高く澄んだ冬の空。わずかな木漏れ日が風に揺れる。
 視界にある茂みに遠慮なく手を突っ込んだ。ほぼ同時に背後から少年に声をかけられる。
「なぁ、エヴァ……もういいよ」
「えー? なんで?」
 聞き返すのは少女の声だった。あまりにも自然な問いだったので返答する方が戸惑う。
「いや、なんでって……」
 少女は構わず草木をかき分けて中を探り続ける。何も手ごたえがないのでさらにガサガサと茂みに分け入った。髪や服に葉や木の枝が引っかかるが気にする理由がない。意識を集中させ、さらに没頭する。自然と生返事になった。
「大丈夫だよ。もう少しで見つかる気がする」
「どっから来るんですか、その根拠……じゃなくてエヴァ様はもう探さなくていいですから」
 また別の少年の声がする。その口調はやんわりと拒否をしている。もしくは困惑しているが、かけられた本人は一向に気付かない。
 ガサガサをした音に紛れて他の声もまじる。
「その前に茂みにはいるなよ」
「そもそも探しものするなよ。葉っぱとかついてるし。汚れてる」
 さらに周囲で少年たちが口々に感想をもらす。だがあくまで指摘されている当人は頓着していない。言葉を深刻に受け止めていないというより、目の前の探しものに夢中になっている。つまりは聞いてないともいう。
「平気。平気」
 エヴァはとうとう茂みに上半身を突っ込んだ。
 少年たちが押し黙る。誰もが伝わらないもどかしさを感じているらしく互いに顔を見合わせる。たまらずその中のひとりが呟いた。
「大体、なんで街に降りてくんだよ。おまえ聖女さまだろ……」
「あーッ!!」
 最後の少年の指摘は叫び声にかき消された。
「あった!」
 もはや全身が茂みの中に突っ込んでいる。かろうじてスカートの裾が見えるだけ。少年たちは呆れてものが言えない。
「ヒューゴ、見つけたよ!」
 もちろんエヴァは構わない。明るい声音で手をのばす。握ったのは小さな金属のリング。古めかしい細工の指輪だった。
「え、本当に?」
「どこにあったんだ?」
 少年たちが近寄ってくる時だった。
「うわあぁぁぁっ!!」
 ただらならぬ悲鳴で少女が顔をあげる。
 飛び込んできた視界の端、ひとりの少年が木から落下する姿が見えた。
「ヒューゴ!」
 名前を叫ぶなり両手を前にのばした。
「風よ、風の聖霊よ!」
 少女の声と同時に強風が突然発生した。周囲にいた少年たちも叫ぶが気にしている余裕はなかった。
 目も開いていられないくらい風が吹く。少年の身体が地面に叩きつけられる瞬間、浮いていた。もちろん当人は驚きに目を見開いている。
「うわぁ」
「すげ……」
 感嘆の声がもれた。
 それでも少女は声を張りあげる。
「みんな、ヒューゴを支えてー! わたしの風はそんなにもたないー!」
 叫んだ内容にぎょっとした少年たちは慌てて走り出す。
 それと同時に風に浮いていた少年が落下する。あちこちから「いて」とか「ぐえ」とかうめき声が聞こえてきた。
 エヴァが慌てて駆け寄り急いで覗き込む。
「みんな、怪我は?」
 少年たちは顔を見合わせ、ふるふると首を横に振る。
 そこでエヴァはほっと安堵する。
「よかった」
 自然とこぼれた笑みだった。それを見た少年たちは顔を赤らめたり、逸らしたりする。
 エヴァは首を傾げる。自分が笑うと彼らは決まって挙動不審になる。いつもそれが不思議で仕方ない。何かヒントはないか折り重なっていた彼らが離れる様子を観察していた時だった。
 視線をあげたエヴァは固まる。
 少年たちの向こう。人影があった。
 背の高い男性だった。黒髪黒目。端正な顔立ちだった。
 黒に外套には、盾に交差する二振りの剣の刺繍が施されている。ソーフェン修道会の紋章だった。
 おまけにその表情は、わずかに眉尻が下がっている。
「エヴァ」
 名前を呼ばれて少女はさっと視線をそらした。
「あの……ごめんなさい」
 所在なさげに、ただ謝ることしかできない。

 長い戦乱の中でいくつもの国を生み出したレシュトフォン大陸。
