「芝嫣(しえん)姉さま! 泣いてる場合じゃない、逃げなきゃ!」
 手をのばしてグイっと芝嫣姉さまの腕を引っ張る。袖口から玉(ぎょく)の腕輪が三本ものぞいて私は少し驚いた。
「これは絶対に持っていくのよ、亡き母上の形見なんだから」
 はいはい。そんなことより。

「姉さま、上着を脱いで」
「こ、こんなときになによ!?」
「派手過ぎて目立つのよ。早く脱いで」
 泣きべそをかきながらもあーだこーだ反抗されるのが面倒で力づくで上着をひっぺがした。桂芝(けいし)も手を貸してくれたし。

 更に問答無用で私の黒い外套を頭からかぶせ、いざ馬車を降りようとしたとき、新手の髭面の男に行く手を塞がれた。
 狭い空間で剣をうまく持ち上げられない。懐から短刀を抜く。が、それを投じる前に男は倒れた。

「お嬢様方、早く逃げてください! ここはもう持ちません」
 護衛兵のひとりが必死の形相で私たちを急かした。
 私たちを見送り、死を覚悟した者の気迫を漲らせて彼は戦闘に戻ろうとする。
「ありがとう」
 短く告げると、汗と血できらきら濡れたその顔が、一瞬だけ笑いの形に歪んだ。

「早く行きましょう」
 主従四人で支え合うように手を取り合いながらとにかく走る。
 背後から馬の蹄の音。どう対処するか迷ったのが命取りだった。左手に握っていた芝嫣姉さまの手をもぎ取られていた。
「――――っ!!」
 悲鳴を上げる間もなかったのか、ひゅっと呼吸音だけを残して芝嫣姉さまは消えた。視界の中で、私たちを追い抜きざま姉さまを馬上にすくい上げた騎兵がそのまま駆け去っていく。

 ふざけるな。私はすぐさま乗り手をなくした馬をさがして目を付けた。
「あなたたちはふたりで逃げて。淑華(しゅくか)姉上たちはこの先の邑(ゆう)を目指してるはずだから後を追うの。運が良ければ警備隊と行き合えるかもしれないし、そしたら助けを求めるのよ」
「わたしは子豫(しよ)さまと一緒に……」
「行けないことはわかってるでしょう!?」
 手綱を握りながら振り返ると、子宇(しう)は目をうるうるさせていた。
「きっとすぐ戻るから。だから先に行ってて」
 私はぐずぐずされることがいちばん嫌い。わかっている子宇は「はい」と頷いて桂芝と手を握り合った。

 馬に飛び乗り、芝嫣姉さまをさらった騎兵の追跡を開始したものの、追いつける気はまずしない。でもここで追いかけておかなければ私がこの場にいる意味がない。そんな気がして馬を走らせる。

 びゅっとも、きゅんっともつかない音が大気を震わせ耳につく。首筋がひきつるような危険信号。私は馬足を止めないまま振り向きざまに剣を振る。
 飛んできた矢の一本目は払い落した。二本目、とっさに背中をよじって避けた。そこでバランスを崩し落馬した。

 あごをひいてからだを丸め、頭を打たないようにして地面を転がったが、最初に打ち付けてしまったわき腹が痛い。立ち上がれない。ねそべったままの耳に蹄の振動。
 ぐいっと髪をひっぱられ、首が痛い、と感じたのと同時に私の意識は途絶えた。