『君は今、どうしている? あの時、どんな気持ちだった? 本当にごめん』
 既読のつかないことは承知の上でメッセージを送信する。
 情けないが、今はこれが精一杯の形だった。
 これは懺悔であり、自分の気持ちを整理するには一番の方法だった。彼女の気持ちを無下にした覚の償いは、誰にも見られることもなく、ただひたすらに一方的な気持ちを書き込むという虚しい手段となっている。
 好きだという気持ちを素直に伝えてくれた君に俺は何をした? 思い出すだけで、心が凍てつく。
 久世覚(くぜさとる)雨下美和(あましたみわ)は小学生の時からずっと仲のいい腐れ縁であり、中学生になる頃には、友達ともいえない遠い関係になっていた。
 中学生になり、クラスのカーストで上位にいた覚は、気持ちを覚られたくなかった。好きだと思っても絶対にばれたくなかった。雨下美和はどんくさいし、勉強ができるわけでもなく、運動もできない。ぱっとしない部類のクラスのカースト下位に所属していた。
 でも、幼少期からの付き合いもあり、美和のいいところはたくさん知っていた。嘘をつかない優しく真面目な性格。努力家。そんな褒めゼリフは一度だって口に出したことはない。照れくさいし、部類の違う人間と親しくすることはありえない空気に包まれていた。なぜ人は境界線を引こうとするのだろう? もしかしたら、自分の領域が侵されるのが怖いから? 他人の目が怖いから? 思春期特有の他人の目が気になるというのが正解だったのかもしれない。
 多分、美和を意識していたのは覚の方だ。
 久しぶりに話した会話は「雨の日は嫌い」という話だったと思う。
 何気に帰りが一緒になって、急な土砂降りの時、傘を持っていなかった覚に傘を貸してくれた美和。
「一緒に入っていかない? どうせ同じ方向でしょ」
 それを嬉しく思う気持ちと、恥ずかしい気持ちと、他人に知られたくないという羞恥心と一抹のプライドが覚を一瞬にして襲う。小学生の頃は普通に接していたのに、いつのまにか話すだけでダメな境界線を世間が引いていたようにも思えた。
「いいよ。俺は、このまま濡れてもかまわないし」
 一応断る。
「風邪をひいたら大変だよ」
 にこりとした笑顔で傘を差し出された。
 美和の黒髪はいつもよりも憂いをおびているように思える。湿気のせいかもしれない。
 以前より大人びているような気がする。
 彼女の行為には人柄がよく現れているように覚は感じていた。
 つまり、相合傘状態になったのだが、ただの純真な気持ちでの親切心だということにも覚は気づいていた。
 美和の心はいつも汚れていない。まっすぐで真っ白な状態だ。
 青空の下で真っ白な洗濯物を干し、風になびく印象だ。
 照れながらも一緒に帰った。覚にとっては甘酸っぱい思い出となったのだが――クラスメイトの目撃者がからかってきた。
 カースト上位の覚が地味な美和と一緒にいるというのも気に食わない女子もいたのかもしれない。
 というのも、覚は誰の告白も受けない鬼対応で有名な男子だった。
 恋愛したくても恋愛できない男子として認知されていた。
 少しばかり顔が良くて、話がうまくて愛想がいい。
 それだけで充分モテていた。
 覚の中に美和がいるなんてことは、微塵も見せなかったが、本当はそれが理由で彼女をつくらなかった。
 他の女子と付き合っても感情が追い付かないだろうということは覚本人が気づいていた。
 きっと心の中に美和がいて、そんな半端な気持ちで誰かと付き合ったらそれこそ失礼だということと、自分自身が不器用で簡単に忘れられる人間ではないこともわかっていた。

 その日は天気予報を裏切ったかのように急に激しい雨が降ってきた。
「雨の日ってなんだかなぁ」
 覚が灰色の空に向かってつぶやく。
 昇降口で偶然一緒になったのは神様がくれた偶然のようにも思えた。
「私も雨は嫌いだよ。制服は濡れるし、靴も泥だらけになるしね」
「部活もできないし、自転車も乗りづらいしな」
「今は、傘さし運転禁止なんだからね。雨の日はカッパを着て自転車に乗らないと」
「相変わらず真面目ちゃんだな」
「覚は相変わらず不真面目なんだから。また告白断ったって噂になってたよ」
「俺、恋愛とか興味ないから」 
 断ることもできずに、傘の中に入れてもらうが、内心どうしようもなく動揺していた。
