西の魔女ことザラ・ウォール・ガードナーは大陸中で名を轟かせる犯罪者だ。
 噂によると魔術の大国ベルストラス出身の魔術師で、世界各地を渡り歩いては魔術絡みの騒動を引き起こす。
 母国の機密扱いである高度な構築式をリーヴィレスにもらしたり、稀少な魔術アイテムを高額で売りさばいたり、発覚しにくい密輸の取引や運搬の仕方を教唆をしたりと手口は極めて悪質だ。
 他にも根の深い事件を調べてみると彼女が関わっていたというパターンは数え切れない。すでに国際問題に発展している案件も含まれるため各国共通で高額な懸賞金をかけて彼女の行方を探している。

 たどり着いた目的地に前をエヴァは見上げた。
「ギディオン、ここ?」
 レッドドラゴンの背に乗って、辿りついたのはラクソウェルの西の外れ。天候が不安定で作物も育たないため、人が住むには適さない土地だ。よって好んで訪れるものは少ない。
「いいですね。これぞまさしく魔女の住む館っぽくて」
 朗らかに告げるアレクシスを一瞥する黒騎士。
「不謹慎だぞ。クラウザー」
 やんわりとたしなめるものの、当人は気にしていない。
 エヴァの目の前には石造りの館がそびえたつ。個人的な感覚としては城といった方が適切な広さと重厚感だ。何故、通称でも館を称されるのか不可解ではある。
 ついでに霧が漂っていて視界が悪い。周囲の様子を窺うためにじっと目を凝らす。
「人の気配はしませんね。ここは正面から強硬突破でいきましょうか」
 真上から物騒な提案が聞こえる。
「待て。相手の手の内が不明である以上、無策と言わざるを得ない」
 すぐに抑揚のない声音が制止してきた。よかった。やはりウィルフレッドは冷静で慎重だ。エヴァがほっと安堵するのもつかの間、真顔で告げてくる。
「まずは手薄な場所から奇襲をしかけるべきだろう」
 そうでもなかった。
 エヴァにしてみればアレクシスとさほど変わらない乱暴な案だ。そもそも何故、最初から攻撃の一択なのだろう。エヴァとしてはもっと穏便な方法を模索したい。
「アヴァロン殿。それは臆病者のすることでは?」
「必要なのは確実に勝つための戦略だ。そこに卑怯などという言葉ない」
「おお。騎士とは思えぬ発言だね。戦いを正当化しているのかな?」
「正当化する気はさらさらない。我々も矛盾を孕んだ存在。そういうことだ」
「なるほど。一理ある」
 しばし両者間に不穏な空気が流れる。エヴァにはやりとりの意図がさっぱりわからない。
 このふたり、あまり仲がよいようにも見えないのだが何故か一緒にいることが多い。おそらくアレクシスが面白がってついて回っているだけだろうが。
 そんなとりとめのないことを考えていると違和感に気付く。
「? ふたりとも、どうかした?」
 騎士ふたりは何かに反応したかのように一点を見つめている。
〈これはこれは。ソーフェン修道会の第二聖女とお見受けする〉
 視線を追うと、黒衣をまとった美女がふわりと降り立った。喪服を思わせるシンプルなドレスが魅惑的な曲線を描いている。
〈わたくしはこの館の主人ザラ・ウォール・ガードナー〉
 整った顔立ちが妖艶に微笑む。
「お、お初にお目にかかります! わたしはエヴァンジェリン……」
 エヴァが気後れしながらも挨拶しようとするものの、途中でウィルフレッドに手で制された。
「あれは幻術だ」
 魔女は口元に扇子(ファン)を当てた。艶やかな笑声がもれる。
〈さすがは大陸に名をはせる聖騎士。普段は亀の足取りよりも重いくせに、どうでもよいことにはすこぶる目ざとい〉
 ストレートな物言いにエヴァは驚いた。ソーフェン修道会の騎士をそんな風に表現するとは。少なからず嫌な予感がした。その瞬間、館の一部が爆発する。堅牢に見えた石造りの建物が無惨に穴が開く。
