俺には誰にも言えない秘密がある。両親にも、友人にすら言えない。
もしも秘密がバレたらアイデンティティが足元から崩れてしまうような、そんな気がしていた。
あいつにが俺の前に現れるまでは──。
帰宅前のホームルームが終わって、二年一組の教室はざわざわと控えめな騒がしさを取り戻した。これが普段だったらもっとうるさいくらいだが、来週に中間試験が控えているということもあって『うんざり』って空気のほうが強い。
高校二年、最初の中間試験だ。成績が受験に響くやつもいる。
そんな中、俺はまっさきに、ブレザーにしまっていたスマートフォンを取り出してロックを解除した。少し時間が空くだけでインスタグラムの通知がとんでもない数になってしまうから、大事な連絡を見逃さないためにはこまめにアカウントを確認する必要があるのだ。
「堀河ぁー」
インスタを開いたと同時に、栗原が俺の席に近づいてきた。スマホを見られそうになったので、画面を暗くする。
「あ、ごめん。取り込み中?」
「べつに。チャージ溜まったからマンガ読んでた」
本当はインスタを覗こうとしていたが、とっさにウソをついた。
「お、じゃあもしかして、今週末ヒマ? 塾行ってない組で中間試験の勉強会やることになってさ。どうせやるなら誰かの家がいいんじゃないかって話になったんだけど」
勉強会は四、五人でやるそうだ。ファストフード店に居座ると周りの客からクレームが来そうだし、かといって図書館に行っても席がなさそうな人数だ。
「女子は久藤と富澤が来るって」
手元の筆箱をカバンに入れていた俺は、びっくりして顔を上げた。視線が思わず、教室の端に寄る。そこには今まさに話題になってた久藤と富澤が、カバンを持って席を立ったところだった。
久藤糸葉はロングの髪をふんわりとパーマにかけて、どこかの読モにでもいそうなカワイイ系女子だ。部活は確か美術部。
富澤舞衣はボブカットに眼鏡で、態度はつんとしているのになぜか嫌味っぽくない清楚系女子。塾通いをしてないのに成績は学年トップ。
つまり、クラスで男子に人気トップツーが勉強会に参加するってことだ。
俺は呆れ返りながら栗原に向き直った。
「おまえ、ほんとちゃっかりしてんな」
「だって、勉強会でもなきゃ誘えないだろ、あんなの! 二人とも誰かと付き合ってないっていうし、あわよくばどっちかと……さ?」
栗原はパン、と勢いよく両手を叩いた。
「で! 堀河ん家で勉強会できない?」
「ムリ」
「誰の家なら大丈夫か聞いて回って……って、即答!」
「俺の両親、よその人を上げるのには厳しいから。勉強会の参加もパス」
「またパスぅ? まじかぁ。堀河が来れば女子がもっと釣れるのに」
釣れるって、とことん失礼だな。合コンじゃあるまいし。
栗原はワックスをした頭を掻いた。
「堀河ってさ……ちょっと、壁みたいなのあるよな」
カバンを肩にかけようとした手が、止まる。
「べつに、そんなつもりじゃない。本当に家に上げられないだけで」
「ごめん、言い方が悪かった。でも一緒に外で遊んだりとか、堀河ってそういうイベント全部断るよな、って思って」
じゃ、と栗原は俺の席から離れていって、『壁みたいなの』という言葉だけが俺の頭に残った。
どくどくと心臓が変に脈打つ。
俺には壁がある。そうらしい。知ってる。
だけど俺にはその壁がないと、生きていけない。
カバンを今度こそ肩にかけて、席を立つ。校舎を出て、電車に乗り、家にたどり着いて、二階にある自分の部屋に上がって、やっと緊張が解けた。
夕方で薄暗くなっている部屋の電気をつける。ベッドに、簡素な机。それとは別に、男物の部屋には似つかない、メイク道具が溢れんばかりに乗せられたローテーブルがある。
カバンを床に置いて、部屋の一面を占めている大きなクローゼットを開けた。
親が家によその家の人を上げることに厳しい、なんてのはウソ。俺が他人を部屋にあげたくない本当の理由はこれのせいだ。
いつも着ているスラックスやジーンズ、トップス。その後ろに隠すようにして、ドレス、ワンピース、セーラー服、その他アニメやマンガのコスプレ衣装をハンガーに引っ掛けていた。
きらびやかな衣装を前に、俺は深いため息をつくしかなかった。
「誰かにこれ見られたら、死ねる……」
着替えるのも億劫で、ベッドに背中からダイブする。ブレザーからスマホを取り出して、やっとインスタを立ち上げた。
「うわ。コメント百超えそう」
プロフィール画面の写真は、俺の全身自撮り。だけど服装はジーンズやワイシャツなどではなくて、『不思議の国のアリス』の挿絵を真似したコスプレを着ている。黒タイツ。エプロンドレス。顔はメイクをしているので、男子要素は欠片もない。
俺がやってるインスタのアカウント名は《堀河駿》じゃなくて《SuRuGa》。
