パレードの終了と共に、マンドラゴランドにいた私にかけられた夢の魔法が解けた。その結果私は、オリヴァー殿下の胸をお借りし泣いてしまった。
しかし、最大の問題はそこではないようだ。
私が今一番まずいと思うのは、マンドラゴランドからどうやって帰還したのか。それが全く思い出せないことだ。
『あのさ、いい歳して疲れて寝ちゃうとか、どんだけ迷惑かけてんだよ。しかも迷惑をかけた相手がローゼンシュタール帝国の皇子殿下とか。ホント勘弁なんだけど』
今朝食堂で顔を合わせたジュリアンは激怒していた。どうやら王城に戻ったオリヴァー殿下は、ジュリアンに私を部屋のベッドに寝かせておくよう託したようだ。
つまり私は殿下の胸をお借りしたまま、マンドラゴランドでそのまま爆睡してしまったらしい。
「もはやあれは全て夢なのでは?」
そうであって欲しい。願望込みでそう思うものの、私の部屋にはマンドラゴラを模した、目が光るポップコーンバケツとそれから、殿下とゴラちゃんと三人で撮った写真が残されている。
(そして、このキーホルダー)
マンドラオールスターズがプリントされた紙袋に包まれていたのは、ゴラちゃんのキーホルダー。
「私が思うに、あれはお土産として殿下がくれたんだと思うんだけど」
ぐっすり寝てしまったらしい私は、そのお礼すら言えていない状況だ。
「あり得ない」
自分でもそう思う。けれど、これは現実だ。
「今度会う機会があったら、お礼を言わないと。でも失態を犯てしまった今、会いたくないような」
私は複雑な心境を抱えたまま、王城のピカピカに磨かれた床を踏みしめ、職場に向かうのであった。
***
色々思う事はあれど、本日も私は『エスメルダ王国婚姻解析課』にて勤務中。
「おっ、お前マンドラゴランドに行ったのか?」
コーヒーを片手に持ち、私の横を通り過ぎたキースが立ち止まる。どうやら私が早速通勤カバンにつけた、ゴラちゃんのキーホルダーを目ざとく見つけてしまったようだ。
「はい」
何故か私に手を伸ばすキース。
「なに?」
「土産に決まってんだろ」
「そんなのないわ。仕事で行ったんだもの」
「なのに、何で自分だけキーホルダーを買ってるんだよ」
「これは頂きものだから、私のお土産じゃないもの」
「でも行ったんだろ、仕事で」
「まぁ、そうね。仕事で」
キースと不毛な会話を続けながらも私は、クリスタルに浮き上がる古代文字の解析を続ける。今こうしている間にも、私を含むツガイたい男女は列を成している。
「ええと、この文字列は……クリス……クリスティナ、トン、トンプソン。えっ」
私はついに来た、と全身に緊張が走る。
「落ち着け、私」
ふぅと息をつき、それから慎重にお相手となる人物の名前を解析する。
「ええと、オ、オリヴァー、ヴェルテンベルク?何だか帝国人っぽい名前ね」
「嘘だろ……」
未だお土産をもらおうと、机の脇にいたらしいキースが、私のクリスタルを見て目を丸くしている。
「嘘じゃないわ。ほらみてよ、ここ」
私はキースに、たった今解析したばかりの文字列を指差す。
「……ほんとだ」
クリスタルに浮き上がる文字を確認し、キースは私の解析が正しい事を認める発言をした。
「でも、オリヴァー殿下のお相手は」
「え?」
キースの口からもれた名前に今度は私が固まる。
「いや、何でもない」
慌てて私から離れようとするキースのローブをむんずと掴む。
「オリヴァー殿下って、言ったよね?」
「言ってない」
「オリヴァー・ヴェルテンベルク。これってオリヴァー殿下の名前なの?」
私は口にして、心がズキンと痛む。
「わ、わかんない。か、課長に聞けよ」
「キース、最近あなたはおかしいわ。私に何か隠してるでしょ?」
私はキースを睨みつける。するとキースはあからさまに私から顔を背けた。
「教えてよ。同期でずっと協力して頑張ってきた仲じゃない」
「それは……」
キースは困り果てたような表情になる。
「おい、二人とも何をしてるんだ。サボるな、働け」
揉めている私達を、めざとく見つけた課長から声がかかる。
「お言葉ですが、私はきっちり働いてます。それより課長、ちょっといいですか。確認して欲しいのですが」