 そのほぼ中央部に位置するラスウェル。周辺諸国から巡礼に訪れる信徒を今日も迎えている。その名は、ラスヴァトーレ教の聖地である聖都ラクソウェル。
 そこに彼女はいた。
「まったく、いい加減になさいませ!」
 部屋の向こうで響く声にエヴァはじっと耳を澄ませる。
 豪奢な調度品に囲まれた室内は彼女の私室だ。少しぶつけだだけで傷がつきそうなアンティーク風の机も、アニメやゲームでしか見たことのなかった天蓋付きベッドもようやく最近になって慣れつつある。
「宮殿を抜け出して街の子供たちを遊ぶなど……ソーフェン修道会の聖女たる所業とは思えませんわ!」
 それに対しては反論の余地はない。
 修道院として機能しているヴェカデーレ宮殿を抜け出したのは事実だし、何度も脱走しては街の子供と遊んでいた。
 ただ今回は少し事情が違う。遊び仲間の少年のひとり、ヒューゴの母親の形見が奪われた聞いたのだ。相手はファディランの盗賊団だと思われる。国境付近で貿易品を失敬する不貞な輩たちと訊いている。ヒューゴの父親は商人でファディランへ貿易品を届ける最中、隊商もろとも襲われ金品を強奪されたという。その中には妻の形見である指輪も入っていた。そう聞いてしまえば居ても立っても居られない。
幸か不幸か、盗賊たちの狙いは高額な品物だったらしく、価格がはっきりしないものは街道の外れに捨てていったという噂を耳にした。運がよければ見つかるかもしれない。そんな甘い考えで一緒に探索に出かけたのは軽率だった。
「ましてや、風の力を使うなんて。確かに聖女は第五元素のいずれかの祝福を受けた身。その力は主であるラスヴァトーレさまより授かったもの。いくら人命がかかっていたとしても軽々しく使ってはいけないと何度もご説明申し上げたはずですわ」
 そこに対してはぐうの音も出ない。
 このソーフェン修道会に所属する聖女は特別な力を持っている。第五元素と呼ばれる炎、水、風、光、闇のいずれかの祝福を受け、エヴァは風の力を使うことができた。しかし、それは神が与えたもうた尊き力。むやみやたらと見せびらかしていいものではないようだ。実際、使用はかたく禁じられていた。少年の命を助けるための緊急避難といえどそれは別の話になる。
 エヴァは、むっと唇を引き結ぶ。
 向かい合う鏡には見たことも美少女が映っていた。さきほどまで土に汚れた服を着替え、木の葉をつけたぼざぼさの髪も梳いて何とかましになった。
 しかしこの顔を見る度エヴァは複雑な気分になる。
 それもそもはず。エヴァことエヴァンジェリン・コールウェル・ロゼ・ソディフィールドは誰にも言えない秘密を抱えている。
 エヴァンジェリンとしての生を受ける以前は風谷(かぜたに)友紀(ともき)として生きていた。何の因果なのか、その時の記憶も引き継いでいる。
 十歳の少女として生きる前に十七歳の少年として生きていたのだ。そのギャップを修正するのは想像以上に難しい。十年も経過した今でも戸惑うことが多々あった。
 エヴァの悩みは他にもある。ちょうど部屋の外からやんわりとした声音が聞こえてきた。
「ローレル殿。毎回そう目くじらを立てずとも。エヴァは十分に聖女の務めを果たしている」
「……恐れながらウィルフレッド様、それはどなたに対するお言葉ですの?」
 低い声音にウィルフレッドが息をのむのがわかった。自分の失言に気付いたらしい。
「まず最初に聖女様を気安く呼び捨てにしないでいただけますか。エヴァンジェリン様はまだ幼いですけれど他に就任なされている聖女様がたの誰よりも長くその座に就かれておいでです。呼び捨ては親密性などと聞こえはいいですが一方で尊敬と敬意を欠いているように思えます。ましてやソーフェン修道会騎士団の聖騎士であらせられるウィルフレッド様が、そのようなくだけた態度では他の者に示しがつかないのでは?」
