「ってことで一回俺の家に行くよ」
「…………え?」
「ん、ちょっと失礼」
「え? ……わっ、わわっ!」
するとその人は私のことを軽々と抱き上げた。しかもお姫様抱っこだ。かなり恥ずかしい。
(な、なにが起こっているの……?)
わけのわからないまま、私はその人にされるがままになった。
「転移魔法」
そして短く詠唱されたかと思えば、魔法陣が展開され、光に包まれた。私は恐る恐る目を開けると、見たこともない豪邸の前にいた。
(どこ、ここ……)
状況を理解することができない。
自殺を止められ、お姫様抱っこをされ、気づけば見知らぬ人に転移魔法で豪邸の目の前にいる。
(いったい、どうなってるの……)
するとーー。
「若っ!」
「架瑚っ!」
異なる二つの声が同時に聞こえた。そして瞬きすると、その人たちと思われる人たちが私の目の前にいた。
「わっ……!」
(びっくりした)
私を抱き抱えている人は知り合いなのか、特に驚きはしていなかった。となると、この人はこの豪邸に住んでいる人なのだろうか。
「今帰った」
「んなことわかるに決まってるだろ!」
「若、大事なのはそこではありません」
「なんで俺らに何も言わずに雨の中、傘を差さずに屋敷を出るのかって聞いたんだよ!」
「夕夜の言う通りです」
息ぴったりだ。なんかすごい。
でも、それよりもーー。
(架瑚って……まさかーー!)
「緊急の用だったからな。仕方ない」
「仕方なくなんかありませんよ、全く」
「早く自覚を持ってくれ架瑚。あんたが笹潟家の次期当主だという自覚を」
(じ、じ……)
「次期当主っ!?」
私は素っ頓狂な声を出してしまった。慌てて口元を抑えるがもう遅い。三人が一斉に私の方を見つめた。そしてお互いの顔を見合わせた。
「おいまさか、こいつ知らないのか? 架瑚が何者なのかを」
「そういえば、名乗っていなかったな」
「忘れていたのですか!?」
高貴なお方であるはずの、私を抱き抱える次期当主様。そんなお方の従者と思われる二人の男女。そして、落ちこぼれで家出をした私。
何故、こんな組み合わせなのだろうか。
(もう、何がなんだかわからない……)
意識と感覚がだんだんと薄れていくのがわかった。だけどそれは苦しいものじゃなくて、むしろ安らかだった。
「…………ーー」
「……ん、藍?」
誰かが私の名前を呼んだ気がしたが、考える間もなく、私は全力疾走の疲れと、急激な環境の変化で眠ってしまった。
「ここは……」
そして、気づけば朝になっていた。
しかも見れば着替えてあるし、寝ていた布団は上等なものだった。
まだ私は何が起こったのかをわかっていなかった。昨日のこともあまり覚えていないし、何より私を助けたのが、笹潟家の次期当主様だとするならば、とんでもない話だ。
次期当主。それだけでもすごい人だとわかるのだが、まさかあの笹潟家の次期当主とは。
この国には五大名家と呼ばれる五つの家系がある。笹潟家はその一つだ。
五大名家は主上にお目見えできる、数少ない家元で、そのなかでも笹潟家は五大名家の中でも強い発言力と、影響力を持っている家元と言われている。魔力値の高い者を多く輩出する高貴な一族だ。
今は様々な企業を立ち上げており、年々規模が大きくなっているという。
そんな五大名家の笹潟家の次期当主ともなれば、魔力値が高いのはもちろん、成績や武芸でも実力を出している人を表す。そう、簡単になれるものではないのだ。
そして、そんな笹潟家は二年後に、当主が代替わりすることが決まっている。そのお方こそ、笹潟架瑚様である。
噂によると、頭もよく魔力値は飛び抜けており、武芸の才もあるとか。まさに文武両道であるという。
しかも、これまた顔がいい。話しかけられれば、大抵の人はその美しさで失神してしまうという。
私は信じていなかったが、もし昨日会ったお方がその人だとしたら納得だ。
しかし、本当にあの人が本物ならば、私はとんでもないことをしてしまったことになる。
