俺は魔法使いじゃなくて超能力使いだぜッ!

「シスター! 回復魔法が使えるシスターはいるか!」

 居間にさえ光が灯っていない聖王教会に躊躇無く押し入り、声の限り叫ぶ。程無くして玄関に光が点灯し、ひょこっとシスターが顔を出した。

「こんばんは、笹瀬川ユウさん。ヴァンパイアハンティングの途中での来訪、流石に歓迎しませんよ?」
「いいから回復魔法の使い手は!?」

 目の前の何もない空間が水滴が一滴落ちた水面の如く震動し、この教会の回復魔法が得意なシスターは音も無く現れた。
 空間転移だ。

「随分手酷くやられたようだね、普通の病院なら匙を投げて葬儀場送りだから此処に来るのは必然か。やれやれ、死にかけている者がいるのなら見捨てられないわね」

 やや呆れたような顔を浮かべ、それでもシスターは律儀に診察する。
 抱き上げていたシスター・クレアを床に下ろし、彼女達の手に委ねる。素人の自分が出る状況ではない。

「これをこうして、ああしてこう」

 施術を受けると見るからにシスター・クレアの顔色が良くなり、どうやら峠は簡単に越えてくれたと安堵する。
 これで助けれずに死なせてしまった、とかなったら後味が悪い処の話じゃない。
 ほっと一息付いて脱力すると、自身の通信ガラス玉が光る。相手は、無事だったのか!

 

「神父! 無事だったか!」
『あはっ、残念でした!』

 その耳に発せられた声は神父の厳つい声ではなく、狂気を孕んだ少女のものだった。

 彼の通信ガラス玉で彼女が出るという事は――あそこにいたヴァンパイアハンティングをしていた人たちのは彼女との戦闘して敗北し、逃げ切れずに死亡した事に他ならない。

「ッッ!」

 言葉が、出ない。少し前まで一緒に歩いていた人物が殺された、などと認めたくない。
 偶然、彼女が神父の通信ガラス玉を拾って通話を掛けて来た。そうに、違いない。
 そうやって自分を騙そうと思っても、既に彼の死亡が確定済みだと認めている自分を否定出来なかった。

 放心中の自分から、携帯がひったくられる。シスターの仕業だった。一体何を……?

「見境が無いな、ヴァンパイア」
『貴方が聖王教会の司教級シスターさんですか? 一つ聞きたい事が――』
「騎士甲冑を纏った武者なら『帝鬼軍』にしか居ない」
『え?』


 一体、何を言っているのだ? このシスターは。
 見上げた彼の顔は笑っていた。純度100%の悪意を、彼は初めて目の当たりにした。

「何を呆けているんだ? お前の想い人とやらを殺したのは、戦争への復讐に生涯を捧げた一般人の組織である『帝鬼軍』だと言っているんだ。奴等の詳しい情報と居場所は誰もが知ってる街外れの大きな武家屋敷だ」

 そう言い捨てて笹瀬川ユウの通信ガラス玉を投げ返す。

「何故、教えた?」
「何故? 帝鬼軍の奴らの復讐の為に私達『聖王教会勢力』が手酷い傷を負うことになった。ならさっさと問題の帝鬼軍へぶつけて始末してもらった方が良いだろう」
「シスター・フェルミナはここの人だったんだろ?情はないのか」
「噛み付いてくる獰猛な獣にかける情けはないよ」

 話はここで終わりだ、と言わんばかりに司教級シスターは姿を消す。笹瀬川ユウはヴァンパイアハンティングの集合場所へ戻り、少しでも生存者を探すことにした。
――かーかーと、鴉の鳴き声が無数に響き渡る。
 小鳥の囀りにしては無粋な鳴き声であり、とても朝を感じさせるものではない。

 結局、あれから一睡も出来ず、時々額に乗せるタオルを濡らし直して眠れるシスター・クレアの看病をしながら早朝を迎えた。

 あれから通信ガラス玉に連絡は無い。当然と言えば、当然だ。神父の通信ガラス玉はヴァンパイアの手に渡り、彼自身はもう――。

 最悪の想像が脳裏に過ぎった時、通信ガラス玉が光る。非通知――即座に部屋の外に出て、通信を開始する。 

「誰だ?」
『笹瀬川ユウ、神父と同じヴァンパイアハンターだ。コッケンの旦那との連絡が途絶えたままだ。昨晩、何が起こった?』

 それはコッケン神父からではなく、彼の仲間のヴァンパイアハンターからだった。
 笹瀬川ユウはありのまま起こった事を話す。強大なヴァンパイアに遭遇し、コッケン神父を囮にして逃げ延び、死なせてしまった可能性が大きい事を――。

『……まだ死亡が確定した訳じゃないッ! コッケンの旦那は存外しぶとい。怪我を負って連絡が出来ない状態の可能性も考えられる。その際に携帯を落とす事なんざ極稀にあるだろう! オレが直接確認しに行くから朗報を待っていろ』

 彼はそう自分に言い聞かせるように通話を切り、放心状態の笹瀬川ユウは再び高町なのはが眠る部屋に戻る。
 責めてくれればどんなに楽だったか。お前のせいで死んだ、そう罵ってくれれば良かった。
 

(くそっ、くそくそくそ――!)

 ユウは項垂れる。あの人に関してはこの異世界来て以来の縁だったか。

 最初から意味不明なこんな俺を受け入れてくれた恩人だった。何か考えあるのだろうと警戒をしたが、その警戒は無駄に終わった。。

 こんこん、と小さめのノックの後、部屋の扉が開き、欠伸しながら眠たそうに目を擦るシスター・アルシエルが入ってきた。

「一晩中看病していたのですか。シスター・クレアが負傷した事に貴方は何ら過失も無いのに。ふあぁ~っと、失礼。これじゃあ私が吸血鬼ですね」
「朝が弱いんだな」
「吸血鬼なもので」

 軽口を叩きながらユウの前で大きく欠伸をする
 そんな彼女は高町なのはの看病をするのではなく、此方側に近寄り、最寄りのテーブルの上に木の籠に入ったパンを差し出した。

「朝弱い私は吸血鬼ということですね。――はい、出来るだけ簡素な食事をお持ちしました。食べないと行動すら出来ませんよ? 良く寝て良く食べて良く悪巧みするのが長生きの秘訣です!」
「……いや、悪巧みは違うだろ。それに吸血鬼が人間の長生きの秘訣語ってどうすんのよ?」

 正直言って食欲が湧かないが、腹は減っているという矛盾状態。少しだけ躊躇うも、パンに手をつけて噛み付く。シスター・アルシエルは一緒に持ってきたティーカップに紅茶を注いでいた。

「逆ですよ、吸血鬼ほど人間が大好きな化物は他にいませんよ? ヴァンパイアの唯一の天敵ですから」

 その理論は相変わらず良く解らない。ヴァンパイアなんてものは不死身で強くて人間など血袋以外何物でも無いと自信満々に思っていそうなものだが――。


「コッケン神父の事で悔いているのですか? 彼は最善の決断を下し、最善の結果を齎した。貴方がとやかく思うのは問屋違いというものです」
「っ、だが、オレも残っていれば――!」
「貴方もシスター・クレアも巻き添えで死んで全滅してましたよ? それはコッケン神父の挺身を無為にする最高の愚挙です」

 
 言われて、反論の余地無く口を閉ざす。
 ……彼の死を、未だに受け入れる事が出来ないのは直接見ていない事と、その死の原因が自分にある事から、だろう。

 此処で足踏みしていても、彼は何も喜ばないだろう。パンに食いつき、紅茶で流し込む。行動に必要な活力を取り込み、そして必要な情報を聞き出す。

 この舞台に自分の役割など見出せないが、まずはやれる事をする――!


「……シスター・フェルミナの言う、カムイキリトとはどういう奴だったんだ?」
「うーん、普通の良い人でしたよ。聖王教会に良く手伝いに来てくれました。シスターに惚れられていた驚きですけど。その結果、救いのない状況になってますけど」
「空気な死人にここまでやられるとは、俺もダメダメだな」
「死人を悪く言うものではありませんよ」
「そうだな、俺にとっては他人でもシスター・フェルミナにとっては大切な人物だったんだから」

 だから、こんな事になっているのだが。
 その時だった。一瞬影が射し――ふと窓を振り返れば、誰かが蹴り破ってダイナミックに侵入し、軽やかに着地していた。

「クレアッッ!」


 咄嗟にエメラルド・グリーンを出し――侵入者が叫んだその名前に硬直する。
 その青年は躊躇無くシスター・アルシエルに小太刀を一閃し、ぎりぎり避け切ったシスター・アルシエルは大層不機嫌そうに口を尖らせた。

「あのぉ~、クルジス・レッドフィーネさん? 正面玄関から入ってくれませんか? 毎回毎回窓をぶち破ってご来館するのは勘弁して貰いたいんですが。妹さん起きちゃいますし」

 レッドフィーネ? 妹さん……やはり、この青年はシスター・クレアの兄、その人なのか!?
 戦闘スタイルに移行した状態の眼で見ていたのに関わらず、その小太刀の一閃は霞むような速度だった。本当に人間なのかコイツ!?


「クレアを返して貰う……!」
「……妹さんをお引き取りに来て下さいって連絡したの、うちらなんですけど? 何か致命的なまでに勘違いしてません?」


 クルジス・レッドフィーネとシスター・アリシエルとの温度差は激しい。
 片や背水の陣で人質の妹を死守する構え、片や全力で脱力して呆れ返っている。
 一体全体、この聖王教会は、いや、何があって教会はクレア兄に此処までの敵対心を抱かれているのだ?