 すらすらと吐かれるのは正論という名の棘だった。それも無数に張り巡らされている。別室で聞き耳を立てているエヴァは背筋が震えそうだった。単なる付き添いでここまで来てもらったのにローレルに小言をもらされては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。扉越しに彼の反応を窺ってみる。
「忠告、覚えておこう。感謝する」
 ウィルフレッドはさらりと受け流していた。
 そうだった。彼は皮肉やいやみといった言外のニュアンスは受け取らない。発せられた言葉どおりに解釈する。
「そうですか……それはようございます。最後にひとつよろしいでしょうか」
 美徳とも思えるウィルフレッドの姿勢は、他人によっては挑発しているようにも見えるだろう。心に余裕のない者なら特に。実際、ローレルの声は心なしか震えていた。
「そもそも誰が目くじらを立てていますか、それも毎回」
 ビシリッと何かが張りつめたような気がする。
 やはり、一番の問題はそこだなとエヴァは思った。頭の中でシスターが青筋を立てて騎士に詰め寄っている姿まで想像できた。
 ウィルフレッドはあくまで実直で真面目な性格だ。剣の腕も達つ。言動も控えめで穏やかだが、その反動なのか空気が読めないというか、思ったことをそのまま口にするくせがある。コンプレックスがある女性にとっては攻撃とみなされることもある。かもしれない。
 それを自覚しているので気遣いはできる。実際ウィルフレッドはフォローするように説明をはじめた。
「すまない。それは一種の比喩だ。単に、いつも目をつりあげて見えるという……」
「たとえどころか同じことじゃありませんの!」
 戸惑いながら訂正した言葉でさらにローレルはヒステリックになった。事実しか言ってないのに墓穴を掘った感じ。これは女性的にはアウトだろう。
 対するウィルフレッドの混乱ぶりは見ていなくとも伝わってきた。今、どうしていいのかわからない状態だと思われる。これは前世からの業なのか。彼は異性と会話することがあまり得意ではないらしい。想像とは違う反応になるからだとしたらこれは根が深いのかもしれない。
 ローレルの反応にも既視感を覚える。ひと呼吸、考えてから思い出す。そうだ。前世での気難しい看護師長と似ていた。友紀が無茶をやらかす度に懇切丁寧に叱責してくれたことを覚えている。
 そこで窓を叩く音がして視線をあげた。
「ギディオン?」
 エヴァは目を見開く。
 窓の向こう側にはレッドドラゴンが張りついている。ただし、てのひらサイズに小さい。
 エヴァが窓を開けると翼をはためかせて彼女の手に降り立つ。
「ギディオン。どうしたの……うわ!」
 思わずエヴァは悲鳴をあげる。レッドドラゴンが火を吹いたからだ。
「エヴァンジェリン様?」
「はい、ごめんなさい! 以後、気をつけます!」
 不思議そうに訊ねてくるローレルには謝ってごまかした。
 まずい。大騒ぎすると彼女に気付かれる。まだちゃんと彼女に謝る言葉を用意していない身としては今、部屋に入って来られると具合が悪い。
 まさに身から出た錆なのだが、諦めも悪くエヴァは諸悪の根源を見つめる。
 一瞥されたドラゴンの方はというと、優雅に翼をはためかせてキィーッとエヴァに向かって鳴いてきた。その時には炎が混じっていた。何となくからかわれている気がする。
 遊んで満足したのか、キディオンは机に降り立つ。テーブルに置かれた便箋を爪で引っかいてきた。エヴァが便箋をとり、一枚めくると流麗な筆跡が現れる。
『親愛なる我が弟子エヴァンジェリン』
 それだけで書いた相手が誰か察しがつく。
 ヴィクター・フェルディナンド・アディ・ヘイスティングス。ソーフェン修道会五大司教のひとりであり、エヴァの師匠でもある。
『単刀直入に用件を伝える』
 エヴァはかくんっと脱力した。
 格式のある口上は挨拶の一文だけ。もとより師匠はまわりくどい流れは好まない。というか、いつもくだけた口調でしか話さない。つまりは普段通りなので考えるよりも先に続きを目で追う。
『西の魔女からの招待を受けたのでしばらく留守にする』