数々の自虐する言葉を吐き出したにも関わらず、何よりも押し倒す形となってしまったのだ。
もちろん下心とかもないし、そんなつもりでしたわけでもない。
あの時はただ、精神状態が不安定だったからだ。決して私は痴女ではないのだ。うん、そうだ。そう……そう、信じたい。
だが今はそれよりもーー。
「私、これからどうしよう……?」
「俺の婚約者になればいい」
「「…………」」
一カメ、ニカメ、三カメからの場面が流れる。どこから見ても、笹潟様がいた。
突如現れた笹潟様に私は硬直し、そして「ぎゃあああああっ!」と大きな悲鳴を上げた。笹潟様は思わず目をつぶった。
その後聞いたところによると、この時の悲鳴は屋敷中に響き渡ったという。
笹潟様はそんな私の反応が意外だったようだ。
「そんなに驚く?」
「おおおおおおお驚きますよ!」
(逆に驚かない方がおかしい)
そんな私とは対照的に、笹潟様は冷静だった。
「ふーん、まあいいや。はい、これ」
渡されたのは、私が昨日着ていたセーラー服だった。綺麗にアイロンまでされている。
ここまでしなくても良かったのに、と内心思う一方、嬉しかったので「ありがとうございます」と、お礼を述べた。
笹潟様は「じゃ、それに着替えたら来て。廊下で待ってるから。なんかあったら言ってね」と言って廊下へ出ていった。
(え? え?)
私は夢を見ているのだろうか。
笹潟様と私は昨日会ったのが初対面のはずだ。なのに私は笹潟様のお屋敷で寝て? 洗われた制服を渡されて? 着替えたら来て?
(何故、こうなった……?)
状況を理解できないが、取り敢えず私は急いで着替え、部屋にあった鏡を見て身だしなみを整えてから、廊下へ出た。
笹潟様は部屋を出てすぐのところで待っていた。
「ん、終わったね。早く行こ」
五大名家の人は堅苦しい人だと思っていたが、案外物腰が柔らかそうな人らしい。私は笹潟様の口調から、そう推測した。
どこへ行くのですか、という疑問が浮かんだが、それは時が解決してくれるだろうと思い、私は「笹潟様。何故、私を助けてくださったのですか?」と聞いた。
だけどーー。
「教えない」
「…………え?」
笹潟様は意地悪そうに笑った。そして「内緒」と言った。
「内緒、ですか……」
内緒と言われても困るのだが、笹潟様にそう言われては教えてもらうことはできない。謎が多すぎる。
するとーー。
「あと、俺のこと、架瑚でいいよ」
「…………?」
言っている意味がわからず、私は首を傾げた。
「だから、俺のこと、架瑚って呼んでいいよって言ってるの」
「え、ええ!?」
そんな恐れ多いこと、分家の私が言えるわけない。しかも、相手は年上。「様」や「さん」をつけないのは、人としてダメだ。
悩んでいると、こんな提案をしてくれた。
「……わかった。藍の好きなように呼んでいいよ。でも架瑚って名前は入れてね」
呼び名に名前を入れるのは前提みたいだ。
「……じゃあ、架瑚さまでいいですか?」
「! ……いいよ」
架瑚さまの耳が赤いと思うのは気のせいだろうか。何故だか不思議だが、少しだけ可愛い、と思ってしまった。
男性に可愛いは、似合わないかもしれないし、失礼なので口にはしなかったが、思わず頬が緩んだ。
そのことに、架瑚さまも気付いたようだ。
「なんで笑ってるの?」
「いえ、なんでもありません」
「本当に?」
「ええ、本当です」
少し嘘をつくような形となってしまったが、不敬なことをするより良い。
「そっか、良かった」
「!」
表情に変化はない。だが、何故だか私には架瑚さまが微笑んだように見えた。
「あ、着いたよ。中に入ろっか」
長い長い廊下を渡り終えたところで、架瑚さまは私にそう言い、ふすまを開けた。すると、中には待ち構えていたと思われる、二人の男女がいた。
二人は架瑚さまに頭を下げて「「お待ちしておりました」」と言った。
(この人たち、知ってる……)
藍は二人に見覚えがあった。昨日の夜、架瑚さまのそばに駆け寄ってきた人たちだ。