知る人ぞ知る、フォロワー一万人超えの女装コスプレイヤーだ。
もしも秘密がバレたらアイデンティティが足元から崩れてしまうような、そんな気がしていた。
あいつにが俺の前に現れるまでは──。
帰宅前のホームルームが終わって、二年一組の教室はざわざわと控えめな騒がしさを取り戻した。これが普段だったらもっとうるさいくらいだが、来週に中間試験が控えているということもあって『うんざり』って空気のほうが強い。
高校二年、最初の中間試験だ。成績が受験に響くやつもいる。
そんな中、俺はまっさきに、ブレザーにしまっていたスマートフォンを取り出してロックを解除した。少し時間が空くだけでインスタグラムの通知がとんでもない数になってしまうから、大事な連絡を見逃さないためにはこまめにアカウントを確認する必要があるのだ。
「堀河ぁー」
インスタを開いたと同時に、栗原が俺の席に近づいてきた。スマホを見られそうになったので、画面を暗くする。
「あ、ごめん。取り込み中?」
「べつに。チャージ溜まったからマンガ読んでた」
本当はインスタを覗こうとしていたが、とっさにウソをついた。
「お、じゃあもしかして、今週末ヒマ? 塾行ってない組で中間試験の勉強会やることになってさ。どうせやるなら誰かの家がいいんじゃないかって話になったんだけど」
勉強会は四、五人でやるそうだ。ファストフード店に居座ると周りの客からクレームが来そうだし、かといって図書館に行っても席がなさそうな人数だ。
「女子は久藤と富澤が来るって」
手元の筆箱をカバンに入れていた俺は、びっくりして顔を上げた。視線が思わず、教室の端に寄る。そこには今まさに話題になってた久藤と富澤が、カバンを持って席を立ったところだった。
久藤糸葉はロングの髪をふんわりとパーマにかけて、どこかの読モにでもいそうなカワイイ系女子だ。部活は確か美術部。
富澤舞衣はボブカットに眼鏡で、態度はつんとしているのになぜか嫌味っぽくない清楚系女子。塾通いをしてないのに成績は学年トップ。
つまり、クラスで男子に人気トップツーが勉強会に参加するってことだ。
俺は呆れ返りながら栗原に向き直った。
「おまえ、ほんとちゃっかりしてんな」
「だって、勉強会でもなきゃ誘えないだろ、あんなの! 二人とも誰かと付き合ってないっていうし、あわよくばどっちかと……さ?」
栗原はパン、と勢いよく両手を叩いた。
「で! 堀河ん家で勉強会できない?」
「ムリ」
「誰の家なら大丈夫か聞いて回って……って、即答!」
「俺の両親、よその人を上げるのには厳しいから。勉強会の参加もパス」
「またパスぅ? まじかぁ。堀河が来れば女子がもっと釣れるのに」
釣れるって、とことん失礼だな。合コンじゃあるまいし。
栗原はワックスをした頭を掻いた。
「堀河ってさ……ちょっと、壁みたいなのあるよな」
カバンを肩にかけようとした手が、止まる。
「べつに、そんなつもりじゃない。本当に家に上げられないだけで」
「ごめん、言い方が悪かった。でも一緒に外で遊んだりとか、堀河ってそういうイベント全部断るよな、って思って」
じゃ、と栗原は俺の席から離れていって、『壁みたいなの』という言葉だけが俺の頭に残った。
どくどくと心臓が変に脈打つ。
俺には壁がある。そうらしい。知ってる。
だけど俺にはその壁がないと、生きていけない。
カバンを今度こそ肩にかけて、席を立つ。校舎を出て、電車に乗り、家にたどり着いて、二階にある自分の部屋に上がって、やっと緊張が解けた。
夕方で薄暗くなっている部屋の電気をつける。ベッドに、簡素な机。それとは別に、男物の部屋には似つかない、メイク道具が溢れんばかりに乗せられたローテーブルがある。
カバンを床に置いて、部屋の一面を占めている大きなクローゼットを開けた。
親が家によその家の人を上げることに厳しい、なんてのはウソ。俺が他人を部屋にあげたくない本当の理由はこれのせいだ。
いつも着ているスラックスやジーンズ、トップス。その後ろに隠すようにして、ドレス、ワンピース、セーラー服、その他アニメやマンガのコスプレ衣装をハンガーに引っ掛けていた。
きらびやかな衣装を前に、俺は深いため息をつくしかなかった。
「誰かにこれ見られたら、死ねる……」
着替えるのも億劫で、ベッドに背中からダイブする。ブレザーからスマホを取り出して、やっとインスタを立ち上げた。
「うわ。コメント百超えそう」
プロフィール画面の写真は、俺の全身自撮り。だけど服装はジーンズやワイシャツなどではなくて、『不思議の国のアリス』の挿絵を真似したコスプレを着ている。黒タイツ。エプロンドレス。顔はメイクをしているので、男子要素は欠片もない。
俺がやってるインスタのアカウント名は《堀河駿》じゃなくて《SuRuGa》。
知る人ぞ知る、フォロワー一万人超えの女装コスプレイヤーだ。