出発の朝、住み慣れた我が家の門前で、私たち姉妹は父上に見送られ馬車に乗り込もうとしていた。煌(こう)の兵士の一団が国境を越えようとしているとの知らせがあって、みなで一緒に発つことができなくなったのだ。
「ちょうどいいから後任の林(りん)将軍と煌の連中を叩いてくる。すぐに後を追うし護衛を多めに残していくから安心しなさい」
「はい、大丈夫ですわ。父上の方こそわたくしたちの心配はなさらないでください」
「思いっきり敵をやっつけてきてくださいね」
「はは。まったくおまえたちときたら」
姉たちと言葉を交わした父上は、黙ったままの私をじっと見つめた。外套の下に隠しているけれど、私がしっかり剣を持っていることはお見通しなはずだ。
「子豫(しよ)は嬉しそうだな」
表情に出しているつもりはないのに父上に見抜かれてしまう。
「初めての長旅が楽しみなのです」
無難に返事をしたけれど。そりゃだって、期待するに決まっているではないか。
ただでさえ治安の悪いこの世界、山賊に襲われるくらいのことは想定内であるけれど、出立の朝になって私たち姉妹の守護神といってもいい父上が足止めを食らうだなんて、なんらかの作為があるに決まってる。
間違いなく襲撃がある。そして、今後の私たち姉妹の運命を左右することになる人物との出会いへとつながるはず。いよいよ、乱世の物語の本筋が動き出すのだ。
内心では瞳を爛々と、外見はあくまで無表情を保っているつもりの私を憂いを帯びた眼差しで見つめ、父上はそっとため息をついた。
「無茶はするんじゃないぞ」
そうは言うけど、私たちに剣術を教えたのは父上だ。自分の身を守るためなら無茶はするものだ。そう思って返事を返さずにいる私の頭をぽんと撫でてから、父上は私たちに馬車に乗り込むよう促した。
城壁を出るとそこは背の低い灌木や草むらが点在する乾いた平原だ。白っぽい岩肌の山脈の裾に沿って荷物と人を乗せた十数台の馬車は東へ進む。
行列は一度休憩のために止まってから再び前進を始め、太陽が天空のいちばん高い場所へとあがるころ、騒ぎが起きた。
来た。私は覆いの布を持ち上げて前方に視線を走らせた。野太い叫びをあげながら山の斜面を滑るように駆け下りてくる騎馬が数騎。目視できないが、物音からして他にも騎兵がいて護衛の兵士と既に斬り合いが始まっているようだ。
「馬を止めて! 降りてさっさと逃げるのよ!」
御者に向かって叫んだ私に、同乗していた侍女の子宇(しう)が目を丸くした。
「山賊じゃないのですか?」
山賊程度なら返り討ちにできるから逃げる必要などないと言外に告げている。私はそれをきっぱり否定した。
「遊牧民の騎兵よ」
彼らは強いうえに略奪を良しとする。ならず者集団よりもずっとずっと恐ろしい。子宇はさっと顔を強張らせ自分も剣を手にした。私が教えているから子宇も剣術は達者な方だ。
ふたりで馬車から飛び降りて見回すと。淑華(しゅくか)姉上はとっくに脱出して数人の護衛に囲まれ戦闘の間から抜け出していた。
一瞬振り返った姉上と目が合う。私が力強く頷くと、姉上もまたこっくり頷いて外套を頭からすっぽりかぶり、侍女に背中を押されながら平原を駆けて行った。
都へと付き従うことを選んで同行してきた使用人たちも、数人ずつグループになりながらてんでバラバラに逃走を始めている。だがその中に、芝嫣(しえん)姉さまの姿が見つからない。
「子豫さま」
震える子宇の腕に手を添えながら、私は悲鳴と怒号と金属音が飛び交う戦場に目を戻した。薄紅色の布を垂らした馬車の中に、遊牧民の男がひとり乗り込もうとしていた。
刀身を鞘走らせながら地面を蹴り、駆け寄る。抜き身の剣で無防備な背中を勢いよく斬り付ける。
「姉さま!」
倒れた男の体を踏みつけながら中を覗くと。
「しよおぉ~」
侍女の桂芝(けいし)と抱き合って芝嫣姉さまはべそをかいていた。