――好きな人が居ました。

 拒絶される事が怖く、化物と忌み嫌われたくなかった。
 それ以上に本当の私を知って欲しかった。
 初めて悩みを打ち明けて、私の秘密を笑って受け入れてくれたのが貴方でした。

 ――好きな人が居ました。

 まるで夢のような日々でした。
 一生打ち明けられずに、誰にも理解出来ずに終わると信じてました。けれども、貴方は受け入れてくれた。私は羽のように軽く、燃え滾る想いに心を踊らせました。
 こんな幸福な時間が永遠に続くと信じて疑いませんでした。

 ――好きな人が、居ました。

 そしてその日々は唐突に終わりを告げました。
 一面に広がる赤い血飛沫、冷たくなっていく貴方は動かず、私は必死に泣き叫びました。
 喉が枯れ果てるまで叫び続け、もう貴方は何一つ答えてくれない事を実感したのです。


 ――好きな人が居なくなりました。


 血の滴る大太刀に、返り血が夥しく付着した黒い武者鎧、巨大な鋼鉄の鎧を纏った誰かは見下ろしてました。
 これが貴方を殺した仇敵である事を、私は網膜に焼き付けました。

 ――好きな人が消え果てました。

 貴方の死体は残らず、最終的には行方不明扱いになりました。
 貴方のいない世界はこんなにも色褪せて、無意味で無価値に継続している。

 許せなかった。何もかも許せなかった。貴方を殺した者が憎い、貴方が居なくても変わらない日常が憎い、貴方を失って泣き寝入りする事しか出来ない弱い自分自身が情けなくて、何よりも憎たらしかった。

 ――それでも神様は居ました。私に贖罪の機会を与えてくれました。
 手にしたのは無窮の吸血鬼の力――さぁ、復讐を、始めましょう。


「――以上が『ヴァンパイアの儀式』の概要よ。質問はあるか?」
「……その『ヴァンパイアの儀式』ならば、死者蘇生も可能なのですか?」


 半信半疑、と言った表情でフェルミナ・ストラスは問いかけ、『ボス』は飄々と答えた。

「それが完全なる儀式の完成であるならば可能だろうが、あんまり期待しない方が良い。必ず邪魔が入り、儀式は未完成になるのが通例だ。それ故に願う者の知る方法でしか願いは成就されない。つまりは目的へ達するためのショートカットなのだよ」

 ――本末転倒な話だった。その『万能の願いを叶える儀式』が真価を発揮するには『万能の人』が必要だとは笑い話にもならない。
 万能でないが故に人は届かぬ領域の奇跡を求めるというのに。まるで馬鹿らしい茶番だった。

「高望みしては何も成せはしない。お前は最強無敵の存在になった。しかしそれ故にヴァンパイアとしては高燃費だ。人間を喰らい続けなければすぐにエネルギーが尽きて死ぬだろう」

 それは暗にヴァンパイアの儀式を達成するのは万が一にも在り得ない、と言われたようなものである。

 確かに儀式が当てにならないのならば、他との戦闘は極力避けた方が無難であろう。それに割く時間は残されていない。

「吸血をしても肉体と魔力を補強しても、魂に掛かる負担までは軽減出来ない。戦える回数は限られていると思って良い。その限られた状況下で、貴女は貴女の悲願を果たさなければならない」

  限られた時間内で、目標を果たさなければならない。絶対的な方針として脳裏に刻まれる。
 これらを説明される過程で生じた疑問を、フェルミナ・ストラスは思わず口に出した。


「どうして、私に協力してくれるのですか?」
「その質問に何か意味はあるのか、フェルミナ・ストラス。貴女の時間は限られていると言った筈だ。無駄な質問に費やす時間はあるのか?」

 失点扱いであり、『ボス』から厳しい駄目出しをされる。答えるつもりは元々無い。というよりも、自分はこれを知る必要が余りにも無い事に改めて気付かされる。
 彼女の言っている言葉に間違いは無く、全てが正しい。その彼女の期待に答える為に質問を吟味し、舌に乗せる。