 しかしながら相合傘にドキドキしているなんて素振りは微塵も見せずに、覚は美和が濡れないように、極力自分自身の肩が濡れるように歩く。
 一定の距離を保たないと心が落ち着かないというのも本音だった。
 久しぶりに話す彼女は全く変わっていなかった。
 美和の覚への接し方も全く変わっていないことに安堵する。
 クラスでも大人しい女子のグループに所属する真面目な美和は覚と話すこともなくなっていた。
 真逆の人間のグループだったからだ。
「でもさ、雨の日でいいこともあるよね」
「何?」
「こうやって覚と久しぶりに会話できたこと」
 少し見上げながらの純真無垢な笑顔で言われると覚はどぎまぎしてしまう。
「何言ってるんだよ。馬鹿」
「まぁ、覚にとってはいいことでもなんでもないよね」
 少し照れた顔をしながらも、当たり前のように返される。このしとしとと降る雨の時間が貴重なことだなんて、言えるはずはなかった。もっと一緒にいたいと覚は思う。
「じゃあ、私は覚の傘を持ってくるよ。また二人で帰ろうよ」
 屈託のない笑顔だった。
「俺も、雨の日は嫌いだったけどさ。また雨が降ったらいいなって思えたよ」
「どうして?」
 その答えは素直に言い出せなかった。
「私は、覚のことが好きだから、話すきっかけをくれた雨に感謝してるんだよ」
 素直でかわいいと覚は思う。
「俺も……」
 と言いかけたが、覚の言葉は詰まってしまった。
 好きだということを認めたら、この先はこのままの関係なのだろうか?
 もっと踏み込んだ関係になるのだろうか?
 関係が新しくなることが少し怖くもあった。
 それは他人の目だったのかもしれないし、未来が怖かったのかもしれない。
 でも、この美和の純真無垢な親切心があだとなった。
 覚に片思いしている女子が目撃したのが運のつきで、あっという間に誇張された噂が広がった。
 狭い教室内で女に興味がないモテる覚が冴えない女子と帰宅していることに批判と好奇心の目が向けられた。
 美和は更に教室内で肩身の狭い思いをした。
 覚は、関係を聞かれ、思ってもいないことを口にしてしまう。
「マジでウザイんだよね。雨下美和。あいつのこと、嫌いだ」
 本心とは真逆なことが口からすらすら出てくる。
 そんな自分自身が嫌になる。まるで詐欺師のようだ。
 でも、こうでも言わないとクラスメイトは納得しないだろう。
 取り巻きの女子たちも美和のことを嫌っていた。
 こうすれば美和はいじめられないだろう。
 彼女を守るための嘘も方便だった。
 しばらく彼女を遠ざけるために無視をした。悪気はなかった。
 本当は覚が一番近くにいたい女子に一番辛辣な態度をとってしまった。

 中学生の彼女の心はどんどん孤独にさいなまれていた。
 覚は繊細な変化に気づいていた。でも、天気のように変化する心に手を差し伸べてあげられなかった。

 ある日の放課後――雨がしとしと降っていた。こんな時に、ベランダにいたら濡れてしまう。
 そんな美和のことが気になってしまう。やはり、美和を一番良く見ていたのは覚だった。
 美和が教室の外のベランダに行く姿を見ていた。
 様子が変だとか、顔色が悪いことにも気づいていた。
 そんなところにいたら、地面に落ちてしまう。校内でも修理が必要とされている壊れているベランダの危険な場所で雨の中、美和が今にも飛び込みそうな様子を見て、覚は体が凍り付いた。このままでは地面に向かって体が突き刺さる。正確に言うと、飛び込もうとしたわけではないのかもしれない。なぜならば校舎内の二階のベランダの柵が壊れていて、体重をかけたらそのまま地面に落下しそうな場所だった。立ち入り禁止区域だとわかっていて、そこに立ったのだろうか。覚は美和が落ちると確信した。手を差し伸べ、声を出す。距離が遠くて間に合わない。結果、その行為は無意味なものとなった。

 落ちる瞬間に美和に何かを覚が話しかけたのは、美和自身気づいていた。手を伸ばしていたような気もする。でも、届くことはない距離だったし、何より彼は美和を嫌っていると認識済みだ。最後に覚が手を差し伸べてくれた、それだけで人生に悔いはないと美和は思う。

 最愛の人を目の前で失ってしまう。
 何もできなかった。
 二階から地べたに落ちた生徒がいるということで、校舎中は騒然となった。
 もちろん、ベランダの柵の修理をしていなかった学校の責任問題もあったが、いじめなどの心の問題の対応をしていなかったのではないかと学校は世間の批判にさらされた。偶然木の植え込みの上だったのと二階だったのが幸いし、一命をとりとめた。
