まだ湿った暑さが残る帰り道、下を向きながら歩いていた咲良はふと足を止めた。ありえないものを視界の端に捉えたからだ。
ありえないもの――苺のケーキは、道路の真ん中に鎮座するように落ちていた。
「……なんで?」
むしろなんで、という言葉しかでてこない。
どこにでも売っているような、なんてことないカットケーキが道に落ちているのだ。
つやつやの苺が食欲をそそるケーキが、倒れることも崩れることもなく、コンクリートの上に乗っている。
珍妙な落とし物を前に、咲良は数秒フリーズし、もう一度「なんで?」と呟いた。
固まった視線はケーキを見つめたまま、手が自然とスマホへと伸びる。
――カシャ。
都会の道に落ちたケーキの写真はなんともアンバランスで、合成写真のようだった。
『やばい、道にケーキ落ちてたんだけど』
短い文を打ち込み、咲良はその写真を迷うことなくSNSに上げた。
するとすぐさまスマホが点滅し、軽快な通知が鳴る。
ピロン、ピロン、ピロン、ピロン……投稿した瞬間、群がるように鳴り続ける通知。咲良はそれらを、瞳孔の開いた目で見つめ続けた。
『なんでケーキ?』
『うわ、ほんとに落ちてる』
『もったいない』
『いやおかしいでしょ、ヤラセなのバレバレ』
数分で何件かついたリプライは、好意的なものよりも、咲良を疑うものが多かった。
冷静に考えればあたりまえの反応だと咲良はうなる。ケーキが綺麗すぎるのだ。まるで‟ついさっき冷蔵庫から出した”ような外見の苺ケーキは、もちろん食品サンプルではなく本物だ。もし咲良がこの投稿を目にしたとしても、自作自演を疑ってしまうだろう。
それでも、本当にケーキは咲良の目の前に落ちている。
どうすれば証明できるだろうと顔を曇らせていたその時、とあるリプライがついた。
『それ、ストーカーじゃない?』
――ストーカー。
物騒な言葉に思わず目を奪われる。
すると、続けてリプライが届いた。
『わざと変なものを落としてSNSに投稿させて、アカウントを特定する手口があるんだって』
『ケーキがもし本物ならさ、絶対ピンキーの近くにいるでしょ。犯人』
スマホに表示された文字列を理解した瞬間、どくんと心臓が鳴った。
すぐさまリプライに引用するかたちで返信を打ち込む。
『それって、私のアカウントを特定するために誰かが落としていったかもってこと?』
『気をつけて帰って! 可能なら友達に連絡して迎えにきてもらって!』
『ねえ、周りに誰もいないの……? 誰かいたとしたらそいつが犯人じゃない?
『いや犯人さがしより先に逃げろピンキー!』
――ストーカー? 逃げる? そんなの……ありえないでしょ。
横の線路から聞こえるけたたましい踏切音が余計に咲良の鼓動を早くさせる。通り過ぎた電車の風圧がそうさせたのか、それとも残暑のせいか、ケーキの生クリームがたらりと溶けていた。