我が国の貴族たちのほとんどが参加した、国王陛下主催の「建国三百八年を祝う舞踏会」の翌日。

 舞踏会なのに一曲も、誰とも踊る事もなかった。その上、オリヴァー殿下に喧嘩を売った私は、最悪なコンディションで職場にいた。

「こういう日は、これしかないわよね」

 私は真っ赤なMマークが眩しい、モンスターエンジンを自らの体に流し込み、ぐびぐびぐびと喉を鳴らし一気に飲み干した。

「ふぅ、魔力がみなぎるわ!」

 それから伸びをしたところで。

 カラン、コロン。
 カラン、コロン。

 いつも通り就業のチャイムが鳴った。

「さ、仕事しなきゃね」

 自分に活を入れ、机に置いたクリスタルに魔力を流そうと手をかざす。

 すると。

「アリシア、応接室まで来い」

 課長に呼び出しを食らった。

「げ、何かしたっけかなぁ。ねぇ、キース。課長から何か聞いてる?」

 とりあえず向かい側の席に座るキースに尋ねる。

「べ、別に何も聞いてねーよ」

 キースは明らかに動揺していた。

「また何か隠してるでしょ」

 私は探る視線を送る。

「は、早く行けよ。課長を待たせるなんぞ、十年早いぞ」

 急かすような言葉をかけられた。
 どうしたって、キースの態度は怪しすぎる。

 しかし、彼の言う通り。課長を待たせるのが十年早いには賛成だ。

 私は席を立ち、メモ帳と魔法の羽根ペンを持ち応接室に向う。

「失礼します……げっ」

 ノックをし、入室した瞬間。目に飛び込んできた人物に私は驚きの声をあげる。

「やぁ、おはよう」

 爽やかな朝にピッタリな麗しい顔を惜しみなく私に(さら)し、挨拶をしてきたのはオリヴァー殿下だ。

「お、はようございます」

 課長と向かい合う場所に、我が物顔で腰を下ろしているオリヴァー殿下に、私はしりつぼみ気味な挨拶を返す。

 今日の殿下は黒いスーツ姿で、いつもよりラフな格好をしている。帝国のトレードマークとも言える騎士服を着ていない。その事が意味するのは。

(えー、まさか昨日のクレームとか?)

 個人的な用事でここを訪れたゆえの私服。
 そう考えるとしっくりきた。

(でも……)

 確かに昨日、私はかなり生意気な態度を取った。けれどそれは致し方ないことだ。
 誰だって自分が誇りを持ち携わる仕事を馬鹿にされたら、あのような態度になる。

「ほら、突っ立ってないで座れ」

 課長から声をかけられ、私は仕方なくソファーに腰掛ける。もちろん私の定位置は、課長の隣だ。

 そしてこの場を支配する、気まずい沈黙。

「申し訳ございませんでした」

 クレームを言いにきたに違いないと悟った私は、何はともあれ、ひとまず頭を下げておく。

 ムカつく人には違いないが、相手は帝国の皇子。彼の機嫌を損ねた挙句、我が国との友好関係にヒビが入ることでもあれば、非常にまずいからだ。

「アリシア……コホン。ローズ君。君は何かしたのかい?」

 課長が取ってつけたように私を「ローズ君」などと家名で呼んだ。

 これは緊急事態だと言える。

「昨日価値観の相違(そうい)により、少々言い合いになりました。殿下がお見えになったのは、その件で謝罪が欲しいからですよね?」

 どうせ隠していてもすぐにバレる。
 私は昨日の失態を上司に包み隠さず報告した。

「言い合いだと?一体誰とだ」
「オリヴァー殿下です」
「は?」
「だから、そちらにいらっしゃるオリヴァー殿下です」

 課長の顔からわかりやすく、血の気が引いた。

「わ、わ。わたくしの部下がとんでもないことを。も、も、申し訳ございません!!」

 課長がガバリと私の為に、全力で頭を下げてくれた。部下を守るヒーローといった課長の姿に、うっかり好きになりかけた。

 しかし課長は既婚者であるという事実を即座に思い出し、私は冷静を取り戻す。

「課長。悪いのは私です。こちらから一方的に喧嘩を売ってしまったので。今思えばあれはもはや喧嘩ではなく、一方的な私の暴言だったかも知れません。オリヴァー殿下。重ね重ねのご無礼を申し訳ございませんでした」

 課長に頭を下げさせた。その事実を重く受け止めた私は、再度オリヴァー殿下に謝罪する。

「昨日のアレは全然無礼ではないよ」

 オリヴァー殿下の爽やかミントな声が聞こえる。私は恐る恐る顔を上げた。すると殿下のブルースカイな美しい瞳とばっちり目が合った。

「むしろ私もいつもと違う舞踏会だと、非常に楽しんだから気にしないでほしい。それよりも、すでにガードナー殿には伝えたのだけれど」

 チラリと課長に視線を送るオリヴァー殿下。
 因みにガードナーというのは、課長の家名だ。

「はいっ。殿下よりご提案頂いた件ですが、こちらとしましても、満場一致で是非喜んでご協力させ頂きたいと考えております」
「そうか。感謝する」
「いえ、世界平和の為ですから」
「エスメルダ王国の人間は、みな、理解ある者ばかりで助かる」
「もったいなきお言葉です」

 二人はとても良い笑顔を向け合っている。

(えー、何の話?)

 私だけ置いてけぼりだ。

「コホン」

 存在を思い出してもらおうと、クリスティナ様を見習い、わざとらしく空咳を飛ばしてみる。

「ところで担当者なのだが」

 渾身の空咳は華麗に無視され、オリヴァー殿下が話を進める。

「はい。それはもう最善の選択をさせて頂くべく、我が課のホープ。ローズ君を選出させていただきました」
「そうか。なおいいな。よろしく頼むよ、アリシア嬢」

 オリヴァー殿下が満面の笑みを私に向ける。

(だから何?一体何の話よぉぉぉ!!)

 私は心の中で絶叫する。

「あの、何のお話をされているのでしょうか?」

 我慢ならず、恐る恐る聞いてみた。

「あぁ、言ってなかったな。実はオリヴァー殿下が、我が国が誇るツガイシステムについて詳しく話を聞かせて欲しいそうだ。よってローズ君。君には今日一日業務から外れてもらい、殿下にツガイシステムの説明及び、城下の案内をお願いしようかと」

 課長の口から飛び出した言葉に固まる。

(どういうこと?)

 私の頭は告げられた事実を理解しようと、懸命に働き始める。

「悪いね、アリシア嬢。そういうことだから、よろしく頼むよ」

 オリヴァー殿下が爽やかな声と顔で話をまとめにかかる。

「え、ちょっと待って下さい。ツガイシステムの説明はともかく、城下って」

 さすがに業務範囲外だと、訴える視線を課長に向ける。

「ローズ君。殿下と共に並び立てるのは公爵令嬢である君しかいない」

 わかってるよなと、課長は目で訴えてくる。

「しかし私一人では殿下の護衛など無理です」
「大丈夫だ。エリオット殿下より必要ならば、護衛として腕の立つ騎士をつけると申し出があった。そもそもオリヴァー殿下にだって、優秀な近衛がついておられるだろう」

 課長の言葉にオリヴァー殿下が「もちろんです」と頷く。

「ローズ君。これはエスメルダ王国と、ローゼンシュタール帝国間の友好を深めるためでもあるんだ」

 課長に念を押すように脅された私に逃げ場はない。

「はい、誠心誠意対応させて頂きます」

 私は渋々了承したのであった。