棚ぼた気味ではあるが、(はか)らずも一夫多妻制を勝ち残り、オリヴァー殿下と二人きりになった私。

(う、嬉しいけど)

 何だか、いざとなると無性に緊張する。

「少し散歩しないか?」
「え、城下にですか?」

 私は咄嗟(とっさ)に答える。なぜなら、前回課長に突然殿下のお守りを頼まれた流れを思い出したからだ。

 するとそんな私にオリヴァー殿下はくすりと微笑む。

「許されるのであればもう一度、君とならばマンドラゴランドに行きたい所だけれど、今日は流石に無理かな。帰国を控えて色々とやらなきゃいけない事もあるし」

 オリヴァー殿下の口からマンドラゴランドの名が飛び出し、私はふと気付く。

「あ、そ、その(せつ)は大変ご迷惑をおかけ致しました。ジュリアンに叱られ、大人気(おとなげ)なかったと反省しました。それと、可愛いキーホルダーをありがとうございます」

 ようやく言えたと、私はホッとする。

「楽しかったからそのお礼だ。二十歳の子に贈る物としてはどうかと思わなくもなかったけど、君はゴラちゃんとやらが、とても好きそうだったから」
「ものすごく嬉しかったです!」

 私はすかさず自分の気持ちを口にする。

(だって本当に嬉しかったから)

 二十歳で行き後れの立派なオトナだけど、でも可愛いものは好きだ。

「そっか、喜んでもらえて嬉しい。僕が最初に君に贈ったものだし。ある意味君の記憶にしっかりとあの日の思い出と共に刻まれると考えれば悪くないか。さてと」

 オリヴァー殿下は言い終えると立ち上がる。
 そして私に手を差し出した。

「ひとまずさ、散歩しよう」

 オリヴァー殿下の優しい笑顔が私に向けられる。
 私が好きな爽やかな笑顔だ。

「はい!」

 私は迷わず浮かれた気持ち全開で、オリヴァー殿下の手を取ったのであった。


 ***


 私と殿下は成り行きで手を握ったまま、王城内の庭園をゆっくりと歩く。

(もっとマシなドレスを着てくればよかった)

 周囲に咲く花は私を見てと言わんばかり、美しく咲き誇っている。
 それに比べ私は普段着のドレスだ。

(でも今日は始まりの日だもの)

 これで「さようなら」ではない。
 だからこの失敗を挽回(ばんかい)するチャンスはいくらでもある。

 その事が嬉しくて、先程まで少し残念な気持ちで動かしていた足に、今度は弾む気持ちが宿る。

「君は僕を選んで後悔しない?」

 ピンクのバラで作ったアーチをくぐった時、オリヴァー殿下が静かな声でたずねた。

「え? どうしてですか?」

 オリヴァー殿下の言葉に私は首を傾げる。するとオリヴァー殿下は立ち止まり、私の手を離した。

「だって君は、後がないから僕の妻になろうとしているんだろう?」

 少し(すね)ねたようにオリヴァー殿下は口をすぼめる。

「あっ……」

 確かに私は半分の本音しか伝えてないと、いまさらその事に気付く。

「私は殿下が好きです。だから後悔なんてしないです」

 私は手遅れになる前にと、今度こそしっかりと自分の気持ちを伝えた。
 するとオリヴァー殿下はホッとしたように、肩を下ろす。

「そっか。僕も君が好きだ」

 オリヴァー殿下が優しく微笑んでくれる。

「つまり勝負は引き分けだ」

 そう言ってオリヴァー殿下は再び私の手を取り、歩き出す。

「引き分けってどういう事ですか?」
「前に君のその曇った目を必ず晴らしてみせるって、そう言っただろう」
「確かに仰ってました」

 あの時から考えると、今こうしてしっかりと手を取り合い歩いている今が嘘みたいだ。

「あの言葉を発した時はまだ君を帝国に連れて帰るつもりなんてなかった。生意気な子だと思ったし」
「私も殿下をあまり好きじゃなかったです」

 私は小声で本音を口にする。そして言ってしまってから、「これはわざわざ伝えなくても良かったのでは?」とすぐに後悔する気持ちに襲われた。

「でも僕は君に対し、認めがたい気持ちを抱いているはすなのに、第六感では君が特別な子になるってわかったんだ」
「第六感ですか」
「つまり君の信じるツガイシステムは、意外にあてにならないって事が証明されたな」

