誰なの? あのカラス仮面は? 何がしたいの? わたくしは目を細めて観衆の中からカラス仮面に注目する。

 カラス仮面はくるくるとターンしながらフロアを突っ切り、ギャラリーの最前列にいた紳士へとヴェロニクの手をささげわたした。カラス仮面と交代し、ヴェロニクと共に再び中心へと躍り出たのはヴィルヌーブ子爵だった。

 アンリのような派手派手しさはなくとも、子爵も充分な美青年だ。物腰は穏やか、堅実なステップで優しくヴェロニクをリードする。ようやく恋人の腕に戻れたヴェロニクは潤んだ瞳で子爵を見上げほっとしたように頬を綻ばせて微笑んだ。まさに花のような愛らしさだ。
 真の恋人同士が振り撒く甘いオーラに楽団の演奏も興に乗り、足を止めていた人々も競うようにダンスを再開した。

 広間の真ん中で固まっていたはずのアンリはいつの間にか姿を消していた。しまった、わたくしったら。すごすご退場する背中を指差して笑ってやりたかったのに。あのカラス仮面に全部持っていかれてしまった。

 盛大に舌打ちしたいのをこらえ、わたくしはそっと広間を後にしてホール全体を観察できる階段上へと戻った。シルヴィーはヴェロニクと踊るアンリを目撃したかしら? 今ごろ痴話げんかになっていればおもしろいのだけど。

 階下を見下ろしながらキャットウォークをゆっくりと進んでいると、頭の後ろにびびっと黒い気配を感じた。わたくしは振り向きざまに扇子を振り上げる。
 かっと、扇子の端が仮面のくちばしを跳ね上げた。仮面を飛ばされながらもカラス仮面の人物はそのまま腕を伸ばして、わたくしの体をすぐわきのカーテンへと押し込んだ。

 とっさに扇子を開いて顔面をガードしながら、一緒にカーテンの陰へと入り込んできたカラス仮面の素顔を見上げる。窓の外からの月の光と内からの照明と、ほのかな明かりの中で青灰色の瞳が楽しげにきらめいていた。
 この方になら、してやられたのも仕方ない。わたくしは肩を落としながら軽く膝を屈めた。

「王太弟殿下に拝謁します」
「ごきげんよう、マ・プランセス。まったくあなたは。ちっとも驚いてくれないのだね」
「驚きましたとも。びっくり仰天ですわ」
 肩を竦めてみせると、シャルル殿下は少しは満足したのか、前のめりに寄せていた顔をひっこめてくださった。

「なんのいたずらですか? 殿下」
「それはこっちのセリフだよ、イザベル」
 あくまで優しく穏やかに、あきらかな懸念の色を顔に浮かべてシャルル殿下はまたわたくしの顔を覗き込んだ。
「君たち、なんだか妙なことになってるようじゃないか」