ハーストン領は、南北に跨る広大な土地を有している。
その大きさは、ドナート王国内でも上から数えて五本の指に入るほど。

しかもその大半を山林が占めており、かなりの起伏があるのだから厄介だ。

俺が開拓を任されたトルビス村から、領内の中心都市・ハーストンシティまでは馬車で4日近くは要する。
もっともブリリオに乗れば所要時間はぐっと短くなるが……迎えの馬車が来た以上はしょうがない。


途中俺たちは、中腹にあった街で宿を借りて一泊する。
そして翌日の昼下がり、俺たちはとある目的でアイテムショップを訪れていた。

冒険者用の武器や防具を主に扱うお店である。

「かなり品ぞろえがいいな。目移りしそうなくらいだ」
「そんな時間はないけれどね。あなたがよく寝ていたから。なにかを買うなら、早めにしたほうがいいわよ」

セレーナは陳列棚に置かれていた小刀を手にしながら、じとっとした視線をこちらへと流す。
……美しい顔立ちをしているばかりに、武器を手にしてそう言われると少し怖い。

だが彼女の言う通り、許された時間はそう多くなかった。
宿に追い出されるぎりぎりまで惰眠をむさぼり、朝食を食べ損ねるくらいには俺は爆睡を決めていた。そのため今、メリリが朝食の買い出しに向かってくれている。

ここまでの旅程では、少し余裕を持たせていたのだが……。
今日一日で掻き消えたね、うん。

「分かってるから、それ置いてくれって。どうせ、そこまで悩むことでもないよ」

そのわけは、俺がここを訪れた理由にある。

俺は相変わらず、どうやったらクロレルの奴にうまい具合に負けられるかを考えていた。
そこで思いついたのが、武器をなまくらレベルのナイフへと変えることである。

つまり、もっとも安いナイフを一本だけ持って、その決闘とやらに臨めばいいのだ。

最安値のナイフは、店の端にあった『処分間近』と書かれた箱の中に、刀や弓にまじって一本だけ突っ込まれていた。
俺はそれを奥底から掘り起こす。目に留まったのは、『いわくつき。抜けません』という謎の説明書きだ。

「……なんで抜けないナイフが売ってるんだ?」

俺が疑問に思いながらそれをまじまじと見る。
たしかに、こうして持つだけでも異様な感覚があった。なにか魔力が吸われて言っているような……。

不思議に思いながらも、俺はとりあえずそれを抜こうと試みる。

「あっさり抜けたな」

意外や意外。なんのつっかかりもなく抜けてしまった。

握り心地は悪くないが、刃の一部は錆びている。
同時に拍子抜けしていた俺に、脇からセレーナが首をのぞかせる。

「呪われたナイフね、それ。しかもかなり強い呪いがかかってる。常人なら触れただけで怪我をするくらい濃いわ。魔力と言うより、魔物の類の持つ瘴気に近いものを感じるわ」
「……え。それはえっと、勘?」

「鑑定の結果よ」
「ってことはまじもんかよ。いや、でも俺全然なんともないけど?」
「それは、そうね。でもあなた、常人じゃないわよ? 少なくとも、その辺の冒険者や魔術師よりはよっぽど強い。次元が違う域にいるもの。試しに私が触れてみようかしら」

そう言うなりセレーナは、こちらに手を伸ばそうとするから俺はとっさにそのナイフを鞘の中へとしまう。

危険をかえりみずに好奇心で動くところもあるから、彼女は危うい。

俺はそのナイフを見つめ、しばらく悩む。

「お二方、そろそろ出発の時間になります。もう、お連れのメリリ様は戻られていますよ」

ちょうどその時、外から声がかかった。

さてはて、どうしたものか。
今俺の手にあるのは、抜けないと書かれていたのに、抜けてしまったナイフ。そしてこの店にある他のナイフは、これのどれよりも高い。

そして吟味する時間はない。

「よし、もう仕方ない。これにしよう。呪いって言ったって、別に使えそうだしな。わざと負けるんだ。ちょっと錆びてたり、魔力を吸われてるくらいがちょうどいいだろ、うん」

俺はそれを店のカウンターへと持っていく。
老人店主が、「まだこいつがうちにあったのか……」「てっきりもっと奥底にしまわれていたものだと」などと意味深に呟くから俺は一応尋ねてみる。

「これ、本当に抜けないんですか。さっき抜いちゃったんですけど」
「ぬ、抜いた!?」
「えぇ、まぁ」
「とんでもない逸材らしいな、あなたは。何者だ? それは先々代の店主が店をやっていた頃からこの店に置かれていた代物。この百年、抜いたものなど――」

とかなんとか。
気にはなれど、今の俺にはその長いうんちくを聞いている時間はなかった。

本当にそんなやばいものなら、あんなところには置かれていないだろうしね。
俺は小銭で決済を済ませて、ナイフをひっつかむと、あわただしくセレーナとともに店を後にする。

「お客さん、そいつは魔力を食う代わりにかなりの威力を発揮するよ。なんせ、そいつは国崩しをしたとも謂われる武器の一つ。それを使っていた、革命児・カーロの怨霊が……」

とかなんとか言っていたけれど、誰それ。知らない人だ。

「カーロってたしか天下取り目前までいったっていう覇王……」
「覇王? このうえなくうさんくさいな。話が大きすぎる」

そんなもの、嘘に決まっている。

とにもかくにも新たな武器を格安で手に入れた俺は、再びハーストンシティを目指すのであった。