 救急車のサイレンが鳴り響き警察がやってきた。表向きは学校の事故と処理された。灰色の空は不安を更に増幅させる。しとしとと降る雨の中、覚は一人で帰宅した。何もできない自分を責めた。美和の心を殺したのは自分だと。
 やはり雨は嫌いだと覚は確信した。あの日、雨が突然降らなければこんなことにはならなかったのかもしれない。
 無理にでも傘に入らず帰宅していたら、傘をもってきていれば――様々なもしもの世界を考える。

 入院後、美和は奇跡的に怪我することなく回復したらしい。そして、転校した。義務教育なので、これ以上何もしなくても卒業はできるが、どこかの中学に籍を置いたらしい。
 退院後、新しい中学にちゃんと通学したのかどうかは情報は入ってこなかった。というのも、彼女とそれほど仲のいい生徒はこの中学にはいなかったようだ。もしかしたら、親が連絡先を変えて、この中学の生徒には教えないようにしたのかもしれない。というのも、メッセージを送っても既読にならないからだった。アイコンは残っている。ブロックをされているのかもしれない。当然だ。

 それ以来、カースト上位だった覚への反感や冷たい世間の目があからさまになった。女子生徒を自殺に追い込んだ冷たい男。多分、美和が告白したのを無下に断り、いじめたのだろうと勝手な憶測を生んだ。しかも、クラスラインなどでデマ情報も拡散され、それは校内、そして、他校にも拡散された。
 デジタルタトゥーは消えない。それが本当でないとしても、ずっと残ってしまう。本名も書かれている。
 どの高校に行ってもばれてしまうかもしれない。あいつは人殺しだ。いじめた末、自殺する瞬間に最も近くにいた人間だと書かれていた。実際、いじめていたわけでもないし、無視した程度だ。
 あの日、近くにはいたが、殺そうとしたわけではない。彼女を助けるために近づいたと言ったほうが正解だ。

 覚は中学に居場所がなくなった。皆が手のひらを反すかのように、あいつはやばい。
 殺人犯だ、かかわらないほうがいいと言い始めた。
 保護者も同様で、危険な人物とは関わらないようにと言って来る。
 自分の子供がどの程度危険なのかもしらないくせに。
 他人の子供の危険度には敏感なのが保護者らしい。
 これ以上どうすることもできない覚は孤独になった。人殺しというレッテル。
 それまであんなに慕っていたクラスメイトはいなくなってしまった。
 みんなの本音は日々動く。気持ちも日々動く。それが辛くもあり、悲しくもあった。
 覚は孤独な中で遠い知らない人ばかりの高校を受験することにした。それが現実逃避の一番の手段だった。また一から人間関係を円滑にやり直せるかは自信はない。人との距離が怖かった。
『高校で、もしまた出会えたら、俺は美和に精一杯寄り添いたい。俺にできることがあれば、言ってほしい』
 クラスライン経由で交換していた連絡先は、ブロックされてしまった。唯一のつながりは消えた。美和は引っ越してしまい、今どこにいるのかもわからない。謝りたい。本当の覚は弱い人間で、それを隠すためにカースト上位のポジションに君臨していただけだ。作り上げられたコミュ力でカースト上位といわれる面々と仲良くする。好きな人に好きだとも言えない臆病者だ。
『俺はおまえのことが大好きだった。笑顔を奪ってごめん』
 一日に何回も既読のつかないことが分かった上でメッセージを送る。
 世界一嫌われているだろう。人間は手のひらを返したかのようにあっという間に態度を変える。あの事件以来、それは身に染みてわかった。人間不信という言葉が一番しっくりくる現象だった。
 あんなに親しげだった女子たちも一線を引いたらしく、一切関わろうとしてこなかった。
 あの事件で覚は加害者。雨下美和は被害者になった。
 あんなに美和を嫌っていた者たちが同情をする。
 自殺未遂事件と世間は認識した。
 追いやった覚は加害者だ。
 クラスの陽キャと呼ばれる部類の仲良しだった面々が無視をしてきた。
 あからさまな嫌がらせも増えた。
 今まで雨下美和に対してしていた嫌がらせをそのまま覚にしてきたかのような入れ替わりだった。鮮やかな人の変化に覚は何とも言えない気持ちとなる。
 破かれたノートを見つめる。
 学校って行く意味あるのかな?
