クリスティナ様たっての希望で、私は彼女が運命の相手だと言い張る、オリヴァー殿下の元に足を運ぶ事となった。

 高い天井に大きなシャンデリア。繊細な装飾品や花々で美しく飾り立てられた広いダンスホールの端に、クリスティナ様の餌食(えじき)となるオリヴァー殿下の姿を発見する。

「うわぁ、近づくのすら無理そう」

 私は思わず、声を漏らした。

 結婚相手を探しに来日した。そんな(うわさ)を耳にした子が集合しているのか。殿下の周囲には、すでに見事なドレスの花が咲き乱れている。しかも殿下に(むら)がる令嬢たちの中には、殿下に近づくために、その他の令嬢たちを押しのけるように進んでいく者もいるという有様だ。

「図々しい方たちがいっぱいですわ」

 クリスティナ様は、呆れたように呟く。

「ほんと。凄い人。これはちょっと(あきら)めたほうが」
「けれど、私は負けない。敵は殿下の元にありとはまさにこのこと。行きますわよ、アリシア様」

 私の言葉を遮るように、クリスティナ様は一人闘志に燃えた言葉を発した。

「いざ、出撃!」
「う、うわ」

 クリスティナ様が私の手をしっかりと掴んだ。そしてオリヴァー殿下に群がる人混みの輪の中に突入する。私は彼女に引っ張られるように、強引に人の波をかき分けて進む羽目になる。

「さぁ、お願いしますわ」

 ドンと背中を押され、私は否応なしに前方に向かって無様(ぶざま)(おど)り出た。

「アリシア様だわ」
「まぁ、珍しいこと」
「そう言えば未だに、ご結婚されてなかったんだっけ」
「まさか、権力を盾にオリヴァー殿下をトンビのごとく()(さら)って行くおつもりかしら」

 殿下の半径一メートル以内を陣取っていたVIP(ビップ)な令嬢達が、広げた扇子を口元にあてながら、これみよがしに驚いた声と嫌味を口にした。

「ごきげんよう、皆様。ええと」

 令嬢達から向けられる冷ややかな視線に怯みつつも、要件を述べようとすると。

「皆様お控え下さい。こちらは誇り高きローズ公爵家のアリシア様よ。オリヴァー殿下にご挨拶する予定なのですから、無礼な真似は許しませんことよ」

 私の言葉を遮るように、クリスティナ様がずいっと前にでて、高飛車な態度で言い放つ。この瞬間、彼女は私の中で頼れる知り合いへと昇格した。

「まあ、ローズ公のお嬢様ですって?」
「久しぶりに見るわ」
「あまりこういう場に出られない事で有名ですものね」
「きっと公爵夫人に連れ出されたのね」
「お嬢様の事でずいぶん(うれい)いでおいでだったから」
「おほほほほほ」

 クリスティナ様が高らかに私の名を言い放った。そのお陰で助かったと思いきや、オリヴァー殿下を遠巻きに眺めていた夫人たちから、今度は注目を浴びる事となってしまったようだ。

 正直デビュタントから揶揄(からか)われる方が、自分で対処できるぶん、ずっとマシだ。

 母を引き合いに出すレベル。つまり人生の先輩であるご夫人方には流石に言い返す事もできない。何より夫人たちが口にした通り。不甲斐ない娘を持ってしまった母に対し、言い得ぬ罪悪感を覚える事になるので、できればそちらからの注目は浴びたくなかった。

 なんとも居心地の悪い雰囲気だが、こうなってしまえばどうしようもない。

 私は意を決し、一歩前に進み出た。

「皆様、アリシア様のお通りよ」

 クリスティナ様がまたもや余計な事を口走る。その結果、オリヴァー殿下と私の間を埋めていた人々が、まるで海を割ったように左右に綺麗に散った。

(余計目立つし……)

