「それで、まだその子のことを想ってここに通ってるんですか?」

 カフェの店員の女性が、僕にラテアートの描かれたカプチーノをテーブルに置きながらそう問いかけてくる。閉店時間も近いからか彼女は僕の向かいの席に座った。僕はラテアートを崩しながらそんな彼女を見て小さくため息をつく。


「今話しましたよね? そこはあの子の席です」
「まあいいじゃないですか。誰にも座られないのは、店員から見てもこの席が可哀想ですし」


 彼女は無邪気な幼い笑みを向けてそういった。長い髪を後ろで一つにまとめていて、綺麗だと思うその白い肌。窓際のこの席では雨が降っていても、窓からの光で陰影を強調させてその顔が整っていることがわかる。肘をついて窓の外の雨を見ている彼女の姿に、あの子が重なった。


「その子のこと、今でも何も知らないんですか?」
「僕の一生の後悔の話を聞いて楽しいですか」
「はい。ここでいつも私の頑張って作ったラテアートを崩しているあなたの理由がわかって楽しいです」


 彼女はまた笑う。悪気のない顔で。

僕はあの子が死んでから、少しだけ、このカフェを避けて通わなかった。けれど結局、雨が降ると足を運んでしまって、まだあの子がいるんじゃないかと、あれから数年たった今でも、そんな希望を抱いてここにいる。


「……やっぱり崩すのは、もったいないですよね」
「はい。見て楽しむものですから。……でもその子はわざわざ今のあなたと同じようにラテアートを頼んで崩していたんでしょう? その理由、気になりますね」
「僕もずっとそれが分かりません。同じことをしても、僕にはやっぱり、もったいないとしか思えない」


 そう言うと、そりゃそうですよ、と彼女が席を立って片付けをしながら言う。
僕はカプチーノを飲みながら彼女の話に耳を傾けた。


「だってあなたはその子じゃないし、今はもう、思春期の高校生でもないんですから」
「どういうことですか」
「……話を聞いていたら思ったんです。あぁ、これは、あくまで私のその子に対する印象ですよ? あったことも無いですし」
「はい」

「……なんだか、不安定な子だなって、思ったんです。いきなりあなたに自分は死にたがりだ、って言うところとか、ラテアートを、もったいないとも思わず崩してしまうところとか。……なんだか、自殺したって言われても、納得してしまうような子ですね」

「……言われてみれば、おかしな人でした。明るかったから、あの時は本当に死ぬなんて思わなかったけど」

「その明るさが、不安定な部分を隠してたんですよ、きっと。そんな特殊な子の気持ち、あなたみたいな真面目な人には分からないのが当然です」


 空いたテーブルを拭きながら彼女はそう話して、僕はカプチーノを飲み終えた。
お会計を済ませて店から出ようとすると、彼女に呼び止められる。


「常連さん」
「はい、なんですか」
「名前、教えてください」


 ふと、その言葉に固まってしまった。このカフェでそんなセリフを聞くなんて、思っていなかったから。僕も、死んだあの子も、お互いの名前を、名乗ったりなんかしたかったから。


水戸瀬優希(みとせゆうき)です」
「水戸瀬さんですね。覚えておきます。私は、未城花那(みしろはな)です。まぁ覚えても覚えなくても、いいですけどね」


 ふわりと笑った未城さんは、そのまま僕を店の外まで送ってくれた。

傘をさして家まで歩く。ふと、あの子が死んだ時のネットの反応を思い出した。すぐに検索をかけて、スマホを見つめていた。

傘に弾かれる雨の音が嫌に響く。

あの子の名前は未成年だから載っていなかったけれど、ネットは情報の宝庫だ。コメントを遡ればわかる。

そこにあった彼女の名前を見て、僕の心臓は大きく鼓動を打った。