 受験なんてする意味あるのかな?
 合格したら、また学校生活が始まって、高校という檻でカースト制度が成立する。そこには新たないじめの種が埋まっているかもしれない。加害者になることもあれば被害者になることもある。
 仲が良かったはずの友人から蛙化現象が起きることもある。
 蛙化現象とは一般的には異性同士に使うことばで、恋愛関係に使用されるが、ごくまれに同性の友達に対しても、使う者がいる。
 蛙化現象の意味は、片思い中は相手に夢中だったけれど、両思いになった途端、相手のことが気持ち悪くなったり興味を持てなくなったりする現象。心理学用語の一つらしい。
 グリム童話『かえるの王様』が名前の由来になっているらしい。『かえるの王様』のあらすじについて――
 ある国の王女が池にまりを落とす。王女は、池にいた蛙にまりをとってもらい、その代わりに望みを叶える約束をした。その後、蛙の希望通り王女は自分の城で蛙と食事をし、一緒に寝ることに。しかし、王女はいざ蛙とベッドをともにするとなると、激しい嫌悪感に襲われ、蛙を壁に投げつけた。すると、蛙は王子様の姿に。王子は魔女に魔法にかけられて、蛙にされていた。そのことを知った王女は、美しい王子とすっかり恋に落ちて、二人は最終的に結ばれた。
 いわゆる「蛙化現象」とは正反対の物語だが、「気持ちが正反対に変わる」ということから由来されているらしい。
 覚はこの物語に納得がいかなかった。つまり、見た目だけで恋に落ちているってことだ。もしも、蛙ならば、どんなに性格が良くても生理的に受け付けないというおぞましい人間の本性を現した人間の汚い部分を描いた作品だと思えたからだ。でも、現実そういった人間は多数いる。
 高校に行けば何か変わるだろうか?
 自分自身、周囲の変化に期待しつつ、受験勉強をしたが、本当に楽しいことが待っているとも思えなかった。どこか現実に期待できないでいた。
 いつかどこかで雨下美和に出会うことがあったら謝りたい。
 そして、本当はずっと好きだったことを伝えたかった。
 どんなに嫌われていたとしても、世界の終わりにいる覚にとってはそれだけが唯一生きる意味だった。世界が終わってほしい。それが切なるねがいだった。自分自身の人生が終わったほうがどんなに楽だろうか。あんな針の筵のような学校に行くことは、毎日が吐き気がするほど辛いことだった。
 たまにはサボってしまおうと中学へは登校せずに河原に向かう。人気の多い街中にいけば、補導されてしまう。程よく田舎の人通りの少ない河川敷で自分と向き合う。あの時、告白を正直に受け入れていたら――あんなことにはらなかなった。素直に好きだと伝えればよかった。もう、永遠に伝える手段がみつからない。
 きっと来年の四月、高校生という枠組みに入れば、楽しい生活が待っているのだろうか? 今よりは少しはましになるだろうか? でも、自分をさらけ出すことがとてもとても怖くなっていた。もういちど美和に会いたい。ずっと幼少期から一緒に過ごした仲。ずっと途切れることはないと勘違いしていた。関係なんて学校や住む場所やSNS次第で簡単に途切れるものだ。それを痛感する。甘く見ていたことを悔やむ。大切な大切な関係。他の人で埋めることはできないと確信していた。陽キャと言われるグループに所属することで、一群と言われることで、自分を高く評価させていた。それは弱みを見せない隠れ蓑だったように思う。彼女の少しさびし気で憂いをおびた笑顔。黒いストレートな髪の毛。全てが愛しいと思う。
 河原の小石を川に投げる。三回程度で石は川の中に沈んでしまった。
 その日は、雨が降りそうだった。
 あの事件以来、親はあまり口出ししてこなくなった。
 中学には行かなくてもいいから高校受験だけは何とかしてほしいとだけ言われていた。もう、あんな居心地の悪い場所にいたくはない。それよりも、勉強をしようと自宅でひたすら受験用ワークや過去問題に取り組んだ。未来が明るいかどうかも不明な状態で、覚はただ問題と向き合うことで現実逃避していたのかもしれない。
 知り合いに会いませんように。なるべく遠くの高校へ入れますように。
 誰とでもなく勝手に祈る。
 河原で知らない女子が話しかけてくる。
「あなたもサボり?」
 ハスキーボイスだ。
 金髪のゆるフワパーマの女子が話しかけてくる。同じくらいの年齢だろうか。
 きっと覚と同じサボりだろう。
 中学生で金髪なんて、生徒指導が入るに決まっている。
 高校生だろうか?