「全く、相変わらず無礼者だね。クレア兄」

 此処に居ない筈の司教級シスターはの声が響き渡る。
 背後の壁から透き通って司教シスターは悠々と現れた。一体何処の吸血鬼の真似してるんだ。


「ッッ、このアバズレめ……!」
「本当に無礼な奴だ、妹の命の恩人に向ける殺意ではないな。異母兄妹だから愛情が薄いのか?」

 司教級シスターはからかうように嘲笑い、クレア兄は更に激発し――一触即発の空気になる。

 二人が睨み合う中、突き破ったガラス窓が自然に復元されていき、散らかした破片すら綺麗に戻る。
 唾を飲み込む。もう此処からは何が開戦合図になるか解らない。
 迂闊に動けない――この時「っ、ぁ……」クレアから声が発せられ、緊張感が一斉に霧散する。


「クレア!」

 怨敵よりも妹の安否を優先するシスコンの鏡で良かった、と安堵する。
 今まで展開していた超能力を消す。

「おはよう、クレア・レッドフィーネ。世界の裏側を垣間見た感想は如何だったかな?」

 クレア兄とは裏腹に、司教級シスターは悪意に満ちた笑顔を浮かべて尋ねる。隣でクレア兄が殺意を撒き散らしているが、何処吹く風である。

「……私、は……何で、此処に、っ! フェルミナちゃんは!? あぐっ……!」
「落ち着け、怪我はまだ完治していない。迂闊に動くと折角塞いだ傷が開くぞ」

 生死に関わる重傷がこの程度に済んだ事は僥倖と言うべきか。いや、今の言葉は激発しそうなクレア兄に対する当て付けか?

「私は司教級シスター、この屋敷の聖王教会だ。君はヴァンパイア化したフェルミナと交戦し、敗北した。殺される寸前にコッケン神父と笹瀬川ユウに助けられ、我が屋敷まで運び込まれたという訳だ。此処までは良いかな?」

「……フェルミナちゃん、は――」
「さて、彼女の行方は私にも解らないな」

 自分が此処まで酷い目に遭っているのに、最初に出てくるのは他人の心配か。

「一体何が起きている? ヴァンパイア? それに昨日から居なくなっていたフェルミナちゃんの行方も知っているのか!?」
「フェルミナ姉経由で聞いていたのか。彼女の行方については本当に解らんよ。――覇王陣営に宣戦布告されてな、此方の監視網はズタズタに引き裂かれたままだ」

 クレア兄はある程度、此方の事情に通じているのか。司教級シスターに対する殺意は只ならぬものだったし、絶対に何かやらかしたのだろう。

「それじゃ順を追って説明しよう。シスター・クレアが巻き込まれ、フェルミナ・ストラスが参加したヴァンパイア・ハンティングについてな」

 まるで司教級シスターは何処ぞの麻婆神父のように嫌らしく笑う。

「――ヴァンパイア・ハンティングとは、ヴァンパイアが行う奇跡を降臨させる儀式を阻止するために聖王教会が行っているヴァンパイア狩りだ」

 覇王教会も強き者を探して独自路線で行っている、と付け足す。

「何処の誰に入れ知恵されたのかは知らないが、フェルミナ・ストラスは自らの意思でヴァンパイア化して、この儀式を完成させるために参加しているようだ」
「……っ、フェルミナちゃん……! 止めなきゃ……!」
「どうやってだい?」

 

 『魔術師』は優しげに、そして残酷に尋ねる。
 笑っているように見えて、普段とは比較にならないほど攻撃的で刺々しい――? 

「ヴァンパイアに対抗出来るのは基本的にヴァンパイア・ハンターのみだ。そして君は既にヴァンパイアに敗れている。つまりハンターたる力の資格を失っている」

 役をまともに出来ない大根役者に舞台に上がる資格は無い、と司教級シスターは厳しめに断言する。

「今夜の事は全て忘れると良い。それで君は日常に戻れる」
「っ、それじゃフェルミナちゃんは……!」
「あれは自らの意思で此方側に足を踏み入れ、ヴァンパイア化して宣戦布告した。もう後戻りは出来ない。別に珍しい事では無かっただろう? お友達の一人や十人が行方不明になる事ぐらいは」


 司教級シスターは皮肉気に笑い、クレアは知らぬ内にその瞳から涙を一滴流した。その反応が大層気に入ったのか、司教級シスターはくつくつ笑い――反面、クレア兄の荒れっぷりは天井知らずだった。


「シスター、アンタはフェルミナ・ストラスに対して、どうす気だ?」
「どうもこうも、何もしないよ」
「何だと?」

 それは危害を加えない、という意味の宣言ではなく、もうどうしようも無いという類の死刑宣告だった。

「手を下すまでもなく近日中に自滅すると言ってるんだ。フェルミナ・ストラスは魔力枯渇して『死』ぬだけだ。そうなる前に彼女を打倒して救命措置を施せば生命だけは助かるだろうが、生憎とそれは不可能だろうね」

 冷然と戦力分析を述べ――その言葉に、クレアがぴくりと反応した。

「……で、でも、それでも私はフェルミナちゃんを助けないと――」
「――それにね、クレア・レッドフィーネ。君が勝機を用意せず、フェルミナ・ストラスと無謀に交戦した結果、一人囮になって死亡した者が居る。そうだろう? 笹瀬川ユウ」

 まさか司教シスターの苛立ちの原因はそれ、なのか――?
 此処で此方にその話を振ってくるとは予想出来ず、沈黙してしまい――それはシスター・クレアにとって、無言の肯定と同意語であった。

 確かに自分もシスター・クレアの無謀な言動には頭に来ていた。それが頂点に達して表に出なかったのは、自分以上に怒れる者が居て、冷静に振り返ってしまったからだ。

「……え?」
「シスター!」

 それでも駄目だ。幼い少女にはその事実の重さを受け止められない。
 怒りを込めて睨むも、司教まで上り詰めたシスターにとってはそんな視線など無いも同然だった。

「解り辛かったかな? 君にも理解出来るように単純な文章に直すと――お前のせいで一人死んだ。瀕死の負傷で足手纏いの君なんか背負わなければ、コッケン神父は笹瀬川ユウやシスター・アルシエルと共闘して生き延びられただろうに。惜しい男を亡くしたものだ」

 心の底から哀悼するように、司教シスターは責め問うシスター・クレアら視線を外し、彼方を見上げた。

「あの人はっ、コッケン神父はまだ死んでねェ――! 絶対に生きている……!」
「それは本気で言っているのかな? 笹瀬川ユウ。自分さえ騙せない嘘は滑稽なものだよ。確かに私自身も彼が殺された瞬間に立ち会ってないから100%死亡しているとは断言出来ないとも。だがヴァンパイア、それも己の制御できぬほどの魔力を暴走させているやつを相手にして生き残れる可能性は一体幾ら程かな? 超能力者で、前世とやらあるがお前ならわかりそうなものだが?」


 未だに認められない自分を嘲笑うかのように司教シスターは目を瞑った状態で威圧し――途端に無表情に戻り、くるりと踵を返した。


「完治するまでは面倒を見るが、此処も安全とは言えない。退去するなら早めに退去しろ」

 それは放心するシスター・クレアに言った言葉であったが、今はその耳に届きすらしないだろう。
 この年頃の少女に人の死を背負うなど不可能だ。今、この自分さえ、醜く動揺して否定しようと藻掻いているというのに――。


「そうそう、クレア兄。フェルミナ・ストラスは自らを維持する為に人間を捕食をしている」
「馬鹿な……! あれほど信心深い子が」
「事実だよ。一般人を殺して魔力の補充をしている。放置しておけば犠牲者はまだまだ増えるだろうね」

 この瞬間、フェルミナ・ストラスは何が何でも排除するべき怨敵となった。自分にとっても街の人々にとっても、そのままにしておく訳にはいかない。


「――司教シスター! この都市の管理者として、それは許されざる行為じゃないのか!?」

 感情的に叫んでしまい、ユウは即座に後悔する。
 この司教シスターがどう答えるかなんて、最初から決まっていた。

「この都市の管理者としてはヴァンパイアの儀式が隠蔽されている限り、何も問題無いよ。死体すら残らず丸ごと喰らい尽くすから行方不明扱いで楽だわ」

 そして司教シスターは来た通りの道を進み、壁の中に消えた。
 シスター・アリシエルは粛々とシスター・クレアとシスタークレア兄の分の紅茶を淹れた。
「笹瀬川ユウ、だったか。クレアを助けてくれて、ありがとう。そして、すまない……!」
「顔を上げて下さい、オレは何もしていない……」
「君がいなければなクレアは死んでいた。オレが出来る事はこれぐらいしかない」

 

 一旦部屋の外に出てから、ユウとクレア兄は会話を交わした。

 今、シスター・クレアの目の前で喋るのは、非常に酷な話である。抜け殻のように涙だけを流す彼女の姿は弱々しく見るに耐えない。

 

「貴方はフェルミナ・ストライプを探す気ですか?」

「……ああ」


 それでもそれは愚挙であり、無謀であり、単なる自殺に過ぎない。一人で行かせる訳にはいかなかった。

 

「居場所は司教級シスターが知っています。今のフェルミナ・ストラスはコッケン神父の携帯をほぼ確実に持ち歩いています。其処から現在地を逆探知出来る事ぐらい司教級シスターは気づいているでしょう」