 オリヴァー殿下が勝ち誇ったような声を出す。

「で、でも。ツガイシステムだって、殿下と私を見抜いたわ」

 思わずムキになって言い返す。

「それは僕がどんな手を使ってでも、君を絶対連れ帰ろうと思ったからだよ」
「どんな手を使ってもですか?」

 私は思わず聞き返す。

「あの子達に聞いたんじゃないの?」
「えーと、みんなはダリアを貰った事を、殿下に利用されたって怒っていました」
「ふふ、そうだね。怒って当然だ」

 何故か嬉しそうにオリヴァー殿下は頬を緩ませる。
 どうやら全然反省していなさそうだ。

(だけど何の反省?)

 結局のところ私にはいまいち良く理解できていない。

「僕は彼女達を利用した。君を欲しいと願ったから」
「でも、私にはお花をくださらなかったわ」

 思わず不満げに口にすると、オリヴァー殿下は苦笑する。

「君に花を送ったら意味がない」
「どうしてですか?」
「僕にとって君だけが特別な子だからだよ」

 オリヴァー殿下がサラリと情熱的な言葉を口にする。

「……ありがとうございます」

 私は真っ赤になって俯く。今の言葉はみんなが贈られたダリアよりもずっと、私には価値があると思った。

(だからもうお花の事はいい)

 私は密かにオリヴァー殿下を許す。
 まぁ、実際は許すも何もないのだけれど。

「喜ぶのは、まだ早いかも」
「え?」

 ほころびかけた顔を慌てて平常に戻し、オリヴァー殿下に向ける。

「そもそもツガイシステムを信じると言い切った君を帝国に連れて帰るには、どうしたらいいと思う?」

 突然問われ、私は驚きつつも答える。

「ツガイシステムがマッチングしたら、私は迷わず殿下に付いて行きます……あ」

 私の口が間抜けに開いたまま固まる姿を見て、オリヴァー殿下がくすりと笑みをもらす。

「僕は君たちから見たらツガイシステムに認識されにくい外部の人間だ。だからまず自分の名をシステムに認識させる必要があった。だから手当たり次第意味ありげに彼女たちに花を送ったんだ」
「それは、みんなが殿下を好きになるようにですか」
「そうだね。少なくとも多くの者に好意を(いだ)いて貰えれば、流石にシステムだって僕を放置しないだろうと思ったから」
「殿下はどうしてそんな詳しくご存知なんですか?」

 先程からずっと頭をぐるぐると巡る、最大にして素朴な疑問を殿下に投げかける。

「そもそもエリオットにツガイシステムの事を聞いていたし、それにこの前借りた論文。あそこにも書いてあった。「恋愛感情を抱かなくなると、ツガイシステムは正常に機能しなくなる恐れがある」ってね。しっかり問題提起されてたよ」
「え、そうなんですか」

(しまった……)

 恋愛なんてマッチングしてからでいいと思っていた私は、自分にとって耳が痛い話が記載されていそうな論文は「大した情報を得られない」と敬遠していた。

(何事も思い込みに囚われては駄目ってことか)

 柔軟な心を持たないと、有益(ゆうえき)な情報を逃す事になる。
 そして大事なチャンスを逃す結果になったりしたら、目も当てられない。

「あ、じゃもしかして私が行き遅れになったのは……」
「あの論文によると、出会う人数よりも特定の人物に好意を抱く気持ちの方が、ツガイシステムでは重要視されている可能性があるといったような事が書いてあった」

 オリヴァー殿下の口から飛び出した衝撃的な事実に私は思わず足を止める。

「つまり私は自分で未来を閉ざしていたってこと……そんな」
「悲観する事はないよ。だって僕にとっては、君が恋愛に興味なく生きてくれていてすごく助かったんだから」

 爽やかミントの香りを漂わせたオリヴァー殿下は私の手を引っ張る。

「もし君が恋愛に積極的な子だったら、今頃誰かの妻に収まってただろうし。そしたらさ、僕は君を手に入れるために、もっと犯罪じみた事をしなきゃならなかったかもだし」
「えっ」

(は、は、犯罪!?)

