薄くて細いペーパーナイフだけれど、乙女の柔肌を傷つけるくらい簡単だ。わたくしはぴたっとシルヴィーの頬に銀色の刃を押しあてて脅した。

「いい加減本当のことをおっしゃい。愛を盾にするならそれもけっこう、でも日陰の身でいいだなんてそんなわけがないわ。わたくしが邪魔に決まってる。ただ王妃になりたくないだけなのでしょう? でも、そんな都合のいい逃げ道はわたくしが許さない。アンリが選べないのならあなたが選ぶのよ、シルヴィー。身を引くか、わたくしを倒してアンリと王妃の座を手に入れるか。ふたつにひとつよ、選びなさい!」

 怯えきったシルヴィーはがたがた震えて声もない。はぁ、ダメね。
「……ねえ、知ってる? 王家に嫁ぐ娘の体には傷ひとつあってはならないって不文律。まさかねって思っていたけれど本当のことらしいの。つまりね、体に傷がつけば妃にはなれない」
 ますます体を固くするシルヴィーに微笑みかけてから、わたくしはナイフを持つ手を翻した。今度は、自分の首元に刃をあてる。
「イ、イザベル様っ」
「あなたが選ばないならわたくしが選ぶわ」
 にやりと笑って肌にナイフを食い込ませる。

「ダメですっ。イザベル様!」
「わたくしに指図するのはやめて。さあ、やめてほしければおっしゃい、王子のただひとりの妃になると」
「わ、わたくし……」
「茨の道を行く覚悟がないなら今ここで倒れなさい」
 再びシルヴィーに向けてナイフを振り上げる。

「やめろ!!」
 そこでようやく上げた腕を掴まれた。力任せに引っ張られ、開いた手のひらからナイフが滑り落ちて床の上で高い音を鳴らした。そのまま体を押され、わたくしも無様に床に転がった。

「シルヴィー、大丈夫か!?」
 乱れた髪の隙間から窺うと、足の力が抜けたのか、崩れるシルヴィーをアンリが支えているところだった。
「イザベル、おまえはなんという恐ろしい女なんだ」
 誉め言葉よね、それ。にやけそうになる口元を隠してわたくしはうなだれる。
 ただならぬ様子に先ほどから遠巻きにシルヴィーとわたくしを見ていた紳士淑女たちもざわつきはじめる。

「おまえの本性はよくわかった。おまえのような者を妃に迎えるわけにはいかない。ニーム公爵家との縁談は破棄し、私は、ボリュー伯爵令嬢に改めて求婚する」
 ざわめきがピークに達し、ギャラリーの視線が一点に集中した。並んで立つ四人、国王夫妻とわが父ニーム公爵、そしてボリュー伯爵へと。
 アンリはシルヴィーを連れて年長者たちの輪へと向かった。これからのことが語られるのだろうそちらへとスポットも移動する。

 もはや床にへたり込むわたくしを注視しているのは、狼藉者を連れ出しに近づいてくる使用人たちくらいだろう。
 ところが、彼らよりも先にわたくしをうやうやしく助け起こす手があった。その手に素直に従い立ち上がったわたくしは宴の会場を後にした。大廊下の途中でシャルル殿下はおっしゃられた。
「それで、あなたはやり遂げたのかい?」
 ええ。声には出さず、わたくしは一瞬だけ満足の笑みを浮かべてみせた。