私はキースがダメならと課長を呼んだ。
「何だ、何か問題があるのか?」
すぐに課長が私の席にやってくる。
「これなんです。以前ここに来たクリスティナ・トンプソンの名が浮かんだんですけど」
「おっ、ようやく浮かんだのか」
課長はホッとした表情になる。その気持ちは理解できる。なぜならクリスティナ様からは毎日「まだですか?」と催促の連絡がしつこいくらいに来るからだ。もはやその情熱はクレーム級だと言えるだろう。
「問題は、クリスティナ様のお相手なんですけど」
私はクリスタルを指差す。
「ん、どれどれ」
課長がジッと私のクリスタルを見つめる。
「これは、一体どうなっているんだ?オリヴァー殿下のお相手は……」
課長は呟くと私の顔を見て固まった。やはりキースと同じような反応を示している。
「何か問題があるのですか?」
「いや、これは陛下の確認が必要な案件だ。お前はこれを無視し、先に進めておけ」
「え、でも」
「でもじゃない。上司命令だ。それと許可するまでこの事は他言無用。みんなも頼むぞ」
課長は部屋にいる面々にきつく言いつける。そしてクリスティナとオリヴァー殿下が示された婚姻座標を書き取ると、慌てた様子で部屋を飛び出して行ってしまった。
「全く何なのよ」
ため息をつく私の視界に、ゴラちゃんのキーホルダーが目に入る。
(そっか、殿下のお相手はクリスティナ様なんだ)
クリスティナ様が殿下を運命の人だと信じていた事は知っている。
だからこれは嬉しい結果のはずだ。それなのに、私の心の中には黒いモヤがかかる。
(言わなきゃ良かったな)
「え、やだ、なんで!?」
咄嗟に浮かんだ思いに激しく動揺する。
私は神に誓って、今まで一度でも分析結果を改ざんしようとした事なんてなかった。けれど今の私は明確に、この結果がなければ良かったと、言わなければ良かったと、そう思ってしまった。
私は勝手に浮かんだ思いに青ざめる。そして何だか目眩がしてきた。
「おい、大丈夫か?」
いつの間にか向かいの席に戻っていたキースが、私に心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫じゃ、ないかも。クラクラするし、気持ち悪い」
「そっか。今日はもう帰ってもいいと思うけど」
キースが気遣うような言葉をかけてくれる。確かに今日の私は変だ。
「ちょっと、中抜けしようかな」
「休めって」
「多分、少し休めば大丈夫だから」
私はキースを安心させるため、何とか笑顔をつくる。
「無理すんなよ」
「ありがとう」
礼を口にし、私はクリスタルに流す魔力を閉じる。そして逃げるように、こんぶ課の部屋を後にしたのであった。
***
不正をしようと思ってしまった。そんな自分に動揺した私が逃げ込んだのは、エリオット兄様の執務室だ。
「あれ、アリシア嬢、今日は俺を吹き飛ばさないんですか」
幼馴染で顔見知り。けれど私の結婚相手ではないトムが警戒した様子で私に声をかける。
「今日はそういう気分じゃないもの」
「……元気ないっすね」
「うん、私は穢れた心を持つ悪い女だから」
「!?」
トムが固まる。
「エリオット殿下にお会いしたいのだけれど」
「か、確認してまいります」
トムは逃げるように部屋の中に消えていった。
(正式な手順を踏むと、面倒ね)
私は廊下に立たされながら、窓の外を眺め入室許可を待つ。
窓の外に広がるのは、だだっ広い城の庭園だ。綺麗な花々や美しい木々が庭師の手によって今まさに整えられていた。
明るく咲き乱れる花を見ていると、マンドラゴランドのエントランスを思い出す。
(あそこのお花も綺麗だったな)
今思えば、目の前に広がる庭の広大さと美しさには全然かなわない。
(植えられていたお花の種類だって、もっと少なかったわ)
それなのに、私はマンドラゴランドのエントランスを色鮮やかに飾る花を見て、今よりずっと「凄い」と興奮していた。
(やっぱりあれも夢の国のパワーなのかな)
思わずため息をつきかけたその時。
「アリシア様、どうぞ」
今日ばかりはトムがしっかりと扉を開けてくれた。
「ありがとう」