 

 あの司教級シスターは、虚言は余り喋らないが、意図的に隠したい事は自分から喋らない。聞かれたらある程度答えるだけに性質の悪い。

 クレア兄は驚いた顔をする。とりあえず第一段階、フェルミナ・ストラスの居場所はこれで掴んだ。問題はこれからであり、大積みされている。

 
「問題はフェルミナ・ストラスを止められない事です。あのヴァンパイアの力は異常です。千の眼を持ち、大河の如く押し寄せた。見た目通りの質量・耐久ならば斬った傍から復元するだろうし、長期戦は必須です。万が一の僥倖が叶って長期戦に持ち込めたとしても、あるのはフェルミナ・ストラスの魔力枯渇という死の末路だけです」

 

 まともな戦闘になっても長期戦になり、長期戦になれば勝手に自滅してしまう。諸刃の刃とはこの事だ。それを念頭に置いた上で作戦を練らなければ万が一の勝機も掴めない。いや、違うか。最初から勝機を用意した上で挑まなければ話にならない。


「――やるからには短期決戦。力を抑え込み、フェルミナ・ストラスを即座に無力化出来る、そんな方法が必要です」

 まさしく無理難題である。ただでさえ暴走したヴァンパイアの相手は手に余る。

 あれを一瞬見ただけで底は掴めてないが、目の前のクレア兄でも数秒持てば良いレベルである。故にまずは一手、ヴァンパイアと互角に戦闘出来る者が必要となる。

 
「そしてその作戦の鍵はやはり司教級シスターが握っている。彼女は相手の全力を大凡で推測していると思われます。どの道、やるからには彼女の協力は必要不可欠でしょう」

 

 彼に彼女の必要性を説くが、露骨に嫌な顔になる。

 彼一人なら間違い無く司教級シスターに頼るという選択肢は最初から無かっただろう。ヴァンパイアの天敵は人間だ。更にはここにはヴァンパイアハンティングなんてものをする人間の巣窟の上位者である司教の位置にいる。
 

「そして、フェルミナ・ストラスを唯一生存させる方法は、貴方の妹と、シスターは・アリシエルが握っています」
「クレア、が……?」
「ええ、フェルミナ・ストラスを無力化するには殺すしか方法がありませんが、彼女達ならばヴァンパイアのパワーを病気として祓う事ができる……筈です。司教シスターにもできるでしょうが戦闘要員である彼女を、回復要員にはできません」
「……それは、シスター達にしか出来ない事なのか?」
「……ええ、現状では彼女達のみです。私と貴方では戦闘員にはなれても救うことは出来ない」

 と、そこでふわり、と司教シスターはが現れた。

「――問題点は二つもあるな。まずは私をその気にさせる事。もう一つは精神的に再起不能のクレアをどう立ち直させるかだ」
「……アンタって暇人? というか、その挫けさせた最大の原因が言う事かよ……」
「それに私とて人間だ。感情的にもなる」


 ひょっこり出現した司教シスターは腕を組んでその壁に背中を預けて伸し掛かる。全くもって忌々しい笑顔だ。此方がどう出るのか、愉しんでいる。

「一つだけ此方から問おう。何故フェルミナ・ストラスを生かす方向で話を進めている? 君にとっても仇敵だぞ、アレは」

 初めから傷口の急所に塩を塗り込んで言葉の刃を抉り込む一撃である。

「それともたかが一週間程度一緒だった人間などに掛ける情は無いか?」
「――復讐なんて、そんな小さい事、冬川が望む訳あるか……! 舐めるな司教シスター、確かにオレは奴とは一週間程度の付き合いでしかなかったが、その程度の事ぐらいオレにだって解るッ!」


 他人に自分の復讐を願うような凡用で卑屈な人間が、率先して我が身を犠牲にするか……! 亡き尊敬すべき神父を貶すな、と一喝する。
 同じ感想に至ったのか、司教シスターは堪え切れずに高らかに哄笑した。


「アイツは人を見る眼だけは確かだったな」


 それは『魔術師』には珍しい、穏やかな微笑みだった。悪い憑き物が落ちたかの表情に、意表を突かれたのはクレア兄だけでなく、此処に居る全員だっただろう。

 

 

「笹瀬川、君……」


 部屋に入ると、シスター・クレアが上半身だけ起こし、赤く腫れた眼で窓の外を眺めていた。
 涙は既に枯れ果てた、という酷い有り様だ。これをどうやって立ち直させるのか――。

 

「ごめんさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……! 私の、私のせいで……!」

 

 もう心が折れて、粉々に砕け散っていた。眼が死んでいた。

 考えてみれば当然か。彼女はシスターになる事で、自分の存在意義を形成して行った。それ以前はごく普通の少女に過ぎない。
 強靭な意志を形成する最初の第一歩を最悪な形で躓いたのだ。今の彼女に強さを見出す事は出来ない。


「フェルミナ・ストラスを助けたい。その為にはシスター・クレア、君の力が必要だ」


 今の自分が掛けられる慰めれる言葉はこれぐらいであり――シスター・クレアは泣きながら首を横に振った。

 

「……駄目。無理、だよ。私なんかじゃ、何も出来ないよ……!」

 

 嗚咽を零し、シスター・クレアは弱々しく泣き伏せる。



 ……無理だった。彼女はオレと違って正真正銘の十数歳の少女だ。その彼女を再び戦場に駆り立てるのは酷な話だった。

 プランに修正が必要か。シスタークレア抜きでフェルミナ・ストラスを救う方程式が――。

 諦めかけたその瞬間、ばたん、と勢い良く扉が開いた。空気を読まずに現れたのはシスター・アリシエルだった。

「失礼しまーす。包帯替えの時間です。男性は廊下の外に立って、待ってて下さいねー」
 「え?」と言う間も無く手を引っ張られ、ドアの外まで押し出される。それもぽーんという勢いで。

「な、ちょ――シスター・アリシエル、ちょっと待て!?」

「もう、エッチだなぁ、ユウさんは。若い衝動を抑えられなくなって覗いちゃ駄目ですよー」

 
 反論する間も無く閉められ、かちっと鍵が閉められる。



「はいはーい、包帯を替えますねー。脱ぎましょうね」

 言われるがままにシスター・クレアは自分と同年代のシスターに身体を委ねる。

 昨日受けた傷とは思えないほど身体に残った傷は浅く、その反面、心は罅割れて崩壊寸前だった。

 その何とも言えない外見とは裏腹に、鮮やかな手並みで包帯を綺麗に丁寧に迅速に巻いていく。自分では到底此処までの芸当は出来ないだろう。

 自身の存在価値を限界まで下向させ、シスター・クレアの精神は終わりの無い悪循環に陥っていた。
 本当に彼女を助けられる人は、必ず何処かに居る筈だ。自分以外の誰かが――。


「昨日貴女が運び込まれた時点で居なかったです。後で探しておきますよ」

 

 一応尋ねてみたが、彼が此処に居る筈が無いと自嘲する。
 包帯が巻き終わり、シスター・アリシエルは二人分の紅茶を淹れて、ベッドの近くの机に置き、彼女自身も近くの椅子に座った。

「貴女本人だけの過失では無いですよ。ぶっちゃけ舞台が最悪だっただけですし。初舞台があれじゃ同情物です」
「わ、私は、助けられる力があるなら助けたかった。でも、私にはそんな力が無くて……!」

 一瞬で涙腺が決壊し、枯れ果てたと思った涙は止め処無く流れ出る。

 シスターの少女は立ち上がり、ベッドに腰掛けてクレアを抱き締め、頭を撫で続ける。

 自分と同じぐらい小さな少女は、まるで母親のように泣く子を優しく宥める。また自分が情けなくなって、クレアは脇目も振らず、大声で泣き続けた。


「世の中、最善の選択が最善の結果を生むとは限らないのです。其処が難しい処ですからねぇ」


 正しい事をしても正しい結果になるとは限らない。シスターの少女はよしよしとあやしながら悲しげに語る。



「それに私達は子供です。失敗して当然ですし、失敗して良いんです。大人に迷惑を掛けて当然ですし、頼って良いんです。これはコッケン神父の口癖でしたでしょう?」

 コッケン神父は二人を引き取り、聖王教会で育てた父親のような人物だった。ヴァンパイアと異教徒には厳しいが、それ以外では不器用なお父さんだった。

「で、でも、私は、取り返しの付かない失敗、を……!」
「――自らのツケを自分で支払ってこそ大人なのです。子供のツケを代わりに支払うのもまた大人の義務なのです。これもコッケン神父の言葉です」

 自分の失敗の為に死んだ顔も知らぬ誰か、その誰かは見知らぬ自分を命懸けで助け、その結果死なせてしまった。
 その負債をどうやって穴埋め出来ようか? 否、出来よう筈が無い。それに匹敵する光などあろう筈が無い。

「コッケン神父はあの場に置ける最善の選択をした。その何よりも尊く高潔な意志をもって貴女達二人を生還させた。貴女がそれを悔やむのは、コッケン神父の意志と誇りを穢す事に他ならない」


 厳しく、けれども優しく抱き締めながら少女は詠う。

 「――失敗した。それで貴女は嘆いて終わりですか? 生きている限り、次があります。真の敗北とは膝を屈し、諦める事。諦めを拒絶した先に『道』はあるのです。貴女は彼から次の機会を授かった筈です。そして受け取った筈です。――彼の意志を受け継ぐ権利が貴女にはあります」

 ――彼の、意志?

