「おはよう」
やわらかな太陽の明かりが窓から差し込む寝室で、ゆかはまだ眠そうな声で挨拶をした。
こんな風に朝から挨拶をする相手が学校の友だちだったらいいのにって毎日布団の上で思いながら、ゆかの朝は始まる。
友だちの代わりに「おはよう」って掠れた声で答えてくれるのは、毎朝祖母だった。
隣を見ると横で寝ていたはずの母はすでに起きていて、部屋の外でゴトゴトと音がしていた。
昔からこの家に住んでいたわけではなかった。
大きな庭付きの一軒家に住んでいたけれど、ある出来事をきっかけに、両親が離婚して母の実家にゆかと母の2人で転がり込んだ。
はじめのうちは祖父と祖母、母とゆかの4人でこの狭い家で生活していたけれど、今祖父は体調を崩しているので入院中。
3人で生活をしている。
「ゆか、おはよう。今日はお誕生日だね。おめでとう」
リビングに入った瞬間、味噌を溶いていた母が手を止めて微笑んだ。
椎茸の香りがリビングいっぱいに広がっている。
母の作る味噌汁のこだわりは、必ず椎茸を入れることなんだよって、そう母が以前教えてくれた。
そうか、今日は誕生日だった。
憂鬱だった気分が、さらに沈んでしまう。
誕生日。
こうやって何も変わることが出来なかった自分は、1年間を無駄に過ごしてしまった。
それなのに、もう新しい年を迎えてしまう。
そう思うと、自分は去年、一体何をして過ごしていたのだろう、という何とも言えない自己嫌悪に陥いるのが決まり。
「ゆかももう17歳だなんて早いね。その分お母さんも歳をとったんだろうけど」
俯いているゆかの方を一瞬チラリと見て、母は明るい口調で会話を続けた。
「うん・・・・・・。結局私は何も変われなかったね。何もしていない娘だなんて、親として恥ずかしいよね。本当にごめん」
そう、今の自分は何もしていない。
学校に行かなければならないのに、行っていない。
毎日、家の中にいて何もしていない。
こんな人生を歩むだなんて思ってもいなかったけれど、現実、そうなっている。
だから毎日この窮屈な家の中で、1日中何もすることのないまま、時間が過ぎ去るのを待っている。
何しているんだろ、自分。
きちんとみんなみたいに学校くらい行きなよ。
そんな風に頭の中では思うけれど、自分でもどうしたらいいのか分からなくなってしまっていて、結局変われないまま。
そしたらいつの間にか年だけとってしまっていた。
「お母さん、布団を片付けてくるから、そのあと朝ごはんにしようか。みんなのご飯を準備しておいてくれる?」
そう言うと母は、隣にある和室の方へとスタスタと消えていってしまった。
ほんのりと、ご飯が炊けた甘い香りがリビングを包み込む。
食器棚から取り出したゆかの茶碗は、母と祖母の茶碗と比べて一回り小さくて、毎回自分の茶碗を見るたびにうんざりした気分になる。
自分はどうしてみんなと同じ大きさの茶碗で食べることが出来ないのだろう。
食べられないわけではないけれど、心が全力で拒否してしまう。
みんなと同じ量食べたら、絶対に太ってしまう、そんなばかげた恐怖心に襲われてしまうから。
もちろん、そんなことあるわけないって頭の中では理解しているけれど、怖くてたまらなくなってしまう。
炊飯器を開けた瞬間、湯気がふわーと立ち上がり、艶々と光るお米が、ゆかの目の中に飛び込んできた。
おばあちゃんの家の釜は、昔家族で使っていたものよりも上等そうで、炊き立てのごはんはずっと美味しそうに見える。
食べたい。
思いっきり食べたい。
しゃもじを右手に持つゆかの頭の中で、突然スイッチが入った。
よくないスイッチ。
悪いスイッチ。
周囲をチラチラと見渡して、母がまだ和室から戻ってこないかを確認すると棚からラップを急いで取り出した。
そして、何かに取り憑かれたかのように、勢いよくしゃもじでごはんをよそおう。
茶碗ではなく、ラップの方に。
母に見つかってしまわないか、ハラハラして、ラップを握る手が小刻みに震えているのが自分でもわかる。
「ごはんにしようか」
母が祖母の身体を支えながら、ゆっくりとリビングに入ってきて、ゆかの鼓動は一気に早くなった。
ゆかはポケットの中に、ラップで包まれたごはんを無理やり押し込んだ。
ごはんがラップからはみ出してしまったのが、ベタっとした感触で分かる。
最悪だ。
だけど、そんなことを気にしている余裕なんて今の自分にはない。
何してんの、自分。
みんなのごはんを盗むようなことをするなんて最低じゃん。
次々と自分を責める言葉が頭の中を駆け巡っていく。
「みんなのごはん、用意できてるよ」
ゆかは頑張って明るく答えたつもりだったけど、勝手に声が震えてしまって、今にも消えかかりそうな返事しかできなかった。
コソコソと怪しい行動をしている罪悪感と、バレてしまうかもしれないっていう不安で深く息をしようとしても、浅くしかできない。
もしかしたらお母さん、本当は気がついているのかもしれない。
だけど、気がついてないフリをしているだけなのかもしれない。
色んな考えが頭をよぎる一方で、いっそのことバレてしまって注意される方が、よっぽど気持ち的に楽になれる気がしてならない。
今日は誕生日だというのに、やっぱり自分はみんなみたいに普通ではないんだって改めて感じてしまうと、胸が張り裂けそうになる。
