少年と青年は談笑をしながら廊下を歩いていた。

「最近またこけたんだよ~。もー本当に嫌で」
「あはは、アラカワくん気をつけてよぉ。ちゃんと絆創膏持ってるのぉ?」

こんな他愛もない話をしている時だった。少年と青年の足が止まり、思わず絶句する。連なるシンプルな白のドアの一つにマジックペンで落書きがされていた。しかもただの落書きではない。

「『外に出るな』『部屋の中にいろ』『出てくるな』……何これ……陽翔さん知ってる?」
「いや……僕も知らないよ……なんだこれは」

脅しとも捉えられる言葉の数々はドア一面に施されており、文字の周りを赤のペンキで書かれたバツ印が囲んでいる。少年は焦る頭でこの部屋の住人は誰か記憶から引っ張り出す。

「確かここ……むすびちゃんの部屋だ。ほら、ペンキで気づかなかったけれどドアプレートが……」
「本当だ」

赤に塗りたくられたドアプレートを捲ると可愛らしい丸文字で「くろーず! むすび」と書いてある。その瞬間、少年たちの背筋が凍った。誰かが彼らの大切な家族を傷つけようとしている。しかもその傷つけようとした人もまた、彼らの大切な家族であり守らねばならない存在。少年は取り乱しそうになるのを必死に堪えた。少年は自分はリーダーであり、鳥籠の皆を守らなければならないと分かっている。だからこそここで慌てれば、隣の青年が不安を抱くことに気づいていた。なるべくいつも通りの笑みを張り付けた少年は青年に向き合う。

「大丈夫だよ、アラカワくん。きっと悪戯が過ぎちゃったんだろうねぇ、全く僕の教育が足りてなかったかなぁ?」
「でも陽翔さん……」
「心配なのはわかるよぉ。でも僕らが慌てたって今更どうしようもならない。それにむすびちゃんはこんな風に恨みを買う子じゃないって分かってるから、ね大丈夫だいじょーぶ」

その言葉を聞いて青年も落ち着いたようだ。二人で目配せをすると、どちらがともなくリネン室へ洗剤とタオルを取りに向かう。一刻も早く元通りにしなければ、ここに住んでいる純粋無垢な住人さんはきっと傷ついてしまうだろう。優しい二人の思考には守りたいという思いしかなかった。
曲がり角を曲がって部屋の方へ戻ると、黄色の影がドアの前で座り込んでいた。足音に気づいたのか、ぴくっと肩を震わせると、ゆっくり振り返る。ぎろりと奥にある目が光ったような気がした。

「あれれぇ?」

へらっと笑った人物はゆらりと二人の元へ近づく。

「もしかしてこれ、はーさんとあーさんの仕業かみゃあ?」
「ふふっ、何言ってるのぉ魅夜ちゃん。違うよぉ」
「じゃあ、誰がこんなことしたのかみゃあ?」
「ねぇ、見当もつかないやぁ」
「……その反応、本当は誰か分かってるのみゃあ?」

少年は黙りこくった。青年はその横顔を驚いた顔で見つめる。住人の優しいところを誰よりも知っている彼が犯人の予想がついている、沈黙は肯定。その事実は青年を驚愕させるには十分だった。

「まぁみゃーは深追いする気はないけれど、裏切り者がいるって解釈で間違ってないみゃ?」

少年が傷ついたように眉をひそめたのは一度だけ。すぐにいつもののほほんとした笑顔に戻っていた。

「んふふ、きっとこの世界のバグなんじゃないかなぁ。だとしたらあんまり考えすぎると消されちゃうねぇ」

大切な家族がそんなことするはずない、けれどもう見当はついている。認めたくない気持ちが矛盾して少年を悩ませる。青年が悩む少年の肩を叩いてきた。「大丈夫」と先ほど掛けた言葉をそのまま返された少年は自分が冷静さを失っていることに気が付くと、「ありがとう」と微笑んでドアの撤去作業や壁へのインクの付着を綺麗にしていく。挑発に乗らなかったことがつまらなかったのか、黒色のパーカーの人物は退屈そうにその光景を眺めていた。丁度、新しいドアの取り付けも終わろうとしていたところで遠くからカタンカタンと誰かの足音が響く。
気づいた時にはもう遅かった。猫耳の人物は黒の残像を残し、消えていく。部屋の住人の帰宅だ。

「まずい……」
「僕が行く」
「え」
「まだ最後のネジが止まってない。けど、このままここにいればきっとむすびちゃんが危ない。だから僕が行くよ。絶対守るから、必ず助けるから、約束する。だから大事な家族、僕に守らせてよ」
「……分かった。僕も取り付け次第すぐに向かうから」

少年の返事を聞くなり飛び出していく大きな背中。少年の額には汗がにじんでいた。