 解らない。私を助けて死んでしまった人の意志なんて、私なんかが解る筈が無い。
 私が死ねばそれで良かったんだ。それなら素晴らしい人が死なずに済んだ。こんな無意味な私の為に死なずに済んだのに――!

 ――いいえ、と少女は首を振る。
 まるで聖母のように慈愛に満ちた笑顔で、彼女は魔法の言葉を教える。

「貴方の、シスター・クレアではない。神から与えられた『洗礼銘』を今一度唱えて御覧なさい。貴女の力の『銘』を――」

 彼女の視線の先には、テーブルの上には彼から貰った紅色の宝玉があった。変わらぬ光を宿し、シスター・クレアは自然と手を伸ばして、その『銘』を唱えた――。

「……不屈の、心。レイジングハート」

 少女は不屈の心と共に、再び立ち上がる。

 
 
 
「――作戦を説明する」

 あれからシスター・クレアは何とか精神的に立ち直り、怪我もほぼ治癒した所で作戦会議となる。
 教会のど真ん中ででこんな事をするとは、最初に訪れた時は想像だにしなかっただろう。

「依頼主はいつもの『GA』――じゃなく、シスター・クレアだ。目標はフェルミナ・ストラトスを無事生還させた上でヴァンパイアの打倒する事」

 膝を組んで渋い日本茶を飲みながら司教シスターは語る。
 こんな教会……ヨーロッパ風なのに日本茶かよ、って突っ込むのは野暮というものか。

「単純な作戦だ。まずは私とクレア兄で正面から戦闘し、背後から忍び寄った笹瀬川ユウがフェルミナ・ストラトスを取り押さえ、その隙にシスター・クレアがヴァンパイアの力を封印する」



 シンプル過ぎて涙が出る作戦説明である。
 まぁ作戦を練る段階では全て上手く行きそうな気がする。誰だって失敗する作戦は練らないだろうし。


「まずクレア兄、お前はあのフェルミナ相手に通常通り戦い、良い囮になれ。周囲に注意が及ばないほど激昂させろ」
「……全力を尽くそう」
「その隙に笹瀬川ユウは背後に忍び寄り、一定時間拘束しろ。その一定時間はシスター・クレアがヴァンパイアの力を封印する。どの程度の時間が掛かる?
「えと、手早くやれば三十秒から四十秒で終わると思います」
「上出来だ。となると、笹瀬川ユウはフェルミナ・ストラトスの意識を初撃で大きく削り、ヴァンパイアの力を行使を難しくしろ」

 ……意識を奪えだなんて簡単に言ってくれる。
 漫画やアニメのように首を叩いただけで人間の意識が飛んでくれれば苦労はしない。多少怪我を覚悟して首に大打撃を与えるしか無い。
 

「さて、笹瀬川ユウが奇襲に失敗し、ヴァンパイアの力を全力で使われたら終わりだ。対処法は無い、死を覚悟しろ」
「……俺自身の失敗は死確定って訳ね。肝に銘じておくよ」
「ふっ」
 

 笑いながら言う事じゃねぇよ! と笹瀬川ユウはツッコミを入れる。

「そうなったらもう手段は無い。全滅する前にバラバラに逃亡する。そこでフェルミナ・ストラトスの魔力も尽きて終わりだ」

 この作戦が成功するのも失敗するのも自分次第か。比重が大きすぎるのは怖いが、何とかするしかないだろう。逆に言えば、自分さえ上手く行けばこの作戦は成功間違い無しだなのだ。

「後の問題点は、フェルミナ・ストラトスの状態だ。ヴァンパイア化してるから身体能力も人外の域まで向上している。同年代の少女だと思って加減すると死ぬぞ? 笹瀬川ユウ」
「……改めて分析すると、不確定要素だらけだな」

 

 確かに俺のエメラルド・グリーンの風の流れを肉眼で捉えていたようだし、身体能力の方にも何かしらの影響があるかもしれない。ヴァンパイア化は想定以上に大きい力を手に入れるらしい。想定外のパワーを出されたら呆気無く死んでいた。
 ……始まる前から不安になる作戦会議だったが、後は天の采配に期待するしか無いだろう。
 こうして、コッケン神父の弔い戦は幕を開けた


 
一滴、二滴、血の落ちる音が鳴り響く。
 もう動かなくなった成人男性の首筋に噛み付き、月村すずかは溢れる血をゆっくり飲み干していた。

 零れ落ちた血は背後に流れ、即座に消え果てる。衣服を穢した流血さえ、次の瞬間には吸い取られて染み一つ残さない。

 はしたないと彼女は子供じみた行いをする理性無き自分が笑った。
 ――自分自身が吸血をしているこの瞬間だけ、あの地獄のような苦しみから解放される。

 全身から生じる激痛は血という甘美な快楽で打ち消してくれる。今まで以上に、自分自身が人間ではなく、吸血鬼である事を自覚する。
 これなら、まだ十全に活動出来る。思っていた以上に限界は遠い。これなら復讐を完遂させる事が出来るだろう。


 ――血を吸い切り、既に事切れた男を突き飛ばす。


 死体は黒い影に沈み、跡形も無く葬り去られる。
 ずきり、と一瞬だけ力を使っただけで生じた激痛に目に涙を滲ませる。

(……まだ頑張れる。カムイ君の仇を、この手で取れる――)

 憎き怨敵を脳裏に思い描き、憎悪が激痛を凌駕する。
 どうやって殺してやろうか。絶対に楽には殺さない。殺してと懇願するまで壊して、思い知らせてやる。

(……カムイ君が殺されてもう二年、貴方の顔を思い出す事さえ困難になっている――)

 ふとした拍子に正気に立ち戻ってしまう。
 魔力補給の為に幾人もの人間を犠牲にしてしまった。何の罪もない、赤の他人を。
 友達であるシスター・クレアに瀕死の重傷を負わしてしまった。笹瀬川ユウが救出したので、無事だと思うが――。

(……駄目。迷っては、いけない。認めたら、もう立てなくなる――)

 脳裏に過ぎった感慨を振り払い、立ち上がる。
 既に日は落ちつつある。これからは自分達の時間だ。今日で何もかも終わらせる。
 殺して殺して殺し尽くして、フェルミナ・ストラトスは復讐を遂げる。最期まで狂気を途切れさせずにやり遂げなければならない。

 ――さぁ、狩りの時間だ。夜の支配者である吸血鬼の、一方的な惨殺劇の始まりである。
 そうなる筈だった。物語通りの性能を誇る吸血鬼に敵などいない。
 全てが出鱈目で滅茶苦茶な強さ、理不尽の頂点に位置するのが吸血鬼という怪物なのだから。

 ――ただし、そこに例外が存在する。

 明かりさえない廃ビルに紙吹雪のように本のページが舞い、その悉くに釘が刺され、貼り付けられて次々と固定化される。

 

「な、何っ!?」


 ――かつん、かつん、と、甲高い靴音が等間隔に鳴り響いてく。
 それはまるで死神の足音のように、鼓膜の奥を反芻する。
 何一つ恐れず、一方的に恐怖を撒き散らす暴君だった筈の彼女は、この未知の存在に本能的な恐怖を抱いた。

 そして現れたのは一人のシスターはだった。
 巨大な肉断ち包丁を片手に軽々持った絶対の処刑人が、吸血鬼を前に悪鬼の如く笑っていた。


「お誂え向きの場所だな、ヴァンパイア」
 

 ――これは一体、何の悪夢だ?
 今のこの光景が現実であるのかとフェルミナ・ストラトスは疑う。

 彼女の背後には人型ですらない怒涛の如き吸血鬼が控えている。狩るのは自分達で狩られるのはその他全員だ。それなのにあのシスターは何故笑っていられる……?

 

「――貴方、何者……!?」
「我等は神の代理人、神罰の地上代行者」


 目に不気味な光を宿したシスターは変わらぬ速度で前進する。


「我等が使命は我が神に逆らう愚者を、その肉の最後の一片までも絶滅する」
「吸血作法・第四楽章・血染め旋風」

 恐怖に駆られ、フェルミナ・ストラトスは戦闘を開始する。
 赤黒い影は馬鹿げた速度で押し寄せ、シスターの下に殺到する。巨大な大波が飛沫を打ち消すようなものであり、たかが人に過ぎないシスターは何一つ抵抗出来ず――。
「え――?」


 黒い大波が真っ二つに割れた。それはモーゼの如く、否、四つに八つに十六つ三十二つに――身体を幾重に引き裂かれて舞い散る血飛沫さえ両断される。
 吸血鬼としての動体視力を持ってしても、あの巨大な肉断ち包丁が振るわれた瞬間を捉える事が出来なかった。


「――化、物……」
「化物は貴様だ、ドラキュリーナ」


 目の前にいるシスターはシスターの中でも最上級の戦闘能力を持った司教級シスターだ。
 これが同じヴァンパイアなどの化け物なら驚きはしなかったが、だが、これを人間と呼ぶ訳にはいかない。認める訳にはいかない。こんな化け物より化け物らしい人間など――!