 オリヴァー殿下の恐ろしい発言に私の背筋は凍りつく。甘い雰囲気から一転、まるでマンドラゴランドのホーンテッド・マンドラゴラにうっかり入ってしまったくらいホラーな展開だ。

「そうだな。例えば誘拐とか監禁とかしちゃうかも知れない」

 オリヴァー殿下は何でもないことのようにさらりと口にする。

「……冗談ですよね?」

 恐ろしさのあまりオリヴァーの顔色をうかがうように見上げると、彼は困ったような表情を浮かべる。

「君は僕と結婚する。その事に異議はない?」
「はい。だから誘拐なんてしなくても大丈夫です」

 私はそこだけは太鼓判(たいこばん)を押しておく。

(だって私は殿下が好きだもの)

 この気持は何にも代えがたいものだ。

「じゃあ、僕が君を帝国に今すぐ連れて帰りたいと言ったら、素直についてきてくれる?」
「それは……もちろんです」

 少し迷ったが、それでも私は殿下と共にいたい。

「でもさ、仕事はどうするの?」
「…………」

 この質問に私は咄嗟に答える事ができなかった。

「どうしよう」

 正直仕事はやめたくはない。
 やりがいを感じるし、必死で古代語の勉強して得た仕事だから。

(まだ四年だけど)

 私はこの仕事のお陰で随分と成長できた。
 だからもはや、仕事は私を形どる一つだと思うくらいには大事だ。

(だけど私はオリヴァー殿下も好き)

 横を歩くオリヴァー殿下を見上げる。
 彼の青く澄んだ瞳はどこか遠くを見つめていた。

 私には今殿下が何を考えているかさっぱりわからない。

(だけどお父様とお母様はこういう時、阿吽の呼吸で理解し合ってる)

 それはきっと時間をかけて育んでいる絆が為せる技なのだろう。

(私もそうなりたい)

 だったら仕事に固執(こしつ)する必要はないのかも知れない。

「仕事を辞めるのと、僕と結婚する事。どちらを選ぶ?」

 オリヴァー殿下が真剣な表情を私に向け、たずねてきた。

「私は、仕事を」
「などと言って、君に二択を迫るつもりはないから安心して」

 まるで悪戯が成功した子どものように、オリヴァー殿下が楽しげに笑う。

「ただ、僕の本音としては君を帝国に連れ帰って、そのまま一生離したくない。それができないなら君を閉じ込めてしまいたいとすら思ってる」

 オリヴァー殿下がやたら重ためな言葉と共に、熱っぽい視線をこちらに向けてくる。私は恥ずかしくなり、思わず顔をそらし前方に見えてきた噴水をジッと見つめる。

「君が仕事を続けたいと言うのであれば、僕は君の意思を尊重するよ」
「でもそれじゃ、離れ離れになってしまいます」

(それは嫌だな)

 わがままにもそう思ってしまった。

「そうだね。僕だって嫌だ。だからこれからそれについては考えよう。君は魔法が使えるわけだし。何なら帝国にある僕の屋敷に転移装置をつけたっていいし」
「えっ」

(それって国家レベルの話だと思うけど)

 私の「仕事をやめたくない」という個人的な思いで国を巻き込むのはちょっとやりすぎな気がしなくもない。

「僕は君が側にいないと、嫌だな」

 オリヴァー殿下の口から甘やかな言葉が紡がれる。

「エリオットが言うには、ツガイシステムはさ、運命の相手を見つけると、もうそれ以外の人間は目に入らないようになるらしい」

 オリヴァー殿下がポツリと呟く。

「実際、そんな馬鹿なって思ってたけど。今ならあいつの気持ちがわかる」

 オリヴァー殿下はそう言うと、立ち止まる。
 そして私を引き寄せ、大きな胸にぎゅっと閉じ込めた。

「で、殿下、苦しいです」
「ごめん。君を手放すのが嫌でつい力が入っちゃった。僕ってわりと重い男だからさ、覚悟して」

 有言実行とばかりオリヴァー殿下が私を抱きしめる手をさらに強める。
 私の体に殿下の体温が伝わってくる。その暖かな温もりを感じながら、私は彼の想いに応えようと、背中におそるおそる手を回した。

「僕と結婚してくれる?」

 オリヴァー殿下の優しい声が耳元で響く。

(問題は山積みだけど)

 それはゆっくりと解決すればいい。

「はい、私はあなたと結婚します」

 私は返事をすると、オリヴァー殿下の胸の中で小さく微笑んだ。