「堀河くん、どうしたの?」

 頭の上から声がかかった。ハッとして上を向くと、富澤が俺を見下ろしていた。一気に現実が戻ってくる。俺がいるのは学校の教室で、今は試験終わりの休み時間だ。
 持っていたスマホをブレザーのポケットに戻し、富澤の手元にある見慣れないバインダーに視線を向ける。日直が書く日誌だ。
 そうか、今日は俺と富澤が日直だったっけ。

「具合悪い? 顔青いけど」
「い、いや……」
「日誌、私が書こうか?」

 席に座っているこちらを心配そうな表情で見下ろす富澤は、今日も黒髪のボブに眼鏡とシンプルでツッとした顔立ちをしている。校則を律儀に守ると野暮ったくなりがちな制服なのに、富澤が着るとそうならないから不思議だ。まさにクールな大和撫子ってかんじ。
 こっそりと(ささや)かれている、男子の人気ツートップの一人。成績が優秀なだけじゃなくて、眼鏡の奥は何でも見透かしてるって感じで、普段なら絶対に近づかない相手だ。

 でも、自分とは縁遠そうな富澤になら、逆にストーカーのことを相談しやすいんじゃないか? あくまで雑談に近い感じに話せば、たとえ重い話題でも、完全な他人事として受け止めてくれるかも。

「あのさ富澤」
「なに? 保健室行くの?」
「ちがう。俺の友達がちょっと変なことに巻き込まれてて……」
「トモダチ? えっと……それって、私に相談を聞いてほしいってことでオーケー?」
「あ、うん。ごめんそういうこと」

 女子はおろか誰かと深い話なんてしたことがなかった俺は、話題の振りかたがヘタクソになっていた。

「珍しいね。堀河くんから相談ごとなんて」
「いや、大したことじゃないんだ」

 俺は富澤に、インスタで《つむぎ》というアカウントを助けたことや、ストーカーみたいなことをされている事情をかいつまんで説明した。もちろん、あくまで俺の友達が困ってるってとこだけウソをついて。
 富澤は俺の話に相槌を打ち、話を聞き終わると眼鏡を押し上げた。

「その『友達』って、もしかしなくても堀河くん本人のことだよね?」
「えっ……、ちげえし」
「だって、『自分の友達』って前置きをして何かの相談をする時は、自分のことをぼかしたい時じゃない?」
「いやそこは言葉通りに受け取ってくれよ」

 これだから秀才ってやつは変に鋭くて困る。動揺してこっちが挙動不審になっちまったじゃねえか。

「それで俺の友達(・・・・)が言うには、そのストーカーが校内の誰かなんじゃないかって」

 ストーカーってところだけ小声で言うと、富澤の流れるような眉毛がきゅっと歪んだ。

「堀河くん、それリアルのストーカーかもよ。思ってるより深刻かも。家族か誰かに相談したほうがいい」
「だから俺の話じゃないって……」
「なになに!? 何の話!?」

 教室の端のほうから大声がして、久藤がこちらに走り寄り富澤の隣に立った。

「舞衣が富澤くんと話してるの、めずらしいねえ。っていうか、初めてじゃない?」
「堀河くんに、熱心な追っかけがいるんだって」
「おい、富澤……!」

 追っかけってなんだよ。ストーカーの相談をぼかしてくれたのありがたいけどさ。

「それって、堀河くんのファンがいるってこと? ならちょっと気持ちわかるかも」

 久藤が緩やかなウェーブを垂らしたポニーテールを揺らしながら、俺に顔をぐいと寄せてきた。
 ち、近い。

「ファンじゃねえって。そもそも普通の男子高校生にファンなんてつかないから」
「え、そんなことないよ。堀河くん顔キレイだし、女子に人気の顔なんだよ? というか、女子にはそのつんけんした態度も高評価!」
「悪かったなつんけんしてて」

 何を思ったのか、久藤は探偵よろしく親指と人差指を広げて顎に当てて不穏に笑った。

「ほうほう。ついに堀河くんの魅力に誰かが気づいて、追っかけが付きましたかぁ。ふふふ……」
「久藤ってこんなキャラだっけ」
「スルーしてあげて」

 富澤がさらりと言ってのけると、横から久藤が「ちょっと舞衣、そこはフォローしてよ」と肩を持って揺らす。

「ふ、二人って仲いいよな。いつも一緒にいるし」

 久藤が鼻息荒くうなずく。

「うん、親友だよ」
「小学校から一緒ってだけ。離れたくても離れられないし」
「えっ、ちょっと舞衣? 親友って思ってたのあたしだけ?」
「はいはい、シンユーですよ」
「なんで棒読みなのー!?」

 二人の漫才みたいなやり取りを、俺は自分の席で黙って眺めているしかなかった。
 二人を羨ましいと思ってしまった。俺に女装趣味がなかったら、なんでも話し合える仲のいい友人が一人でも出来ていたんだろうか、と。
 親友と言って、はいはいと受け流すだけいい。久藤と富澤みたいな、そんな関係の相手。
 それとも、俺と他人を隔てる壁を取り払っていれば、必死に隠している本当の俺を受け入れてくれる親友が一人でもいてくれたんだろうか。