「貴女は彼を殺した人を知ってますか?」
「知らないな」
「そう、ですか。それじゃ――死んで」

  魔力を受けて巨大な腕が実体化し、破壊の渦を撒き散らす。
 人間大の塊など一瞬でスクラップに出来る超越的な暴力の具現、全て彼女の忠告通り、時間を無駄にする事無く執り行われた最小限の殺害行為である。
 ――背後からぱん、ぱん、ぱん、と、拍手が鳴り響いた。


「ふははは! 良いね、フェルミナ・ストラス! 貴様は想像以上に愉快だ。あの忌々しい男の初戦にはピッタリの相手だろう」


 振り向いた先にはボスの姿は無く、ただ声だけが響き渡る。

「さようなら、貴様の復讐が完遂する事を心から祈っている」


 そう言い残し、ボスは何処かへ消え果てた。
 けれども、彼女に割く時間は最早一秒足りても存在しない。

 

 ――私は問い続け、答えを得る。
 彼の無念を必ずや晴らす。私の復讐を絶対に遂げる。
 さぁ、舞台は始まったばかりである。

 


「シスター・アルシエル。何もアンタまで一緒に来るこたぁないんだぜ?」
「いえいえ! ユウさんをこの件に巻き込んだ責任がありますから!」

 シスター・アルシエル。
 美しい金髪に青色の聖王教会のシスター服を纏った少女だ。年齢は笹瀬川ユウの前世と比べてかなり下だ。15くらいだろうか?
 聖王教会でお世話になる代わりに、夜のヴァンパイアハンティングを手伝うことになった笹瀬川ユウだが、それにシスター・アルシエルも同伴していた。

「それに私は、自己防衛のための魔法を覚えています。足で纏いにはなりません」
「そうか、分かった。よろしく」
「はい! よろしくお願いします」

 そうパートナーとなった直後だった。グシャと地面に人が叩けられて、黒い影に食い尽くされる。
 そしてその影の出所を目で追うと、紫髪の少女がいた。

「シスター・フェルミナ、ちゃん……? どうして此処に。その後ろのは……!?」
「これは私の力よ、シスター・アルシエル」

 フェルミナの背後に蠢く影は不定形であり、常に妖しく揺らいでいた。
 まるで現実味の無い光景だった。其処に普段から日常的に接している親友が居れば尚の事度し難い光景となる。

 アルシエルの思考はある種の麻痺状態に陥っていた。この状況を正確に理解すれば後戻りが出来なくなるという本能的な危機感が後押しした結果なのだろう。


「隣りにいるのは誰? まぁ、いいか。ねぇ、アルシエルちゃんもかなって思ったけど、違うのね。一応聞いておくけど。カムイキリト君を殺した相手、アルシエルちゃんは知っている?」
「カムイ……確か良く聖王教会にきて色々と手伝ってくれた」
「そう。そのカムイ君」
 

 シスター・アルシエルにはその名前には聞き覚えがある。
 二年前の四月初旬に居た人であり、行方不明になった少年の名前がそれである。

「……え? カムイ君は行方不明に、なったんじゃ……? 殺されたって、どういう事……!?」

 彼とフェルミナは出会って間もなくだったが、非常に良好な関係を築き上げ、行方不明になった後のフェルミナは抜け殻のように気落ちしていた記憶がある。


「カムイ君はね、私の目の前で殺されちゃったの。黒い鋼鉄の武者鎧を纏ったアイツに――」

 

 虚空を睨みつけるようにフェルミナは空を見上げる。その眼はやはり錯覚では無いのか、滴る血のように赤く輝いている。

 爛々と狂おしいばかりに輝いていながら、感情の色は一切無い。無機物のように暗く死んだ瞳は恐怖以外の何物でもなかった。


「そう、まるで知らないんだ。それじゃ――アルシエルちゃんも協力してくれる?」

 その一言が合図となったのか、フェルミナ・ストラスの背後に待機していた黒い影が一斉に蠢き、地面を打ち砕きながらシスター・アルシエルの下へ殺到する。

 

