男装魔法使い、女性恐怖症の公爵令息様の治療係に任命される

「殿下は……案外、お人が悪いですね」
「ふふっ、君には情で訴える方が効果があると思ってね。それはジークハルトも分かり切っていることだろうけれど」

 あの、わんこみたいな目のことだろうか。

「ははぁ、なるほど……彼、意外と策士だったんですね」
「私の右腕なんだ。当然だろう。それにね〝エリザ〟」

 彼は穏やかな笑みを浮かべ、続ける。

「これからも一人でずっと旅を続けていくなんて、寂しいじゃないか」
「…………」
「いつか落ち着ける場所ができて欲しいと思って、君の師匠とやらも『勇者』も『聖女』の身分も知らない大陸に送ったのではないかな。私としても、そろそろ古郷という場所ができてもいいと思うんだ」
「それが、殿下のいるココですか?」
「そう、ゆくゆくは私が治めるこの国だ。そしてぜひ、いつでも会える王都にいて欲しいね。ああ、言っておくけど、珍しい異国の人間だからとかいう理由ではないよ。君は私の友人だからね」

 扉の外からノックがされ、ハロルドの声がした。

 迎えが来たようだ。フィサリウスが行くと答え、立ち上がる。
「心配しなくとも、ラドフォード公爵達も大歓迎の様子だっただろう?」
「まぁ……そうですね」

 ジークハルトが女性に触っても大丈夫になった。そのうえ、念願の『花嫁』を選んで、決めてくれた。

 それでいてその相手が『エリザなら嬉しい』と――みんな隠しもしなかった。

 だから昨日もテンションが高かったのだとエリザは気づいた。彼らが呪いの解ける日を楽しみにしていたのは、ジークハルトのことだけじゃなくて、エリザがあの屋敷の〝一員〟になってくれることを思ってだったのだ。

「婚約はまだ仮の状態だから、正式な公表はされていないよ」

 扉を開けながら、フィサリウスがそう言った。向こうから顔をのぞかせたハロルドが、女性相手に対する騎士の挨拶をしてく。困ったような、それでいてどこか納得したような苦笑をその顔に浮かべていた。

「交際期間だと思えばいい。考える時間はあるし、今後色々と動くにしても都合がいい。君の住所と身元も仮ながら発行されたし、身分証があれば君もこの王都をもってよく楽しめると思うけど?」

 強気な笑みと共に、彼の姿は、ハロルドが外から閉めていった扉の向こうへと消えていった。

 彼にしては、時間いっぱい話し続けた感じだった。

(『いて欲しい』、『友人』……全部本音なんだろうなぁ)

 涼しげな表情をしていたけれど、エリザは仮の状態であるこの婚約も、彼女次第ではなくせるとはラドフォード公爵にきちんと説明されていた。

 それを知っても、切り出さずにジークハルトといつも通り『いってきます』と言い、ルディオとも一緒になって公爵邸を出た。

 三人一緒に――それが、もうエリザの出した〝答え〟そのものだった。
 待って間もなく、ジークハルトがやってきた。

 女性に対して異常なほどの恐怖を抱くことがなくなったためか、一人で来た彼は、途中で異性とすれ違っただろうに平気そうだった。

「一人で来られたんですか?」

 彼がソファの隣る様子を目で追いつつ、聞いてみた。

「まぁ……その、近付かなければ平気ですから」

 一対一の対人くらいの近さとか、声をかけられるとかだろうなとは、エリザもなんとなく察した。

 二人で話せたのは朝の寝室の一件以来だったし、あれからジークハルトも一度頭が冷えた。

 改まると、さぞ気まずい感じの空気になるんだろうな――と思っていたのだが、エリザの予想は外れた。

 ジークハルトはソファに座ると「よし」と頷き、エリザを自分の膝の上に抱き上げたのだ。

「『よし』じゃありません。待った待った」

 思わず、エリザの口からツッコミが出た。

「なんです?」
「おかしいと思わないんですか」
「求婚している仮の婚約者が隣にいるのに、しかも二人きりなら、大人でも許されるでしょう?」

 エリザは、ジークハルトの感性についていけるか少し心配になった。
(呪いがなくなっても、ちょっとおかしい、かも……?)

 彼は女性との交流経験が幼少期以来はほぼないので、そう考えるとかなり極端ではあるというか――。

「まずはその『仮の婚約』について聞きましょうかね。すでにちゃっかり仮の段階まで婚約を押さえてしまったのは、なぜですか?」
「それは……えぇと、すみませんでした。あなたを誰にも盗られたくなくて」

 そんなに怖い感じの高圧的な聞き方になってしまっただろうか。ジークハルトの口調と顔に『だいぶ反省してます』と書かれていた。

 エリザは「別に怒っているわけじゃなんいですけど……」と、小さな声で言った。

「怒っていないんですか?」
「私だって悪いことをしましたからね。ルディオに協力して、男だと言ってあなた様に会いに行って、男だとラドフォード公爵様達とグルになって偽ることにして、それでいてずっと偽名を使っています」

 口にすればするほど、抱いていた反省は増した。

 エリザは、目を丸くしているジークハルトと顔を突き合わせた。彼の両肩にぽんっと両手を置き、固定すると彼が驚く。
「本名はもういいやと思っていて、聞かれないまま名乗るのはジークハルト様が初めてですからね。それで勘弁してれると有難いです」
「俺が初めて……」
「はい。私の名前は、エリザです」
「お、俺はジークハルト・ラドフォードですっ」

