その日は、いつもよりも早く起きた。

 その日は、いつもよりもすんなり起きれた。

 階段を駆け上る音と振動。それが体中に一杯伝わって、響いて……。

 いつもの自分ならきっと怒っていた。

 *
 その日の前日、いつも行われない儀式があった。
 いろんな物を揃えて、ひとつにまとめて、元気な姿を見た。
 生涯に数回。自分はできなかったことだから羨ましいと、だけど、妬ましい。
 妬ましいと思っていたら、次第にそうでもないと思えてきた。
 この頃、家ではいつもよりも気性が荒くなったり、だけどいつも通り優しくて……。
 限界を迎えるのでは、と考えることはなかった。彼はひとつを毎日毎日怠っていたから、自分よりも衰えていたから。
 彼は受験生である。なのに、勉強を毎日しない。塾のある日は、塾で満足する。
 僕は違ったのに。家に帰ってある程度は勉強して、塾が終わった後もしっかり勉強してきた。
「勉強せんでええの?」
 彼のいる部屋に行き、そう問うことも少なくはなかった。その部屋の中には彼がするゲームの音とコントローラーの弾く音が響いていた。
 そこに雑音が入ることはなかった。
 ・
 一日だけ、自分の姿が、存在が無くなった日があった。
 アニメやドラマで見る幽霊の姿を自分はしていた。身体は透けていて、軽くて、軽すぎてか浮いていた。
 初めての感覚に自分は楽しいを存分に満喫した。
 家には誰の姿もなかった。
 ふと頭によぎったのだ。
 彼のことが……。

 彼の通う学校に来た。 
 彼は家では優しい。友達思い。
 だと、思っていた。
 彼の周りには誰一人の姿も見られなかった。授業中だった。チャイムが鳴って彼は隣の教室に逃げ込むように入っていく。
 思い出した。
「クラスに友達いない」
 クラス替えが失敗したことを告げる彼からの通知。去年もダメだった。
 どこかでみたことがある景色を楽しい身体で見れた。楽しいとは違った。
 みたことのない彼を見れた。
 
 彼は彼らしく生きているんだとわかった。自分も思い返して、照らし合わせて。
 重いシャボン玉が周りにいっぱいあった。
 だけど、シャボン玉特有のぷかぷかと浮いていたから聞いてみた。
「君はどうして重いのに浮かぶことが出来るんだい? 僕には考えられないんだ。どうして重い何かを背負って苦を味わっているのに、それを出さずにいれるのか。」
 シャボン玉は簡単に言うから驚いた。
「なーにー。簡単なことだよ。周りを照らすためさ。だけど、わかる通り僕には誰かを照らすことは出来ない。見たことないだろう、光るシャボン玉を。」
「うん」
「だけど、みんなは喜んでくれる。喜ぶとみんなが明るくて、だから、光っていて。なぜだか、わかるかい。照らすのは、僕自身でだけど、みんなが光ってくれればそれでいいんだ。」
 自分を犠牲に他人を幸せに。
 シャボン玉は弾け飛んで、ついには消えた。
 *
 クラス内に友達のいない彼。他クラスにいるから。だけど、ほとんどの行動をクラス別に行う。
 つまりは、話す存在も笑える存在も、頼れる存在もない。
 死んだのかもしれない。
 家に彼が居なくなって、死ねとか言ったらダメなんだとわかったのかも。
 本当にそれが叶った場合、自分は自分を失い、自分を捨て、新しい自分じゃない自分ができるだろう。
 それを無くさなきゃいけない。

 その日は、いつもよりも早く起きた。

 その日は、いつもよりもすんなり起きれた。

 階段を駆け上る音と振動。それが体中に一杯伝わって、響いて……。

 いつもの自分ならきっと怒っていた。

 彼は今日から修学旅行。数日、会えなくなる。勉強せずにするゲームはさぞ楽しかろう。それをたしなむ弟の姿はもう数日見れなくなる。
 数日なのに、もう会えないみたいで。
「行ってきます」
 それは、始まりでけど終わりのようで。
 だけど、少なからずまた新しいシャボン玉を作ってくれるとなぜか期待した。
 何もエールを送れずに会えなくなった。