「まぁ」
 そんな一言しかでなかった。というのも人間不信という皮の中に入ってしまった覚は簡単に初対面の人間に接することもできなくなっていた。
「あたしも。中学なんてダルイよね」
「おまえ、中学生か?」
「まあね。学校なんて行ってないし。マジでだるい」
「その見た目じゃ生徒指導必須だな」
「あたしさ、生まれ変わろうと思ってこのメイクしてるの」
 派手なメイクで正直元の顔立ちもわからなそうな雰囲気だ。
 まつげはやたら長く空を向いている。つけまつげというものなのかもしれない。
 ファンデーションで塗り固められた肌は、中学生には実に不似合いだった。
 高校生でもこのメイクは派手だろうというくらい口紅は真紅だった。
 アイメイクというのだろうか。目のまわりはキラキラしていて、メイクを落とすのに一苦労しそうな色が散りばめられていた。アイラインと言われる目の上のラインはくっきりと描かれていた。チークも頬に塗っているののか、やたら紅色だ。
 この人は何を考えて生きているのだろう。何か考えた末にこうなったのか、何も考えていないのか。
 不良と呼ばれる類には近づかないほうが無難だ。
「あんた、こんなところで何してるの?」
「たまには河原でくつろいでもいいだろ」
「そうだね。あたしは、親にも愛想尽かされてるから、サボっても何も言われない」
「俺も同じだ」
 スキマ時間に既読がつかない美和にメッセージを送ってしまう。
『おまえと正反対の女に出会った。美和は清楚で優しくて。俺が壊してしまったことは償いきれないけど、ごめんね』
「何? 誰かにラインでもしてるの?」
「まあね」
「彼女とか?」
「彼女はいない。というか友達もいないし」
「へぇ。意外だな。あんたみたいなタイプって友達多そうだと予想してたのに」
「返信ないの?」
「ブロックされててさ」
「ストーカーか」
「違う。けど、一方的に想い続けてるっていうか……」
 否定はできなかった。
「そーいうのストーカーっていうんじゃない? 重いっていうか嫌われるって」
「あんたはなんで、そんな派手な格好してるんだ?」
「生まれ変わりたかったから。たいてい放課後の時間はここにいるから、河原に来てよ」
「気が向いたらな」
『久しぶりに人としゃべった。本当は美和と話したい』
 届かないメッセージを送る。既読はつかない。
 そうは言ったけれど、最近誰とも話していなかったから、知らない人と会話することでストレスが緩和されることに気づく。
 美和とは百八十度タイプが違うけれど、話しやすい人だった。人は見かけによらない。全く知らない人のほうが、話すのにちょうどいいのかもしれない。次の日の放課後、河原に行くと、金髪少女が派手な服に身を包んで立っていた。スカートはやたら短く、体のラインがくっきり出るようなTシャツを着こなしている。スタイルはいいらしい。メイクも相変わらず派手で、目のまわりは赤色のアイシャドーが塗り固められていた。
「明日、雨降るらしいけど、河原の橋の下なら雨がしのげるから、あたしは放課後来るよ」
「俺は気が向いたらかな。雨は嫌いだし」
「雨に恨みでもあるの?」
「別に」
 雨が好きになったあの日のせいで、俺も美和も人生が変わってしまった。
『やっぱり雨が嫌いだ』
 SNSで美和に勝手に一方的に話しかけるのが当たり前となっていた。
 迷惑で気持ち悪いと思われるだろう。これは一種の自己満足だ。
 翌日、派手な女は河原に佇んでいた。雨上がりの空は少しばかり気分が晴れる。
 昨日の雨で足元は泥で汚れる。
 名前も知らない女子。
「ねえ、ライン交換しない?」
「しない」
「私が片思いの彼女の代わりになって返事してあげるよ」
「そんなこと頼んでもむなしいだけだよ」
「既読がつかないラインに送ること自体むなしいよね」
 たしかに、手のひらにある無限に広がるSNSで謝っても、永遠に美和とはつながることはない。つまり無意味だ。
 そんな馬鹿な自分に嫌気がさしていた頃だった。