やわらかな太陽の明かりが窓から差し込む寝室で、ゆかはまだ眠そうな声で挨拶をした。
こんな風に朝から挨拶をする相手が学校の友だちだったらいいのにって毎日布団の上で思いながら、ゆかの朝は始まる。
友だちの代わりに「おはよう」って掠れた声で答えてくれるのは、毎朝祖母だった。
隣を見ると横で寝ていたはずの母はすでに起きていて、部屋の外でゴトゴトと音がしていた。
昔からこの家に住んでいたわけではなかった。
大きな庭付きの一軒家に住んでいたけれど、ある出来事をきっかけに、両親が離婚して母の実家にゆかと母の2人で転がり込んだ。
はじめのうちは祖父と祖母、母とゆかの4人でこの狭い家で生活していたけれど、今祖父は体調を崩しているので入院中。
3人で生活をしている。
「ゆか、おはよう。今日はお誕生日だね。おめでとう」
リビングに入った瞬間、味噌を溶いていた母が手を止めて微笑んだ。
椎茸の香りがリビングいっぱいに広がっている。
母の作る味噌汁のこだわりは、必ず椎茸を入れることなんだよって、そう母が以前教えてくれた。
そうか、今日は誕生日だった。
憂鬱だった気分が、さらに沈んでしまう。
誕生日。
こうやって何も変わることが出来なかった自分は、1年間を無駄に過ごしてしまった。
それなのに、もう新しい年を迎えてしまう。
そう思うと、自分は去年、一体何をして過ごしていたのだろう、という何とも言えない自己嫌悪に陥いるのが決まり。
「ゆかももう17歳だなんて早いね。その分お母さんも歳をとったんだろうけど」
俯いているゆかの方を一瞬チラリと見て、母は明るい口調で会話を続けた。
「うん・・・・・・。結局私は何も変われなかったね。何もしていない娘だなんて、親として恥ずかしいよね。本当にごめん」
そう、今の自分は何もしていない。
学校に行かなければならないのに、行っていない。
毎日、家の中にいて何もしていない。
こんな人生を歩むだなんて思ってもいなかったけれど、現実、そうなっている。
だから毎日この窮屈な家の中で、1日中何もすることのないまま、時間が過ぎ去るのを待っている。
何しているんだろ、自分。
きちんとみんなみたいに学校くらい行きなよ。
そんな風に頭の中では思うけれど、自分でもどうしたらいいのか分からなくなってしまっていて、結局変われないまま。
そしたらいつの間にか年だけとってしまっていた。
「お母さん、布団を片付けてくるから、そのあと朝ごはんにしようか。みんなのご飯を準備しておいてくれる?」
そう言うと母は、隣にある和室の方へとスタスタと消えていってしまった。
ほんのりと、ご飯が炊けた甘い香りがリビングを包み込む。
食器棚から取り出したゆかの茶碗は、母と祖母の茶碗と比べて一回り小さくて、毎回自分の茶碗を見るたびにうんざりした気分になる。
自分はどうしてみんなと同じ大きさの茶碗で食べることが出来ないのだろう。
食べられないわけではないけれど、心が全力で拒否してしまう。
みんなと同じ量食べたら、絶対に太ってしまう、そんなばかげた恐怖心に襲われてしまうから。
もちろん、そんなことあるわけないって頭の中では理解しているけれど、怖くてたまらなくなってしまう。
炊飯器を開けた瞬間、湯気がふわーと立ち上がり、艶々と光るお米が、ゆかの目の中に飛び込んできた。
おばあちゃんの家の釜は、昔家族で使っていたものよりも上等そうで、炊き立てのごはんはずっと美味しそうに見える。
食べたい。
思いっきり食べたい。
しゃもじを右手に持つゆかの頭の中で、突然スイッチが入った。
よくないスイッチ。
悪いスイッチ。
周囲をチラチラと見渡して、母がまだ和室から戻ってこないかを確認すると棚からラップを急いで取り出した。
そして、何かに取り憑かれたかのように、勢いよくしゃもじでごはんをよそおう。
茶碗ではなく、ラップの方に。
母に見つかってしまわないか、ハラハラして、ラップを握る手が小刻みに震えているのが自分でもわかる。
「ごはんにしようか」
母が祖母の身体を支えながら、ゆっくりとリビングに入ってきて、ゆかの鼓動は一気に早くなった。
ゆかはポケットの中に、ラップで包まれたごはんを無理やり押し込んだ。
ごはんがラップからはみ出してしまったのが、ベタっとした感触で分かる。
最悪だ。
だけど、そんなことを気にしている余裕なんて今の自分にはない。
何してんの、自分。
みんなのごはんを盗むようなことをするなんて最低じゃん。
次々と自分を責める言葉が頭の中を駆け巡っていく。
「みんなのごはん、用意できてるよ」
ゆかは頑張って明るく答えたつもりだったけど、勝手に声が震えてしまって、今にも消えかかりそうな返事しかできなかった。
コソコソと怪しい行動をしている罪悪感と、バレてしまうかもしれないっていう不安で深く息をしようとしても、浅くしかできない。
もしかしたらお母さん、本当は気がついているのかもしれない。
だけど、気がついてないフリをしているだけなのかもしれない。
色んな考えが頭をよぎる一方で、いっそのことバレてしまって注意される方が、よっぽど気持ち的に楽になれる気がしてならない。
今日は誕生日だというのに、やっぱり自分はみんなみたいに普通ではないんだって改めて感じてしまうと、胸が張り裂けそうになる。