「あっ」

今日もこの世界は平和だ。体調も元通りになったので、今日は早朝から目的もなく庭をふらついていると、見たこともない人に出会った。全身黒いスーツを着た男の人。おかっぱ頭なので一瞬女の人かと思ったが違った。手の筋や喉仏の出っ張りから男性特有の色気を出している。

「はじめまして!」

私が笑顔で挨拶をすると、彼は私の姿を見つけ驚いたように目を見開いた後控えめに会釈した。

「こんな朝早くからどうしたの?」
「……君こそ」
「私?私はね~朝焼けと薔薇は綺麗だろうなぁって思って見に来たんだ!」

彼の表情はぴくりとも動かない。不思議な人だ。穏やかなのに、どこか影がある。触れれば血が流れる薔薇のような冷たさささえ感じさせる。笑顔を見てみたいなぁ。笑ったらどうな風になるんだろう、えくぼでもできるのかな?きっと思い切り笑った顔は少し幼いんだろうなぁ。頭の中は笑顔にさせることでいっぱいだ。私はなるべく警戒心を抱かれないような人懐っこい笑みを浮かべながら尋ねる。

「あなたの名前は?」
「……」

その言葉に鉄仮面だった表情に少しだけ寂しさが浮かんだのを私は見逃さなかった。

「もしかして、名前ないの?」
「無い、それに必要もない」
「必要なくなんてないよ!!あなただけじゃ寂しいもん!それにね、名前はきっと人の心を強く結ぶんだ。確証なんて無い、けどきっとそうなの」

私にはむすびという名前がある。
誰が付けてくれたのかも知らないし、知ってはいけないのだろうけど、私はきっとこの名前には想いが込められてるって信じてる。
人と人を繋ぐ「むすび」
心と心の「むすび」
だから彼にも名前が必要だと思った。そうしなければ彼の存在がどんどん弱くなっていってしまう、そんな気がした。
彼の瞳を見つめる。
透き通った青に一滴だけ緑を落としたような綺麗な色。
そうだ……

「金春……」

その瞬間、澄んだ瞳に光が灯った。

「こんぱるはどう?」
「こんぱる……」
「瞳が金春色だから」

朝焼けの空の端が目に映る。その色とそっくりだと思った。太陽がのぼる色、朝の訪れを伝える色、それが君の名前だ。

「駄目かな……?」

彼は俯いて少し悩んだあと、静かに顔を縦に振った。私の顔にほころびが生まれる。

「こんぱる」
「うん」
「こんぱる!!」

嬉しくて何度も名前を呼んでしまう。その度にうざったらしそうに顔をしかめるけれど、最初の無表情よりもずっと花咲きらしい生き生きとした姿にほっと息を漏らした。

「これからよろしくね!」
「ん」

彼の言葉は少ない。何を考えているか分からないし、勝手に名前をつけられて内心は怒っているのかもしれない。
けれど、ほんの少しだけ微笑んだのは気のせいだろうか。だとしたら、私は大満足だった。