「フェルミナちゃっ……!」
「エメラルド・グリーン! ガードしろッ!!」

 隣りにいた笹瀬川ユウは自動的に防御風壁を展開し、真正面から受け止め――二人は受け止め切れずにダンプカーに撥ねられたかの如く吹き飛ばされ、十数メートル彼方の噴水に激突し、脆くも倒壊させてしまった。
 背中に走る激痛を堪えながら、ユウは弱々しく立ち上がる。

 黒い影は先程よりも大きく流動し、蠢いていた。その千の眼は全て震えて慄く自身の姿を克明に捉えていた。

「魔力がね、全然足りないの。少し行動するだけで気が狂ってしまいそうなぐらい身体が痛いの。少ししかマシにならないけど、良いよね?」

 フェルミナは仄かに笑う。正気の色などとうに失せていた。

「フェルミナちゃん!?」
「駄目だ、逃げる!! アレに単体で挑むには強すぎるッ!!」
「そんなっ!」
 

 右隣にいたユウは必死に叫ぶ。
 余りの出来事にフェルミナは感覚が麻痺している。いつも出逢う親友に殺されかけたなんて現実味がまるでなく、このままで夢心地のままに殺されてしまうだろう。


 あの黒い影は過去の強敵たちと同類かそれ以上の脅威だった。
 笹瀬川ユウという傑出した才能を持ってしても、正面からあれにぶつかれば抵抗にすらならないだろう。やはり彼女を連れてきたのは失敗だった。
 ユウは恐怖にかられて即時撤退を求める。

「吸血鬼……ヴァンパイアっていうのは夜ならば無敵に近いが、しかしここまで強いとは! 喰らえ! 風の中に内包して置いた陽光をッ!!」

 エメラルド・グリーンの能力は主に風を操れる能力だ。風を操れれば強風で運気の流れを操作したり、回転させることで光を滞留させテ持ち運ぶ事ができる。

 今回も、対ヴァンパイア戦ということで光を手元に滞留させて持ち込んでいたのだが、それを全て放出する。

 カッ!! と光が満ちる。
 同時にシスター・アルシエルを連れてその場を離脱した。

 シスター・フェルミナは追って来ず、なんとか逃げ切る事ができた。
 風でブーストした超超高速移動なのでついてこられたら自信を失うのだが。
 ヴァンパイアハンティングの集合拠点まで退避すふと襲撃者を杭で皆殺しにしたコッケン神父が近寄ってくる。

「大丈夫でしたか?」
「コッケン神父……」
「何があったのか説明できるかい?」
「はい」

 ただならぬ様子に説明を求めつつ、この地域に馴染みのないユウよりアルシエルから話を聞こうとする。シスター・アルシエルを神父に預けて、ユウはエメラルド・グリーンで戦闘の用意を整える。
 風の鎧や剣を纏う。

「ムッ」

 ドォン! ドォン! ドォン! と遠くから正体不明の爆音が鳴り響いた。断続的な不定期な感覚で、だ。

「何だ、この音は……!?」
「まずいな。近くで派手にやっている奴が居るらしい」
「かなりデカイぞ」
「どうする? 増援に行くか?」
「ネームド・ヴァンパイアかもしれん」
「いや、ゲマトリア・トリニティかもしれない」

 集合拠点にいる聖王教会の者達の中で緊張感が高まる。前者ならまだ何とかなるが、後者だと対処不能だと話し合っている。
 ゲマトリアというのは、つまり神様みたいな存在らしい。2メートルから50メートルの巨人に変身して魔力攻撃を放つ。それは人間離れしていて、特殊な対策魔法以外はほぼ無効化されてダメージが通らない。しかも相手の攻撃は即死級。

 なるほど、相手をしたくない。

「――撤退か、その場に駆けつけるか」
「いや、後者は絶対に在り得ない。迂回してでも回避するべきだろう」

 ヴァンパイアハンター達が懸命な判断を下そうとした時、厄介事は向こうから文字通り飛んできた。
 何かが馬鹿げた勢いで飛んできて、地面に落ちて転がる。
 笹瀬川ユウには一瞬それが何なのか、理解できなかった。