「滅、滅、滅、滅尽滅相」

 ――大波は引き裂かれ、それでも自身の血の津波は構わず進撃する。

 全身に走る激痛だけが現実味あって――あそこまで切り刻まれて死なない司教級シスターは怪物だと悟る。

 再び肉断ち包丁を一閃し、『神父』は一方的に攻撃を解体していく。

「はっ、この程度か」

 その悪鬼が如く笑みには狂気の色しかなく、司教級シスターは全身全霊を以って肉断ち包丁を縦横無尽に振るう。
 対する黒い不定形だった影は今度は明確な形を取っていく。それは幾百の蝙蝠であり、幾百の百足であり、幾百の人間らしき腕へと次々に変化していく。

 切り刻み、押し潰し、突き殺し、何もかも粉砕し、風圧だけで幾百の個体を吹き飛ばし、地獄のような只中で司教級シスターはあざ笑う。

「神罰の味をッ、噛みしめろ」
「がはぁっ、くぁ……」

 あの司教シスター級シスターが肉断ち包丁を地面に叩きつける度に激震が走り、建物全体が揺れる。
 
「だ、め……これ、以上は、耐え切れない……!」

 ヴァンパイアのパワーはフェルミナ・ストラトスから無尽蔵に魔力を摂取して、更なる暴力暴虐を振るい、司教シスターは真正面から五角以上に渡り合っていた。

 あの馬鹿げた重量の肉断ち包丁を、羽の如く軽さで扱っている。怒涛の如く押し寄せるヴァンパイアパワーの猛攻を、それを上回る攻勢をもって殲滅して行っている。

(ま、ずい。このままじゃ――)

 まさかの事態だ。唯一人を相手にして此方の魔力枯渇による自滅の方が早い。あのシスターも無傷という訳にはいかず、処々に負傷して血を流しているが、動きが鈍る処か、更に増すばかりだ。
 鬼神の如き猛攻は更に鋭く、更に力強く、一閃毎に加速し苛烈していく。

(……駄目、あれとこれ以上戦っちゃ、目的を果たせずに死に果てる……! 逃げないと……!)

 此処は建物の三階だが、今の自分なら飛び降りても多少の負傷程度で済む。
 気付かれないように背後に下がりながら、窓辺に手を掛けて――弾かれる。火傷じみた痛みが掌に生じる。

(結界……? 外に出れない!?)

 心の底から絶望が鎌首を上げる。
 今のヴァンパイアパワーではあの司教シスターはは殺せない。

 司教シスターではヴァンパイアパワーを殺し切れないが、エネルギー源である『司教シスター』より先に、フェルミナ・ストラトスの魔力が力尽きる。
 長期戦ならば自分が遥かに先に枯渇死する。
 数順先に逃れられぬ死が見え隠れする。一体どうすれば、どうすれば――その時、元々丈夫じゃなかった建物が丸ごと倒壊した。

「きゃっ!」

 

 フェルミナ・ストラトスは幾多の破片と共に墜落していく。
 その光景を『司教シスター』は冷めた眼で、ビルの上から見下していた。
 

「――っ、ぁ……あぁっ、がっ……」

 ――血が、足りない。
 魔力が足りない。身体の感覚が徐々に無くなって来ている。
 ぼろぼろの身体では歩く事すらままならず、その歩みを牛歩の如く遅める。痛覚に異常を来たしたのか、自分の存在が不明瞭なまでに浮いている。

 ヴァンパイアパワーは健在なれども、自分の精神は唯の一回の戦闘で壊れようとしている。


 まだ倒れる訳にはいかない。
 此処で立ち止まれば、怨敵まで届かない。歩く。ひたすら進んでいく。辿り着いてしまえば大丈夫だ。後は残りの生命を燃やし尽くすのみ。
 それでフェルミナ・ストラトスの復讐は果たされる。

 

(『ボス』に、感謝しないと――)

 もし、自分が彼の助言を聞かずに『儀式の完成』を求めていれば、自分は復讐を果たせずに自滅しただろう。
 分不相応、自分には一つの事を成すので精一杯だ。

 二つを追って二つとも成せる道理は無い。
 片方さえ満足に熟せないでいるのだ。
 最初から一つに絞って、正解だっただろう。

 司教シスターが降りてくる。司教シスターは今まで出遭った中で最も濃厚な血の香りを漂わせた悪鬼羅刹は無表情に佇んでいた。

「カムイキリト君を殺した人は誰?」

 ヴァンパイアパワーを溢れんばかりの憎悪を籠めて問い掛けた。
 長年の疑問に解答を得て、私は遂に復讐相手の下に辿り着く為に。

「……ふん、カムイキリトを殺害した者は既に自刃している」
「……え?」

 返って来た言葉は余りにも予想外であり、思わず思考を停止させてしまった。

「正邪相殺――悪を殺せば善も殺す。敵を一人殺せば味方も一人殺さねばならぬ。怨敵を殺して復讐を成就すれば、返る刃は己を貫く」
 

 彼女は変わらず、淡々と喋った。
 『正邪相殺』?
  敵を一人殺せば味方も一人殺す? 一体何を……? 

「――意味が、解らない」
「聖王教会の司教階級では『独善』を許さない。仇敵には当然の如く報いがあり、復讐者にも当然の如く報いがある。『正義』も『邪悪』も撲滅し、争いが無意味である事を世に知らしめなければならない」

 遠い彼方を見据えるように、彼女は語らい続ける。まるで異世界の未知の法則を説明されている気分であり、何一つ納得出来ないし、理解したくもない。
 カムイキリトを殺害し、返す刃で自刃した? もし、それが真実ならば――。


「――狂っている」
「宗教など狂っていて当然だ」
「……それじゃ、私の復讐は、どうやって果たせば良いの……!?」
「あらゆる殺害に正義は無い。……個人的に、復讐者の悲哀は理解出来なくもないけど――」

 フェルミナ・ストラトスの心からの悲鳴、荒がる感情と共にヴァンパイアパワーで強化された肉体は疾駆して突進する。しかし、司教シスターに蹴り上げられ、宙を舞う。

「人を殺すは悪鬼羅刹の所業。お前も私も、いずれ報いを『刃』で受けなければならない――」


 慣性も何もかも無視してシスター服の化け物は飛翔し、一瞬にしてフェルミナ・ストラトスの上空に辿り着き、踵落としを決めて叩き落とした。
 地面に叩きつけられ、クレーターが如くコンクリートが陥没した。

「私が、どうなろうとも、構わない。けれども、殺された彼は、何を持ってして報われる――!」


 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!

「彼は、殺されるに足るだけの悪行を重ねたの? 違うッ! ただ一方的に殺された! 無意味に殺された! 『悪』に報いはあれども『善』に救いは無い! それじゃ採算が取れないじゃない……!」


 幾千の手が生え揃う黒い影に司教シスターという化物は空から強襲し、フェルミナの肉体を木っ端微塵に蹴り砕く。

 その着地を狙って幾十に折り重なった暴力の塊である黒い腕が疾風の如く駆けたが、片手で引き裂く。まるで相手になっていない……!?

「――一体、何をすれば彼に報いれるの……?」
「逆に問わせてもらおうか。お前が殺してきた人間は殺して良い人間だったのか?」
「……え?」


 ――即座に会話を拒否する。
 これを聞いては、今まで誤魔化してきた全てを正視する事になる――!

「お前が魔力供給の為に食い殺させた人間は、死ぬに足る人間だったのか? お前の復讐という大義名分で殺して良い人間だったのか?」

 既に復讐の相手はこの世におらず、罪科だけが残る。既に自分は復讐者ではなく、単なる加害者でしかない――心が砕ける音が、自分の中で鳴り響いたような気がした。

「――最早お前は加害者であるが、犠牲者である事は変わるまい。『悪』と断ずるには哀れすぎる少女だった」

 シスター服を着た化物から巨大な何かが発せられる。
 ――来る。今までとは比較にならない、文字通り必殺の一撃が――!


「……あは、ははは。馬鹿みたい。もういない仇敵を求めて、堕ちる処まで堕ちて――救いようが無いよね」

 フェルミナ・ストラトスは力無く、涙を流しながら自嘲する。

「エメラルド・グリーン!! 防御の風!!」

 ガキィン!! と音を立てて風の防御壁と司教シスターの一撃が正面衝突を起こす。風の防御に包まれるフェルミナ・ストラトスの様子がおかしい。自分と相対した時は狂気と憎悪に支配されていたような有り様だったが、今は正気に立ち戻っている。

 そして『もういない仇敵』だと? 何らかの理由で死んでいたのか? カムイキリトを殺害した下手人は――。 

「フェルミナちゃん……もう、やめるんだ。もう、帰ろう」


 シスター・クレアは壊れ物を扱うかのように、慎重に言葉を選んで告げる。

 今のフェルミナ・ストラトスは崩壊寸前のダムのようだ。何かきっかけがあれば、一瞬にして崩れ去るほど脆いように思える。

 だが、今ならばもしかしたら説得出来るかもしれない。司教シスターはあくまで失敗を前提としていたが、今は想定していた状況とはまるで異なる。

「……帰る場所なんて、もう無いですよ。こんな唾棄すべき汚物が、教会で一緒に居れる訳、無い」

 ……何とも痛々しい顔だった。
 こんな九歳に過ぎない少女が、此処まで絶望し、此処まで苦しみ、此処まで追い詰められている。

 この世界の異常な環境が、彼女という犠牲者を作り出すに至ったのだろうか。それは、一体如何程の業だろうか。


「……クレアちゃん。私は殺したよ。ヴァンパイアの力を維持する為にね、無関係な人を沢山殺しちゃったよ。カムイキリト君の仇を取る為に、それだけ願って、狂った振りして誤魔化して――でも、その仇敵はもう居なくて、私のやった事は無意味で、気づけば私だけが加害者になっていた――」
「……それは! それは……」

 ――コッケン神父が彼女に殺される事も、無かっただろう。奥歯を食い縛る。

「……ごめんなさい、クレアちゃん。こんな事を私などが言うのも烏滸がましいけど、お姉ちゃんと幸せにね――」
「フェルミナちゃん、何を――!?」


 見る側が痛々しくなる笑顔を浮かべフェルミナ・ストラトスは視点が下に移り、自身の右手に輝くナイフに向けられる。

 笹瀬川ユウはステルスを続行しながら、即座にエメラルド・グリーンを発動させる。ナイフを持って何をするかわらないが、とにかくヤバイ。


「さようなら」

 ナイフをそのまま自らの首へ突き立てようとする。そんなことをすれば再生力にエネルギーを必要として、魔力が枯渇して死んでしまうだろう。

(馬鹿、何て事するんだ……!?)