 当初の計画としては、こっそりクリスティナ様を紹介し、私は密やかなる心の友、給仕係の元にUターンするつもりだったのだけれど。すでにその計画に暗雲が立ち込める。

「あぁ、君は確か」

 こちらに気付いた様子のオリヴァー殿下が、花道とばかり綺麗に空いた隙間を優雅に移動し、あっと言う間に私の前に到着する。

 もはや心の準備がなどと、悠長(ゆうちょう)な事を言っている場合ではなさそうだ。

「お初にお目にかかります。私はローズ公爵家のアリシアと申します。殿下にご挨拶したいと思い、参りました」

 私はスカートをつまみ、膝を落とし淑女の礼をとる。

「頭をあげて。私はローゼンシュタール帝国のオリヴァーだ。君にあの時のお礼をしなければと思い、ぜひ会いたいと思っていたんだよ。だけど誰も君の名を教えてくれないから。なるほど。君がアリシアか」

 オリヴァー殿下は少し屈んで私と視線を合わせると、(さわ)やかな笑顔を浮かべた。

 スパイ容疑が晴れた今、その笑顔は反則だ。正直デビュタントの令嬢が見守る中、おひとり様の先輩として(りん)とした姿を見せつけたかった。しかし私の意思に反し、勝手に頬が熱くなる。

 しかし、誰だってこんな素敵な見た目の男性に微笑まれたらそうなること必須だ。

 自分の思わぬ反応を全肯定し、何とか私は落ち着きを取り戻す。

「当たり前の事をしただけです。ですからお礼などいりません」
「いや、本当に感謝しているんだ。何か望みがあれば遠慮せずに言ってくれ」

 オリヴァー殿下は真剣な表情で、真っ直ぐ私を見つめてくる。

 薄く透き通る空色の瞳は今日も輝いて見えるし、我が国には珍しい黒髪もミステリアスな雰囲気で殿下にとても良く似合っている。

(こんな素敵な人が結婚相手だったら、毎日仕事をもっと頑張れるのに)

 私は無自覚でわき出た感情に驚く。

「コホン」

 クリスティナ様のわざとらしい咳が聞こえた。

(あ、そうだ。本命はこっちだった)

 私は慌てて姿勢を正すと、オリヴァー殿下に向かって微笑む。

「ええと、殿下にご紹介したい知人がいるのですが、よろしいでしょうか?」
「構わないよ。ご存知の通り、僕は将来の伴侶(はんりょ)を探すべく、この地を訪問しているわけだし。よって、出会いは多いほうがいいからね」

 オリヴァー殿下は軽い感じで、私が耳にしたばかりの噂を肯定した。

(この皇子、もしかして意外に軽いタイプ?)

 私は一気に熱が冷めるのを感じた。

 結婚相手に求めるのは切実さ。出来れば見た目にもそれなりにこだわりたい所ではあるが、生涯を共にする事を考えた場合、切実さのほうが重要だ。

 それに我が国には周囲に誇れるツガイシステムがある。つまりそれに従っていれば私は幸せになれるはずだ。

 人は簡単に裏切るけれど、システムは裏切らないからだ。
 それは統計的に見ても、絶対なのである。

「コホン」

 再度クリスティナ様が空咳をする。

(いけない)

 私はチラリと横に立つクリスティナ様に頷き、改めてオリヴァー殿下に顔を向けた。

「殿下にご紹介したいのは、こちらの子です」

 ジャジャジャーンと効果音を心で鳴らし、私はクリスティナ様に、オリヴァー殿下の正面という一等地を譲るべく横にささっとそれた。

 クリスティナ様はゆっくりと進み出る。

「初めまして。わたくし、トンプソン伯爵家のクリスティナと申します。殿下にお会いできて光栄です。以後、お見知りおきくださいませ」

 クリスティナ様が可愛らしい風貌(ふうぼう)と声で、オリヴァー殿下に淑女の礼をとる。

(あざと可愛い。完璧ね!)

 私は可愛い後輩を見守るつもりで、クリスティナ様の完璧な挨拶に満足気に微笑む。

「僕は知っての通りだ。こちらこそよろしく」

 オリヴァー殿下は、先程私に惜しみなく与えてくれた、三百六十度、前後左右上下どこから見ても完璧な皇子の笑みを、クリスティナ様に与えた。

 すると周囲から、甘いため息が漏れる。

(存在自体が媚薬って感じの人ね)

 願ってはいなかったとは言え、ここまでおひとり様を(つら)いてきた私だ。甘いマスクと雰囲気に流されてたまるかと頭の中で羊の数を数え、一人冷静を装うのであった。