視されている。一方で、ほぼ流言にすぎない予言に王家の未来を託すのか、という批判も当然あり。
でも私がみるところ、天子は王家の大事を自分で決断したくないのじゃ、という気がしている。なにしろ無能であるから。
宮殿では占術官が連日連夜卜占を繰り返し〈棕家の女子〉に王太子を選ばせるべし、という結果を何度も得ているらしい、という噂が流されている。なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。
そんなこんなでさすがの淑華姉上もナイーブになっているようだった。それはそうだよね。野心家とはいえ、たかだか十六歳の女の子なのだし。
「姉上はどちらの公子がお好みで?」
「わからないわ、好きとか嫌いとかで考えたことないもの」
姉上の判断基準は、あくまで天子の器かどうかであるらしい。それはそれで清々しいなあ、と内心で乾いた笑いを受けべながら私は真剣に相手をしてあげることにして姉上に向き直った。
「叡(えい)公子をどんな方だと思われますか?」
「穏やかな方だわ。誰が相手でもきちんと応対なさって受け入れる懐の深さがある。だけどその分、ご自分というものがない気がするの。それに覇気がない。武道全般はからきしでいらっしゃるし」
「そのようですね。では毅(き)公子は?」
「風格だけなら叡公子より御立派だわ。軍事に明るくて決断力と行動力を兼ね備えておられる。でも、思慮が足りない危うさもあるわ。とりまきも似たような気質の方たちが多くて、言動が偏りがちね。その点、叡公子には蔡怜(さいれい)がいるわ」
淑華姉上は叡公子の腹心の名を挙げた。