玄関の鍵がなかなか開かず、ゆかがドアの前で立ち尽くしていると、突然声をかけられた。


「元気してる?最近見かけなかったから」
 

ハッと後ろを振り向くと、向かいの家に住むさとしさんが立っていた。
 
スーツ姿で、髪の毛もワックスでしっかりと固めている姿は自分よりもずっと大人に見えて、かっこいい。
 
手にはパソコンが入るくらいの黒色のバックも持っていて、きっと今から仕事なのかもしれないってゆかは思った。
 
それなのに、今から家に帰っても何もすることがない自分は暇人なんだ、と考えてしまうと全身にギュッと力が入り、その場から動けなくなってしまう。


「お久しぶりです。元気にしていますよ。今からお仕事ですか?」

「出張。最近多くてね。今度時間が合うときにお茶でもしようよ。色々話したいこともあるし」


さとしさんはこうやって年下のゆかにも気軽に「お茶」っていう言葉を使ってくる。

まだ実際に一緒にお茶をしたことはなくて、いつかできたらいいなって本当は楽しみにしているけれど、あまり表情には出さないようにしている。

だって、恥ずかしいから。


「大変ですね。無理しないでくださいね」

「よかった。元気そうで。じゃ、俺そろそろ行くから。またね」
 

それだけ言うとさとしは真っ白な歯をにかっと見せて、小走りに駅の方へと消えていった。
 
本当に忙しいのかもしれない。
 
さとしはこの春大学を卒業したばかりの社会人1年生って言ってたけれど、剃り残しの髭を見るたびに「本当は30代くらいなのではないか?」って思うくらい年齢不詳。
 
少し前「ゆかは学校どうしてるの?」って聞かれた時があって、つい「ずっと行ってない」って本当のことを言ってしまったけれど、そのことに対して大きな反応を見せなかった。

「そうなんだね」って言っただけ。
 
その反応がなんだか嬉しくて、ゆかもなんとなくさとしには心を開いていた。
 
食べ物を上手に食べることができないっていうことはさすがに隠しているけれど、学校に行けてないということをオープンにできる唯一の存在。
 
友だちと会話をすることなんてないから、こういった気さくに話すことができるさとしの存在は、とても心の救いになっていて、できればもう少しお喋りしたいなって心の中では思っている。

多分無理だとは思うけど。