私は礼を告げ、エリオット殿下の部屋へと足を踏み入れたのであった。
しかし、最大の問題はそこではないようだ。
私が今一番まずいと思うのは、マンドラゴランドからどうやって帰還したのか。それが全く思い出せないことだ。
『あのさ、いい歳して疲れて寝ちゃうとか、どんだけ迷惑かけてんだよ。しかも迷惑をかけた相手がローゼンシュタール帝国の皇子殿下とか。ホント勘弁なんだけど』
今朝食堂で顔を合わせたジュリアンは激怒していた。どうやら王城に戻ったオリヴァー殿下は、ジュリアンに私を部屋のベッドに寝かせておくよう託したようだ。
つまり私は殿下の胸をお借りしたまま、マンドラゴランドでそのまま爆睡してしまったらしい。
「もはやあれは全て夢なのでは?」
そうであって欲しい。願望込みでそう思うものの、私の部屋にはマンドラゴラを模した、目が光るポップコーンバケツとそれから、殿下とゴラちゃんと三人で撮った写真が残されている。
(そして、このキーホルダー)
マンドラオールスターズがプリントされた紙袋に包まれていたのは、ゴラちゃんのキーホルダー。
「私が思うに、あれはお土産として殿下がくれたんだと思うんだけど」
ぐっすり寝てしまったらしい私は、そのお礼すら言えていない状況だ。
「あり得ない」
自分でもそう思う。けれど、これは現実だ。
「今度会う機会があったら、お礼を言わないと。でも失態を犯てしまった今、会いたくないような」
私は複雑な心境を抱えたまま、王城のピカピカに磨かれた床を踏みしめ、職場に向かうのであった。
***
色々思う事はあれど、本日も私は『エスメルダ王国婚姻解析課』にて勤務中。
「おっ、お前マンドラゴランドに行ったのか?」
コーヒーを片手に持ち、私の横を通り過ぎたキースが立ち止まる。どうやら私が早速通勤カバンにつけた、ゴラちゃんのキーホルダーを目ざとく見つけてしまったようだ。
「はい」
何故か私に手を伸ばすキース。
「なに?」
「土産に決まってんだろ」
「そんなのないわ。仕事で行ったんだもの」
「なのに、何で自分だけキーホルダーを買ってるんだよ」
「これは頂きものだから、私のお土産じゃないもの」
「でも行ったんだろ、仕事で」
「まぁ、そうね。仕事で」
キースと不毛な会話を続けながらも私は、クリスタルに浮き上がる古代文字の解析を続ける。今こうしている間にも、私を含むツガイたい男女は列を成している。
「ええと、この文字列は……クリス……クリスティナ、トン、トンプソン。えっ」
私はついに来た、と全身に緊張が走る。
「落ち着け、私」
ふぅと息をつき、それから慎重にお相手となる人物の名前を解析する。
「ええと、オ、オリヴァー、ヴェルテンベルク?何だか帝国人っぽい名前ね」
「嘘だろ……」
未だお土産をもらおうと、机の脇にいたらしいキースが、私のクリスタルを見て目を丸くしている。
「嘘じゃないわ。ほらみてよ、ここ」
私はキースに、たった今解析したばかりの文字列を指差す。
「……ほんとだ」
クリスタルに浮き上がる文字を確認し、キースは私の解析が正しい事を認める発言をした。
「でも、オリヴァー殿下のお相手は」
「え?」
キースの口からもれた名前に今度は私が固まる。
「いや、何でもない」
慌てて私から離れようとするキースのローブをむんずと掴む。
「オリヴァー殿下って、言ったよね?」
「言ってない」
「オリヴァー・ヴェルテンベルク。これってオリヴァー殿下の名前なの?」
私は口にして、心がズキンと痛む。
「わ、わかんない。か、課長に聞けよ」
「キース、最近あなたはおかしいわ。私に何か隠してるでしょ?」
私はキースを睨みつける。するとキースはあからさまに私から顔を背けた。
「教えてよ。同期でずっと協力して頑張ってきた仲じゃない」
「それは……」
キースは困り果てたような表情になる。
「おい、二人とも何をしてるんだ。サボるな、働け」
揉めている私達を、めざとく見つけた課長から声がかかる。
「お言葉ですが、私はきっちり働いてます。それより課長、ちょっといいですか。確認して欲しいのですが」
私はキースがダメならと課長を呼んだ。