 最初は意味がわからなかった。
 師匠が外出することは飲み込めたが、エヴァの行動については触れられていない。試しに便箋をもう一枚めくってみたが何も書かれてはいなかった。メッセージとしては中途半端だ。これでは師匠の意図や自分に期待している行動が読み取れない。
 謎めいている師匠の言動に首を傾げていると、部屋の外から大声が響く。
「いつもいつも他人の揚げ足ばかりとって……そっんなに人を苛立たせるのが趣味なのですか!」
「いや、そういうつもりでは。単にローレル殿の心中がいつも穏やかにできないだけでは……」
「なんですって!? 聞き捨てなりませんわ!」
 そろそろこっちも余裕がなくなってきた。このふたりの相性はよろしくないらしい。しかもウィルフレッドとは前世で親友だった。そうでなくとも助けられている。頼まれなくとも擁護したい。方針が決まったところで部屋をあとにする。
「ローレル。その辺りで許してあげて。ウィルはたまたま見かけてここへ送ってくれただけよ」
 扉を開ければ、目の前にはシスターがした。紫の瞳が揺れている。少しばかり動揺しているようだ。
「エヴァンジェリン様、ですが……」
「街に出かけたことも悪いことだと思ってる。反省してるわ。ごめんなさい」
 ここは素直に頭をさげる。
 腐ってもソーフェン修道会の第二聖女。さすがに十年も付き合えば口調やら仕草やらも変わってくる。たま誤作動起こすこともあるけれど。負い目も痛む腹もある身としては言い訳せずに頭を下げる。エヴァにはこの手段しかない。
「わかってくださればよろしいのですわ」
 意外にもローレルはあっさりと引き下がった。叱責も覚悟していただけにその反応はわずかながらに戸惑う。
「エヴァンジェリン様。そういえばヴィクター司教がどちらにいるかご存じでしょうか」
 問われて、心臓が縮みあがった。とっさにキディオンをむんずと掴んで背後に隠す。
 冷や汗が流れる。このレッドドラゴンは師匠の眷属(サーヴァント)だ。姿を見れば、司教が側にいるとローレルは勘違いするだろう。
「お姿が見えないようですけれど」
 不思議そうにきょろきょろと辺りを見回すシスターを見て、エヴァは己の使命を悟った。
 さしずめ師匠の不在を隠し通せということか。司教は教会を訪ねてくる信徒を教え導く者。聖女の指導係も兼任している。単身で外出する理由がない。間違っても特別な許可なく宮殿の外には出られないのだ。師匠の性格からして、律儀に外出の許可を出す枢機卿のもとへ向かったとは思えない。いや、正当な理由ですらないような気がする。実際、西の魔女に会いに行くと主張している。これは騒動の予感がした。
 直感で大騒ぎになるようなことは防がねばならないと思った。エヴァは必死に頭を巡らせ言い訳を考える。ろくに思考がまとまらないまま思いついたように呟く。
「先生は図書館にいるみたい。せっかくだからわたしも調べものをしようと思うの」
 宮殿にある図書館は人を探すのは至難の業だ。
 ローレルも眉根を寄せた。エヴァの言葉に半信半疑といった様子に見える。
「調べもの、ですか?」
「そうね。ステラ物語の成立についてとか?」
「…………はぁ」
 まずい。ローレルの反応は薄い。戸惑っているような顔つきだった。
 それもそのはず。ステラ物語とは、日本でいうところの竹取物語みたいなポジションである。成立年代、作者不詳。内容も星の神で唯一の女性であるヴァルゴが他の星座神から求婚を受けまくるという内容。ヴァルゴも結婚したくないのか、あの手この手で求婚者を蹴散らす。
 古い記述が歴史の中で子供に読み聞かせる昔話に変化した。つまり誰もが知っている。昔話の成立について何を調べるのだろう、という率直な疑問だ。当然である。
 知っていてエヴァは努めて明るく振る舞った。自分にとっては関心のあることには間違いない。その魅力をアピールしたいと思ったからだった。