〈いや、失敬。わたくしの本体は、館を彷徨っているどこぞの馬の骨を歓待しておる最中でな〉
 軽く咳ばらして彼女は説明を始めた。エヴァは何の根拠もなく思う。
 どこぞの馬の骨は師匠ではなかろうか。幻術とはいえ西の魔女と会話している現在でも館の中から轟音が響き、地面が揺れる。おそらく館内で凄まじい攻防が繰り広げられているに違いない。しかも、恐ろしいことに戦闘はしばらく継続しているようだ。ザラの勝利宣言を聞かないこと、攻撃が止まないことから、現在も両者ともに拮抗状態にあると考えられる。師匠なら長時間の戦闘でも無傷で逃げ回っていることができるだろう。そんなよくわからない実績と信頼はある。ザラと会話しているかぎり師匠は無事だろう。
〈それで、風の聖女よ。ここへは何用かな? わたくしは己の領域に入った者は最大限の歓迎を意を表すのが性分ゆえ、幻術を飛ばしている時間もなかなかに惜しい〉
 丁寧な物言いとは裏腹に、さっさと目的を明かせと言外に告げている。
 反面、エヴァは彼女に対してかすかな希望を抱いた。目の前の人物は莫大な懸賞金のかかる犯罪者だというのに、いきなり暴力行為に及ぶような粗暴さは感じない。棘を含んだ言い回しではあるが、挨拶をするくらいの礼儀は持ち合わせている。ましてや、わざわざ幻術を飛ばしてでも目的を探ろうとしてる。師匠の侵入に手を焼いているなら、なおのこと。エヴァを無視してもいい状況のはず。
 案外、話のわかる人なのかもしれない。むやみに隠し事はすべきではないとエヴァは判断した。
 顎をひいて、下っ端らに力を込める。ついでに気合も入れた。ゆっくりと大きく息を吸う。
「わたしの師匠がここへお邪魔していると聞き、迎えに参りました」
 見下ろしてくる魔女の表情は変わらない。口元を扇子で隠し、エヴァをしげしげと眺める。
〈それはご苦労なことだな。帰りの道中の無事を祈ろう〉
 大きな敵意も動揺も感じられない。発せられた言葉からも多少の期待をしてしまう。ただし、魔女の唇が怪しく歪む。
〈むろん行きの道中は知らぬがな〉
 聞き逃せないひと言が付け足され、エヴァは心臓を掴まれたように硬直する。緊張と警戒が身体を突き抜けた。
 彼女の意図は、おそらく師匠と会うまでの過程は保証しないと告げている。うまく立ち回らなければ自分はおろか騎士ふたりの生命も危ない。努めて平静を装う。些細な動揺も気付かれてはならない。一刻も早く師匠と合流し、脱出することが先決だろう。そのために何が必要なのかを模索する。
 エヴァが考えを巡らせている最中、ザラの方は今後の方針を決定したようだった。
〈では、こうしよう。そなたたちもわたくしの館に入ることを許可する〉
「え」
 予想していなかった返答に面を食らう。一番、難解だと懸念していたのは魔女の館に侵入することだ。それをあっさりと許可された。安堵するより震えあがる。これは何か策があるとみていい。
〈生憎、侵入したネズミがそなたの師匠かどうかは不明だ。随分と内気な人柄のようでな。姿を見せなんだ〉
 意外にも館への侵入者は隠密行動を好むらしい。
 はじめこそ師匠っぽくないと感じるエヴァだった。師匠ならばいきなり扉を蹴破って侵入し、派手な爆発をあちこちで起こして相手の動揺を誘いそうな気がする。その一方、姿を見せずに挑発して相手をおちょくりそうな気もした。ちょうど今みたいな。結果的には師匠であってもおかしくないという結論になる。この瞬間、考えていた時間が無駄のように感じた。虚しいというか、悲しいというか。
 そこで一切の遠慮もなく魔術をぶち当てているザラもかなり容赦がない。相当、腹に据えかねているのは間違いなさそうだ。