男性の方は架瑚さまに若干似ている。架瑚さまと違うのは目つきだろうか。少しきつい気がする。気のせいだろうか。
女性の方は大人びており、美しい人だった。優しそうな雰囲気が漂っており、所作も綺麗だった。
「顔を上げろ。堅苦しいのは嫌いだと、前にも言ったはずだ。」
「では、遠慮なく……っ架瑚! こいつは誰なんだ! 俺らに相談もなく、いつも独断でことを進めるなと言ってんだろ!?」
(本当に遠慮ない態度で話しかけ始めてる……。いや、怒っている方が正しいか……)
架瑚さまと男性の方は仲が良い、と言うよりは距離が近い感じがした。口調から分かる通り、遠慮がない。それだけ信頼している証拠なのだろうか。
「今言うから問題ないだろ、夕夜」
架瑚さまが討論している男性の名は夕夜というらしい。
だがそれよりもーー。
「そう言う問題じゃないんだっつーの!」
(こ、これは一体どうしたらいいんだろう。それに、こいつって私のこと、だよね。でも、私も架瑚さまから何も聞いてないし……うぅ! どうしよう!)
口論をする架瑚さまと夕夜さま。どうしていいのかわからない私。そんな状況の中、助けてくれた人がいた。
「若、夕夜」
凛とした声が、その場の空気を掴んだ。
「客人が困っています。一度落ち着いてください。それと、若は説明をお願いします」
すごい人だ。
丁寧な口調で他者を落ち着かせ、その場の雰囲気を変えた。容易なことではない。それを、この人はできた。純粋に尊敬する。
架瑚さまは「わかった」と言うと、私にお二方を紹介した。
「俺が笹潟架瑚。五大名家の一つ、笹潟家の次期当主。で、こっちの口調が荒いやつが美琴夕夜。そっちの真面目は真菰綟。二人とも俺の従者だよ。あ、呼び捨てでいいからね」
男性の方が美琴夕夜様、女性の方が真菰綟様だそうだ。やはり二人とも、架瑚さまの従者だった。優秀なのだろう。
「勝手に決めんな。……おいお前も名乗れ」
一応年上のはずなので、私は夕夜さま、綟さまと呼ぶことにした。そして「時都藍です」と名乗った。
「……時都藍…………お前、姉妹はいるか?」
「あ、はい。双子の姉がいます」
「……そうか」
すると、夕夜さまは急に立ち上がり私に近づくと、私を睨んでこう言った。
「お前、サードだな。架瑚が誰だか分かっているにも関わらず、何をしに来た」
「え…………?」
そんなの、私だってわからない。自死しようとした時に架瑚さまが助けて、お屋敷に連れてきてもらって、今に至るのだから。
「ファーストに近いセカンドと言われている姉ならまだわかる。なのに架瑚が雨の中連れて帰ってきたが落ちこぼれのサードの中のさらに落ちこぼれと言われているあんただ」
夕夜さまは勘違いをしている。
「あの、夕夜さま。私……」
「言い訳なんて聞きたくない。この際はっきりと訊く。お前は架瑚に何をしたんだ」
夕夜さまは私が架瑚さまを籠絡させて、ここに連れてきてもらったのだと思っているのだろう。
私は何度か夕夜さまに説明しようと試みるが、全然取り合ってくれなかった。
「あの、夕夜さま、聞いてくださ……」
「早く言え。それとも、時都家の方に訊いた方が早いか?」
「っ! それは……」
それは困る。母に私がここにいると知られれば、私はお仕置き部屋に入れられ、三日間閉じ込められてしまう。
何度か体験したが、どれも辛く耐え難いものだった。まず食欲がひどく増す。だが一食すらもらえないため、餓死するかと思った。
それと、お仕置き部屋は鉄でできているため、冬場は寒くて冷たいため、凍死するかと思った。毛布やブランケットはもちろんもらえないため、地獄の三日間となる。
それだけは、一番したくないことだ。
「なんだ? 親に言われては困ることでもあるのか?」
「それ、は……」
それは言えないことだった。契約上、家でのことは話してはいけない決まりになっているからだ。
契約を破れば、どんな目に遭うかわからない。だけど今、言わなければ母に連絡が入ってしまう。
どうすればーー!