 フェルミナ・ストラトスの行動に内心叫ばずにはいられない。

「エメラルド・グリーン!!」

 ステルスで背後からの強襲によってナイフ粉々に砕く。

 同時にフェルミナ・ストラトスに風の一撃をぶち当てて意識を奪う。

「ヨシッ!! これで大丈夫な……」

 バチ、バチッとヴァンパイアのエネルギーが姿を見せる。背後に蠢いていたエネルギーが意思を持って――フェルミナ・ストラトスを殺そうと動く。

「な、なんてパワーだッ!! エメラルド・グリーンで対処できる範疇を超えているッ!!
「なら、遅れて参戦して正解だったようですね、ユウくん」

 無秩序に炸裂するエネルギー攻撃を全て破壊するシスターがいた。そのシスターは巨大なハンマーを持ってた。

「シスター・アルシエル。聖なる炎のクロスハンマー、推参」


 ――無数の黒い腕が殺到する。

 それは一つ一つが人間を襤褸雑巾のように引き裂く暴力の塊であり、人間どころか同種の吸血鬼にとっても致死の猛攻である。

 聖なる炎のクロスハンマーはそれらを上回る速度をもって突き刺し、切り払い、両断し、を嬉々と迎撃していく。
 

「中々やりますね、超能力者というのは能力頼りな方かと思っていました」
「あいにくとゴリ押しできるタイプじゃなかったんですよ」

 対する笹瀬川ユウは風の鎧を纏って一撃離脱を繰り返し、圧倒的な暴力を一心に切磋琢磨した武術をもって対抗する。
 並大抵の者ならば瞬時に引き裂かれる人外魔境の戦地を、風の太刀とその身に刻んだ技能で渡り切っていた。


「いきなり自害しようとするなんて、予想外だったが、追い風になりましたね」
「それは、どういう事ですか!!」

 押し寄せる黒い波に、二人で遅滞戦法を取りながら叫び合う。

 吸血鬼が恐るべき化物であるのは卓越した理性をもって人外の力を振るう暴君だからだ。理性を削り取って更に力を向上させた処で、総合的な戦闘力は遥かに下向するだろう。
 

「ヴァンパイアのエネルギーは自害という単純明快な命令を実行出来ずに、逆にペナルティを受けている。命令を最優先したいのにオレ達と戦っているからな! ほらよっと、要所要所で動きが鈍いでしょう?」
「――っ、なる、ほどッ! 通常の状態なら十回は死んでいた処だ……!」


 そう、今のヴァンパイアは絶対的な命令権である主の命令によって、その圧倒的な性能も戦闘目的も縛られている。

 フェルミナ・ストラトスの殺害を最優先にしている。その為に目の前の敵の排除を優先せず、フェルミナ・ストラトスの下に馳せ参じようとしている。
 ――時間稼ぎは想像以上に上手く行っている。

 戦っている隙にシスター・クレアが、浄化を行い、ヴァンパイアとのコネクトを解除する。

「浄化完了です!!」

 ――本来ならば。意識を剥ぎ取り、この世に定着させたエネルギーコネクトをを消せば、ただでさえ魔力消費の激しいエネルギー体だ。消滅するだろう。

 魔力枯渇で完全に消え果てるには少しだけ時間が必要だが、それでも性能の劣化は必至だ。しかし――ヴァンパイアは黒い波として押し寄せる。
 その猛威は未だに陰りを見せず、この作戦の成否に暗雲が立ち昇るのだった。

「変わっていない……変わっていないぞ!?」
「――嘘!?」

 ヴァンパイアのエネルギーは未だに健在、能力値に劣化は見られず。その報告はシスター・クレア、笹瀬川ユウ、シスター・アルシエルに驚愕を齎した。此処まで上手く行って、ぶち当たった壁が想定外のこれだ。
 司教級シスターに問いかける。

「意識と接続を断ち切ったのにヴァンパイア・エネルギーが消えない! どういう事だ!?」
「恐らくだが、フェルミナ・ストラトスの最後の行動が拠り処になってしまっているのだろうな。最悪な場合、この世界の依代である『フェルミナ・ストラトス』を取り込まれたら手に負えなくなる。。消えずに現界し続けてヴァンパイアは自然消滅しなくなる」


 司教級シスターは冷静に、的確に分析結果を述べる。

「どうすれば良いッ!?」
「どうもこうも、もう答えを言ってしまっているようなものだがな」
 

 答え? 答えだと? 今の何処に対応策があったというのだ!
 テンパリながら司教級シスターの次の言葉を催促する。


「――簡単だよ、笹瀬川ユウ。フェルミナ・ストラトスをその手で殺せば良い。それで万事解決だ。欠片も残らず消滅させるのが理想だ、一滴すら血を飲ませないようにな」
「は……? 正気、か?」
「何を迷う必要がある? 躊躇う必要が何処にある? それはコッケン神父を殺した少女で、この都市を死都と化す災禍の化身だ。――小娘一人の生命と街一つの人間全て、何方を優先するべきかは考えるまでも無いだろう?」

 ――考えるまでもない。此処でヴァンパイア・エネルギーにフェルミナ・ストラトスを取り込ませてしまったのならば、もやは殺害手段は無くなる。
 街一つで済めば良いかもしれない。都市が死都となって、死者が侵攻し続け、未曽有の災厄を齎すだろう。

「その少女を殺して、君は英雄になるんだ――」

 

 まるで悪魔の甘言のように『司教級』の言葉は脳裏に響き渡る。


 此処で殺さなければ、街一つが死都と化す。

 フェルミナ・ストラトスの生命で、全員が救われる。

 コイツはコッケン神父を殺した。それは許される事ではない。
 彼とは一週間足らずの付き合いだったが、この街で生きる術を教えてくれた。返しきれないほどの大恩のある男を、だ。

(この場においては、オレしか出来ない……)

 エメラルド・グリーンを出し、風の刃をフェルミナ・ストラトスの喉元に定める。
 相手は気を失っており、避けられる心配はまず無い。
 シスター・クレアは力がない。。
 阻止は間違い無くされない。速やかに事は成し遂げられるだろう。


(迷うな、殺すんだ……)

 道の一角が爆発したように吹き飛び、司教級シスターと聖なる炎クロスハンマーを持ったシスター・アリシエルが後退しながら此方に視線を送る。

 その直後にヴァンパイア・エネルギーはあらわれ、幾千の眼は殺害対象になっている己の主に注がれた。

 そしてオレは選択を――。


「仕方ない、必殺技出しますか。反動で3日魔力がゼロになるのでやりたくはないんですが……切り札は持ってるだけでは意味がない。適切に使うとしましょう!」

 シスター・アルシエルの聖なる炎が一際強く、輝き始める。

「デモニッシュコード・セイントクロスオーバードライブ!! 灼熱地獄・大曼荼羅!!」

 押し寄せる絶望の波を、赤い炎が猛然と焼き尽くす。十字架のハンマーを振り回す度に炎が刃となって切り裂いていく。

「これで、ラストォー!!」
 
 ドカン! と盛大に鳴り響いて長い夜は終わり、一時の安らぎが訪れる。
 教会に帰還し、気を失ったフェルミナ・ストラトスを一室のベッドに眠らせる。
 これから彼女は、数々の苦難にぶち当たるだろう。途中で折れてしまうかもしれない。絶望して自ら生命を絶ってしまうかもしれない。
 ただでさえ自ら生命を断つ選択をしたばかりだ。幾ら教会といえど自殺を止めれる気がしないのだが――。
 司祭級シスターは言う。

「起きているのだろう? フェルミナ・ストラトス」

 ぴくり、と――フェルミナ・ストラトスは司祭級シスターの言葉に反応してしまう。
 周囲の皆も一斉に視線を集中させる。

「死ねなくて残念だね、フェルミナ」
「……どうして、助けたのですか? 私に、生きる価値なんか――」

 
 司祭級シスターは皮肉気に笑い、フェルミナ・ストラトスはゆっくりと目を開けて司教シスターを睨む。

(おいおい、挑発してどうするんだよ? 立ち直させる気は零か?)