「確かにステラ物語はありふれた作品のひとつかもしれない。でも成立年も作者も不明ということはこの大陸で最古の物語って可能性もあるでしょう? それに内容も歴史学や天文学観点から考察するととても興味深いんだ」
 身振り手振りで説明をしてもローレルの表情は冴えなかった。
 すでになに言ってんだ、この子状態。人間、理解できない事柄を前にすると反応は鈍くなるものだ。
 エヴァが一瞬ひるみかけた時だった。
 不意に前世で一緒の病室だった男子を思い出す。入院時期がほぼ同時、近い年頃だったせいか、よく話をしていた。特に彼の語り口調は聞いていて引き込まれる魅力があった。話題のほとんどは当時流行していたライトノベルやゲームの話だったけれども。ついでに言うなら、彼こと秀明(ひであき)の関心は作品に登場するヒロインのみであったけれども。熱意は伝わってきた。彼を見習ってローレルを納得させることはできないか。
ここで心折れてはいけない。エヴァは両の拳をにぎる。
 伝われ、この気持ち。幼馴染ともいえる親友の語り口を思い出しながらエヴァはさらにまくし立てた。
「記録によると建国間もないザカライアの公文書館に写本がすでに存在していたことから成立は古代という仮説も否定できない。ということはわたしたちが信仰しているラスヴァトーレ神を最初に崇拝した流浪の民ザクツェリにも関連性があるかもしれないんだよ。そもそもこの大陸の成り立ちがいくつもの戦乱によって……」
「わ、わかりましたわ、エヴァンジェリン様。今日は図書館にいらっしゃるのですね」
 手で制して、やんわりと説明を中断してくる。
 何故だろう。ローレルは理解を示してくれたはずなのに少しだけ虚しい。
 そういえば、秀明が自分にしてくれた話を他の人にも説明する場面を見かけたことがある。誰もがローレルと似たような反応を示す。あの時の彼はこんな気持ちだったのだろうか。
(うわぁ、さすが秀明。すごいメンタルだな)
 彼はすでに達観していたようで「オレの話は、1/3だけでも魅力が伝わればいい」とか言っていた。その姿勢を本気で尊敬する。エヴァはまだ受け入れるには時間がかかるようだ。とりあえずローレルに主旨はだいたい理解してもらえたと思うのでよしとしよう。
 話を仕切り直したいのか、ローレルは小さく咳払いをした。
「では頃合いをみてお茶や差し入れの準備をいたします」
「あう」
それは困る。
 一難去ってまた一難。
 もとから図書館に師匠がいることも自習することも方便である。定期的に顔を出されるのは都合が悪い。発覚はなるべく遅らせたい。そんな思いからまたぐるぐると思考を巡らせる。しどろもどろに手を振った。
「お茶とかはいいよ。今までの遅れも取り戻したいし、休憩なしで集中したいなー、なんて」
 もはや口から出まかせ。それっぽい理由でごまかすしかない。とはいえ、あまりにもお粗末な言い訳かもしれない。ちらりと見たローレルの肩が震えている。
 あ、しまった。逆鱗に触れてしまったかもしれない。
「その心意気、素晴らしいですわ!」
「え」
 思ってもない反応にエヴァは目をまるくする。
 どこをどう接続したらそんな言葉がでるのか。茫然と侍女の様子を見つめる。しかし、彼女はうっとりとした表情を浮かべているだけだった。
「自らの行いを反省するばかりか休む時間も惜しんで学ぶ姿勢……このローレル、いたく感動いたしました。エヴァンジェリン様ならきっとご理解していただけると信じておりましたわ」
 がっしりと手を握られる。それもしっかりと両手で強く。
「ははは……」
 エヴァは乾いた笑いしか出てこない。
「他の者にも伝えておきますわね。しっかり頑張ってくださいませ」
「うん。ありがとう……」
 ローレルは上機嫌で部屋をあとにする。その後ろ姿を見てちょろいと思えるはずもなかった。途方もなく心が痛い。
「エヴァ?」
 ウィルフレッドはすでに何かを察していたらしい。
「ごめん。これを見てくれる?」
 エヴァは便箋を差し出した。
 数時間後、図書館の前で絶叫するローレルを想像しながら。