 それは気まぐれだったのかもしれない。
「交換しようか」
 孤独に耐えられなくなっていたのも事実だった。
 居場所のない中学校。
 未来のわからない不安な受験期。
 目の前に現れた知らない女子。
 最悪ブロックすれば問題ない。
 そんな気持ちで交換する。
 彼女の名前は美羽(みわ)というらしい。
 アイコンの画像は雨。
 その下にMiwaと書いてある。
 派手な容姿の割には芸術的な風景だった。
 美和と名前こそ同じ響きだが、漢字が違う。
 どうやら、「みわ」という名前に縁があるらしい。
 二人の対照的な「みわ」の間で覚の心は揺れる。
 孤独に耐えられなくなった覚は、連絡できる人ができればいい。
 美和の代わりにSNS上でなってくれればいい。
 わがままで失礼な依存心で交換してしまう。
『アイコンの画像が雨だよな。雨、好きなのか?』
『どっちかっていうと好きかな』
『珍しいな」
『そう?』
 目の前にいるのに、あえてメッセージで会話する。
 そのほうがMiwaと書いてあるアイコンが美和のような気がして、気持ちが上がってしまう。
 少し鼻にかかるハスキーな声は美和とは違う。
 でも、どことなく話し方や背格好が似ているような気がした。
 こんなにもタイプは似ていないのに、少しでも似ているところを探している自分がいたのかもしれない。
『彼女のこと好きだったの?』
 メッセージだからこそ素直に言える。
『大好きだった』
 少しこちらを見てどぎまぎした様子の美羽。
 人の告白を聞いたら照れるのは当然だろう。
『告白しないの?』
『連絡先わかんないんだ』
『もし、会えたらどうする?』
『ちゃんと気持ちを伝えたい』
 これは、謝罪を含めて、好きだという気持ちも全部含めて伝えたいという意味だ。
「届かないメッセージだけど、勝手に期待して送信してる。アイコンがあるってことはまだ解約してないのかもしれない」
「いつか届くといいね」
 美羽は、目のまわりの化粧が濃くて原型がわからない。
「美羽は、どこの高校受けるの?」
「中学もまともに行ってないのに、高校行けるかわかんないよね。入学しても期待なんかできないし」
「なんか、その気持ちわかる。俺も最近中学なんて行きたくないんだよな」
「馴染めてないの?」
「……うん」
 ほぼ知らない人間にならば本音を話そう。
「あなたの名前は?」
「久世覚」
「好きだった彼女の名前は?」
「美和。美しい平和の和っていう漢字だけど」
「私と漢字はちがうけれど、同じみわじゃん。今日から私がSNS上での愛しの美和になってあげるよ」
「ありがとう」 
 どうしようもない申し出に文句を言わず受け入れてくれた美羽に感謝しかない。
 美和と脳内変換できる美羽がいたから受験期は乗り切れた。
 ほぼ中学には行かず、ただひたすら受験勉強をした。
 外部とのつながりはSNSでの美羽だけだった。
 Miwaが世界の全てだった。
 一日に何度もアイコンを見つめる。
 あえて漢字ではないローマ字表記のMiwaは美和を彷彿させてくれた。
 まさに、本当の美和と会話しているかのように文字で振舞ってくれる。
 なぜそんなことをしてくれるのか覚には考える余裕はなかった。
 ただMiwaというアイコンから返信が来ることが嬉しかった。
 文字に声も顔もない。
 だから、脳内変換できたのかもしれない。
 ギャルのような派手な印象なのに、文章はきれいで、誤字脱字もない。
 きっと実は文章力があって、勉強もできる人なのかもしれない。
 実はお嬢様だったりということもあるが、覚は美羽という人物について、まだ何も知らないことに気づく。
 毎日ただひたすらメッセージを送る。
 届くはずのない人宛てに。
 嘘だとしても、Miwaというアイコンには、既読がすぐ付き、即返信があることは至極幸せだった。
 だから、彼女自身のことを聞くことはほとんどなかった。
 幼なじみの美和に対しての言葉ばかり送信していたが、嫌な素振りもなく返信してくれた。