「死ぬのはいつでも出来る。死という『安楽』に逃避する事は絶対に許されない。――生きて償え。苦しみ悶えた末に無様に死ね。それが私の復讐だ」

 ――それが、ゼロから悲惨な目にあってきた人々を救い続けたコッケン神父への弔いの挽歌。
 ぽろり、と。フェルミナ・ストラトスかの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

「……どうやって、償うのですか? 私は――」
「そんなの自分で考えろ。そもそも私は『罪』だ『罰』だの執着出来ない性質なんでね。むしろ踏み倒す側だ。――死で『罪』が清算出来ると思うなよ?」

 言いたい事を言い終わって『司教シスター』は退出しようとし、通信のガラス玉の音が鳴り響いた。
 各々に視線を送り、首を傾げ、首を振り――フェルミナ・ストラトスは、震えながらそのガラス玉を取り出した。


「コッケン神父の……?」

 一体誰から――?
 司教シスターの方に視線を送り、彼女は無言で頷く。その配慮に感謝して、意を決して非通知の通信を取る。

「――誰だ?」
『……笹瀬川ユウか? 私の通信ガラス玉を回収したという事は、事は片付いたようですね』
「は?」

 ――『私』、だと……!? それにこの声は――だが、貴方は。


「……コッケン神父? 馬鹿な。貴方は、死んだ筈じゃ――!?」
『――? 寸前の処で自身の死を偽装し、辛くも逃走に成功したのは良いが、意識不明の重傷でしてね。今まで連絡出来なかった。仲間に探し当てて貰わなければ死んでいた処だ』

 
 ……思い出す。
 確かに朝一番に非通知で此方の携帯に掛かって来て、コッケン神父の生存を信じて赴いた奴が居た。
 あの野郎、無事なら連絡の一つや二つ、即座に寄越せっつーの……!

『……気のせいか、話が食い違っている……? まさか奴から連絡が行ってないのか……!?』

 珍しく慌てた口調のコッケン神父は、自身が『死亡確認』されていた事に漸く気づく。

「……良かったッ! 生きているなら連絡してください」

 涙を流しながら、笑う。
 彼が生きていて良かったと、心から喜ぶように――。

「あー、しかし疲れた。面倒事は本当に嫌だわ」

 教会で焙茶を飲みながら『司教シスター』は呆れた表情をし、アロハシャツという謎のチョイスの私服をしてけたけた笑う。


「教会なのに、和食か」

 席に付いて不思議な気分になりながらテーブルの上に用意された朝食を見ていた。
 ほっかほかの白飯に味噌汁、そして鮭の焼身に出汁巻き玉子をアルシエルが運んでくる。

「シスター・アルシエル、シスター・フェルミナは……」
「色々ありましたし、今は、ね」

 運び終わり、全員が席に着く。

『いただきます』

 手を合わせて合唱する。おお、出汁巻き玉子うめぇ。舌の上でとろりと蕩けやがる!?
 これは御飯が進む。他の皆も感心したように食べ、シスター・アリシエルは誇るように胸を張っていた。

「あーあ、雨なんてツイてねぇなぁ」

 王都へ買い出しに行って、店の外に出ると大雨となっている現状を見て、笹瀬川ユウはうんざりとした表情で呟いた。

「天気予報を見ていなかったんですか? 入りますか? お願いしますって言うなら入れてあげないこととも無いですけどぉ?」

 ずぶ濡れ確定だと覚悟した直後、一緒に来たシスター・アリシエルが、がこれ見よがしに赤い傘を開いてにんまり笑う。

「ぐ、ぬぬぬ」
「嘘、嘘ですよ。一緒に傘に入りましょう」

 意地悪を言ってごめんなさい、と笑って相傘の形で、笹瀬川ユウ達は雨の中を歩く事となった。靴が濡れないように雨溜りを避けながら、傘がある範疇を歩みながら――。

「……はぁ、こういう雨の日は良い思い出が全く無いなぁ」
「雨なんて好きな人種は非常に奇特だと思いますけど?」
「別に好き嫌いは無かったんだが――俺の超能力の関係で」
「炎の魔法使いが、水を苦手にするような感じですかね」
「それが一番近い、それに……」
「――雨は良い世界だ。日々蓄積した心の鬱憤が一斉に洗われるような世界にさせてくれる。雨天の中に傘を差さずに打たれる自由もある、これは何のフレーズだったかねェ? 即ち、雨は良い世界ということだ」


 超能力者に襲われた苦い経験があって、嫌な予感しか思い浮かばない。
 例に漏れず、黄色い雨合羽を被った変哲のある青年が、独特なポーズをとって立っていた。
 この見るからに解り易い目の前の変質者には、予感どころか確信しか湧いて来ない。

 

「……何者だ?」
「コッケン神父の友だちさ。名前はラオウ・シュラマルだが、まぁそんなのはどうでもいい」

 黄色い雨合羽の男との間合いは十五メートル余り、近接型ではなく、遠距離型だと思われるが、この雨だ。最悪の予感が的中しない事を祈るばかりである。

 最悪を想定して逃走経路を確認する。現在のこの場所は閑静な住宅街であり、逃げ込むなら民家しかない。

 無関係な者を巻き込むのは非常に申し訳無いが、此方は生死に関わる問題なのでそうは言ってられない。

 

「残念だよ、君には少なからず期待していたんだがね? 教会の新入り君」
「? 一体何の事だ?」
「しらばっくれる気か。堂々とあの小娘を助けようとするなんて、気づかないとでも思ったのかい?」

 ……何か、致命的な勘違いをされている気がする。
 隣のシスター・アリシエルに視線を送り、彼女は小さく頷く。この状況が非常にまずい事は彼女も見抜いている。

「――裏切り者には死を。いつの世も不変の摂理な世界だッ!! 魔法発動ッッ! ウォーター・マリオネット!!」


 背後から気配を察知し、超能力を装着し、シスター・アリシエルを所謂お姫様抱っこして最寄りの民家を目指して突っ走る。

 ――赤い傘が両断される。水で構築された二つの鎌が其処にはあった。

(くそっ、やっぱりか! 名前からして水系統の魔法だよな畜生めっ!)

 豪雨の時に水系統を操れる魔法使いと戦う。これ以上にヤバい事は無いと言っても過言じゃない。
 此処では勝ち目が一切無いと悟り、脇目も振らずに全力疾走し――立ち塞がる無数の水の鎌が次々と押し寄せる……!? やべぇ、圧殺される――!?

 

「右、左、翔んで走って窓を突き破って――!」

 咄嗟に、シスター・アリシエルに言われた通りに反射的に行動して次々と襲い掛かる水の鎌を回避し、窓に向かってライダーの如くジャンプキックかまし、見知らぬ住宅に不法侵入する羽目となる。

 

(……幸いな事に家は留守か)

 

 状況確認しながら、突き破った窓から一目散に離れて別室に行く。
 どうせなら奴を見下ろせる二階が良い。階段を見つけて昇っていく。

 

「いい迷惑です。とばっちりもいい処じゃないですか!」
「本当にすみませんでした!! 助けてください!!」
「それよりも、雨天時に水系統の能力とか史上最悪の組み合わせですよ、どうするんですか?」

 未だお姫様抱っこしたまま、この腕の中に寛いでいる彼女に、笹瀬川ユウは言葉を詰まらせる。
 この手の相手は魔法そのものも水で構築されているケースが多く、物理的な攻撃しか持たない笹瀬川ユウの超能力ではダメージを与えられない可能性がある。

「本体を叩くのが一番だが、遠距離型であってもこの手の能力は本体が近くにあると異常な性能を発揮する可能性が多い。まずは相手の魔法がどういう性質なのか、注意深く探らなければならないな」
「手に負えなかったら雨が止むまで籠城してみる?」
「籠城出来るほどか弱い能力なら良いんだがな」

 彼女を優しく地面に下ろし、超能力の装着を解いて自分の前に配置させる。

 今から二階の窓から襲撃者であるラオウを見下ろす形となるので、攻撃を誘発させて手の内を探るとしよう。

 細心の注意を払って窓に近寄ろうとし――無数の水の弾丸が窓を蜂の巣にして此方に迫る……!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお――?!」

 

 ひたすら殴って殴って打ち払い、防ぎ切る。
 だが、またもや窓が開いてしまい、雨が部屋内に入り込み――大量の水分が、奴の魔法が構築する。
 予想通り、水をそのまま操る魔法だ。
 

(水分を利用する事で、一般人にも見える類の魔法か。それなら魔法以外の物理攻撃が通用するが……)

 一応試してみよう。廊下の片隅にある花瓶に手を伸ばし、逆に握り返される……?! 

(しまった、花瓶の中に入っていた水が奴の手に……!?)