 なぜか、彼まで名乗ってきた。

 彼女は目を丸くした。それだけ挙動不審になっているのだと察して、思わず笑ってしまった。するとジークハルトも、ようやく緊張していた表情を崩す。

「エリザ、……エリザですね」

 彼は、噛み締めるように呼んで、言う。

「エリザはいつも俺の予想を超えてきますね。眩しいくらい時々かっこよくて、俺にはない自信があるというか。ますます惚れてしまいます」

 急に、軽く抱き締められて胸が高鳴った。

 彼に『エリザ』と名前を呼ばれると、フィサリウス達に口に出された時とは違うモノを感じた。

 鼓動が熱を持つというか、彼の声だけ特別な色合いで胸にしみ込んでくるというか――。

「もっと、あなたを好きになってしまいます」

 エリザはどきどきしてきた。
「その……好きって、本当なんですか?」
「もちろんですよ。初めは女性だと気づかない状態で、俺はもうあなたしか見えないんだなって思って」

 ジークハルトが少し腕を緩めて、エリザと目を合わせてくる。

「えっ、気付く前に?」
「はい。そうしたら、あなたが女性だと気付いて。結婚もできるし悩まなくてもいいのかと」

 いや、ちょっとは悩もう。エリザはそう思った。

「私、異国からきた結構怪しい魔法使いだと思うんですけど……ほら、呪いの効果が出ない特殊体質持ちで、魔物を滅する以外に魔法が使えないとか……」

 勇者と聖女の娘、というのかフィサリウスとの間の秘密にすることにした。

 そうすると魔術師の話をしなくてはならなくなる。ジークハルトは魔法使いではないので、ここでは混乱させてしまうだけだろう。

 するとジークハルトがくすりと笑って、エリザの頬を手の甲で撫でた。

「こうして俺の上に素直に座ってくれている女の子が、警戒しなければならないあやしい人物とは思えませんよ。気持ちを知ったうえで不通に接してくれたのも、チャンスがあると取ってもいいんですよね?」
 こういう時、きちんと紳士っぽく言ってくるのはずるい。

「……いちおう返事は聞くつもりだったんですか?」
「もちろんです。確実にあなたを引き留めたくて、まずは誰も結婚の申し込みなどできないように法的に処置をしました」
「どうして純粋な気持ちでいながら、そう怖い行動にいくんですか」
「え? 何か問題でも?」

 ジークハルトの目は真っすぐで、エリザは本気で言ったのだと分かって、ちょっとくらくらしてきた。

「できるだけ意識してもらおうと接してきましたから、うまくいけはほだされてくれるかな、と」
「ジークハルト様、それなんか黒い……」
「エリザを手に入れたかったからです。抱擁も、キスも、俺の特権にしたかったんです」

 ふっと彼の顔が迫ったか思ったら、エリザはきゅっとキスをされていた。

 それはあっという間のことで、彼女は恥じらう暇もなかった。

「あなたにまだそういう目で見られていないのなら、このあと確実に落としていけばいいかな、と思っていましたし」
「待って。ジークハルト様って初めてなんですよね? なんでそう考えれるのっ」
「初めて誰かを欲しくなったから、ではないですかね」

 彼が再び、エリザをぎゅぅっと抱き締めてきた。

「こんな気持ち初めてなんです。エリザを独り占めしたいし、抱き締めたい。ずっと話していたいし、キスだってもっといっぱいしたいです」

 次に次に言われて、エリザは彼の腕の中で真っ赤になってしまった。

(こ、この人……素直すぎない?)

 たぶん、思っていることを正直に全部話している気がする。

 先程まで話していたフィサリウスと違って、遠回しなどが彼の場合は一切ないのだ。

「俺はあなたが好きです。呪いが解ける日が待ち遠しくて、嬉しくてつい、既成事実に走ろうとしましたが」
「それは絶対にやめてくださいね、絶対に」

 エリザは瞬時に、二度、念押しした。

「健全な男なんです、あれは普通の反応かと」
「どうだろ、私は女の子だからちょっと分からない、かも……?」
「もちろんあんなこともうしませんよ。する時は、エリザの許可を取ってからにします」
「私、結婚前にはしないと決めています」

 強めに言ったら、ジークハルトの身体が笑い声と共に小さく揺れた。
「婚約中は? だめ?」
「……交際中なら、交際中らしいことだけ、です」

 ハタとした様子で、彼が手の力を緩める。

 エリザは顔を再び突き合わせる瞬間を待って、ジークハルトの顔に両手を添え、ふっと身を寄せた。

「お返しです。いえ、仕返しとも言います」
「え――」

 彼の声が、彼女の唇に塞がれた。

 見よう見真似で唇を押し付けてみたら、思った以上に深く口同士が重なっていた。

 やりすぎた、と思ったが不思議と恥ずかしい気持ちはなかった。

 唇を離してみたら、ジークハルトが目を丸くして固まっていた姿が目に留まったからだ。その、相当驚いた様子でエリザは満足した。

「ふふっ、面白い顔になってますよ」
「エリザ……いいんですか?」
「伝わりませんでしたか? 私、気になっていない異性にキスなんてできないですよ」

 彼がどこかの貴族令嬢と結婚することを考えた時、エリザの胸は今とは真逆の気分だった。

 たぶん、それは『盗られたくない』と言った彼と似たような気持ちだったのだと、今になって理解できた。