「夕夜」
綟さまとはまた違った、その場の空気を操った声だった。その声の主はーー架瑚さまだった。
「夕夜。俺が女に籠絡されるようなやつだと本気で思っているのか?」
「いや。だが、もしまだこの国には伝わっていない異国の魔法が使われていたとしたら、と考え疑うのは、従者として当然だろ」
「そうか、わかった」
バシンッ!
鈍い音がした。スローモーションのように私は思えた。架瑚さまが夕夜さまに平手打ちをしたのだ。
架瑚さまは冷たい目をしており、夕夜さまは呆然としていた。私も綟さまも呆気にとられた。何が起こったのか、一瞬理解できなかったのだ。
「夕夜。たしかに夕夜の考えは正しい。それは認める。だがーー夕夜は主人である俺を信用していないということなんだよな?」
「っ!」
「…………そうじゃない。それはわかってほしい。俺は架瑚が信用できないわけじゃない。その女が信用できないだけだ」
夕夜さまがそう思うのも当然だ。昨夜、急にやって来た私と今、夕夜さまは初めてちゃんと会ったのだから。
「それは俺が信用できないのと同じだ」
「違う」
「同じだ」
「違う!」
「同じだと言っている!」
架瑚さまの怒声が部屋にビリビリと響き渡った。
私は、自分のせいでこんなことになってしまったのだと思うと、すごく申し訳なくて、どうしていいかわからなくて、怖くなってしまった。
それから数分の沈黙が流れて、夕夜さまは部屋から出ていった。架瑚さまは何も言わなかった。私はただ、それを見ていた。
気まずい中、はじめに口を開いたのは架瑚さまだった。
「ごめんね、藍」
「……えっ、あっ、いえ、そんな」
私は突然のことだったので、返事が遅れてしまった。そしてなんと言っていいのかわからなくて、あわあわしてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「なんで藍が謝るのさ?」
「だ、だって私が原因でこうなってしまったので」
「いや、俺も悪かった。事前に説明もなしに行動に移したから、夕夜も何が起きたかわからなくてああなったんだろう」
事前に説明してなかったんだ、と少し呆れたが、昨夜の夕夜さまと綟さまの反応を思い返せば、それもそうだと思った。
「どうすれば、仲良くなれますか」
「……え?」
「えと、あの、どうすれば夕夜さまと仲良くなれるかと思いまして」
「いや、藍? えっと……」
夕夜さまが怒ったのは、私が夕夜さまに認められていないからだ。
まぁ、それ以前に何故私が架瑚さまに助けられたのかを知らないのだが、それよりも早く夕夜さまと仲良く……まではいかなくても、私も架瑚さまに連れて来られた理由を知らないことを知ってほしい。
勘違いを訂正したいのだ。
架瑚さまと綟さまは顔を見合わせた。
そしてーー。
「「ずんだ餅」」
「…………え?」
(ずんだ、もち?)
「ずんだ餅だな」
「そうですね。ずんだ餅ですね」
うんうんと頷く理由がわからず、私の頭上に疑問符が浮かんだ。
夕夜さまとの仲直りの方法を訊いたはずなのに、架瑚さまと綟さまはたしかにずんだ餅と言った。