俺は、どこかの建物の廊下に一人で立っていた。
背後には廊下の終わりにあたる大きな窓ガラスがあり、前方には淡い灰色の床と白い壁が遠く続いている。
この場所は…そうだ、見覚えがある。
昔通っていた小学校の校舎。2階の、3・4年生の教室があるフロアだ。
背後の窓からは、曇った昼下がりの淡くぼんやりとした光があふれている。日中にも関わらず、このフロアには先生や生徒達の姿は無い。俺一人きりだ。
すぐに「あぁ、昔の夢を見てるのか」と察する。
明晰夢という言葉があるが、俺は夢の中で「ここは夢だ」とハッキリ認識することが多かった。
夢から自力で覚める方法も知ってる。
俺の場合は、目を瞑って、頭の中で強く念じるのだ。「覚めろ、覚めろ、覚めろ」と。
校舎の景色は夢だというのにやけに鮮明で、しばらくぼーっと、長く続く廊下を眺めていた。
その時。
廊下の中間地点の4年1組の教室から、人影がゆらりと現れるのが見えた。
背格好は大人のよう。黒い服を着て、亀のようにひどく体を丸めて、当然顔は床に向けられている。一歩一歩重そうに足を引きずって、その人影は現れた。
遠目のため顔も性別も分からないが、その手に何か細長い物を持っている。
人影はこちらへ向かってのっそりのっそりと歩いてくる。
なんとなく気味が悪い。
だがまだかなりの距離があるし、奴が何者なのか気になった俺は、その人影の動向を見続けることにした。
何。都合が悪くなれば目覚めればいいだけだ。ここは夢の中なんだから。
奴は少し歩くと、すぐ隣の4年2組の教室へと吸い込まれていく。
視界から不気味な姿が消え、俺はホッとする。…だが程なくして、奴はまた廊下に姿を現した。
さっきと同じ黒い服のはずだが、何かおかしい。全体的に、さっきまで無かった斑模様が薄っすらと入っている。
手に握っている棒も、何らかの液体で汚れており、それが滴って床に黒いシミを作った。
奴はのっそりのっそり歩き、4年3組の廊下へ吸い込まれていく。
「………。」
俺は嫌な予感を覚え、自分が今立っている場所に目を向ける。
俺は、廊下の終点である「4年4組」の教室の前に立っていた。
「………。」
少しして、奴が再び現れる。
教室ひとつ分の距離まで迫った時、俺は奴の姿を見て息を呑んだ。
真っ黒な服に付いていた斑模様は、何らかの赤黒い飛沫をかぶった痕だった。
奴の手に握られていた細い物はただの棒ではなく、何らかの赤黒い液体をこびり付かせた、金槌だったのだ。
赤黒い液体の正体なぞ分からない。
誰のものかも分からない。
だってここは夢なのだから。そうだろう。
奴がのっそりのっそり近づいてくる。
4年4組の教室に差し掛かってもなぜか中には入らず、扉を通り過ぎて、一直線に俺の方へと近づいてくる。
奴の体から漂う鉄錆のようなにおいが、いやにハッキリと鼻腔にまとわりついた。
ーーー覚めろ、覚めろ、覚めろ。
とっさに強く強く目を瞑る。
頭の中で何度も何度も念じる。
ーーー覚めろ、覚めろ、覚めろ。
奴の息遣いが聞こえる。
金槌が床に擦れる無機質な音がする。
生暖かい息の異臭を、顔のすぐそばに感じた。
ただ夢中で、祈りに似た気持ちで、
強く強く強く念じ続ける。
ーーー覚めろ、覚めろ、覚めろ。