「何だ、何か問題があるのか?」
すぐに課長が私の席にやってくる。
「これなんです。以前ここに来たクリスティナ・トンプソンの名が浮かんだんですけど」
「おっ、ようやく浮かんだのか」
課長はホッとした表情になる。その気持ちは理解できる。なぜならクリスティナ様からは毎日「まだですか?」と催促の連絡がしつこいくらいに来るからだ。もはやその情熱はクレーム級だと言えるだろう。
「問題は、クリスティナ様のお相手なんですけど」
私はクリスタルを指差す。
「ん、どれどれ」
課長がジッと私のクリスタルを見つめる。
「これは、一体どうなっているんだ?オリヴァー殿下のお相手は……」
課長は呟くと私の顔を見て固まった。やはりキースと同じような反応を示している。
「何か問題があるのですか?」
「いや、これは陛下の確認が必要な案件だ。お前はこれを無視し、先に進めておけ」
「え、でも」
「でもじゃない。上司命令だ。それと許可するまでこの事は他言無用。みんなも頼むぞ」
課長は部屋にいる面々にきつく言いつける。そしてクリスティナとオリヴァー殿下が示された婚姻座標を書き取ると、慌てた様子で部屋を飛び出して行ってしまった。
「全く何なのよ」
ため息をつく私の視界に、ゴラちゃんのキーホルダーが目に入る。
(そっか、殿下のお相手はクリスティナ様なんだ)
クリスティナ様が殿下を運命の人だと信じていた事は知っている。
だからこれは嬉しい結果のはずだ。それなのに、私の心の中には黒いモヤがかかる。
(言わなきゃ良かったな)
「え、やだ、なんで!?」
咄嗟に浮かんだ思いに激しく動揺する。
私は神に誓って、今まで一度でも分析結果を改ざんしようとした事なんてなかった。けれど今の私は明確に、この結果がなければ良かったと、言わなければ良かったと、そう思ってしまった。
私は勝手に浮かんだ思いに青ざめる。そして何だか目眩がしてきた。
「おい、大丈夫か?」
いつの間にか向かいの席に戻っていたキースが、私に心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫じゃ、ないかも。クラクラするし、気持ち悪い」
「そっか。今日はもう帰ってもいいと思うけど」
キースが気遣うような言葉をかけてくれる。確かに今日の私は変だ。
「ちょっと、中抜けしようかな」
「休めって」
「多分、少し休めば大丈夫だから」
私はキースを安心させるため、何とか笑顔をつくる。
「無理すんなよ」
「ありがとう」
礼を口にし、私はクリスタルに流す魔力を閉じる。そして逃げるように、こんぶ課の部屋を後にしたのであった。
***
不正をしようと思ってしまった。そんな自分に動揺した私が逃げ込んだのは、エリオット兄様の執務室だ。
「あれ、アリシア嬢、今日は俺を吹き飛ばさないんですか」
幼馴染で顔見知り。けれど私の結婚相手ではないトムが警戒した様子で私に声をかける。
「今日はそういう気分じゃないもの」
「……元気ないっすね」
「うん、私は穢れた心を持つ悪い女だから」
「!?」
トムが固まる。
「エリオット殿下にお会いしたいのだけれど」
「か、確認してまいります」
トムは逃げるように部屋の中に消えていった。
(正式な手順を踏むと、面倒ね)
私は廊下に立たされながら、窓の外を眺め入室許可を待つ。
窓の外に広がるのは、だだっ広い城の庭園だ。綺麗な花々や美しい木々が庭師の手によって今まさに整えられていた。
明るく咲き乱れる花を見ていると、マンドラゴランドのエントランスを思い出す。
(あそこのお花も綺麗だったな)
今思えば、目の前に広がる庭の広大さと美しさには全然かなわない。
(植えられていたお花の種類だって、もっと少なかったわ)
それなのに、私はマンドラゴランドのエントランスを色鮮やかに飾る花を見て、今よりずっと「凄い」と興奮していた。
(やっぱりあれも夢の国のパワーなのかな)
思わずため息をつきかけたその時。
「アリシア様、どうぞ」
今日ばかりはトムがしっかりと扉を開けてくれた。
「ありがとう」
私は礼を告げ、エリオット殿下の部屋へと足を踏み入れたのであった。