 それが人間大の何かであり、うちのシスターに似た黒い服を流血で真っ赤に染めており、黒髪の少女は血塗れで微動だにしていなかった。

「シスター・クレア!?」

 シスター・アルシエルは即座に駆けつけ、息と脈拍、怪我の状況を確かめる。
 息と脈拍はあったが、非常に弱々しい。黒いシスター服が全身真っ赤に染まるぐらい流血しており、どう考えても生死を彷徨う一刻の猶予も無い事態だった。

 かつん、と小さい靴音が鳴る。
 笹瀬川ユウは瞬時にエメラルド・グリーンを出し、シスター・クレアをこんな目に遭わせたであろう襲撃者の姿を眼に映した。

 それは紫色のワンピースを来た同年代の少女――信じ難い事に、先程逃げ出したフェルミナ・ストラスだった。

「あれぇ? アルシエルちゃん? ですよね? 血の匂いがするし」
「もう、完全に敵対してるから個人情報教えちゃうね。シスター・フェルミナの一族は夜の一族と呼ばれる吸血鬼なの。だけど主食が血を吸うだけで吸血鬼としての超人的な能力は持っていない筈」
「だが、しかし、今の彼女の両瞳は真っ赤に輝いており、背後には正体不明の黒い影が絶えず蠢いてやがるが、あれが彼女の能力じゃあないのか!?」
「わかりません、こんなこと前に一度も」

 フェルミナはこちらを気に来ていない様子でヴァンパイアハンター達に声をかける。

「カムイキリト君を殺した相手、知りません? 私、探しているの」
「神谷龍治? ……誰の事だ?」
「二年前、第一次吸血鬼事件が始まる前に死んだ彼女等の同級生の名前が確かそれだったか。残念だが、詳しい死因までは解らない」

 ヴァンパイアハンター達は緊張感を漂わせ、額から汗を流しながら語る。

 迂闊に刺激するのは危険だが、会話が成立するならまだ交渉の余地がある。だが、問題は既に正気を逸している可能性があるという事だ。

 彼女の性格を知る者は、あんな虫も殺せぬ性格の少女が親友のシスター・クレアをボロ雑巾のような目に遭わせたなど誰が信じられようか。

 正気では行えない、もしや黒い影に意識を乗っ取られた可能性があるのでは……?
 

「そうですか、それじゃ――死んで」

 黒い影が狂える獣の如く吼える。暴走列車となった影は進撃を開始した。

 ユウは意識の無いシスター・クレアをこの腕で抱き締め、神父とユウは互いに自分のスタンドの脚力によって瞬時に左右に別れ――ほんの一瞬前までに黒い影は殺到し、何者の存在を許さぬ爆心地となる。

 この一瞬で敵との戦力差は明確となった。この敵とは触れた瞬間に終わる。こんなのは戦闘とは到底呼べず、一方的な蹂躙に他ならない。

 その判断は神父達ヴァンパイアハンターも同じだった。彼は即座に命令を下す。

「シスター・クレアを連れて逃げろ笹瀬川ユウッ! 此処は私が時間稼ぎをしましょう!」
「な!? 馬鹿言なっ! 相手がこれだけ強いのに? 足止めすら無理だ! それなら一緒に逃げた方がまだ生還率がある!」
「間違っているぞ、まともに逃走しても追い付かれて三人とも死亡するだけだ。オレも一当てして逃げる。お前は境界の屋敷に逃げ込め。――その傷だ、処置を間違えれば死ぬぞ」

 

 この腕に抱き上げたシスター・クレアの鼓動は弱々しい。掌から感じる彼女の体温も妙に冷たく感じる。

 彼女を背負ったまま戦闘を続行するのは無謀を通り越して自殺行為だ。それはつまり神父や他のハンター達の足を引っ張っている事の証明でもある。

「生きていれば後で連絡する。行けッッ!」
「ッッ、絶対死ぬなよおおおぉ――!」

 振り返らずに駆ける。屋根から屋根へと飛び移り、夜の街をひたすら跳躍する。熟練のヴァンパイアハンターである神父なら、シスター・フェルミナを出し抜いて脱出する事が出来るに違いないと信じて――。