〈そなたたちも館内を探索し、目的の人物なら連れて帰るがよい〉
 ザラの口調はあくまで軽い。エヴァがどちらを選んでも構わないというような。
〈ただし、一歩でもわたくしの敷地内に入ったら館内を彷徨う羽虫同様に歓迎するぞ。それこそ全力、でな〉
 妖艶に笑いながら匂わせる意図。
 館に入った瞬間、生命の保証はしない。そう言いきる。
 無情の処刑宣告だが、エヴァはぼんやりと他のことを考えていた。
 師匠も馬になったりネズミになったり忙しい。例えの対象がどんどん小さくなっていくのは気のせいだろうか。
 その他に確かめたいこともある。
「あの、師匠はあなたから招待を受けたと書いてありましたが」
〈はて。そんな覚えはないな。師匠の勘違いではないのか〉
 あっさりと返ってきたのは否定の言葉。口調からして他に含みはない気がした。
 騎士のふたりが前へ進み出る。ウィルフレッドは横目で視線を送りながら口をひらく。
「エヴァ」
「さて、どうなさいますか?」
 アレクシスは柔和な笑顔を浮かべている。場違いと思えるほど。
 この先の選択を求められていると知ってエヴァは黙考する。
 師匠と魔女の主張は食い違っている、どちらかが嘘をついているとも考えられるが、何か別の情報を伏せているのかもしれない。見解の相違もありえた。いずれにせよ、慎重に行動する必要がある。
 また彼女の発言にはいくつものメッセージが隠されているとみた。
 館の侵入者は師匠ではないかもしれない。可能性としては低いが他人である場合、どんな人物でも保護が必要なはず。一緒についてきてくれるウィルフレッドとアレクシスに申し訳ない気もするが、それも考慮に入れるべきだろう。
 そして最大の難問、魔女の館に侵入すれば生命の保証もない。これは大問題だ。不確定要素の多い状況の上、誰かを守りながら脱出できる見込みは低いだろう。
 突然に押し寄せてくる恐怖。明らかに危険な場所へ赴かなくてはいけない。
 エヴァはごくりと息を飲む。
(ホラーゲームってこんな感じなのかもしれない。本当に一樹さんの言う通りだ)
 隣の病棟に入院していた男性を思い出す。
 彼は見た目が爽やかなエリートサラリーマンなのに重度のゲーマーだった。ルックス目当てに猛アピールしてくる看護師たちをぎこちなくかわし、自分のような男子高校生をゲームの話をすることを好んだ。もちろん秀明とも仲がいい。
 その彼いわく、ホラーゲームで次のエリアに入ったら怖いことが起きるとわかる時がたまにあるようだ。人間とは極度の恐怖に見舞われるとその場所から動きたくなくなる。どれだけ危険な状況であってもそこから脱出という選択肢がすっぽり抜け落ちるものらしい。ゲームの冒頭であるエントランスから動きたくないみたいな。
 しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
(回避ばかりしてたら話が進まないって一樹さんも言ってたしね)
 ピンチはチャンス。これはストーリーが進んでいる証拠。
 さすればすることは決まっている。エヴァは大きく息を吸った。
「こんにちは! お邪魔します!」
 叫びながら思いきり右足を前に踏み出した。堂々と魔女の館に侵入する。前のめりに前進したため、盾になってくれていた騎士ふたりを置き去りにした形になる。だが、それに気づく余裕が今のエヴァにはない。
「…………」
 渋面を作るウィルフレッドの隣でアレクシスは苦笑した。
「ははッ。まさかの正面突破ときましたか。そして、いかなる時も礼節も忘れない。いや、まったく本当に聖女の鑑ですね」
 もちろん、聖騎士の呟きも緊張していて聞こえていなかった。