 此方の超能力の腕に爪が食い込むが、遠距離型の魔法のためかパワーは弱く、構わずそのまま花瓶を奴に向かって全力投球する。

 

「――痛ッッ! しかも意味ねぇ……!?」


 水の爪によって此方の超能力の腕が割かれ、少なからず裂傷を刻まれて負傷したが――予想通り、花瓶がぶつかって水分で形成された水の人形が弾けて、あっという間に元通りになった。
 物理的な攻撃じゃダメージは一切無いのは明白だった。

 

「うーん、打つ手が無いわねぇ。降参してみる?」
「白旗振って助かるならするけどな。……この魔法は相手にするだけ無駄なようだ」
「諦めが早いですね。それで、で、どうするんですか?」

 敵の戦力を改めて分析し直す。
 この魔法は自動操縦型ではなく、手動操作の類のようだ。機械的な自動さではなく、人間的なムラを感じる。

 そして――我が超能力『エメラルド・グリーン』をステルスにして、奴の背後に忍び寄らせて、ラッシュで攻撃する。

 
「ッッ!? ――!」

 相手は気づかずに殴り込まれ、背後に反撃の水鎌を縦横無尽に振るって家の廊下の一部を凄惨に切り刻む。
 避け切れずに右胸が裂傷し、白い制服に血が滲む。だが、それなりの成果はあった。

 

「このヤツの本体は水のバリアとかは無い」
「ふむふむ、それで?」
「セオリー通りに攻略する。本体を叩く」
「その本体まで辿り着く道筋がかなり無茶があると思いますけど。あの能力、雨降っている外の方が絶対厄介ですよ?」
「ああ、俺達では手詰まりだ。オレ達ではな――」
「ふむ、裏切り者の分際で中々粘るじゃないかァ」

 

 ラオウは必死に足掻く笹瀬川ユウ達を追い詰めながら、時折水弾を送って追撃する。

 屋外で仕留められなかったのは手酷い痛手だったが、この豪雨が続く中、彼の魔法は水を得た魚のように暴れ回れる。

 雨天時限定だが、その状況下なら無敵に近い戦闘力を誇る。それが彼の魔法『ウォーター・マリオネット』である。

「つくづく惜しい能力だ。本来なら、コッケン神父の役に役立てただろうに――」

 

 同じ仲間として期待していただけに落胆は大きい。
 大恩あるコッケン神父を裏切るなど、許されざる反逆行為であり――同じ裏切り者のシスター・アリシエルと一緒に殺してやるのがせめてもの情けである。

 微塵の容赦も無く、油断も無く、されどもラオウは自身の勝利を確信している。もう連中は自分の下まで来られず、決して破壊出来ない流形の魔法に敗れるのみ。


 ――其処に驕りも侮りも確かに無かった。
 それでも数キロ先の上空から放たれた桃色の極太光線の狙撃など、誰が予想して回避出来ようか――。

 

「ギイィイイイイイイイィアアアアアアアアアアアアアァ――ッッ!?」

 

 砲撃魔法は、ラオウの意識を一撃の下にノックアウトさせ――彼を長距離狙撃した張本人は十数秒後にその地に降り立った。
 
 

「笹瀬川君、大丈夫!?」

 
 現れたのは風に乗った救援要請を聞いて、文字通り飛んてきたシスター・クレアだった。
 敗因を敢えて述べるとすれば、魔法と超能力は別物だった。それに尽きる。

 シスター・クレアは戦闘中にも崩さなかった余裕の笑顔を消して、極めて深刻な表情になっていた。
 勝手に先程の家に居座っているので、居心地が悪いが。一応、シスター・クレアに結界を張って貰っているので、その間は誰かが入ってくる心配は少ない。

「此処まで司教シスター腑抜けてるんだ。今回の一件に関しては司教シスターは全く役に立たないですね。まずいです」

 髪に付着した水分を手で払いながら、彼女は必死な形相で思考に耽る。
 今まで味方だったヴァンパイアハンター達が一瞬にして敵に回ったが、オレ自身に疚しい点は無い為、中々実感が伴わない。

 あのコッケン神父が自分を切り捨てる、という選択肢など端から在り得ないし、一体何が起こったのやら……。

 

「……何か心当たりでも?」
「理由は敢えて言わないけど、今回は司教シスターを除外して立ち振舞いを考えないと本気で死ぬよ? 私達」

 
 そう、オレを陥れるこの流れは誰が書いた脚本なのかが今一不明瞭だ。
 そんな二流三流の筋書きにあのコッケン神父が踊らされるとは考えにくいし、本当にコッケン神父の身に何かがあったとしか考えられない。

「シスター・アリシエル、笹瀬川さん、彼が目覚めました」

 と、バインドで例の魔法使いを捕縛し、監視しているからシスター・クレアから、ラオウが目覚めたと報告を受けた笹瀬川ユウとシスター・アリシエルは赴く。
 黄色い雨合羽を剥いで素顔を表している金髪の男は、敵意を剥き出しにしながら達を睨んだ。

 ――やはりというか、『液体』ではなく、本当に水しか操れない魔法使いなんだと確信する。
 腕や胸から出血した血を操作しなかった当たりで、大体の目見当を付けていたが。


「……殺せ。裏切り者に話す事など何も無い」

「そうか。シスター・クレア」

「はい?」

 

 中々に忠義心深く、生半可な拷問では屈さないだろうし、何より時間が掛かる。

 其処で笹瀬川ユウはシスター・クレアを指名する。本人は何で呼ばれたか、疑問符を浮かべる勢いだったが、ラオウの反応は劇的であり、脂汗をだらだら流していた。

 

「――ひぃっ!? お、おお、脅しには屈さないぞ……!」
「砲撃準備開始」
「はい、何なりと聞くが良いっ! まずはお話で解決して下さい! お願いします!」


 というか、堕ちるのはえぇよ。少しは意地見せろよ。……まぁあんな極太の砲撃魔法に撃たれるなんて生涯御免だが――。

「……弱っ」
「ば、馬鹿野郎ォッ! 実際に砲撃魔法を食らってから言いやがれェ――! 死ぬほど痛かったぞっっ!?」
「……はは」


 どうやら超遠距離砲撃魔法での狙撃は彼のトラウマになったらしい。
 あれ以外で倒す方法が無かった、雨天時ではほぼ無敵の魔法使いの癖に……。

「とりあえず、オレはお前達を裏切った覚えは欠片も無い。それを念頭に置いて聞いてくれ。今回の一件はお前の独断専行か? それともコッケン神父の指示か?」
「何を白々しい事を。これはコッケン神父さん直々の指示だ。裏切り者を始末しろとな」

 ――ああ、くそ。一番否定して欲しかった事をあっさり肯定しやがった。
 尋問するオレは頭を抱えて、言葉が詰まり――代わりにエメラルド・グリーンの送風で髪を乾かしてもう一度ポニーテールにしたシスター・アリシエルが前に出た。


「――ところでさ、前々から疑問に思っていたんだけど、あのヴァンパイアを前にコッケン神父はどうやって生き残ったの?」

 笹瀬川ユウとシスター・アリシエルからの視線を見て見ぬ振りをし、シスター・クレアは忠誠高いラオウに猜疑心を植え付けに掛かった。

 

「……何が言いたい?」
「死体を操る魔法ってある? 乗っ取るのでも可能だと思うけどね」
「何を馬鹿な事をっ!」

 憤慨して否定するが、沈黙する笹瀬川とシスター・アリシエルの深刻な顔を見て、ラオウは視線を著しく彷徨わせる。


「あの堅物を絵に書いたようなコッケン神父が筋を通さないのは可笑しいって言っているの。今回の一件、司教シスターの陣営はまるで知らないそうよ?」

 

 それを聞いて、ラオウは驚いたように眼をまん丸にする。

 オレは『司教シスター』と最も密接に関わっており、裏切り者として処分するのならば誤解が無いように『司教シスター』に知らせてから行動に移すのが当然の経緯であろう。

 『司教シスター』の恐ろしさは誰よりも知っているだろうし、この事が真実であるのならばまさに筋が通らない――彼の知っているコッケン神父に、らしくない、のではなく、あるまじき指示である。

 

「どの道、君とは意見を共有出来ようが出来まいが私達の運命と一蓮托生よ。君は生かして帰すけど、普通に帰ったら恐らく始末されるよ? 私達と内通したと疑われてね」
「コッケン神父さんがそんな事をする訳が……!」
「もう私達はコッケン神父が嘗てのコッケン神父でない事を前提に話しているの。その方がむしろ筋が通るし」

 

 シスター・クレアが嬉々と植え付けた疑心暗鬼の芽は、否定出来ないほど彼の心を蝕み――その上手く扇動出来た様子に、彼女は満足気に笑った。

「同僚の魔法使いで信頼出来る者を見繕って、コッケン神父を探って来て欲しいの。彼が本当にコッケン神父ならば、反逆行為にも背信行為にもならないでしょ? 彼が今まで通りの彼で、正常で信じるに足る者だったのなら、また私達を襲えば良い」

 シスター・クレアの指示で拘束が解かれ、ラオウは夢遊病の患者のようにふらふらと歩いて、何処かに立ち去って行った。


「怖いな。敵だったやつを手駒にした」
「司教シスターが腑抜けていなければ私の出番なんて無かったんだけどね」

 

 ぶーぶーと文句言いたげな顔でシスター・クレアは不機嫌そうにする。

 

「でも、状況は何一つ好転していないわ。私達は常に魔法使いの襲撃の危機に瀕している。本当に厄介よねぇ」

「……全くだ。頭が痛くなるぜ」

 

 『魔法使い』の多種多様性は随一であり、戦闘をしながら相手の能力の絡繰を見破らない限り勝機は訪れない。

 一騎当千のような派手さは無いが、型に嵌まればその一騎当千の兵すら討ち取れるのが『魔法使い』の強みである。


「あ、あの!」

 今後の身の振り方を考えていると、シスター・アリシエルの方から声を上げて、オレ達は彼女の方に振り向く。

「私に出来る事は何かありませんか……!」

 その必死な立ち振舞いを見て――コッケン神父の事を思い出す。

 ――確実に、シスター・アリシエルは罪悪感を覚えている。

 フェルミナ・ストラスに倒され、死の淵に居た処をコッケン神父の挺身で救われた。後で助かったと解って事無き得たが、どうも風向きが怪しい。

 だが、もしあの時にコッケン神父は死んでいて――別の誰かに摩り替わっているような事態になっているのならば、その全ての責任はオレが背負うべきものである。


「暫くは固まって行動しましょう。互いだけが最後の頼みの綱になるかもしれないわよ?」

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